学位論文要旨



No 117414
著者(漢字) 平野,智也
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,トモヤ
標題(和) 新規亜鉛蛍光プローブの開発と応用
標題(洋)
報告番号 117414
報告番号 甲17414
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第978号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 菊地,和也
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序

 生体内での亜鉛イオン(Zn2+)は、酵素の活性中心や構造保持等の、蛋白質に結合した状態での機能に関する研究が盛んに進められてきた。これに対し近年、蛋白質に結合しないで存在する遊離のZn2+が生理的に重要な役割を担っていると注目されている。遊離のZn2+は、染色法等によって、脳、膵臓等の器官に高濃度に存在し、特に脳内では海馬や扁桃体に多いことが明らかになっている。また、脱分極等により細胞外に放出され、グルタミン酸レセプター等の活性を変化させることから、神経伝達への関与も報告されている。この他にも、虚血、てんかん、アルツハイマー病等の疾患への関与も報告されており、医学、薬学の分野においても強い関心が寄せられている金属イオンであるが、その動態、作用機序は不明な点が多い。

 生体内に存在する金属イオン、小分子、酵素等の作用機序を明らかにするためには、生きた細胞系を用いて、様々な刺激による濃度(もしくは活性)の時空間的な変化の測定をする必要がある。対象となる分子種と結合もしくは反応することによって、励起波長、蛍光波長、蛍光強度等が変化する蛍光プローブは、生きた細胞内での濃度変化を追跡する最も有用な方法の一つである。Zn2+と同じ2価の金属イオンであるCa2+は、Fura-2等の優れた蛍光プローブが開発されたことにより、その生理的機能の解析は格段に進展した。同様に、様々なZn2+を検出する蛍光プローブも開発された。しかし、励起光が細胞障害を与えやすい紫外光領域にあることや、感度が悪い等の問題点があり十分な成果をあげておらず、このことが、Zn2+の生理的な機能の解析が進展しない原因となっている。そこで私は、これまでのプローブの問題点を解決した、実用的な亜鉛蛍光プローブ分子の開発と、蛍光顕微鏡下でZn2+の動態をモニターできる実験系の確立を目指して本研究をスタートさせた。

第2章 新規亜鉛蛍光プローブACF類の開発

 私は、新規亜鉛蛍光プローブをデザインするにあたり、従来の亜鉛蛍光プローブの問題点をふまえて、

(1)励起光が可視光領域にあること。

(2)感度がよいこと。(Kdを下げる。ベースラインの蛍光を下げる。)

(3)選択性が高いこと。

を目標とした。そこで、蛍光団には励起光が可視光領域にあり水中で蛍光強度の強いFluorescein類を、Znをキレートする構造には、環状ポリアミンを選択した、ACF類を開発した(Figure 1)。

 ACF類は、中性の緩衝液中で、環状ポリアミンにZn2+が配位することにより蛍光強度が大きく増大した。また、生体内に豊富に存在するCa2+やMg2+では蛍光強度がほとんど変化せず、Zn2+を選択的に検出することが可能であった。しかし、キレーター構造である環状ポリアミンがrigidであるために、錯体形成速度が遅く、Zn2+の濃度変化をリアルタイムに捉えることが難しいという問題点が生じた。3つのメチル基を除く、環状構造を大きくする等、構造のrigidさを低下させることにより、錯形成速度のある程度の上昇は見込めるものの、環状ポリアミン骨格は生理的条件下でプロトネートしているため、細胞内にロードするときには、細胞膜を透過しにくいという問題点もある。そのため、さらにプローブを改良する必要があった。

