学位論文要旨



No 117430
著者(漢字) 栂谷内,晶
著者(英字)
著者(カナ) トガヤチ,アキラ
標題(和) 2種類の新規β1,3−糖転移酵素のクローニングと解析 : β1,3−ガラクトース転移酵素5及びβ1,3−N−アセチルグルコサミン転移酵素5について
標題(洋) Molecular Cloning and Characterization of Two Novel β1,3-glyco-syltransferases. : β1,3-galactosyltransferase 5(β3Gal-T5) And β1,3-N-acetylglucosaminyltransferase 5(β3Gn-T5)
報告番号 117430
報告番号 甲17430
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第994号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 高崎,誠一
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 細胞表面の糖鎖構造は多くの糖転移酵素の協調的な働きによって、その生合成が担われており、合成に関わる糖転移酵素の様々な特性により、多種多様な構造を生ずる。しかし、消化管上皮細胞におけるCA19-9抗原の発現、神経細胞や血球細胞におけるHNK-1抗原の発現において、特定の糖転移酵素の発現が制御の鍵となっていることを以下に述べる研究から見出した。

第1章

 CA19-9抗原の生合成に関与するβ1,3−ガラクトース転移酵素遺伝子(β3Gal-T5)のクローニングと機能解析

【序論】 CA19-9抗原は大腸癌、胃癌、膵癌などの消化器癌の進展に伴い患者血清中に発現する腫瘍マーカーであり、その抗原決定基はシアリルルイスa (sialyl Lewis a)抗原という糖鎖抗原である(Fig.1)。この糖鎖抗原は接着分子セレクチンと結合することが知られており、癌転移に関与する。癌組織や患者血清中における本抗原の発現は癌の悪性度や患者の予後と相関することが報告されている。本抗原の生合成には1型糖鎖(Galβ1-3GlcNAc-R)の合成に関与するβ1,3−ガラクトース転移酵素(β3Gal-T)が必須であるが(Fig.1)、既知の3種類のβ3Gal-T遺伝子群の癌細胞株における発現量を定量したところ、細胞表面のCA19-9抗原の発現量と相関を示さなかった。そこで大腸癌・胃癌・膵癌においてCA19-9抗原の合成に関与している未知のβ3Gal-Tが他に存在すると考えられた。大腸癌細胞や膵癌細胞におけるCA19-9抗原の生物学的機能の解析をするにあたり、その生合成に関与している本酵素遺伝子の単離と機能解析が必須であると考えられた為、その遺伝子クローニングを行った。

【方法・結果】 既知のβ3Gal-T酵素群のアミノ酸配列をもとにdegenerate primerを設計し、大腸癌細胞Colo205由来cDNAライブラリーから、既知のβ3Gal-T遺伝子にホモロジーを有する310アミノ酸からなる蛋白質をコードする新規のcDNAのクローニングに成功した。本酵素遺伝子の発現量は大腸癌、膵癌株におけるCA19-9発現量によく相関していた(Fig.2)。また本酵素遺伝子の安定導入細胞株のフローサイトメトリー解析により細胞表面のCA19-9抗原を合成するようになることを確認した(Fig.3)。このβ3Gal-T活性を有する新規の酵素をβ3Gal-T5と命名した。各β3Gal-T遺伝子の遺伝子安定導入株を作製し、その細胞抽出液を酵素源としてオリゴ糖基質(GlcNAcβ1-3Galβ1-4Glc)に対する糖転移活性測定を行った結果、β3Gal-T活性が証明され、β3Gal-T5の活性が既知のβ3Gal-T酵素群よりも明らかに強いことが証明された。組織発現分布をみると主に胃、大腸、小腸、膵臓、子宮などの消化器官に発現が見られた(Fig.4)。

【まとめ】 発現や活性等を考えると、本研究においてクローニングに成功したβ3Gal-T5酵素が大腸癌・胃癌・膵癌組織あるいは癌細胞においてCA19-9抗原を合成する酵素であると結論できた。この酵素は消化器官特異的な発現をしており、癌の転移における糖鎖抗原の生理的役割と非常に関係が深いものと考えられた。今後は本遺伝子の解析により、分子レベルでのさらなる詳細な研究が可能になると考えられる。

