学位論文要旨



No 117132
著者(漢字) 藤沢,章雄
著者(英字)
著者(カナ) フジサワ,アキオ
標題(和) 新しいビタミンEの発見とその機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 117132
報告番号 甲17132
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5273号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 生体内でビタミンEなどの抗酸化物質や各種抗酸化酵素は,生体膜やリポ蛋白質の酸化防御に重要な役割を果たしている.酸素濃度の低い生体中に比べ,大気下で生存しなければならない魚類などの卵は,さらに可視光や紫外線の影響でより強い酸化ストレスに曝されていると考えられる.そのような酸化的環境下で孵化するまでの長期間生存するために,魚卵はより優れた抗酸化システムを有している可能性が高い.

 このような認識のもとに魚卵を2-プロパノールでその脂溶性成分を抽出し,電気化学検出器付き逆相高速液体クロマトグラフィーを用いて新規抗酸化剤を検索した.その結果,サケなどの北洋魚の卵からビタミンE類の中で最も抗酸化活性の高いα−トコフェロール(Fig.1)のイソプレノイド側鎖の末端に二重結合が導入された新しいビタミンE誘導体,Marine-derived tocopherol(MDT, Fig.1)を見い出した.

 様々な魚の卵や体組織中のビタミンEレベルを測定した結果(Table 1.), MDTはサケ,マス,スケトウダラ,チョウザメといった寒冷海洋域の魚類で高いMDT含有率(%MDT)を示し,トビウオなどでは低かった.またグレートバリアリーフで捕獲されたCoral trout, Mangrove jack, Red-throat sweetlip,そしてBlue-tailed codなどの亜熱帯海系魚類ではMDTはほとんど検出されなかった.しかし南極海に生息する魚類では高い値を示し(Table 2.), MDTは地球規模で寒冷水域の魚類に局在していることが示された.

 またMDTを含まない市販の餌で飼育された養殖のサクラマスの体組織と天然サクラマスの体組織中のMDT含有率を比較したところ(Table 3.),天然サクラマスに比べ養殖サクラマスは非常に小さい値を示した.また天然サクラマスなどの生息する海域の植物および動物プランクトン(Table 3.)では高いMDT含有率を示したことから,天然の魚類は食物連鎖の過程でMDTを体内に取り込んでいると考えられる.

 α−トコフェロールはラジカル捕捉型の優れた脂溶性抗酸化剤であり,生体にとって必要不可欠な化合物である.MDTはα−トコフェロールと全く同じクロマン環構造を持つので,ラジカルに対する水素供与能は全く同じであると考えられる.そこで37℃,大気下で大豆ホスファチジルコリンのリポソーム溶液をアゾ化合物2,2-Azobis(2,4-dimethylvaleronitrile)でラジカル的に酸化し,MDTもしくはα−トコフェロールによる酸化抑制効果を検討したところ,MDTはα−トコフェロールと同様に大豆ホスファチジルコリンの酸化を抑制した(Fig.2a).次にメタノール均一溶液中で両者を共存させ,その減少速度を比較したが両者は全く同じ速度で減少した(Fig.2b).したがってこれらの条件では両者は全く同じ抗酸化活性を示し,それは両者の水素供与能を直接反映していることが示唆された.

 一方,寒冷水域での魚類の生息条件を考慮し,氷浴上で増感剤にベンゾフェノンを用いた光酸化系でMDTの抗酸化活性を検討した.まずコレステロールを50%含有する大豆ホスファチジルコリンのリポソーム溶液でホスファチジルコリンヒドロペルオキシドの生成速度を比較したが,MDTがα−トコフェロールよりもヒドロペルオキシド生成速度を有意に抑制することが確認できた(Fig.3).

 次にMDTとα−トコフェロールを様々な溶液中で共存させ,両者が競争的にラジカルと反応する減少速度の比から反応速度定数の比(k′/k)を算出した(Scheme 1.).すると大豆ホスファチジルコリンのメタノール均一溶液中ではMDTとα−トコフェロールの減少速度は同一であり,k′/k=1.00であったのに対し,魚油中ではMDTがα−トコフェロールよりも速やかに減少し,k′/k=1.39となった.さらに大豆ホスファチジルコリンのリポソーム溶液中では両者の減少速度は同一(k′/k=1.00)であったのに対し,コレステロールを50%添加し膜の流動性を下げた大豆ホスファチジルコリンのリポソーム溶液では,k′/k=1.07となった.

 MDTとα−トコフェロールは水素供与能を決定するクロマン環構造が全く同じであるため,ペルオキシルラジカルに対する水素供与能は全く同一であると考えられる.そこでこれらと全く同じクロマン環構造を持ち,イソプレノイド側鎖に二重結合が3つ導入されたα−トコトリエノール(Fig. 1)を,MDTの場合と同様にリポソーム膜中でα−トコフェロールと共存させて酸化し,その減少速度から抗酸化活性を比較したところ,コレステロールを50%含有するリポソーム溶液中でα−トコフェロールよりも1.17倍速い反応速度定数比(k′/k=1.17)を持つことが分かった.