第3章 新規亜鉛蛍光プローブZnAF類の開発

 私は、Zn2+をキレートする構造として、新たにTPEN(N,N,N',N'-tetrakis(2-pyridylmethyl)ethylenediamine)を選択した。環状ポリアミンのpKa1、pKa2は、10付近の値であることと比べ、TPENは、pKa1=7.19、pKa2=4.85と小さく、生理的条件下での荷電が少ない。また、構造もrigidでなく、錯形成速度も速いため、Zn2+のキレーター構造として理想的と考えられる。蛍光団にはACF類と同様にFluorescein類を選択して、様々なTPEN類縁体を持つ化合物を合成し、蛍光特性を検討した結果、TPENの一部であるN,N-bis(2-pyridylmethyl)ethylenediamineを用いたZnAF類が、生理的条件下(100mM HEPES Buffer(pH7.4,I=0.1(NaNO3))でZn2+により蛍光強度が大きく増大した。Zn2+とのpH7.4での見かけの解離定数はZnAF-1では0.78nM、ZnAF-2では2.7nMとなり、nM付近の低濃度のZn2+を検出することが可能であった(Figure 2a)。Zn2+との錯形成速度定数(Kon)は、Figure 2bに示すように、3−4×106M-1S-1と算出され、数100msec以内にZn2+濃度の増大を、検出することが可能であることが示された。また、Ca2+、Mg2+等の生体内に豊富に存在する金属イオンは、Zn2+と比べて5000倍である5mMの高濃度で加えても蛍光強度が変化しなかった。さらに、pHを変化させても蛍光強度は増大せず、Zn2+を選択的に検出することが可能であった。特にZnAF-1は、亜鉛蛍光プローブとしては初めて、Zn2+と同族の金属イオンであるCd2+に対して選択性を示すことに成功した。

第4章 ZnAF類の生細胞系への応用

 培養細胞としてマウス由来のmacrophageであるRAW264.7を用いて、ZnAF類の生細胞系への応用を検討した。始めに、ZnAF-2を含むPBS(phosphate buffered saline)で、細胞をインキュベーションしたが、水溶性の高さから、細胞膜を透過できず細胞内に導入できなかった。そこで、ZnAF類を非侵襲的に細胞内に局在させることができるようにデザインした、ZnAF-2 DAを新たに合成した。ZnAF-2 DAを含むPBSで細胞をインキュベーションすることにより、細胞内にZnAF-2を局在させることに成功した(Figure 3b)。その後、細胞外液にZn2+のionophoreであるpyrithioneとZn2+を加え、細胞内のZn2+濃度を上昇させると細胞内領域で蛍光強度の増大が観察された(Figure 3c)。また、膜透過性のZn2+のキレーターであるTPENを加えて、細胞内のZn2+濃度を減少させると蛍光強度も減少した。以上の結果から、ZnAF-2 DAを用いることにより細胞内のZn2+の濃度変化を検出することが可能であることが示された。

 次に、ラットの海馬スライスをZnAF-2 DAを含む溶液でインキュベーションした後の蛍光像をFigure 4aに示す。遊離のZn2+が高濃度に存在することが報告されている、CA3及び歯状回で強い蛍光が観察された。この蛍光はTPENを外液に加えることにより減少したことから(Figure 4b)、Zn2+由来と考えられる。染色後、外液中の酸素濃度とグルコース濃度を低下させた虚血刺激を与えると、約3〜5分後からCA1で蛍光強度が増大、すなわちZn2+の濃度の増大が観察された(Figure 5b)。Figure 4に示したZn2+の静的な分布は、これまでに開発された染色法等によっても検出することが可能であるが、Figure 5で測定された細胞が生きている状態でのZn2+の動的な変化は、ZnAF-2DAを用いて初めて明らかになった結果であり、ZnAF類の有用性を示す実験結果である。また、CA1での選択的なZn2+の濃度上昇は生理的にも重要な意義があると考えられるため、本実験系を用いてさらに検討を進めている。

第5章 ZnAF類の改良

 ZnAF-2は、選択性及び蛍光特性等多くの面で優れており、実際に生細胞系に適用することにより細胞内のZn2+濃度の変化を検出することが可能である。しかし、Zn2+を加えたときの蛍光強度は、pH7付近より酸性側で減少する(pKa=6.2)性質も示した。細胞内のpHは通常7.4付近に保たれているが、細胞がアシドーシス等を起こしたときはpHが弱酸性になることも報告されている。そのため、中性から弱酸性条件下で、pH変化の影響を受けにくい新たなプローブも必要と考えた。蛍光強度の減少は、蛍光団として用いたFluoresceinのphenol性水酸基がprotonateしたことにより、Fluorescein自身の蛍光強度が減少したためと考えられる。そこでphenol性水酸基のオルト位を、電子吸引性のF原子で置換したZnAF-1F及びZnAF-2Fを開発した(Figure 6)。ZnAF-1F及びZnAF-2Fは、F原子の置換によって、phenol性水酸基のpKaが4.9と酸性側にシフトしたため、中性から弱酸性条件下で、pH変化による影響を受けずにZn2+を検出することが可能であった。

 これまでに開発したZnAF類とZn2+とのKdはnMオーダーであるため、nM付近の低濃度域のZn2+濃度の測定が可能である。しかし、細胞内のZn2+濃度は刺激によってはμMオーダーまで上昇することも報告されているため、高濃度域のZn2+の濃度を測定することが可能なプローブも必要と考えられる。そこで、Figure 6に構造を示す、ZnAF-5を新たに合成した。ZnAF-5とZn2+とのKdは、25μMとなり、10μM付近の高濃度のZn2+の濃度を測定することが可能である。これらのZnAF類をうまく使い分ければ、広い濃度域のZn2+の濃度を測定することが可能となり、生体内でのZn2+の機能を解析するための有用なツールとなる。

第6章 総括

 本研究で開発されたZnAF類は生理的条件下でZn2+を選択的に検出することが可能であった。また、ZnAF-2 DAを含む溶液で培養細胞、組織のスライスをインキュベーションすると、細胞内にZnAF-2を局在化させることができるため、蛍光顕微鏡下でZn2+の濃度変化を測定することが可能となる。さらに、ZnAF類を用いることにより、これまでは検出されなかったZn2+の濃度変化も検出されており、生体内での機能の解明が大きく進展することが期待される。

Figure 1. Structures of fluorescent probes for Zn2+

Figure 2. Kinetic analysis of the complex formation with Zn2+.

a)Fluorescence intensity of 1μM ZnAF-2 as a function of the concentration of free Zn2+ in 100mM HEPES Buffer(pH7.4,I=0.1(NaNO3))containing 10mM NTA(Nitrilotriacetid acid)and 0-9mM Zn2+.b)Time course measurement of the fluorescece intensity. ZnAF-2 mixed with Zn2+(final concentration : 1μM ZnAF-2; 50μM Zn2+)at pH7.4(100mM HEPES buffer,I=0.1(NaNO3))and 25℃.

Figure 3.

a)Bright-field and b)c)fluorescence images of RAW 264.7 loaded with ZnAF-2 DA. b)Before and c)after addition of 5μM pyrithione and 50μM Zn2+.

Figure 4. Fluorescence images of ZnAF-2 DA loaded rat hippocampus slices.

a)Before and b)after incubation with 150μM TPEN.

Figure 5. Fluorescence responses of ZnAF-2 DA loaded rat hippocampus slices induced by aglycemia from 2min to 12min.

Fluorescence images a)at 2min, b)12min and c)16min were shown in pseudo-color as ratio images on the basis of initial intensity at the start of measurement.

Figure 6. Structures of ZnAFs

審査要旨 要旨を表示する

 従来、生体内での亜鉛イオン(Zn2+)は酵素の加水分解活性や構造保持等の機能を有する金属イオンとして知られてきた。これらのZn2+はいずれも蛋白質に強く結合した状態にある。これに対し近年、蛋白質に結合しない遊離状態で重要な生理機能を担っているZn2+が注目されている。遊離のZn2+は染色法等によって、脳、膵臓等の器官に高濃度に存在し、特に脳内では海馬や扁桃体に多いことが明らかになっている。また、脱分極等により細胞外に放出され、グルタミン酸レセプター等の活性を変化させることから、神経伝達への関与も報告されている。更に、虚血、てんかん、アルツハイマー病等の疾患への関与も示唆されており、Zn2+は生命科学分野において強い関心が寄せられている金属イオンである。しかしながら、その動態・作用機序は不明な点が多い。

 生体内に存在するZn2+の作用機序を明らかにするためには、生きた細胞系を用いて様々な刺激による濃度(もしくは活性)の時空間的な変化を測定する必要がある。このことはZn2+と同じ2価金属イオンであるCa2+の生理的機能の解析がFura-2等の優れた蛍光プローブが開発されたことにより、格段に進展したことからも窺える。

