学位論文要旨



No 117007
著者(漢字) 木村,達人
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,タツト
標題(和) 固液接触と核生成の分子動力学
標題(洋)
報告番号 117007
報告番号 甲17007
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5148号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 教授 飛原,英治
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 近年,熱流体現象を分子レベルから取り扱う分子熱流体工学によって,気液界面での凝縮・蒸発,子液界面での凝固・融解などの相変化に対する検討が進んでいるが,特に従来から分子レベルでの挙動解明が期待されてきたのが,滴状凝縮における凝縮核生成や,キャビテーションや沸騰における気泡核生成などの問題であり,現象自体の小ささからマクロな表面張力などを用いた理論の適用が疑問視されている.均質核生成については分子動力学法を用いた研究が行われており,古典核生成理論との相違が指摘されているが,より工学的に重要となる固体壁面がある場合の不均質核生成についての例は無い.一方,固体壁面上のLennard-Jones微小滴について分子動力学法を用いた研究が行われており,固体面のポテンシャルの強さによって接触角が変化するという結果が得られている.

 本研究では固液接触と相変化に伴う核生成現象に着目し,理論的・工学的に重要な固体壁面上での不均質核生成および金属面上の水液滴の構造について,分子動力学法を用いた解明を目的とした.

固体壁面上の核生成のシミュレーション

 核生成のシミュレーションでは多数の分子を取り扱う必要があるため,分子間相互作用が単純で計算負荷の軽いLennard-Jones粒子を用い,物理的な理解のためにアルゴン分子を仮定した.また固体壁面分子はバネマス分子で表現し,質量,バネ定数には白金の値を用いた.壁面分子とアルゴン分子との間の相互作用についてもLennard-Jonesポテンシャルで表現し,エネルギーのパラメータεを変えることにより壁面のぬれ性を変化させた.数値積分には蛙飛び法を用い,時間刻みは5 fsとした.

 液滴核生成のシミュレーションではまず,下面に壁面を配置し,上面は鏡面反射条件,残り4側面は周期境界条件とした系に,5760分子からなるアルゴン気体を用意した.その後Langevin法を用いることで壁面温度を下げ,壁面から系を冷却し,Fig.1のように核生成を実現した.なおここではわかりやすさのために5分子以上からなるクラスターのみを示した.クラスターとは分子間距離が1.2σ以下であるような分子の集合体とした.

 始めのうちは,小さなクラスターがランダムな位置に出現と消滅を繰り返しており,やがて大きなクラスターが壁面近傍に成長する.一方,よりぬれにくい壁面条件では固体から離れた部分においても比較的多くのクラスター生成が行われており,均質核生成に近い状況が観察された.

 Fig.2に,ある閾値サイズ以上のクラスター数の時間変化を示す.破線はそれぞれが直線的に増加している部分にフィットさせた直線である.30以上ではこの直線の傾きがほぼ平行となっており,そのサイズを超えたクラスターが安定的に成長を続けていることを示している.なお,クラスター数変化が一定時間以後に直線から外れてくるのは,有限サイズによる計算のため,液滴同士の合体が顕著になるためである.Yasuoka & Matsumotoにより,この直線の勾配から核生成速度を見積もることが提案されており,30以上,40以上,50以上の直線の傾きの平均から見積もられる核生成速度はJsim=3.45×1021cm-2s-1となる.

一方,Fig.2でクラスター数が直線的に変化している1000psから1500psの平均温度Tave,および気体密度ρを用いると,古典核生成理論による平滑な固体壁面での不均質核生成の核生成速度はJth=4.47×1021cm-2s-1となり,非常によく一致する.

 さらにシミュレーションで得られたクラスターサイズ分布から,クラスター生成に必要な自由エネルギーを見積もり,理論との比較を行った(Fig.3).シミュレーションの結果から見積もった自由エネルギーは臨界核以下でのみ有効であることに注意すると,不均質核生成の理論と壁面に接しているクラスターの分布から得らる自由エネルギーがほぼ一致していることがわかる.

