学位論文要旨



No 117131
著者(漢字) 菱谷,隆行
著者(英字)
著者(カナ) ヒシヤ,タカユキ
標題(和) 水中で機能する高分子レセプターに関する研究
標題(洋)
報告番号 117131
報告番号 甲17131
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5272号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 助教授 浅沼,浩之
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 タンパク質などのナノスケールの分子を水中で認識する人工レセプターは、目的化合物の分離やセンシングなど、工業から診断医療に至るまで、非常に幅広い範囲で重要な技術である。しかしながら、これまでに報告された人工レセプターの多くは、主に有機溶媒中でAスケールの分子を認識するものであり、水中でナノメートルスケールの分子を認識する天然の抗体・受容体とは大きなギャップがあった。そこで本研究では、これらの人工レセプターによる分子認識で困難な課題、すなわち、(1)水中での相補的水素結合による分子認識(2)ナノスケールゲストを効率的に認識する人工レセプターの調製法、について主に検討を行った。

【実験・結果】

I.相補的水素結合による分子認識

 人工レセプターを用いた相補的水素結合による分子認識はこれまで多数報告されてきたが、水中では溶媒である水分子により阻害されるために非常に困難であった。そこで天然の系に倣い、高分子化することにより水素結合部位の近傍に疎水場を提供することで、水中での選択的分子認識を目指した。

(1)PVDAT(poly(vinyldiaminotriazine))による核酸塩基の分子認識

 ターゲットに核酸塩基を選択し、これに対する認識部位として3点でチミン誘導体と水素結合形成が可能なジアミノトリアジン(DAT:Fig.1)を用いた。DATのホモポリマーであるポリジアミノトリアジン(PVDAT)は、ビニルジアミノトリアジンをラジカル重合させることにより合成した。得られた高分子は水に不溶であり、基質吸着活性は基質溶液中に高分子を懸濁させた後、上澄み液の濃度を定量することにより測定した。その結果、PVDATは3点の水素結合部位をもつチミン誘導体を選択的に認識することが明らかとなった(Table 1)。対応するモノマーでは水中で認識能がないことから、高分子化によってはじめて水中で相補的水素結合が機能するようになったことが分かった。

(2)疎水性モノマーとの共重合化による水素結合の強化高分子化による水素結合の強化が明らかとなったので、さらに水素結合部位近傍の疎水性を向上させる目的で、DATと疎水性モノマーとの共重合体を合成した。その結果、得られた共重合体は、PVDATよりもチミン誘導体に対して強い認識能を示した。一方、アクリルアミドなどの親水性モノマーと共重合させた場合には、親和性の向上はみられなかった。つまり、水素結合部位近傍の疎水環境が相補的水素結合の形成に重要であることが分かった。

(3)均一水溶液中における水素結合による分子認識

 上記の高分子レセプターは水に不溶なため、親水性モノマーとの共重合により水に可溶な高分子を合成した。得られた高分子のDAT残基とチミンとの相互作用を直接1H-NMRにより分析したところ、ポリマーの添加によりチミンのイミノプロトンが低磁場シフトし、均一水溶液中においても相補的水素結合が形成していることが明らかとなった。対応するモノマーのホストでは、水素結合に基づく低磁場シフトがみられなかったことから、高分子化が水系での水素結合の形成に必須であることが明らかとなった。

II.インプリント・シクロデキストリンによるナノスケールゲストの分子認識

 生体関連分子などのナノスケールゲストの認識のためには、これまで数多く報告されているAサイズのゲスト分子に対する人工レセプターとは異なり、疎水部をゲストに相補的に配置する方法が必要となる。そこで、テーラーメイドなレセプター合成法である分子鋳型法に注目した。分子鋳型法は、目的化合物と機能性モノマーを会合させ、これを固定化することによりゲストに対して選択性をもつ高分子を簡便に合成する方法である。この手法をシクロデキストリン(CyD)の架橋高分子の合成に応用し、ナノスケールのゲストを水系で捕捉する人工レセプターの合成を目指した(Scheme 1)。

(1)インプリント・シクロデキストリン高分子の合成とその分子認識能

 コレステロール・インプリントCyD高分子の合成は、β-CyDを鋳型分子(コレステロール)存在下、乾燥DMSO中でトルエンジイソシアナート(TDI)により架橋した後、鋳型を除去することにより得た。比較のため、鋳型分子不在下で同一条件で架橋反応を行い、吸着活性を比較した。得られた高分子を基質溶液中に懸濁させ、上澄み液の基質濃度を定量することにより吸着率を算出し、これを吸着活性とした。その結果、鋳型存在下で合成したインプリントCyD高分子は鋳型不在下で合成した高分子よりも高い基質吸着活性を示した(Fig.2)。また、ヘキサメチレンジイソシアナート(HMDI)を架橋剤とした場合にもさらに高い鋳型効果が確認された。すなわち、CyDが複数結合するような疎水部をもつ分子に対して高い認識能を有する人工レセプターの合成に成功した。