 現在までに数種のZn2+検出蛍光プローブが開発されているが、励起光が細胞障害を与えやすい紫外光領域にあることや、感度が極端に悪い等の問題点があり十分な成果をあげておらず、このことがZn2+の生理的な機能の解析が進展しない原因になっている。平野はこれまでのプローブの問題点を解決した実用的なZn2+蛍光プローブの開発と生細胞中のZn2+の動態をモニターできる実験系の確立を目指して本研究を行った。

(I)新規亜鉛蛍光プローブACF類の開発

 蛍光団には励起光が可視光領域にあり水中で蛍光強度の強いFluorescein類を、Zn2+をキレートする構造には、環状ポリアミンを選択した。その結果、中性緩衝液中で、環状ポリアミンにZn2+が配位することにより蛍光強度が大きく増大するプローブ(ACF類)の開発に成功した。このACFプローブは生体内に豊富に存在するCa2+やMg2+では蛍光強度は変化せず、Zn2+を選択的に検出することが可能であった。しかし、キレーター構造である環状ポリアミンがrigidであるために、錯体形成速度が遅く、Zn2+の濃度変化をリアルタイムに捉えることが難しいという問題点が生じた。そのため、更にプローブを改良する必要があった。

(II)新規亜鉛蛍光プローブZnAF類の開発

 Zn2+をキレートする部位として、新たにTPENを選択した。環状ポリアミンの生理的条件下での荷電が少なく、構造もrigidではない。錯形成速度も速いため、Zn2+のキレーター構造として理想的と考えられる。蛍光団にはACF類と同様にFluorescein類を選択して、様々なTPEN類縁体を持つ化合物を合成し、蛍光特性を検討した結果、TPENの一部を構造に有するZnAF類の蛍光強度が生理的条件下でZn2+により大きく増大した。見かけの解離定数からnM付近の低濃度のZn2+を検出することが可能である事が分かった。Zn2+との錯形成速度定数から数百msec以内での応答が可能であることが示された。また、Ca2+、Mg2+等の生体内に豊富に存在する金属イオンは、Zn2+と比べて5000倍である5mMの高濃度に加えても蛍光強度が変化しなかった。さらに、pHを変化させても蛍光強度は増大せず、Zn2+を選択的に検出することが可能であった。特にZnAF-1は、亜鉛蛍光プローブとしては初めて、Zn2+と同族の金属イオンであるCd2+に対して選択性を示すことに成功した。

(III)ZnAF類の生細胞系への応用

 はじめにZnAF類を非侵襲的に細胞内に局在させることができるようにZnAF-2 DAを新たに合成した。ラットの海馬スライスをZnAF-2 DAを含む溶液でインキュベーションするとCA3及び歯状回で強い蛍光が観察された。この蛍光はTPENを外液に加えることにより減少したことから、Zn2+由来と考えられる。染色後、外液中の酸素濃度とグルコース濃度を低下させた虚血刺激を与えると、約3〜5分後からCA1で蛍光強度が増大、すなわちZn2+の濃度の増大が観察された。測定された細胞が生きている状態でのZn2+の動的な変化は、ZnAF-2 DAを用いて世界で初めて明らかになった結果であり、ZnAF類の有用性を示す実験結果である。また、CA1での選択的なZn2+の濃度上昇は生理的にも重要な意義があると考えられる。

 これまでに開発したZnAF類とZn2+とのKdはnMオーダーであるため、nM付近の低濃度域のZn2+濃度の測定が可能である。しかし、細胞内のZn2+濃度は刺激によってはμMオーダーまで上昇することも報告されているため、高濃度域のZn2+の濃度を測定することが可能なプローブも必要と考えられる。平野はこのようなZn2+に対する親和性を変化させたプローブの開発にも成功している。これらのZnAF類をうまく使い分ければ、広い濃度域のZn2+の濃度を測定することが可能となり、生体内でのZn2+の機能を解析するための有用なツールとなる。

 以上、要約すると、本研究では新たに生理的条件下でZn2+を選択的に検出することが可能なZnAF類の開発に成功した。このプローブは感度・特異性等あらゆる点で従来のものをはるかに凌駕しており、培養細胞、組織でのZn2+を可視化することができる。ZnAF類を用いることにより、これまで不明であったZn2+の生体内での機能解明が可能となり、この分野が大きく進展することが期待される。この成果は博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク