学位論文要旨



No 117492
著者(漢字) 崔,明錫
著者(英字)
著者(カナ) チェ,ミョンソク
標題(和) 樹木状マルチポルフィリンアレイの設計と機能
標題(洋) Design and Functions of Dendritic Multi-porphyrin Arrays
報告番号 117492
報告番号 甲17492
学位授与日 2002.05.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5294号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 畑中,研一
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 金原,数
 東京理科大学 助教授 山下,俊
内容要旨 要旨を表示する

[1]緒言

 最近、植物やある種の細菌の光合成系のX線結晶解析がなされ、光合成アンテナ色素系や電子伝達系の構造が次々に明らかになってきた。それによると、紅色バクテリアは驚くべき規則正しいアンテナ色素分子の集合構造を持っていることが分かった(右図)。即ち、数多くのポルフィリン誘導体が車輪状に空間配置され、吸収した励起エネルギーは環内および環間励起移動を通して効率よく反応中心(RC)に運ばれ、電子移動反応に使われる。このような生物の光捕集機能に匹敵するアンテナ系の構築は人工光合成の実現という観点で非常に興味深いと考えられる。本研究では、紅色バクテリアのアンテナ系のように数多くのポルフィリンが集積したマルチポルフイリンアレイを設計し、その新しい機能の開拓を目指した。

[2]樹木状マルチポルフィリンアレイの設計と光捕集機能

 デンドリマーは、樹木状の特異な三次元構造を有する多分岐高分子であり、コーン状や球状の空間形態をとり、それ自体でナノメートルの三次元的な構造単位を提供する。本研究では、デンドリマー基本骨格を利用して、紅色光合成バクテリアの車輪状の光捕集アンテナ系に類似の構造を構築し、光捕集機能を検討した。

 合成はDouble-Stage Convergent法を用い、中心部TPPH2の周りに12個の亜鉛ポルフィリンが集積した樹木状マルチポルフィリンアレイ(12PznTPPH2)を合成し、1H-NMR、MALDI-TOF-MS、GPCを用い、構造の単離や分析を行った(Figure 1)。表面にアリールエーテルデンドロンを結合させているのは、高い溶解性を維持するためである。また、コアユニットのみをフリーベースにしたのは、亜鉛ポルフィリンユニットからコアのフリーベースユニットヘの光誘起エネルギー移動を評価するためである。

 12PznTPPH2の亜鉛ポルフィリンユニット間の基底状態における相互作用を調べるため、比較として亜鉛ポルフィリン単量体(1Pzn)や3量体(3Pzn)を用い、UV-VIS吸収スペクトルを測定した(Figure 2)。その結果、Qバンドはいずれも544nmに現れたが、ソーレバンドに関しては、1Pznが413.5nm、3Pznと12PznTPPH2は共に2.5nmの長波長シフトして416nmに現れ、バンドの幅も12PznTPPH2がより広くなった。さらに、ソーレバンドのモル吸光係数を測定した結果、12PznTPPH2のモル吸光係数がTPPH2と3Pznの4倍分の和の約90%となり、これらの結果からポルフィリンユニット間に基底状態における弱い相互作用があることが分かった(Figure 3)。これらの事実をふまえ、亜鉛ポルフィリンからコアのTPPH2までの励起エネルギー移動を検討した。亜鉛ポルフィリンの544nmのQバンド(亜鉛ポルフィリンがコアのTPPH2より優先的に光を吸収する)を励起して、その蛍光を測定した。3PznとTPPH2の4:1混合系の場合、亜鉛ポルフィリン錯体の蛍光(Q(0,0)=587nm、Q(0,1)=634nm)のみが観測されたが、12PznTPPH2の場合には亜鉛ポルフィリン由来の蛍光がほとんど消光され、コアTPPH2の蛍光(Q(0,0)=650nm、Q(0,1)=713nm)が現れた。この結果から、亜鉛ポルフィリンが吸収した励起エネルギーがコアのフリーベースポルフィリンユニットまで高い効率で移動していることが分かった。以上、樹木状マルチポルフィリンアレイを全な人工モジュールで分子設計し、分子内で光エネルギー捕集を実現した。

