学位論文要旨



No 117671
著者(漢字) 池田,勝佳
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,カツヨシ
標題(和) プルシアンブルー誘導体における第2高調波および磁化誘起第2高調波発生
標題(洋) Second harmonic generation and magnetization-induced second harmonic generation in Prussian blue analogs
報告番号 117671
報告番号 甲17671
学位授与日 2002.12.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5358号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 講師 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

光と磁性体との相互作用による磁気光学効果は、ファラデーによって発見されて以来100年以上にわたって研究が行われており、既に光通信や光磁気記録において実用的に使用されてきた。しかし、これらの研究はほとんどが線形の光学現象に関するものであり、非線形光学現象における磁気光学効果の研究はこれまでほとんど行われてこなかった。ところが、近年になって金属強磁性体表面の第2高調波発生(SHG)において巨大な偏光面の回転が報告されてから、いわゆる非線形磁気光学効果に対する注目が高まってきている。このような高次の光学現象も含めた広義の磁気光学効果の研究は、今後ますます重要になってくると考えられる。

最低次の非線形光学現象であるSHGは、電気双極子近似においては反転対称の破れた系でのみ生じることが良く知られている。ところがほとんどの強磁性体は対称心を持つ結晶構造でありSHG禁制である。なぜなら一般に、伝導電子を媒介とする強磁性発現においては軌道の縮重度が高いことが不可欠であり、また超交換相互作用が支配的な系では軌道の対称性から磁気分極と電気分極が相反する傾向にあるためである。しかも、ほとんどの強磁性体では可視光領域に金属的な反射や強い吸収を示すことから、磁性体における非線形光学効果の研究は磁性金属の表面SHGか反強磁性体のバルクSHGに限られていた。そこで、まず磁気分極(強磁性)と電気分極(SHG活性)の共存する可能性が興味深い検討課題となり、次に両者の共存効果としての非線形磁気光学効果が興味を引く対象となる。前者においては、近年研究の進展している分子性の磁性体が非常に有利である可能性が考えられる。なぜなら、分子性の磁性材料は、様々な形状の分子骨格を構成単位として構築することができるため、従来の酸化物や金属の磁性材料に比べて格段に多様性に富んだ結晶構造をとる可能性があるからである。そこで本研究では、分子性磁性体の一種であるプルシアンブルー類似体について強磁性とバルクSHG活性の共存について検討を行い、さらに磁化誘起の第2高調波発生(MSHG)に関する検討を行った。

 まず、磁気分極(強磁性)と電気分極(SHG活性)の共存する材料について説明する。プルシアンブルー類似体は分子性磁性体の中では比較的磁気相転移温度が高く、また光誘起磁化などが報告されており興味を引いている。本研究では、特に透明強磁性体として知られているCrII1.5[CrIII(CN)6]・7.5H2Oをベースに、Cr2+イオンの一部をFe2+で置き換えた(FeIIxCriII1-x)1.5[CrIII(CN)6]・7.5H2Oについて検討を行った。通常、これらの化合物の合成では2価イオンと3価のヘキサシアノイオンを其沈させることにより試料を得るが、本論文では3価イオンを電気化学的に還元することで電極近傍に2価イオンを発生させる手法を用い、SnO2透明電極上に可視光透過性のある磁性薄膜を得た。この電解合成薄膜は全ての組成で強磁性を示し、光学測定に十分耐える光透過性を持っていた。

これらの電解合成磁性薄膜について、室温常磁性領域でSHG測定を行ったところ、2元系の膜では全くSHGは観測されなかったのに対して、3元系の膜においては明確なSHGが観察された(Fig.1)。一方、共沈法により得た同じ組成の粉末試料では、全ての組成についてSHGは観察されなかった。電解合成膜で観察されたSHGは、試料の膜厚変化に対してフリンジパターンを示すことから、バルク結晶由来のSHGであることが確認された。また、そのSH光強度の入射角依存性から膜厚方向への電気分極が確認され、光学的な膜の異方性はC∞vであった(Fig.2)。一方、X線回折による構造解析を行ったところ、2元金属系のCrII1.5[CrIII(CN)6]・7.5H2O(x=0)とFeII1.5[CrIII(CN)6]・7.5H2O(x=1)の構造はプルシアンブルー本来の立方晶であったのに対して、3元金属系の(FeII0.33CrII0.67)1.5[CrIII(CN)6]・7.5H20(x=0.33)薄膜ではわずかに歪んで対称心を失った単斜晶系を示した。この結果は3元系の薄膜のみでSHGが観察されたこととよく対応する。また3元系の膜では膜厚方向への強い結晶配向が見られ、結晶の対称性と優先配向面を考慮すると膜全体として面外方向への電気双極子を持つことが推察され、光学測定の結果と一致した。

