学位論文要旨



No 117024
著者(漢字) 東條,啓一郎
著者(英字)
著者(カナ) トウジョウ,ケイイチロウ
標題(和) 1ビットデイジタル信号処理を用いた制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 117024
報告番号 甲17024
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5165号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 増沢,隆久
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 助教授 佐々木,健
 東京大学 助教授 湯浅,秀男
 東京工業大学 助教授 黒澤,実
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 △Σ変調A/D、D/A変換器が、通信・音響の分野で広く利用されている。この△Σ変調は、構造が簡単であり、次数とサンプリング周波数を上げることにより、分解能の向上を図ることができる。そのため、安価で高分解能である素子が実現できる。現在、高性能のA/D変換器やD/A変換器では、△Σ変調が利用されている。通常、△Σ変調A/D変換器の出力は、低ビットおもに1ビットディジタル信号の出力である。しかし、一般に使われるDSP等の演算素子は、16ビット等のマルチビットディジタル信号を扱うように設計されているために、この1ビットディジタル信号はマルチビットディジタル信号に変換して利用されている。

 本来の△Σ変調A/D変換器の出力は1ビットディジタル信号であり、サンプリング周波数はMHzオーダーである。このサンプリング周波数は他のA/D変換器に比べて高い。また、△Σ変調の特性により、低周波数の分解能が高く、周波数が高くなるに従って劣化する。つまり、この1ビットディジタル信号は、帯域が広く、低周波数での分解能が高いといえる。通信・音響分野に比べると、機械などの分野での必要周波数帯域は狭い。そのため、制御信号の演算に△Σ変調1ビットディジタル信号の低周波数領域での特性を利用すれば、高速・高分解能な制御が実現できることが期待できる。しかし、1ビットディジタル信号をマルチビットディジタル信号に変換してから、制御系の補償器を構成するようでは、△Σ変調の有利な特性を失うこととなる。そこで、1ビットディジタル信号のまま演算する方法を使い、△Σ変調の特性を失うことなしに、機械等の制御系に利用することが考案されている。本論文では、1ビットディジタル信号演算の構造を明らかにし、1ビットディジタル信号処理による制御ループについて、優位性を示すことを前半で行った。後半では、実際の装置を用いて実システムに、1ビットディジタル信号処理方式を応用することをおこなった。具体的には、ブラシレスDCサーボモータの電流制御と、FMヘテロダイン干渉計の位相角検出を行った。これらの内容について報告する。

2 △Σ変調

 △Σ変調の原理を説明する。△Σ変調のブロック図を図1に示す。はじめに、入力アナログ信号を積分する。積分された値の正負を判定し、正のときは'1'を負の時は'-1'を出力する。出力後1サンプル遅延をして、出力信号をD/A変換をし、次の入力アナログ信号が積分器に入力される時と同時に、積分器から先ほどの出力信号分だけ減算をする。このような操作を、△Σ変調の同期クロックに合わせて行う。このような変調を△Σ変調と呼ぶ。通常1ビットディジタル信号は、'1'と'0'の組を考えるが、本論文では'1'と'-1'の組のことを示す。

 △Σ変調を代数表現すると次の図2のようになる。Xを入力、Yを出力とし、コンパレータで発生する量子化誤差をQとすると、次の式のようになる。

△Σ変調の量子化誤差スペクトルをグラフにすると図3のようになる。△Σ変調の量子化誤差は、低周波数領域では、分解能が高いことがわかる。この低周波数付近を利用するのが本研究である。グラフでの0次とは、通常のA/D変換のことを指し、1次、2次の次数は、△Σ変調をする際の遅延器の数を示す。本論文では、主に2次の次数で演算をしている。

3 1ビットディジタル信号演算

 1ビットディジタル信号処理をするには、1ビットディジタル信号の演算について明らかにしなくてはならない。1ビットディジタル信号の演算は、入力信号を1ビットディジタル信号とし、出力信号を1ビットディジタル信号とする演算である。動作は、1ビットディジタル信号のサンプリング周波数に合わせて演算を行う。これまでに、加算・減算・乗算・微分・積分・増幅演算が考案されてきた。しかし、これまでの研究では演算が可能であることはわかっているが、安定的に動作する点、演算分解能、演算器内部のビット幅については、明確な設計指針はなかった。この点について、シミュレーションによる計算により、加算・減算・増幅演算器について、内部の構造を決定した。表1に、計算結果を示す。また、乗算器においては、乗算回数と演算分解能の関係を示した。遅延器段数45段、乗算回数2116回において、120dBのノイズフロアとなった。積分器においては、積分特性と内部のビット幅の関係を示した。

