学位論文要旨



No 116941
著者(漢字) 花澤,桃世
著者(英字)
著者(カナ) ハナザワ,モモヨ
標題(和) 線虫の生殖細胞形成に関わる遺伝子群の検索と解析
標題(洋)
報告番号 116941
報告番号 甲16941
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4204号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京女子医科大学 助教授 三谷,昌平
内容要旨 要旨を表示する

 有性生殖を行う生物にとって、配偶子は己の遺伝情報を次世代に引き継ぐという生物の根元の目的を果たすための媒介として必須である。また、生殖細胞は、永久分裂能や全能性、減数分裂という特殊な分裂様式など、体細胞の持たない様々な特徴を持つ。この特殊な細胞から配偶子を形成するまでには、予期しない事態が起きても誤った方向へ進まないように働く補正プログラムや重複した経路も含む、多数の因子による複雑な経路が整然と制御されて機能していると予想される。

 本研究では線虫Caenorhabditis elegansの生殖細胞において重要な働きをする遺伝子群の統括的な検索とその解析を行った。まず、減数分裂過程の細胞で満たされた生殖腺を持つglp-1変異株と生殖細胞をほとんど持たないglp-4変異株との間でcDNAサブトラクションを行い、生殖腺において特異的に発現している遺伝子群由来のcDNAに富むFcDNAプローブ、および比較のためのRcDNAプローブを作製した(図1)。続いてこれらのcDNAプローブを用いて、線虫の全遺伝子の約4割にあたる7584種類のEST(Expressed Sequence Tag)クローンがスポットされたhigh-density gridに対してディファレンシャルハイブリダイゼーションを行った。各スポットのシグナル強度を測定し、FcDNAプローブに対するシグナル強度とRcDNAプローブに対するシグナル強度の比が一定以上の値を示したスポットに対応する199の遺伝子を、生殖細胞において特異的に発現すると予想される候補遺伝子として選択した。この中には生殖腺における発現や機能が既に確認されている因子が多数含まれていた。21の候補遺伝子について、in situハイブリダイゼーションを行った結果、18の遺伝子が生殖腺において強い発現を示したことから、候補遺伝子群の大半が期待通り生殖腺において発現していることが予想された。候補遺伝子群のうち、既知の遺伝子を除く168の遺伝子について順次RNA干渉法(RNAi)による機能破壊を施した結果、胚発生に必要な遺伝子や幼虫初期に必要な遺伝子の他、稔性に必須な15遺伝子を同定した(図2)。ランダムに遺伝子の機能破壊を行った場合には1%前後の頻度で不稔性を生じる遺伝子が現れると言われており、これに比べると今回のスクリーニングでは全体の約9%という高い頻度で不稔性が観察されたことから、cDNAサブトラクションおよびディファレンシャルハイブリダイゼーションが有効であったと考えられる。機能破壊の結果生じた不稔の表現型は大きく2種類に分類できた。子宮内に卵が形成され産卵が起こるが受精卵特有の卵殻が観察されない場合と、全く卵を産まない場合である。DAPI染色やノマルスキー顕微鏡観察によって詳細にそれぞれの表現型の解析を行った。卵殻が観察されないグループは、野生株の雄との交配によって受精卵を産むようになる場合と、未受精卵様の卵を産み続ける場合にさらに分類された。前者は精子形成の異常による不稔と考えられ、一方、後者の表現型を引き起こした遺伝子群には卵殻の主成分であるキチン合成系に関わる酵素の相同遺伝子が複数含まれていた。全く卵を産まないグループには、生殖細胞の増殖が起こらないもの、生殖細胞の核が崩壊するもの、卵形成へ移行せず精子を作り続けるもの、減数分裂の特定の過程で停止してしまうものなど、様々な異常が観察された。このグループにはRNAへリケースなどのRNA結合因子に相同性を示す遺伝子が複数含まれており、配偶子形成過程における転写後制御に関わる可能性がある。