X線構造解析と光学測定の結果から、SHG活性導入の機構については以下のように考えられる。まず、Fe2+イオンによる置換でCrIII-CN-CrII結晶格子に歪みが生じる。電荷補償のための[CrIII(CN)6]3-サイトの1/3が欠陥であるため、歪んだFeサイトに欠陥を生じやすくFeイオンが立方晶の中心からずれた永久双極子を生じる。共沈法による試料ではこの永久双極子がランダムに向いているためにバルクとしての分極は見られないが、優先配向を伴う電気化学的な成膜では電気双極子の向きが膜の成長方向に揃うことが期待される。この結果、膜厚方向への一軸異方性のあるSHG活性が導入されたと考えられる。この様なSHG活性導入の機構は、置換したFeイオンの量とSH光強度の関係からも支持された(ISH∝|x(1-x)|2)。以上の結果、SHG活性な強磁性体を得ることに成功した。

次に磁性薄膜のSHGに対する磁化の影響について調べた。磁気相転移温度(約220K)以上では、温度によるSH光強度の変化はほとんど見られなかったが、磁気相転移温度以下では自発磁化の絶対値の温度依存性とよく対応するSH光強度の温度依存性を示した(Fig.3)。特にx=0.13の組成を持つ試料ではFeII,CrII,CrIIIの各副格子磁化が打ち消しあう補償点を示すが、SH光強度は補償点近傍で極小値を示した。このSH光強度の温度変化は、磁歪を通じて非線形感受率が変化することによると考えられる。磁歪による感受率の変化分は、χijk(strain)=ρijklm ulm(p:非線形光弾性テンソル、u:歪みテンソル)(1)と記述できる。プルシアンブルー類似体では金属イオン間の磁気的相互作用は等方的であるので、歪みテンソルuが対角項だけを持つ体積磁歪となり、SH光の強度だけが自発磁化に依存した変化を示すと考えられる。つぎに、磁気相転移温度以下で、外部磁場の印加による影響を調べた。SH光の偏光面は外部磁場の印加によって回転し、その偏光面の回転の向きは外部磁場の向きによって変わる、いわゆる非相反性を示した(Fig.4)。非相反性はスピンの時間反転対称性に由来する性質であるため、この偏光面の回転が試料の磁化による影響であることが確認できた。しかもその回転角度が同じ試料における線形ファラデー回転の角度よりも明らかに大きいことから、非線形光学過程に起因する磁気光学効果であることが明瞭に示された。これらのSHGに対する磁化の影響は、磁気点群を利用したマクロな対称性の考察により説明することができた。すなわち、2次の非線形感受率テンソルに対する磁場の摂動項を考えると、χijk(M)=χijk(o)+χijkL(1)ML+χijkLM(2)MLMM(2)のように書くことができ、各テンソルの要素は空間-時間対称性から導出される。外部磁場による非相反的なSH光偏光面の回転は、結晶由来の高調波(M0次)に加えて、新たにM1次の磁化誘起の高調波が発生すると考えることで説明できる。Mの摂動項の存在は、磁気分極と電気分極の微視的な共存による共存効果を意味している。共存効果は、主にスピン軌道相互作用と2次の非線形電気双極子遷移とのカップリングによるものであると考えられる。磁性項の大きさは結晶項の約2%程度の大きさであった。

 強磁性体におけるSHG活性の導入はこれまでほとんど例が無く、バルク強磁性体としてはYIGベースの材料に続き2例目である。また分子磁性体においてコヒーレントなSHGと更にMSHGが観察されたのは本研究が初めての例である。分子性磁性体は構造制御の容易さに特徴があると考えられ、このような強磁性と電気分極が共存するような系の設計において有利であると期待される。非線形光学効果へのスピンによる非相反性の導入は、新たな偏光制御の可能性や電荷とスピンの絡み合った強相関電子系の光学的研究手法を提供する可能性があり、今後の発展が期待される。

Fig. 1 SH intensity vs. x plots of films and powders at SH wavelength of 388 nm(PIN-POUT).

Fig. 2 Maker's fringe pattern of the film for x=0.33 at the SH wavelength of 388 am.

Fig. 3 Temperature dependences of SH intensity in films for x=0.13 and 0.25 in the absence of magnetic field.

Fig. 4 The rotation of the plane of SH radiation in film for x= 0.33 in the applied magnetic field of ±10 kOe at 50 K.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、強磁性というスピンに関連する物性と非線形誘電性という電荷に関連する物性の共存する系を対象としている。この様な強磁性と非線形誘電性が共存するバルク材料はこれまでのところほとんど知られていない。この様に極めて稀な物質を実際に見出し、さらに2つの物性の共存によって生じる新規現象の観察にも成功しているという点で非常に興味深い内容の論文であるといえる。

 本論文の主題のひとつは、強磁性と非線形誘電性の共存が、分子性磁性材料の一種であるプルシアンブルー誘導体に対して2次の非線形光学活性を電気化学的手法で導入することによって得られたという点である。導入された非線形光学活性は、実際に第2高調波発生の観察という形で確認が行われた。本論文の内容においては、観察された第2高調波が実際にバルク結晶由来の高調波であるという合理的な証拠の提出が、強磁性と非線形誘電性の共存という観点から本質的に重要な問題となる。この点に関して、光学測定による証拠として高調波強度の膜厚依存性と高調波干渉法による高調波の位相解析の結果が提示され、エリプソメトリーにより測定された屈折率分散のデータからの理論計算との比較から高調波の発生起源が膜の界面ではなくバルク結晶にあることが明確に示された。さらにこの点に関して、XRDを用いた解析により結晶の空間群が実際に反転対称を失って2次の光学非線形活性な構造になっていることが示され、強磁性と非線形誘電性が共存する材料であることの証拠が十分に示された。また、これらの実験データから非線形光学活性導入の機構についてモデルの提案がなされ、さらに、高調波強度と試料の組成との関係についてモデルから予測される関係と実験結果が一致することが示された。この結果、提案された非線形光学活性導入機構は合理的であると判断された。

 本論文で提示された電気化学的な手法による非線形光学活性の導入は、これまでに全く報告例がなく、非常に興味深い手法であると思われる。分子性材料に展開した点も今後の展開の容易さという点で興味が持たれる。本論文は基礎的な観点に立った研究であるが、応用の立場からは2次感受率の大きさなどの基礎光学的なデータも重要である。口頭発表ではこの点に関してほとんど触れられていなかったが、論文中には記載されており必要な測定は行われていると判断できる。

 本論文のもうひとつの主題は、強磁性と非線形誘電性の共存によりどのような共存現象が生じるかという点にある。近年、金属磁性体の表面において非線形磁気光学効果の研究が行われるようになってきているが、バルク磁性体とくにバルクの強磁性体についてはほとんど検討されていないのが現状である。本論文では強磁性と非線形誘電性の共存し、さらにある程度の透明性を有する磁性膜の作成に成功し、透過測定で共存効果としての2次の非線形磁気光学効果の観察に成功した点に非常に意義があると考えられる。従来の単に界面での対称性の破れを利用した表面現象とは物理的な意味合いが全く異なり、新しい展開が期待できる。測定結果は、高調波強度の温度依存性、外部磁場による高調波偏光面の巨大な回転、円偏光入射による外部磁場依存性などが提示された。それぞれの結果について、群論的な取り扱いを用いて論理的に説明が行われた。スピンの対称性を考慮して、2次の非線形感受率テンソルに対して磁化の摂動項を取り入れる手法は非常に合理的であり、かつ実験結果を非常によく説明しているといえる。特に外部磁場による偏光面の巨大な回転現象は線形の磁気光学効果の範囲内では説明することができず、共存効果としての2次の非線形課程における磁気光学現象の結果であることが明確に示された。また、この結果から、強磁性と非線形誘電性の其存した材料としてのプルシアンブルー誘導体が単に強磁体と非線形誘電体との混合物ではなく、同じ物質が2つの機能を有している材料であるという主張は十分に合理的であると認められる。

 本論文では、将来展望として強磁性と非線形誘電性との共存の意義についても論じており、非相反性の導入による光双安定性と偏光制御の組み合わせの可能性等ある程度具休的な描像を示しており、今後の発展を期待させる。本研究内容の意義と進むべき方向性について十分認識していると思われる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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