[3]分子内エネルギー移動へのデンドリティック構造の影響

 紅色バクテリアの車輪状アンテナ系においてアンテナを構築するポルフィリンのいずれかが光励起されると、瞬時に隣接するポルフィリンにエネルギーが受け渡され、結果としてアンテナ全体が励起される。この超高速なエネルギー移動にポルフィリンの車輪状集積構造が重要な鍵を握っていることが示されている。ここで、車輪状の人工ポルフィリンアレイが一体どのようにポルフィリン間のエネルギー移動に寄与するかを調べることは興味深い課題である。そこで、12PznTPPH2より1世代小さいポルフィリン5量体((1Pzn)4TPPH2)や非車輪状ポルフィリン4量体((1Pzn)1TPPH2)を合成し、ポルフィリン間の一重項エネルギー移動に関して、吸収スペクトルや蛍光スペクトルを基に検討した(Figure 4)。UV-VIS吸収スペクトルでは、Qバンドがいずれも544nmに現れ、ソーレバンドは、(1Pzn)4TPPH2では413nm、12PznTPPH2や(3Pzn)1TPPH2では構造的に外側の亜鉛ポルフィリン同士が近づいているので3nm程度の長波長シフトが観測された。(1Pzn)4TPPH2や(3Pzn)1TPPH2のソーレバンドのモル吸光係数はそれぞれ12PznTPPH2の32%、38%となり、吸収強度はポルフィリンユニットの数にほぼ比例することが分かった(Figure 5)。

 一方、蛍光スペクトル(λexc=544nm)では、まず、亜鉛ポルフィリン部分を励起したところ、コアのTPPH2の蛍光が現れ、亜鉛ポルフィリンからコアTPPH2まで励起エネルギーが移動することがわかった。。さらに、(1Pzn)4TPPH2の場合、蛍光の強度が12PznTPPH2の44.6%、(3Pzn)1TPPH2は31%となり、車輪状の12PznTPPH2の方が多量の光エネルギーを集めることが分かった(Figure 6)。

 亜鉛ポルフィリンからコアTPPH2までのエネルギー移動効率を測定した結果、12PznTPPH2は77%、1(1Pzn)4TPPH2は86%、(3Pzn)1TPPH2は63%となり、12PznTPPH2の場合には、3世代目にある8つの亜鉛ポルフィリンが(1Pzn)4TPPH2の亜鉛ポルフィリンよりもコアのTPPH2から離れているにも関らず、エネルギー移動効率はわずか11%減少するだけで約2.3倍の光を捕集することを分かった。蛍光の偏光解消クロロフィールから分子内の励起エネルギー移動を評価することが可能である。車輪状の12PznTPPH2と非車輪状の(3Pzn)1TPPH2の544nmでの吸光度を0.04と0.08に調製した2種類のサンプルを用い、544nmの偏光した励起光を照射し、蛍光の異方性(anisotropy of fluorescence)を測定した。その結果、12PznTPPH2の方が(3Pzn)1TPPH2よりも蛍光異方性が50%ほど低く、この結果から分子内のエネルギー移動においては車輪構造が相当有利な環境を提供することが分かった。

 以上、車輪状のアンテナ構造では数多くのポルフィリンユニットを三次元空間にぎっしり詰め、光捕集能を大きくすることが可能であり、さらに、吸収したエネルギーのロスを押さえながら高い効率で励起エネルギー移動を可能にすることを見いだした。

Figure 1. A dendritic multi-porphyrin array.

Figure 2. Electronic absorption spectra of a series of porphyrin arrays in THF at 18℃.

Figure 3. Fluorescence spectra of the 4:1 molar mixture of 3Pzn:TPPH2 (dotted line) and 12PznTPPH2 (solid line) upon excitation at 544 nm in THF under Ar at 18. All the spectra are normalized to a constant absorbance.

Figure 4. Reference porphyrin arrays for 12PznTPPH2

[left;(1Pzn)4TPPH2, right;(3Pzn)1TPPH2]

Figure 5. Electronic absorption spectra of a series of dendritic multi-porphyrin arrays in THF at 18℃. All the spectra were normalized to a constant concentration.

Figure 6. Fluorescence spectra of the dendritic multi-porphyrin arrays upon excitation at 544 nm in THF under Ar at 18℃. All the spectra were normalized to a constant concentration.