 低温では魚油やコレステロール含有リポソームは系の流動性が低くなると考えられ,そのような反応環境ではイソプレノイド鎖に二重結合を導入されたMDTの方が機動性が優れ,ラジカルとの相互作用がしやすいものと考えられる.これは,流動性の高いメタノール均一溶液やコレステロールを含有しないリポソームでMDTとα−トコフェロールの抗酸化活性に差がないこと(k′/k=1.00),また二重結合をさらに導入したα−トコトリエノールではα−トコフェロールに対する抗酸化活性比がMDTのそれよりも大きいことからも強く示唆される.

 一方,魚油およびコレステロール含有リポソーム溶液中では,MDTとα−トコフェロールの競争反応から求められたk′/kの値は,それらビタミンEの酸化速度に依存し,これが低いほど大きい値となった(Fig.4).この現象は,反応が完全に反応分子の拡散律速となり反応速度定数比が分子の拡散分布確率の比となる分子拡散モデルを考えることにより説明された.このモデルではビタミンEはラジカルと反応するために距離dを拡散しながら移動し,その距離はラジカル濃度Crの逆数の1/3次に比例する(Eq.1).このときビタミンEの拡散係数をDとすると,時間τの間に距離dを拡散する確率Pは以下の式(Eq.2)で表される.

したがってMDTの拡散係数D'とα−トコフェロールの拡散係数Dを用いて拡散分布確率の比を求めると以下のようになる(Eq.3).

 ここでMDTの拡散係数D'がα−トコフェロールの拡散係数Dよりもわずかでも優れていれば,ラジカル濃度が低くなるにつれ反応速度定数比(k'/k)が大きくなることが示される(Fig.5).ビタミンEの酸化速度はラジカル濃度に対し1次に比例するので,得られた結果は実験結果を良く反映している.これらのことからMDTの優れた抗酸化活性はイソプレノイド側鎖に二重結合を導入することにより分子の拡散能が優れるためと考えられる.また同時に生体中での酸化速度がさほど大きくないことを考えると,実際の生体中ではMDTがα−トコフェロールよりも非常に優れた抗酸化活性を発揮している可能性が示唆される.

 低温に伴い生体膜などは流動性が低下するが,それに対する応答として,生体は不飽和化酵素の働きにより膜構成脂質に二重結合を導入する.しかしそれによりビスアリル水素が増えた脂質はより酸化されやすくなり,また低温により液体中の溶存酸素濃度も増加するので生体は酸化的ダメージをより受けやすくなる.

 α−トコフェロールのイソプレノイド鎖の末端に二重結合を持つことにより分子の機動性が増加し拡散能に優れるMDTはそのような低温,低流動性,低ラジカル濃度といった条件下でより優れた抗酸化能を発揮し,生体を効率よく酸化から防御すると考えられる.

 ビタミンEにはこれまでに9種類の同族体が確認されており,MDTは10番目に単離されたビタミンEとなる.陸上ではビタミンEは高等植物の葉緑体で,α−トコフェロールを最終生成物として与えるように生合成され,またその生合成経路には大まかに分けるとトコフェロール経路とトコトリエノール経路の2種類がある.したがってα−トコフェロールの前駆体はγ−トコフェロールもしくはα−トコトリエノールとなり,1995年にパーム油から単離されたα−トコモノエノール(Fig.1)はα−トコトリエノールからα−トコフェロールに水素化される途中の不完全な中間体と考えられる(Fig.6).一方,海洋性生物,特に植物プランクトンからα−トコトリエノールやその他のトコトリエノール類が検出されなかったことから,海洋性生物にはトコトリエノールの生合成経路が無いと考えられる.

 イソプレノイド鎖に二重結合を数多く持つほど拡散能が大きくなり,低温,低流動性,低ラジカル濃度環境下での抗酸化活性が大きくなることが示されたが,海洋生物にはトコトリエノールの生合成経路を欠いており,その代替としてMDTは低温環境に適合するために作り出されたと考えられる.このことからMDTの持つ生理的意義のひとつが明らかになったと考えている.さらにMDTの合成経路として,植物プランクトンの葉緑体中で,低温により活性化された不飽和化酵素の働きによりα−トコフェロールから合成される(Fig.6)と考えられるが今後の検討が待たれる.