 スクリーニングで同定された配偶子形成に必要な遺伝子群のうち、eIF-5AおよびATP合成酵素b鎖の相同遺伝子についてさらに解析を進めた。

 eIF-5A相同遺伝子はin situハイブリダイゼーションの結果、生殖細胞の増殖がおこる領域において発現が高く、変異体では生殖細胞数が減少する。生殖細胞が分化せず増殖のみを行い続ける変異株に対する機能破壊でも同様の表現型が観察されたことから、この遺伝子が生殖細胞の増殖自体に必須であることが示唆された。eIF-5Aはもともと翻訳開始因子として単離されたが、その機能は現在では疑問視されており、最近の他生物での知見から、eIF-5Aは核膜孔に局在し、mRNAの核外輸送や分解を制御すると示唆されている。本変異体では生殖腺内のRNA全般の局在に異常は見られなかったものの、RNAの転写後調節への関与が示唆されているP顆粒の構成因子であるPGL-1の核膜孔への局在が失われていた。P顆粒には限られた種類のmRNAが局在していることが知られており、eIF-5A相同遺伝子がそれらの転写後調節に関与している可能性がある。また、ゲノム上にもう1つ存在するeIF-5A相同遺伝子は体細胞において発現し、変異体では成長遅延および体細胞性の一部の組織が欠如するという表現型が観察されたことから、相同遺伝子間で機能部位の分担が行われていると考えられる。

 一方、ATP合成酵素b鎖相同遺伝子の機能破壊では、Ras-MAPK経路に属するmpk-1(MAPK相同遺伝子)やmek-2(MAPKK相同遺伝子)の機能欠損型変異と類似した表現型(生殖細胞の減数分裂前期のパキテン期における停止、生殖細胞のアポトーシスの欠如)が観察され、Ras活性化型変異によりその表現型が部分的に抑圧された。b鎖相同遺伝子はもう1つゲノム上に存在するが、この遺伝子は体細胞において発現し機能破壊によって成長遅延が起こることから、相同遺伝子間での機能部位の分担が推定された。b鎖相同遺伝子がATP合成酵素のサブユニットとして機能していることを確認するために、他のサブユニットの相同遺伝子を網羅的にRNAiにより機能破壊した結果、ほとんどの場合において胚致死または幼虫致死が生じた。唯一、ゲノム上に2つのパラログが存在するg鎖相同遺伝子のうちの片方を機能破壊した場合に、b鎖相同遺伝子の機能破壊と同様な不稔性が観察された。これらの結果から2つの可能性が考えられる。1つはb鎖およびg鎖相同遺伝子がATP合成酵素とは独立に生殖細胞において機能する可能性であり、1つはb鎖およびg鎖相同遺伝子がどちらもATP合成酵素のサブユニットとして機能しており、体細胞において機能する型と生殖細胞において機能する型に機能分担がなされているという可能性である。後者の場合には、他のサブユニットが体細胞および生殖細胞両方で共通に機能しているために、RNAiによる機能破壊では発生初期において停止してしまい生殖細胞における影響を観察することができなかったと考えられる。これまでの知見からパキテン期開始を促すシグナルが生殖腺鞘細胞から生殖細胞にむけて流れていると言われており、このシグナル伝達経路にb鎖相同遺伝子およびRas-MAPK経路が関与している可能性がある。b鎖やg鎖の相同遺伝子がATP合成酵素のサブユニットとして機能していると考えると、ATP合成酵素により供給されたATPを利用してRas-MAPK経路に属する因子を含む制御因子のリン酸化が一斉に起こることが、生殖細胞がパキテン期以降に進行するために必要なのかもしれない。また、ATP合成酵素によるミトコンドリアのΔψ制御活性が損なわれるために、パキテン期停止が起こる可能性も考えられる。他生物において、細胞死シグナルが入力されるとミトコンドリアのΔψが変化し細胞死実行経路にスイッチが入る例が知られている。ATP合成酵素によるΔψ制御を介した細胞死への運命決定がなされないがために、死すべき細胞が生き延び、その影響により周囲の細胞全てが停止しているという可能性も考えられる。

図1.スクリーニングの流れ

glp-1変異体、glp-4変異体、および野生株初期胚から回収したmRNAからそれぞれcDNAを合成し、図に示す2通りのcDNAの差し引きを行うことでF cDNAプールおよびR cDNAプールを作製した。差し引き後のcDNAプールをプローブとして、7584種の独立のcDNAクローンがスポットされたhigh-density gridに対してディファレンシャルハイブリダイゼーションを行った。FcDNAプールをプローブとした場合に強いシグナル強度を示したスポットに対応する21遺伝子について、in situハイブリダイゼーションを行い、生殖腺における特異的な発現パターンを確認した後、168の候補遺伝子群について順次RNAi法により機能破壊を行い、その結果、不稔の表現型を示す15遺伝子を同定した。