第2章

糖脂質上のHNK-1及びLewis x抗原発現に関与する新規β1,3-N−アセチルグルコサミン転移酵素(β3Gn-T5)遺伝子のクローニングと機能解析

【序論】 糖脂質上の糖鎖抗原であるSulfoglucuronyl Glycolipid(SGGL、別名CD57あるいはHNK-1抗原)やLewis x抗原(CD15)などは発生特異的あるいは組織特異的にその発現が制御されている。それらを含むラクト・ネオラクト系列糖鎖は、抗体での阻害実験等から神経細胞などにおける樹状突起の伸長などに関わっているとの数多くの報告がなされた。これらの糖鎖はβ1,3-N−アセチルグルコサミン転移酵素(β3Gn-T)であるLactotriaosylceramide(以下Lc3Cer)合成酵素により合成され、この酵素によりその発現の調節がなされているとの報告がある(Fig.5)。また、この酵素は糖脂質糖鎖の生合成において、他の系列糖鎖の発現のバランス調節においても重要であると考えられる。そこで、このLc3Cer合成酵素遺伝子を単離・解析することを目的として研究を進めた。

【方法・結果】 我々が今まで報告してきた既知のβ3Gn-T群も遺伝子ファミリーを形成しており、新規β3Gn-Tもこれらのモチーフのアミノ酸配列を有していると考えられた。データベースを検索して、既知遺伝子にホモロジーを有するラットおよびヒトのEST配列を見出し、これを元に378アミノ酸からなる蛋白質をコードする新規のヒトの遺伝子を単離し、後の解析よりβ3Gn-T5と命名した。β3Gn-T5酵素は糖脂質基質、ラクトシルセラミド(LacCer)とパラグロボシド(nLc4Cer)に対する強い酵素活性を示した為、この酵素はLc3Cer合成酵素である可能性が推察された(Table 1)。また、ポリラクトサミン構造のオリゴ糖基質に対する活性ではβ3Gn-T2が最も強い活性を示していた(Table 2)。β3Gn-T5が生体内でもLc3Cer合成酵素活性を示すのかを確認する為、β3Gn-T5遺伝子安定導入細胞株から中性糖脂質画分を抽出し、その糖脂質組成を調べるとLc3Cer酵素により合成される糖鎖構造の顕著な増加が見られた(Fig.6)。血球系細胞の分化誘導、あるいはラットの脳の発生過程に伴い、この酵素の活性が変化することが既に報告されていたので、β3Gn-T5遺伝子の転写産物の変化を定量した結果、β3Gn-T5遺伝子発現の変化はこれらの報告と一致することを確認した(Fig.7)。以上の結果より、β3Gn-T5がLc3Cer合成酵素であると結論付けた。

【まとめ】 in silicoによる解析手法を効果的に用いることによりLc3Cer合成酵素遺伝子をクローニングすることに成功した。今後は本遺伝子を用いた解析により、糖脂質の機能、特にラクト・ネオラクト系列の糖鎖、そしてHNK-1抗原などの生物学的機能の解析をより詳細に行うことが可能になると考えられる。

おわりに

 糖鎖抗原の細胞特異的、分化段階特異的な発現を制御するこれらの酵素の重要性をさらに明確にする為の第一歩として、まず遺伝子クローニングを行い、2種類の新規の遺伝子のクローニングに成功した。本研究によりクローニングされた新規糖転移酵素遺伝子はβ1,3−結合の糖転移酵素群から形成される同じ遺伝子ファミリーに属しているが、本研究による解析によって、異なる基質特異性を有しそれぞれ特徴的な糖鎖構造を合成すること、そして生物学的に異なる機能を担っていることが明らかになった(Fig.8)。本研究による遺伝子の単離と解析により糖鎖抗原の特異的な発現を制御するこれらの酵素の重要性をさらに明確にする為の基礎が築かれた。

将来的な展望として、クローニングされた遺伝子を用いることによって、細胞、あるいは動物個体レベルでの糖鎖リモデリングが可能となることで、糖鎖の生物学的機能をより詳細に解析できるのではないかと考えられる。

【参考文献】

1・Isshiki, S., Togayachi, A., and Narimatsu, H. et al. (1999) J Biol Chem. 274, 12499-12507

2・Shiraishi, N., Togayachi, A., and Sasaki, K. et al. (2001) J. Biol. Chem. 276, 3498-3507

3・Togayachi A, Irimura T, and Narimatsu H. et al. (2001) J. Biol. Chem. 276, 22032-22040

Fig.1 Biosynthetic pathway of Lewis antigens

Fig.2 Correlation between the amount of CA19-9 antigens and β3Gal-T5 transcript levels

Fig.3 Flow cytometry analysis of β3Gal-T5 transfected HCT-15 cells

Fig.4 Tissue distribution of human β3Gal-T5

Fig.5 Biosynthetic pathways of glycolipids

Table 1 Specific activity of recombinant β3Gn-Ts towards glycolipid substrates

Table 2 Specific activity of recombinant β3Gn-Ts towards poly-N-acetyllactosamine substrates

Fig.6 HPTLC immunostaining of neutral glycolipids extracted from Namalwa cells and transfectants.

Fig.7 Change of β3Gn-T5 transcript levels during differentiation of HL-60 cells by induction with RA or TPA. and rat brain development

Fig.8 Functions of β3Gal-T and β3Gn-T family.

審査要旨 要旨を表示する

 「2種類の新規β1,3−糖転移酵素のクローニングと機能解析〜β1,3−ガラクトース転移酵素5 (β3Gal-T5)及びβ1,3-N−アセチルグルコサミン転移酵素5 (β3Gn-T5)」、英文では「Molecular Cloning and Characterization of Two Novel β1,3-Glycosyltransferases」と題する本論文は、これまで知られていなかった二つのヒトの糖転移酵素の遺伝子クローニング、発現細胞の同定、及び細胞への遺伝子の安定導入による細胞表面糖鎖のリモデリングに関する研究成果を述べたものである。これらの糖転移酵素は、いずれも糖鎖の非還元末端の糖を転移するものではないが、それらの発現がそれぞれ消化管上皮細胞におけるCA19-9抗原と神経細胞や血球細胞におけるHNK-1抗原の発現レベルを決定付ける重要な糖転移酵素であることが本研究によって証明された。糖鎖末端に見られる生物学的に重要なエピトープ構造の生合成が多くの糖転移酵素の協調的な働きによって担われている事は、既に良く知られていた。しかし、特定の細胞において生物学的に重要な糖鎖構造の生合成が、いかに制御されているのかは、類似のアクセプター特異性を有する糖転移酵素が多数存在する、これらが細胞の種類に特異的に発現している、個々の糖転移酵素の発現制御機構がユニークである、などの可能性が強いため、解明がおくれていた。生物学的に重要な糖鎖エピトープの生合成制御機構を解明した二つの先導的な例として、本研究は極めて価値の高いものである。

 具体的には論文は二つの部分から成り、第一章はCA19-9抗原の生合成に関与するβ1,3−ガラクトース転移酵素遺伝子(β3Gal-T5)のクローニングと機能解析が主題である。CA19-9抗原は大腸癌、胃癌、膵臓癌などの消化器癌の進展に伴い患者血清中に発現する腫瘍マーカーであり、その抗原決定基はシアリルルイスa (sialyl-Lewis a)構造である。本抗原の生合成には1型糖鎖(Galβ1-3GlcNAc-R)の合成に関与するβ1,3−ガラクトース転移酵素(β3Gal-T)が必須であるが、既知の3種類のβ3Gal-T遺伝子群の癌細胞株における発現量を定量したところ、細胞表面のCA19-9抗原の発現量と相関を示さなかった。そこで大腸癌・胃癌・膵癌においてCA19-9抗原の合成に関与している未知のβ3Gal-Tが他に存在すると考えられた。そこで、既知のβ3Gal-T酵素群のアミノ酸配列をもとにdegenerate primerを設計し、ヒト大腸癌Colo205細胞由来のcDNAライブラリーから、既知のβ3Gal-T遺伝子にホモロジーを有する310アミノ酸からなる蛋白質をコードする新規のcDNAのクローニングに成功した。この酵素遺伝子の大腸癌、膵癌株における発現量はCA19-9発現量に相関していた。また本酵素遺伝子の安定導入細胞株のフローサイトメトリー解析により細胞表面のCA19-9抗原を合成するようになることを確認した。このβ3Gal-T活性を有する新規の酵素をβ3Gal-T5と命名した。各β3Gal-T遺伝子の遺伝子安定導入株を作製し、その細胞抽出液を酵素源としてオリゴ糖基質(GlcNAcβ1-3Gal1-4Glc)に対する糖転移活性測定を行った結果、β3Gal-T活性が証明された。組織発現分布をみると主に胃、大腸、小腸、膵臓、子宮などの消化器官に高いレベルで発現が見られた。このβ3Gal-T5酵素は発現分布や活性等を考慮すると、大腸癌・胃癌・膵臓癌の組織あるいは癌細胞においてCA19-9抗原を合成する酵素であると結論できた。この酵素は消化管に特異的な発現をしており、消化器癌の悪性挙動における糖鎖抗原の役割に関係が深いものと考えられた。