 インプリント高分子中に生成した基質結合部位の構造を調べるため、様々なサイズのゲスト分子に対する吸着活性を測定した。その結果、鋳型分子であるコレステロール(18A)に対して最も大きな鋳型効果を示し、8A以下のゲストに対しては吸着活性の向上は見られなかったことから、2量化したCyDが基質結合サイトであることが示唆された(Table 2)。

 さらに、アミノ酸誘導体を鋳型として用いた場合にも上記と同様に鋳型効果が確認され、本手法が様々なナノスケールのゲスト分子の認識に有効であることが分かった。

(2)インプリントCyDの生成機構と鋳型の役割

 インプリント法により基質認識能が上昇した要因を検討するため、物理化学的手法によりインプリントCyDの分析を行った。MALDI-TOFMS、及び1H-NMR測定のために、架橋度の低いインプリントCyDを上記と同様に合成し、得られた水溶性のCyDを分析した。その結果、鋳型不在下で合成したCyDはほぼ単量体のみが得られたが、鋳型としてコレステロール存在下で得られたCyDでは2量体、及び3量体が多く生成した(Fig.3)。つまり、鋳型分子がCyDの集合化を促進し、この鋳型分子に対して相補的な構造が生成したと考えられる。一方、鋳型効果を示さなかった分子を鋳型とした場合には、このような集合化の促進はみられなかったことから、鋳型効果とCyD2量体生成反応との相関が明らかとなった。さらに、β-CyDの架橋反応を1H-NMRスペクトルで追跡した結果、鋳型(コレステロール)不在下では2級水酸基とはほとんど反応しなかったのに対し、鋳型存在下では2級水酸基の反応が見られたことから、2級水酸基がインプリント効果に寄与していることが示された。

(3)インプリントCyD高分子のHPLC固定相への応用

 コレステロール・インプリント高分子の分離機能材料への応用を目指し、HPLC固定相としてのゲスト保持能を検討した。その結果、インプリント高分子は鋳型不在下で合成した高分子と比較して、鋳型であるコレステロールに対して強い保持能を有することが分かった。また本手法は、ステロイドだけでなく、他の剛直な鋳型を用いた場合にも、鋳型分子に対する選択性を付与することができた。

(4)水中でのインプリンティングによる選択的分子認識

 強固な包摂複合体を形成させた状態で固定化反応を行うために、水中でのインプリンティングを行った。β-CyDのアクリル酸エステルを合成し、水中で鋳型と複合体形成させた後、これと架橋剤をラジカル重合させることにより水中での架橋反応を行った。鋳型には、複数の疎水性残基をもつペプチド(Phe-Phe)を用いた。これにより得られたCyD高分子は、D体でインプリントした場合にはD体を、L体でインプリントした場合にはL体を強く吸着することが判明し、エナンチオ選択的な分子認識に成功した。この事実は、ゲストに対する立体選択性も本手法により自由に制御可能であることを示している。

III.分子集合化を利用したCyD多量体生成の促進

 分子鋳型法の問題点である選択性をさらに向上させるために、基質と相補的な構造体が優先的に生成する系の構築を目指した。すなわち、架橋反応に平衡反応を用いることにより、複合化したCyDのみが固定化される系を設計した(Fig.4)。架橋分子としてジアルデヒドを用い、アミノCyDとの水中でのカップリング反応において、複合体形成により2量化反応が促進されるかどうかを調べた。その結果、鋳型の存在下で架橋反応を行った方が、鋳型不在下で反応させた場合よりもCyD2量体が多く生成した。本手法は、複数の疎水部をもつ鋳型を用いることにより、CyD多量体を合成できる可能性を示している。

【結論】

 ジアミノトリアジンを高分子化することにより、水中での相補的水素結合による選択的分子認識に成功した。また、分子鋳型法をCyD架橋高分子の合成に応用することにより、ナノスケールゲストに対して相補的な構造体の合成が可能となった。さらに、種々の物理化学的な分析により、インプリンティングがCyDの多量体構造の生成を促進していることが証明された。このようなテーラーメイドな鋳型合成法は集合化ホストの新規合成法として期待される。

Fig.1. Hydrogen bond formation in water between PVDAT (poly(diaminotriazine))and thymine derivatives.

Table 1. Recognition of nucleic acid bases by PVDAT

a) The ratio of the bound substrate to the fed one. b) The number of hydrogen bonding sites toward diaminotriazine residue.

Scheme 1. Molecular Imprinting of CyDs for the preparation of tailor-made receptors

Fig.2. Imprinting effect of the template (cholesterol) on the binding activityes of CyD polymers crosslinked with HMDI (left) and TDI (right).

