学位論文要旨



No 116914
著者(漢字) 二瓶,雅之
著者(英字)
著者(カナ) ニヘイ,マサユキ
標題(和) アゾ共役メタラジチオレン系の創製と光・プロトン応答
標題(洋) Creation of Photo- and Proton-Responsive Azo-conjugated Metalladithiolene System
報告番号 116914
報告番号 甲16914
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4177号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 錦織,紳一
内容要旨 要旨を表示する

 アゾベンゼン類は光、熱による可逆なtrans-cis異性化挙動を示すことで知られており、その物性は共役系で連結された置換基の影響を強く受ける。一方遷移金属ジチオレン錯体は芳香属性を有していることから特異な物性、反応性を示す。したがってアゾ共役メタラジチオレン系は、メタラジチオレンとアゾ基とのπ共役系を通した強い電子的相互作用により、新たな物性の発現が期待される。この観点から本研究では、アゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法を確立し、得られた新規錯体群の物性について、系統的に解析することを目的とした。その結果これまでのアゾ化合物には見られない新たな物性の発現を見出した。

【アゾ共役メタラジチオレン系の合成】

 本研究において、アゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法を確立した。(Scheme 1)ニトロ化合物1を還元して得られるニトロソ化合物2は、酸化に対して不安定なジチオレート部位を保護した化合物であり、任意のアニリン誘導体との縮合反応により多様なメタラジチオレン配位子前駆体の合成が可能である。そこで配位子前駆体として、アゾベンゼンのパラ位に各種置換基を導入した化合物4-7、及び二核錯体の配位子前駆体となる化合物8をそれぞれ合成した。また、配位子前駆体4-7からdppe-M錯体9-14、及びCpCo錯体15を、また化合物8から単核錯体16及び二核錯体17を、さらにアゾベンゼン部位を二つ有する錯体18をそれぞれ新規合成した。

【dppe-M錯体9-14の構造と物性】

分子構造 X線結晶構造解析によりNi、Pd、Pt錯体12-14の構造について明らかにした。Figure 1にPt錯体14の構造を示す。その結果、これらの錯体のメタラジチオレン部位の構造は通常のメタラジチオレンとほぼ同様であることがわかった。アゾベンゼン部位はトランス構造を有しているが、平面性、アゾ基の二重結合長については中心金属の種類により大きな違いが見られた。アゾ基の二重結合長はNi、Pd錯体(1.25,1.26A)については通常の有機アゾベンゼン化合物(1.23-1.27A)と同様であるが、Pt錯体14においては1.32Aと非常に長く、二重結合性が弱められていることが解った。また、通常のアゾベンゼン化合物が高い平面性を有しているのに対してアゾ共役メタラジチオレン系、特にPt錯体14においてはアゾベンゼン部位が大きくひずんで平面性が失われていることが解った。これらのアゾベンゼン部位の構造の特異性はアゾ部位とメタラジチオレン部位との強い電子的相互作用によるものと考えられる。

プロトン応答 アゾ共役メタラジチオレン系は酸添加により、他に観測例のなかったアゾ基への可逆なプロトネーション挙動を示すことを見出した(Scheme 2)。Figure 2に錯体12-14のアセトニトリル溶液、及びこれらにCF3SO3Hを加えた溶液のスペクトルを示す。各錯体ともに酸添加によるプロトン付加体の生成に伴ってアゾ基の吸収の強度の減少及び、可視領域600nm付近にメタラジチオレン環からアゾ基への配位子内電荷移動遷移に由来する新たな強い吸収が観測された。また、このプロトン付加体はt-BuOKの添加による脱プロトン反応を可逆に示すことが解った。この可逆なプロトン応答はアゾ基とメタラジチオレン環との強い電子的相互作用による共鳴安定化によりアゾ基の塩基性が増したことによると考えられる。

異性化挙動 錯体12-14はそれぞれ、405nmの光照射によるtans-to-cis異性化反応を、またPt、Pd錯体13、14は310nm、Ni錯体12については360nmの光照射によるcis-to-trans異性化反応をそれぞれ可逆に示すことが解った(Figure 2)。ここで有機アゾベンゼン類と異なりアゾ共役メタラジチオレン系においては、cis-to-trans異性化反応に要する光のエネルギーはtrans-to-cis異性化反応の際より高い。この励起エネルギーの逆転は通常の有機アゾベンゼン化合物には見られないものである。またこれらの錯体は室温暗所放置によりcis-to-trans異性化挙動を示すことが解った。Table 1に錯体12-14の熱的なcis-to-trans異性化反応の反応速度定数kを示す。また、各種置換基を導入したNi錯体9-12の熱的異性化反応速度は置換基の種類に強く依存し、有機アゾベンゼン化合物の異性化に関する置換基定数により説明付けられることを明らかにした。

プロトンを触媒としたcis-to-trans異性化反応 Pt、Pd、Ni錯体12-14のシス体は、熱的異性化挙動を示す以外に、通常の有機アゾベンゼン化合物には見られないプロトンを触媒とした新規異性化経路を有していることを見出した(Scheme 2)。この異性化の反応速度定数kacidをTable 1に示した。その結果通常の熱的異性化反応の反応速度定数kは中心金属の種類にあまり影響を受けなかったのに対し、kacidは中心金属の違いに強く依存している。その結果このプロトンを触媒とした異性化はメタラジチオレン部位が還元されにくくなればなるほど通常の熱的異性化に比べて加速されていることが解った。さらにこのメタラジチオレン錯体部位の酸化還元電位と反応速度定数kacidは指数関数的に比例していることを明らかにした。

【他の錯体の物性】

 Co錯体15は可逆な光応答を示すが、tans-to-cis光異性化反応は他の錯体に比べて抑制されることが解った。これはこの錯体に特徴的な可視領域のLMCTバンドへの励起エネルギー移動によるものと考えられる。また、単核錯体16は可逆な光応答を示すのに対して二核錯体17においては顕著な光応答は観測されなかった。これは錯体17のシス体における配位子間の立体反発による不安定化が原因であると考えられる。錯体18においては他の遷移状態への励起エネルギー移動により光に対して明快な応答を示さなかった。しかし、すべての錯体においてプロトンに対しては可逆な応答を示し、錯体17は二つのメタラジチオレン環からの強い電子供与より近赤外領域800nmに非常に強い吸収を示すことを見出した。また、錯体18のプロトン付加体においては近赤外領域まで広がる幅広い吸収を示した。

【結論】アゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法を確立し、各種アゾメタラジチオレン錯体共役系の合成に成功した。アゾメタラジチオレン錯体は通常の可逆なtrans-cis光応答のみならず、可逆なプロトン応答を示すことが解った。さらに、光とプロトンを組み合わせた新規異性化経路を見出した。さらにアゾ共役メタラジチオレン系の物性を検討し、構造と物性の相関を明らかにした。

Figure 1. ORTEP plot of 14 with 50% probability ellipsoids.

Figure 2. UV-Vis spectra of 12(a), 13(b) and 14(c)in MeCN at 23.3℃ before photoirradiation (trans form)(solid line), after photoirradiation by UV light at 405nm(dotted line), and upon addition of CF3SO3H(dashed line).

Table 1. Cis-to-trans Thermal Isomerization Rate Constantsa) and Proton-catalyzed Isomerization Rate Constantsb) of 12-14

a) The rate constant k was obtained in acetonitrile at 23.3℃, b) The rate constant kacid was obtained in MeCN at 23.3℃ upon addition of 0.01 eq. of CF3SO3H.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章(序章、本論3章、及び結論)からなり、序章においては、研究の背景および本論文の研究目的、第1章はアゾ共役メタラジチオレン系の合成、第2章はdppe-M錯体の構造と物性、第3章は他の錯体の物性、結論では、研究成果のまとめと展望について述べられている。以下それぞれの章の概要を述べる。