Fig.1 Chemical structures of the α-forms vitamin E

Table 1.Vitamin E level in fish eggs and tissues

Table 2.Vitamin E level of Antarctic fish eggs and tissues

Fig.2 Inhibition of PC liposome oxidation by 1.9μM MDT or 2.2μM α-tocopherol(a), and consumption of both tocopherols in methanol(b), induced by 1.0mM AMVN at 37℃

Fig.3 MDT inhibits significantly PC liposome oxidation than does α-Tocopherol during benzophenone-induced photooxidation at 0℃

Fig.4 Dependence in the reactivities of MDT and α-Tocopherol as k'/k ratios on the vitamin E consumption rate during the benzophenone-sentitized photooxidation of 5mM soy PC multilamellar liposomes containing 5mM cholesterol, and of neat fish oil, at O℃

Fig.5 The theoretical curve of k'/k value against radical concentration (Cr) calculated by the equation 3.

Fig.6 Supposed biosynthetic pathway of MDT in marine organism adapted to cold environment.

審査要旨 要旨を表示する

 酸化ストレスは様々な疾病や老化の原因になると考えられており,それを効果的に防御するために抗酸化物質や抗酸化酵素などが存在している.しかし,自然界にはヒトにはない抗酸化システムが存在している可能性が高い.本論文では魚類の卵が高濃度の溶存酸素や紫外光の影響で強い酸化ストレスを受けていることに着目し,その抗酸化システムを検証していく過程で新規抗酸化物質(新規ビタミンE)を発見し,その生物分布と由来を明らかにし,さらにその生理的意義について考察したもので全6章で構成されている.

 第1章では序論であり,生物進化と酸素濃度の関係,酸素の化学的性質についてまとめている.生体にとって酸素が必要不可欠であると同時に非常に毒性も強いことを示し,したがって生物の進化の歴史は酸化ストレスに対抗する歴史であると述べている.酸化ストレスによる障害の一例としてガンについて述べている.次に酸化ストレスの正体が,生体中で発生する活性酸素種による脂質や蛋白質などの酸化にあることを,脂質の連鎖的酸化反応を例に説明し,その抑制にはビタミンEなどの抗酸化物質による脂質ラジカルの消去や抗酸化酵素による脂質過酸化物の還元が欠かせないとしている.最後に高濃度酸素や紫外光の曝露により酸化ストレスが亢進することを例証し,魚卵はそのような酸化的環境下で生存するために優れた抗酸化システムを有している可能性から未知の抗酸化物質の検索を行うに至った経緯を説明している.

 第2章ではサケの卵から未知の抗酸化物質をカラムクロマトグラフィーその他で精製し,機器分析により,それが生体中で最も重要な脂溶性抗酸化物質であるα−トコフェロールの末端に二重結合を持つ新規ビタミンEであることを明らかにしている.このビタミンEは世界で10番目に単離されたが,海洋生物にひろく分布するビタミンEであることからMarine-derived tocopherol(MDT)と命名している.

 第3章ではMDTの生物分布を検討している.MDTは地球規模でひろく分布しており,特に寒冷水域の魚類に局在することを述べている.MDTを含まない餌で飼育されたサケにはMDTがほとんどないことから,MDTは食餌由来で魚類の体組織に蓄積されていること示している.ビタミンEは植物しか合成しないことから,寒冷水域の植物プランクトンを調べ,それにMDTが存在することも明らかにしている.

 第4章では低温環境(0℃)でMDTがα−トコフェロールよりもすぐれた抗酸化活性を示すことを明らかにしている.用いられた反応系は魚油中およびコレステロールを含む大豆ホスファチジルコリンのリポソーム膜である.これらの系で,MDTがα−トコフェロールよりも脂質ペルオキシルラジカルとより速やかに反応することを明らかにしている.また,大豆ホスファチジルコリンのリポソーム膜の酸化によるヒドロペルオキシドの生成をMDTがα−トコフェロールよりもよく抑制することを実証している.両者の抗酸化活性の比は脂質ペルオキシルラジカル濃度が減少するほど大きくなることも明らかにしている.一方,低粘性の反応場では,MDTとα−トコフェロールの抗酸化活性は同一であることも明らかにしている.したがって,MDTが側鎖の末端に二重結合を持つことによりα−トコフェロールよりも粘性な脂質中での拡散係数が小さくなるために抗酸化活性の違いが現れたと推論している.

 第5章ではさらに「分子拡散モデル」を提唱し,このモデルにより実験結果が上手く説明できることを明らかにした.また過去の論文やMDTの化学構造などからMDTの生合成経路について考察し,MDTの合成前駆体はα−トコフェロールであると推論している.

 第6章では以上の結果を総括し,MDTは低温環境に適応するために創成された新しいビタミンEであると結論としている.

 これまで脂肪酸の不飽和化による低温適合については広く知られていたが,ビタミンEについても低温適合のためにその化学構造を改変していることが明らかになったことは非常に意義深い.また,MDTは魚類の人工孵化や保存など,水産学や水産資源学の分野での貢献も期待されている.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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