図2. RNAi結果

Clone no.は実験の便宜上使用した番号である。対応するcDNAクローン名、CDSID(ゲノムプロジェクトによる遺伝子名)、および分子的特徴を示した。Dpy:Dumpy(体が短く、太い)、Pvu:Protruding vulva(陰門が突出する)、Glp:Germline proliferation defect(生殖細胞の数が低下する)、Mog:Masculinization of germline(生殖腺が雄化する)。未受精卵様の卵を産んだ場合には、RNAiを行った個体(P0)の表現型および野生株の雄との交配による稔性の回復の有無で分類した。Type IはF1でのみ表現型が観察され、雄との交配で稔性が回復したもの、TypeIIはP0でもF1でも表現型が観察され、雄との交配で回復しなかったもの、TypeIIIはP0でもF1でも表現型が観察され、雄との交配で回復したものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章よりなり、第1章は生殖細胞形成に関わる遺伝子群の検索について、第2章、第3章ではこの検索により得られた遺伝子のうち、eIF-5A相同遺伝子iff-1,iff-2(第2章)、ATP合成酵素b鎖相同遺伝子asb-1,asb-2(第3章)の機能解析について述べられている。

 論文提出者は第1章において、生殖腺に減数分裂期の生殖細胞を多く含む突然変異体から分離したmRNAと生殖腺をほとんど持たない突然変異体から分離したmRNAを用いてcDNAサブトラクションを行ない、さらに線虫ESTプロジェクトから得られたhigh-density gridフィルターを用いることにより、生殖腺に特異的に発現する遺伝子を多数同定している。さらに、このうちの168の遺伝子について、順次RNA干渉法を用いた生体内機能破壊を行ない、生殖に必須な15遺伝子を同定している。これらの遺伝子の機能破壊により生じる表現型について詳しく解析し、それぞれの遺伝子が生殖細胞形成のどのような過程に必要であるかを推定している。

 第2章においては、これら生殖必須遺伝子のうち、eIF-5A相同遺伝子について解析を行なっている。線虫ゲノム上に存在する2つのeIF-5A相同遺伝子のうちiff-1は生殖腺特異的に発現し、その機能阻害により不捻となる。iff-2は体細胞に発現し、その機能阻害により幼虫期での成長遅延が起こる。遺伝学的解析により、iff-1の機能阻害により生殖細胞の増殖のステップに欠損が生じることが示された。eIF-5AはmRNAの核外輸送や安定性などを制御することが示唆されている。線虫iff-1の機能阻害により、生殖腺において全RNAの核内外の分布には顕著な影響を生じなかったが、生殖腺のmRNA制御に関わることが示唆されているP顆粒の構成タンパク質PGL-1の局在が乱れることが観察され、P顆粒との機能的な関係が示唆された。

 第3章においては、第1章のスクリーニングで同定されたATP合成酵素b鎖相同遺伝子asb-1とその相同遺伝子asb-2について解析を行なっている。asb-1は生殖腺特異的に発現し、その機能阻害により減数分裂がパキテン期で停止するため不捻となる。asb-2は体細胞に発現し、その機能阻害により幼虫期での成長遅延が起こる。ATP合成酵素の他のサブユニットの機能阻害を行なうと、多くは幼虫致死となったが2つ存在するg鎖相同遺伝子のうち一方の機能阻害によりasb-1と同様のパキテン期停止が見られた。asb-1の機能阻害によるパキテン期での停止と生殖細胞の細胞死の欠損はras-MAPK経路の変異体の表現型と類似していた。さらに線虫のrasをコードするlet-60の活性化型変異によりasb-1機能阻害による欠損が部分的に抑圧されたことから、ATP合成酵素の少なくともb鎖とg鎖がras-MAPK経路の働くパキテン期進行のステップに必要であることが示された。

 上記のとおり、論文提出者は線虫の生殖腺機能に関わる遺伝子について、第1章において広範に検索と機能解析を行ない、第2章、第3章においてはより個別の問題に取り組んだ解析を行なっており、学位論文として十分な内容であると判断された。

 なお、本論文第1章は、餅井真、上野直人、小原雄治、飯野雄一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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