 序章では、本論文の研究の基盤となるこれまでの研究の概説として、アゾベンゼン類の光、熱による可逆なtrans-cis異性化挙動と置換基効果、遷移金属ジチオレン錯体の物性、反応性についてまとめ、アゾ共役メタラジチオレン系でのメタラジチオレンとアゾ基とのπ共役系を通した強い電子的相互作用による新たな物性の発現の可能性を述べている。この観点から本研究の目的として、アゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法を確立すること、得られた新規錯体群の物性について系統的に解析することを挙げている。

 第1章では、本研究において確立した、アゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法について論じている。この合成法の特徴として、酸化に対して不安定なジチオレート部位をチオ炭酸基で保護した新規ニトロソ化合物を出発物質とし、任意のアニリン誘導体との縮合反応により多様なメタラジチオレン配位子前駆体の合成が可能であることが示されている。配位子前駆体として、アゾベンゼンのパラ位に各種置換基を導入した化合物、及び二つのジチオラト部位をもつ二核錯体の配位子前駆体となる化合物をそれぞれ合成し、さらに、それらの配位子からdppe-M(M=Ni, Pd, Pt)錯体、CpCo錯体、dppe-Ni二核錯体及び単核錯体、アゾベンゼン部位を二つ有するニッケル錯体の新規合成に成功している。

 第2章では、Ni, Pd, Ptを中心金属とするdppe-M錯体の構造と物性について、詳細に検討している。それぞれの錯体のX線結晶構造解析から得た分子構造について議論し、特にPt錯体においてアゾ基の二重結合長が通常の有機アゾベンゼン化合物と比較して非常に長く二重結合性が弱められていること、アゾベンゼン部位が大きくひずんで平面性が失われていることを示し、これらのアゾベンゼン部位構造の特異性はアゾ部位とメタラジチオレン部位との強い電子的相互作用によるものと考察している。

 アゾ共役メタラジチオレン系の物性としては、酸添加により他に観測例のなかったアゾ基への可逆なプロトネーション挙動を見出し、分光学、電気化学測定によりこのプロトン応答の検討を行っている。その結果、この可逆なプロトン応答はアゾ基とメタラジチオレン環との強い電子的相互作用による共鳴安定化によりアゾ基の塩基性が増したことによると考察している。

 dppe-M錯体はそれぞれ、光照射による可逆なtans-cis異性化反応、及び熱的なcis-to-trans異性化挙動を示すことを示し、またこの熱的なcis-to-trans異性化反応の速度は置換基の種類に強く依存し、有機アゾベンゼン化合物の異性化に関する置換基定数により説明付けられることを示している。

 Ni、Pd、Pt錯体のシス体は、通常の有機アゾベンゼン化合物には見られないプロトンを触媒とした新規cis-to-trans異性化経路を有していることを見出し、この異性化反応の反応速度は中心金属の違いに強く依存することを示している。さらにこの異性化反応の反応速度定数はメタラジチオレン錯体部位の酸化還元電位と指数関数的に比例することを明らかにしている。

 第3章では、上記以外のアゾ共役メタラジチオレン系について、種々の構造、電子状態が物性、特に光異性化、プロトン応答に与える影響について詳細に検討している。Co錯体、Ni二核錯体、アゾベンゼン部位を二つ有するNi錯体においては光異性化はそれぞれの錯体の構造に強く依存するが、すべての錯体においてプロトンに対しては可逆な応答を示すことを見出している。

 結論では、本研究で確立したアゾ共役メタラジチオレン系の汎用性の高い合成法および光・プロトン応答性についてまとめ、これらの分子の更なる研究展開について言及している。

 以上、本論文は、論文提出者が創製したアゾ共役メタラジチレン系の構造および外部刺激応答性について様々な手法で解析することにより興味深い挙動を見いだし、錯体化学、機能性分子の開発研究におおきなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価できる。なお、本論文第1-3章は西原 寛、栗原正人、水谷 淳との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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