 第2章では、糖脂質上のHNK-1及びLewis X抗原発現に関与する新規β1,3-N−アセチルグルコサミン転移酵素(β3Gn-T5)遺伝子のクローニングと機能解析に関する研究の成果が述べられている。糖脂質上の糖鎖抗原であるSulfoglucuronyl Glycolipid(SGGL、別名CD57あるいはHNK-1抗原)やLewis X抗原(CD15)などは発生特異的あるいは組織特異的にその発現が制御されており、それらを含むラクト・ネオラクト系列の糖鎖は、抗体による阻害実験等から神経細胞の樹状突起伸長などに関わっているとのされている。これらの糖鎖はβ1,3-N−アセチルグルコサミン転移酵素(β3Gn-T)であるLactotriaosylceramide(以下Lc3Cer)合成酵素により合成され、発現の調節がなされている可能性が高かった。また、同じ特異性を持つ酵素は糖脂質糖鎖の生合成において、他の系列の糖鎖の発現を相対的に調節しうるという点においても重要であると考えられた。しかしこの酵素の実体は明らかでなく、遺伝子クローニングを含めた解析が必須と思われた。そこで、このLc3Cer合成酵素遺伝子を単離し、発現パターンを解析することが本研究論文の第二章の目的となった。既知のβ3Gn-T群も遺伝子ファミリーを形成しており、新規β3Gn-Tがこれらのモチーフを含むアミノ酸配列を有していると考えられたので、データベースを検索したところ、既知遺伝子に相同性を有するEST配列が見出された。これに基づいて、378個のアミノ酸から成る蛋白質をコードする新規のヒトの遺伝子が単離された。後の解析よりβ3Gn-T5と命名されたこの酵素は、糖脂質基質であるラクトシルセラミド(LacCer)とパラグロボシド(nLc4Cer)を基質とする強い酵素活性を示し、Lc3Cer合成酵素である可能性が示唆された。β3Gn-T5が細胞内でもLc3Cer合成酵素活性を示すのかを確認する為、β3Gn-T5遺伝子安定導入細胞株から中性糖脂質画分を抽出し、その糖脂質組成を調べるとLc3Cer酵素により合成される糖鎖構造の顕著な増加が見られた。血球系細胞の分化誘導、あるいはラットの脳の発生過程に伴い、この酵素の活性が変化することが既に報告されていたので、β3Gn-T5遺伝子の転写産物の変化を定量した結果、β3Gn-T5遺伝子発現の変化はこれらの報告と一致することを確認した。以上の結果より、β3Gn-T5がLc3Cer合成酵素であることが結論付けられた。

 本研究では、糖鎖抗原の細胞特異的、分化段階特異的な発現を制御するこれらの酵素の重要性をさらに明確にする為の第一歩として、まず相同性に基づく遺伝子クローニングを行い、二種類の新規の遺伝子のクローニングに成功した。本研究によりクローニングされた新規糖転移酵素遺伝子はβ1,3−結合の糖転移酵素群から形成される同じ遺伝子ファミリーに属しているが、本研究による解析によって、異なる基質特異性を有しそれぞれ特徴的な糖鎖構造を合成すること、そして生物学的に異なる機能を担っていることが明らかになった。本研究による遺伝子の単離と解析により、糖鎖抗原の特異的な発現を制御するこれらの酵素の重要性をさらに明確にする為の基礎が築かれた。このように糖鎖生物学と細胞生物学に大きく貢献する本研究を行った学位申請者である栂谷内晶は、博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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