Table 2. Effect of guest size on the binding activities of β-CyD polymers cross-linked with TDI

Fig.3. MALDI-TOFMS of (left) non-imprinted and (right) cholesterol-impritned β-CyD.

Fig.4. Accelerated dimerization of CyD by deoxycholic acid used as template.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は水系で機能するナノスケールのゲストに対する人工レセプターの合成法について検討を行ったものである。従来の人工レセプターの合成とは異なり、これまで困難であった水中で機能するレセプター合成の方法論を論じている。本研究で示された人工レセプター合成の方法論は新規性、汎用性、実用性の観点から、従来の分子認識や人工レセプター合成の研究と比較しても重要な知見が随所に見出されており、意義のある研究であると認められる。

 著者は、これまで困難であった水中で相補的水素結合を形成させる方法論を提案し、その有効性を示した。すなわち、高分子化により水素結合部位近傍に疎水場を提供することにより、水中においても相補的水素結合による選択的な分子認識が可能であることを見出した。さらに、疎水性モノマーとの共重合化により結合部位近傍の疎水性を向上させ、認識能の向上にも成功した。親水性モノマーと共重合させてゲストとの相互作用を直接NMRで観測し、これらの認識が相補的水素結合によるものであることも証明した。つまり、高分子化の手法を使うことで、通常は水により破壊される相補的水素結合を水中で形成させることに成功した。

 また、ナノスケールのターゲットを水中で認識するための手法として、分子鋳型法を架橋シクロデキストリン高分子の合成に応用し、その分子認識能を検討した。これまでに報告されている分子鋳型法のほとんどが有機溶媒中で水素結合を使って固定化したものであり、水系で機能するインプリントポリマーを合成した意義は工業的にも重要である。本手法を使うことで、ステロイドやアミノ酸誘導体の液相からの効率的な吸着に成功し、目的物質の選択的な除去に有効であることを示した。

 本研究ではさらに、分子鋳型法の固定化反応における鋳型の役割を明らかにした。これまでの鋳型重合法は架橋反応の際における固定化の機構が不明であり、高い選択性を得るための指針がなく効率的なレセプター合成に限界があった。著者は物理化学的手法を用いて架橋反応におけるシクロデキストリンの集合化とインプリント高分子の分子認識能との相関を調べることにより、鋳型が基質結合部位の形成に積極的に関与していることを明らかとした。分子認識能と固定化反応の進行との関連を明らかにした報告例はこれまでになく、今後の発展につながる基礎的な知見を得た。

 さらに著者は、上記方法論により合成した高分子をHPLC固定相の調製に応用した。これにより、目的化合物のみを分離するテーラーメイド分離材料への可能性を示した。ゲストとしてステロイドの他、ダイオキシンモデルなどの認識にも成功した。この方法論は有害物質等の分離にも期待でき、非常に重要性の高い手法であることを示した。

 次に分子鋳型法を発展させ、水中での固定化も検討した。水中でインプリンティングを行った例はこれまでにほとんどなく、有機溶媒中での固定化よりもさらに汎用性の高いレセプター合成であることを明らかとした。さらに重要なことに、得られた高分子は光学異性体に対する分離能を示した。本手法を用いて望みの異性体に対する親和性を選択的に向上させることに成功し、医薬品などの複雑な化合物の合成の際に生じる異性体の分離に応用可能であることを示した。

 著者はさらに、本手法をこれまで報告されていない分子鋳型法の均一系での人工レセプター合成に発展させた。これにより、不均一系における不溶性高分子による吸着過程だけでなく、均一水溶液系においても鋳型重合が可能で、ペプチドの認識に有効であることを示した。

 最後にホスト分子を用いた分子鋳型法を動的コンビナトリアル法へ発展させた。ゲスト存在下における架橋反応に平衡過程を利用することで、シクロデキストリン2量体を効率的に合成できることを示した。これまでの鋳型分子法とは異なり、目的化合物との複合体を自発的に固定化しているため、従来の分子鋳型法の問題点である親和性・選択性の低さを克服する新しいアプローチである。この方法論は分子鋳型法にかわる水中でのテーラーメイドレセプター合成法の可能性を示しており、様々なターゲットに対する効率的なレセプターや人工酵素の認識部位としての応用が期待できる。

 水の中で機能する人工分子の構築は環境化学の観点からも今後重要性が高まることが確実であり、高い汎用性のある分離材料の調製法は非常に重要である。今回用いた認識部位にも、シロデキストリン等の安全で安価な機能分子を活用しており、コスト、安全性などの面からも実用化を見据えた研究であると認められる。水中での選択的分子認識は、タンパク質などの生体関連分子に対して機能するためには必須であり、このための方法論を示した本論文は工学的観点から重要な知見を含んでいる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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