4 1ビットディジタル信号処理とマルチビットディジタル信号処理

 1ビットディジタル信号処理を用いた制御系とマルチビットディジタル信号処理を用いた制御系について比較をした。図7のような制御系について、最適フィードバックを構成したときに、トルク指令を変えたときの収束点の変化を調べた。マルチビットディジタル信号と1ビットディジタル信号のビットレートを同じにし、計算を行ったところ、マルチビットディジタル信号は、最小ビットごとにしか値をとれないが、1ビットディジタル信号はそれよりも細かい値を取ることができた。マルチビットA/D変換器は、13ビットを想定し、サンプリング周波数16kHz、最小ビットを1μmとした。このときの1ビットディジタル信号のサンプリング周波数は200kHzとした。アナログ信号による制御と比較すると、1ビットディジタル信号処理の方がマルチビットディジタル信号処理より、アナログ信号に近い制御ができている。このことは、1ビットディジタル信号の帯域が広いことと、低い周波数領域での高い分解能と関係がある。この優位点についてよく表すことができた。

5 ブラシレスDCモータの電流制御

 ブラシレスDCサーボモータの電流制御ループに1ビットディジタル信号処理を応用した。電流制御ループには、応答速度・分解能の高いことが要求される。この性能によってサーボモータの性能の限界が決まる。しかし、一般のブラシレスDCサーボモータでは、高価なA/D変換器、D/A変換器は価格の面から利用することはできない。そのため、一部の高性能なサーボモータでは、アナログ制御が使われている。この部分に、1ビットディジタル信号処理を応用すると、ディジタル信号処理でありながら、アナログ制御のように高速・高分解能な特性を示すことができるはずである。近年のディジタル信号処理素子の発達により、安価にディジタル信号処理素子を入手できるため、実現が可能である。補償器に必要な主な演算器を実現できているため、P補償、PI補償、位相遅れ補償を実現した。実験には、DC24V-10WのブラシレスDCモータとDC280V-30WブラシレスDCサーボモータを用いた。そのうち、DC24VブラシレスDCモータの電流制御において、マルチビットディジタル信号による制御と比較したところ、低速時のトルクリップルを測定したところ、定格トルクの2%内にすることができた。オリジナルのマルチビット制御では、3%であった。また、応答速度は、立ち上がり時間を見たところ、オリジナルが1.2msに対して、本方式は0.35msに向上した。

6 距離センサ

 1ビットディジタル信号処理を用いた距離センサについて研究をした。半導体レーザを電流による直接変調をすることを利用したFMヘテロダイン干渉計による距離センサが実現できることは知られている。FMヘテロダイン干渉計では、光の波長よりも短い距離を測定するには、ビート波形の位相角を求める必要がある。この位相角検出に1ビットディジタルの乗算器を用いて検出することを行った。FMヘテロダイン干渉計のビート信号は、変調電流に三角波を用いると、三角波の上りと下りで異なるビート信号をしめす。これらのビート信号は、位相角が同じで、角速度の符号が異なるもので出力される。従って、この2種類のビートを乗算して、ビートの周期に合わせて積分すると、位相角だけが求めることができる。この原理にしたがって、波長650nmの半導体レーザを用いて、FMヘテロダイン干渉計の位相角検出に成功した。このことにより、アナログ信号の演算部分に1ビットディジタル信号処理の応用範囲が広がった。

7 本論文の結論

 1ビットディジタル信号処理を用いた制御への応用について研究をした。これまでに十分でなかった1ビットディジタル信号演算器の構造、1ビットディジタル信号処理の優位性を明らかにした。実際の装置に1ビットディジタル信号処理方式補償器を組み込み実験を行った。

 1ビットディジタル信号処理を実現するために、これまでに考案されてきた1ビットディジタル信号演算について、加算・減算・乗算・積分・増幅演算について構造を特定した。構造が明らかになったことにより、制御に必要な補償器が実現できるようになった。1ビットディジタル信号処理の演算を実現できるようになったので、これを使った制御ループをつくり、マルチビットディジタル信号処理のものとシミュレーション上で比較したところ、マルチビットより細かいところまで制御が可能となった。1ビットディジタル信号処理をブラシレスDCサーボモータの電流ループに応用し、任意のP補償、PI補償、位相遅れ補償を実現できるようになった。また、1ビットディジタル信号処理を応用した、距離センサを構成し、位相角の検出に成功した。これらの結果により、1ビットディジタル信号処理を用いて制御の実現できることを示すことができた。同時に有効性も示すことができた。

図1 △Σ変調ブロック図

図2 △Σ変調の代数表現(1次△Σ変調A/D変換器)

図3 量子化誤差のスペクトル(△:量子化ステップ,fs:サンプリング周波数)

図4 2次加算演算

図5 2次増幅演算

図6 2次積分演算

表1 加算・減算・増幅演算器の内部必要ビット幅

図7 シミュレーションに用いたモデル

図8 収束点近傍での制御方式による変化

図9 トルク指令を変えた時の収束点の変化

図10 1ビットディジタル信号処理を用いたブラシレスDCサーボモータの電流ループ

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「1ビットディジタル信号処理を用いた制御に関する研究」と題し,音響の分野で音声の記録再生に、近年急速に利用が進んできている1ビットデジタル信号を自動制御に応用することを目的とし、制御系を構成するために必要である信号処理技術を確立し、機械の運動制御に適用しようという課題に取り組んだ研究成果を纏めたものである。

 本論文は,全7章から構成されている。

 第1章「はじめには」論では,本研究の背景と目的,および本論文の構成について述べている。1ビットディジタル信号処理の根幹をなす△Σ変調A/D、D/A変換器が、通信・音響の分野で広く利用されてきていることを述べ。△Σ変調がなぜ音響の分野で音声の記録再生に優れているかを論じている。そして,△Σ変調は構造が簡単であり、次数とサンプリング周波数を上げることにより、分解能の向上を図ることができる特性を有していることを示し,制御にも利用できる可能性を論じている。

 第2章「△Σ変調」では,△Σ変調の原理を説明し,△Σ変調の基本的な特性を明らかにしている。特に,△Σ変調による1ビット信号処理の量子化誤差が、サンプリング周波数を高くすることにより,低周波数領域ではマルチビットディジタル信号処理に比べて小さくすることができ、分解能が高いことを明らかにしている。この特性は静止位置の精度を最も重要視する位置決め制御等に適しており,従来のマルチビットディジタル信号処理では一般には実現することが困難であった高精度の制御を1ビット信号処理で比較的簡単に実現できる可能性があることをシミュレーションによって明確に示すことに成功している。

 第3章「1ビットディジタル信号演算」では,制御系を構成するために必要となる,入力信号を1ビットディジタル信号とし、出力信号を1ビットディジタル信号とする加算・減算・乗算・微分・積分・増幅等の演算を如何に上手く設計し実現するかについて,詳細な検討を行っている。そして,各演算の演算分解能、演算器内部のビット幅についての設計指針を明確にしている。

 第4章「ビットディジタル信号処理とマルチビットディジタル信号処理」では,1ビットディジタル信号処理を用いた制御系と従来のマルチビットディジタル信号処理を用いた制御系とについて性能等の比較を詳細に行っている。

 そして,1ビットディジタル信号処理の方がマルチビットディジタル信号処理より、アナログ信号に近い制御ができることを明らかにしている。つまり,1ビットディジタル信号処理による制御系においては,低周波数域での高い分解能が得られ,一方,高周波数域では,分解能は低下するがマルチビットディジタル信号処理よりも応答性が優れていることを明確に示している。

 第5章「ブラシレスDCモータの電流制御」では1ビットディジタル信号処理を実際の制御系を構成し,その有効性を調べるために,ブラシレスDCサーボモータの電流制御ループに1ビットディジタル信号処理を適用することを試みている。ブラシレスDCサーボモータの電流制御ループには、応答速度・分解能の高いことが要求されており,1ビットディジタル信号処理を応用することにより、ディジタル信号処理でありながら、アナログ制御のように高速・高分解能な特性を示すことが期待できる。DC24V-10WのブラシレスDCモータの電流制御を目的とするによる制御系を構成し,マルチビットディジタル信号による制御系と特性を比較することにより、低速時のトルクリップルの低減と応答速度の向上が得られることを実験により明らかにしており,1ビットディジタル信号制御の優秀性を実証している。

 第6章「距離センサ」では1ビットディジタル信号処理を応用した、距離センサの開発に取り組んでいる。これは,位置決め制御において,位置のセンサー信号が1ビットディジタル信号で直接得られるセンサーの開発を目指したものである。波長650nmの半導体レーザを用いて、FMヘテロダイン干渉計の位相角検出に成功している。高分解能の位置センサーの実現に繋がる基盤を創ることが出来たと言える。

 第7章は本論文の結論であり,本研究で得られた成果についての総括を行い,さらに今度の展望について述べている。本研究では,1ビットディジタル信号処理を利用した新しいディジタル制御の方式を提案し,その特性を明確にするとともにその有効性を実験により確認している。本研究のこれらの成果は制御工学ならびに精密機械工学の発展に大きく貢献するものと評価できる。また,本研究で試作したサーボモータの電流制御ループの優秀性に着目した企業がその商品化を開始するなど,産業の発展にも寄与している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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