 気泡核生成のシミュレーションでは,上下に固体壁面を配置し,4側面を周期境界条件とした系にアルゴン液体を用意し,Langevin法により壁面温度を制御しながら壁面間距離を拡げ,温度一定条件で圧力を下げていった.圧力がある程度まで下がると気泡が生成するが,本研究で用いたような小さな系では,この気泡の成長により圧力が急速に回復してしまうので,最終的に1つの気泡しか生成しない(Fig.4).また,壁面のぬれ性を変えて計算したところ,ぬれやすい壁面条件であるほどより低い圧力,すなわち高い過熱度が必要となった.

 最終的に1つの気泡しか生成しないため,液滴核生成シミュレーションで用いたような手法で核生成速度を見積もることはできない.そこで,系を急激に拡張し,その後体積一定条件で計算することで気泡生成までの待ち時間を計測し,そこからおおよその核生成速度を見積もった.得られた核生成速度はJsim=3.7×1021cm-2s-1となり,古典核生成理論の値Jth=2.0×1021cm-2s-1とほぼ一致した.

白金表面上の水液滴のシミュレーション

 計算に用いた基本セルは,下面を白金表面,上面を鏡面反射条件,残り四側面を周期境界条件とした.水分子には単純でありながらも,表面張力などをよく再現できるSPC/Eモデルを適用した.水−白金間のポテンシャルに関しては,1988年にSpohr and Heinzingerによって提案されたポテンシャル(以下SHポテンシャル)と,1994年にZhu and Philpottによって提案されたポテンシャル(以下ZPポテンシャル)を用いた.これらのポテンシャルはともに,Holloway and Bennemannによる水分子と白金クラスターの拡張Huckel計算に基づいて構築されたものであり,白金原子の真上に水分子が位置するような配置が最も安定となるように作られている.

 白金表面上中央に水分子を設定温度における飽和液密度で配置し,最初の100psの間,並進速度,回転速度,それぞれに対する速度スケーリングによる温度制御を行なった後,Langevin法による白金の温度制御のみで計算を行なっていった.Fig.5にそのときの様子を示す.スケーリングによる温度制御を行っている100psの間に,すでに気液間の表面張力により液滴は球形をなしており,その後徐々に水白金界面が拡がり,液滴が白金表面に張り付いていく様子が観察された.

 このときの水−白金界面面積の時間変化を調べたところ,スケーリングによる温度制御を行っている最初の100psを除外すると,接触面積が最初は時間の1/3乗に比例(A∝t1/3)しており,その後時間の1/5乗に比例(A∝t1/5)して変化していることがわかった.Lennard-Jonesポテンシャルを用いた分子動力学法シミュレーションでは,時間の対数に比例(A∝log(t)),あるいは時間の2乗に比例(A∝t2)するという結果が得られており,本研究の水液滴の広がり速度は,これらの結果に比べて遅く,水−白金界面の抵抗がかなり大きい影響であると考えられる.

 SHポテンシャルを用いた計算では,最終的な液滴の構造はFig.6(a)のようにほぼ1層のみの状態となり,接触角を測定するには至らなかった.一方,より強いポテンシャルであるZPポテンシャルを用いた計算ではFig.6(b)のように1層目の上に接触角を持った状態で液滴が存在し,測定したところおよそ43°であった.

 このように壁面のポテンシャルが強いほど接触角が大きくなるという,Lennard-Jones液滴の場合とは逆の傾向が得られた.液滴第1層目の構造をみるとZPポテンシャルでは,ほぼ白金表面を覆うように水分子が並んでおり,かなりの高密度となっている.この影響でFig.6(b)に示されているように,2層目以降をはじく効果が現れ,結果的に接触角が大きくなったと考えられる.また,白金表面の結晶方向を変えて計算した結果,最も白金密度の高いfcc(111)面よりも,fcc(110)面の方が液滴第1層目の密度が高くなり,最も接触角が大きくなることが示唆された.

Fig.1 Snapshots of clusters larger than 5 atoms.

Fig.2 Variations of number of clusters larger than thresholds.

Fig.3 Cluster formation free energy.

Fig.4 Vapor bubble on solid surface.

Fig.5 Snapshots of water droplet on fcc(111) platinum surface (SH potential).

Fig.6 Two-dimensional density profile of water droplet on fcc (111) platinum surface.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「固液接触と核生成の分子動力学」と題し,固液接触と相変化に伴う核生成現象に着目し,理論的・工学的に重要な固体壁面上での不均質核生成および白金表面上の水液滴挙動について,分子動力学法を用いて研究したものであり,論文は全4章よりなっている.

 第1章は,「序論」であり,本研究と関連して,古典核生成理論,均質核生成の分子動力学法シミュレーションや固液接触に関する分子動力学法シミュレーションなどの従来の研究と研究の目的について述べている.

 第2章は,「固体壁面上の核生成のシミュレーション」であり,Lennard-Jonesポテンシャルモデルで表現した気体状態のアルゴンと接する固体壁面を冷却することにより,アルゴンの液滴核が生成する現象,および2つの平行な壁面間に挟まれたアルゴン液体の圧力を減少させることによる気泡核生成現象の分子動力学法シミュレーションについて述べている.いずれの場合にも固体面の温度制御にLangevin法を適用することによって,仮想的な等温壁面となる温度制御を実現している.液滴核生成については,マクロなシステムでの予想と一致して,壁面のぬれ性が大きいほど選択的に壁面上で液滴の核生成がおこり,壁面がぬれにくい場合は壁面から離れた部分での均質核生成がおこることを明らかとしている.また,液滴クラスターのサイズ分布とその時間進展に着目して,クラスターの自由エネルギーや核生成速度を古典核生成理論と比較している.この結果,分子動力学法による接触角と核生成の起こる部分での平均温度を用いることで,古典核生成理論と一致する結果を得ている.一方,気泡核生成に関しては,固体壁面の影響を受けた気泡核生成の分子動力学法シミュレーションが可能であることを示し,液体の過熱限界や古典核生成理論との比較を行っている.

 第3章は,「白金表面上の水液滴のシミュレーション」であり,工学的に重要な水液滴による白金表面のぬれに関する分子動力学法シミュレーションについて述べている.水分子のポテンシャルとしてSPC/Eポテンシャル,白金原子間はLangevin法によって温度制御されたバネマスモデル,水と白金のポテンシャルとしてはSphor-HeinzingerおよびZhu-Philpottの2種類のポテンシャルを比較している.白金表面上におかれた微小水液滴は,白金原子に水分子が強く束縛されるために,Lennard-Jones流体などと比較してぬれの拡がり速度が遅くなるとの知見を得ている.また,白金上に水分子一層による吸着層が形成し,その上に一定の接触角をもつ水液滴が形成される現象を分子動力学法によって始めて実現している.さらに,2種類の水-白金間のポテンシャルと3種類の白金結晶面(fcc(111), fcc(100), fcc(110))に対しての計算を比較し,水-白金間のポテンシャルの強さと白金結晶面の原子面密度によって水液滴第一層目の密度が決定され,この密度がバルクな水よりも高くなるため,この一層目の水分子と他の水分子との有効なポテンシャルが低下し,水分子層と水液滴との間に一定の接触角が現れることを明らかとしている.すなわち,一層目の水分子の密度が大きくなるほど接触角が大きくなる.

 第4章は「結論」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

 以上要するに,本論文は分子動力学法シミュレーションにより核生成および固体面のぬれ性について重要な知見を与えており,分子熱工学の発展に寄与するものと考えられる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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