審査要旨 要旨を表示する

 光エネルギーを有効に利用する方法論の開拓は、人類のエネルギー問題を解決する鍵を握っている。植物やある種の光合成細菌は、高効率な光エネルギー変換プロセスを実現している。特に、紅色バクテリアの光合成系においては、合目的的に設計された光捕集アンテナ系、反応中心などの分子集合体の構造やエネルギー変換メカニズムが明らかになっており、人工光合成のモデルとして注目されている。本研究では、明確な分岐構造を持つデンドリマーに着目している。デンドリマーは、サイズ、空間形態、機能などの分子レベルでの制御が容易であるという優れた特徴を持ち、新しい高分子化合物として大いに注目されている。提出者は、ポルフィリンをビルディングブロックとして有するデンドリチックマルチポルフィリンアレイの分子設計を行い、光捕集アンテナや光合成反応中心モデルとして新しい可能性を提案している。

 第一章では、人工光捕集アンテナの分子設計について研究を行っている。紅色バクテリアのアンテナ系では、希薄な可視光を獲得するために、数多くのクロモフォアが車輪状に空間配置され、吸収した励起エネルギーを環内励起移動および環間励起移動によってほぼ100%の効率で反応中心に送り込むことが知られている。これまでは、エネルギードナーとアクセプターのクロモフォアユニットの空間配置を固定した分子モデル系を用い、エネルギー移動速度を、距離、配向あるいはエネルギーギャップなどのパラメータに関連づけた研究がさかんに行われてきた。これに対して、紅色バクテリアのアンテナ系に見られる「多数のアンテナ色素の明確な空間配置」を模倣した系に関しては、これまでに研究例がない。提出者は、アンテナ部位に亜鉛ポルフィリンユニットを、一方、中央部にエネルギーアクセプターとなるフリーベースポルフィリンユニットを有する、世代の異なる一連の車輪状デンドリチックマルチポルフィリンアレイと、その1/4に相当する円錐状デンドリチックマルチポルフィリンアレイの合成に成功し、定常光や時間分解蛍光測定を用い、分子内の励起エネルギー移動ダイナミックを考察している。励起エネルギーが空間を通して移動する場合、その移動効率はドナーとアクセプター分子間の距離に著しく依存する。円錐状デンドリチックマルチポルフィリンアレイでは、予想通り、世代が高くなるにつれて、中心部までのエネルギー移動の効率が急激に低下することが確認されている。一方、車輪状のアレイでは、世代が高くなっても、高い励起エネルギー移動効率が高度に維持されることが見いだされている。このことから、車輪状の空間形態が亜鉛ポルフィリンユニット間のエネルギー移動を促進し、少ないロスでコアのアクセプターユニットに到達すると結論されている。以上のように、生体系のアンテナコンプレックスの構造を模倣することにより、可視光を効率よく捕集し、励起エネルギーを効率よく中央部に集める、新規なアンテナ分子を設計することに成功している。

 第二章では、光合成反応中心の高効率電荷分離を人工モデル系で実現しようとする研究を行っている。すなわち、デンドリチックマルチポルフィリンアレイのフォーカルポイントに電子受容体であるフラーレンを組み込んだ電荷分離素子を合成している。人工光合成を実現するためには、長寿命の電荷分離状態を得る仕組みが必要であり、アクセプターからドナーへの逆電子移動を抑制することが必須の課題である。提出者は、デンドリチックマルチポルフィリンアレイの世代が高い場合、電荷分離状態が長寿命化することを見いだしている。それは光誘起電子移動により生じた亜鉛ポルフィリンカチオンラジカルが、デンドリマー内部の他の亜鉛ポルフィリンユニットにホッピングにより移動し、ラジカルアニオンとなったコアのフラーレンユニットから遠ざかるためであると説明されている。以上のように、提出者は、光誘起電荷分離状態の寿命を延ばすための全く新しいアプローチを示している。

 本研究において、提出者はデンドリチックマルチポルフィリンアレイを用いて光合成の主役である光捕集アンテナや反応中心の分子モデルの設計に成功し、人工光合成達成に向けての有用な方法論を提供している。これらの成果は、新規な分子デバイス開発などのナノテクノロジーに大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク