学位論文要旨



No 117757
著者(漢字) 田中,純
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ジュン
標題(和) トランスジェニックマウスを用いたLPSによるHIV-1遺伝子活性化機構の解析
標題(洋) Mechanism of LPS-induced HIV-1 gene activation in mice transgenic for HIV-1
報告番号 117757
報告番号 甲17757
学位授与日 2003.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2483号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 塩田,邦郎
内容要旨 要旨を表示する

序論

 ヒト免疫不全ウイルス(HIV-1)は後天性免疫不全症候群(AIDS)の原因ウイルスとして知られている。HIV-1に感染すると、数週間の初期症状の後約10年にわたる長い潜伏期に入る。この間、外見上変化は認められないが末梢血中のCD4+T細胞数は徐々に減少していき、それに伴う免疫機能の低下により、最終的に各種日和見感染症や脳症を呈しAIDS発症に至る。AIDS発症に至る病態進行と血中ウイルス量の増加には相関関係が認められており、HIV-1の発現を抑制することがAIDS発症を防ぐ有効な手段になると考えられるが、現在の治療法では潜伏感染状態にあるHIV-1を完全には除去できず、またその活性化機構に関しても未だ不明な点が多い。それはHIV-1遺伝子の発現が生体、特に宿主免疫系との複雑な相互作用の下で制御されているため、HIV-1遺伝子活性化機構の解析はin vitroの系のみでは不可能であり、適当な動物モデルが必要であることが原因の一つとなっている。そこで私は、HIV-1遺伝子活性化機構をin vivoで解析するために、当研究室にて作成されたHIV-1トランスジェニックマウス(以下HIVマウス)を用いて以下の解析を行った。

 HIVマウスはHIV-1 NL4-3株全長を含むトランスジェニックマウスであり、HIV-1遺伝子の発現はHIV-1のプロモーターであるHIV-1 LTRにより制御される。従って、HIVマウスにおけるHIV-1遺伝子の発現はウイルス本来の発現誘導機構により制御されると考えられる。

第一章

 HIV-1遺伝子の発現は、UV、菌体成分、ウイルス成分、サイトカイン等様々な物質により亢進することがin vitroにおいて示されている。この中で特に、TNF-α、IL-1、IL-6、IFN-γなどのサイトカインが生体内でのHIV-1遺伝子活性化に重要な役割を果たしていると考えられており、AIDS患者の血中ではこれらサイトカインのレベルが上昇していることが知られている。しかしながら、これらのサイトカインが生体内でHIV-1発現亢進に関与しているという直接的な証拠はこれまでのところ示されていない。そこでHIVマウスを用いて、HIV-1遺伝子活性化に対するTNF-α、IL-1、IL-6、IFN-γの影響について検討した。

 HIVマウスの免疫系を刺激するために、実験には各種サイトカインを強力に誘導することが知られている、グラム陰性菌の細胞外膜成分であるリポポリサッカライド(LPS)を用いた。

 無刺激時のHIVマウスリンパ系組織においては、HIV-1遺伝子の発現は弱いながらも脾臓、胸腺、リンパ節で検出された。このHIVマウスにLPSを腹腔内投与したところ、48h後のHIV-1遺伝子の発現は脾臓において十数倍、リンパ節で2〜3倍亢進した。またLPS投与時の血中p24Gagタンパク質濃度はAIDS患者とほぼ同等のレベルにまで上昇し、血中には約1×106particles/mlのウイルス粒子が存在していた。したがってHIVマウスにおいては、HIV-1プロウイルスからHIV-1ウイルス粒子が効率的に産生されていると考えられた。

 HIVマウス脾臓におけるHIV-1遺伝子の発現は、LPS投与後徐々に上昇し48時間後にピークを迎えその後減少するが、この時HIV-1遺伝子活性化に先行してTNF-α、IL-1α、IL-1β、IL-6、IFN-γなどのサイトカインの発現が誘導されていた。そこでTNF-α、IL-1α/β、IL-6、IFN-γ各種サイトカイン遺伝子欠損マウスをHIVマウスと交配することにより、各種サイトカイン遺伝子欠損HIVマウスを作成し、LPS投与時のHIV-1遺伝子活性化レベルを比較した。その結果、TNF-αおよびIL-1α/β遺伝子欠損HIVマウスの脾臓では、LPS投与時のHIV-1 mRNA発現が野生型マウスに比べそれぞれ40%および60%に低下していた。これに対し、IL-6、IFN-γ、IL-1α、IL-1β遺伝子欠損HIVマウスでは差はみられなかった。この結果、LPS刺激によるHIV-1遺伝子の活性化には主としてTNF-αやIL-1が関与していることがわかった。

第二章

 潜伏感染状態にあるHIV-1が、生理的刺激によりどのように再活性化されるかに関してはよくわかっていないが、古くから、レトロウイルスについてはクロマチンに挿入されたプロウイルスの不活性化にDNAのメチル化が関与していることが示唆されている。HIV-1に関しても、in vitroの研究からHIV-1 LTRのメチル化がHIV-1 LTRのプロモーター活性を抑制することが示されているが、HIV-1遺伝子の再活性化とメチル化に関してはこれまで検討されていない。そこでHIV-1が潜伏感染状態にあるHIVマウスを用いて、メチル化・脱メチル化状態がHIV-1遺伝子活性化にどのように関与するかについて検討した。

 まず、HIVマウスのリンパ球を脱メチル化剤である5-Azacytidine(5-AzaC)存在下、非存在下にてLPS刺激した際のHIV-1遺伝子発現を比較した。48時間LPS刺激後のHIV-1 mRNA発現は無刺激培養時と比較して約10倍亢進するが、この時LPSに加え5-AzaCを添加したところ、LPS単独刺激と比較してHIV-1 mRNAの発現および培養上清中のp24 Gagたんぱく質量が10倍〜20倍上昇していたIn vitroにてLPS刺激したリンパ球中のHIV-1遺伝子発現が5-AzaCによる脱メチル化により亢進することから、in vivoでLPS投与により誘導されたHIV-1遺伝子活性化にも脱メチル化が関与している可能性が考えられた。そこでHIVマウス脾臓細胞におけるHIV-1 LTRのメチル化が、無刺激時とLPS投与時でどのように変化するのかを検討したところ、無刺激時ではHIV-1 LTRにある7ケ所のCpG部位全てがメチル化されていたのに対し、HIV遺伝子が活性化されるLPS投与後48時間においては、HIV-1 LTRにある7ヶ所のCpGのうち5'側から5番目のCpG部位が脱メチル化されている傾向にあった。これらの結果から、HIVマウスにおけるLPSによるHIV-1遺伝子活性化には、HIV-1 LTRの脱メチル化が関与している可能性が考えられた。

 CpG部位の脱メチル化には2つのメカニズムが考えられている。1つはメチル化されているCpG部位を直接脱メチル化するメカニズムであり、もう一つはDNA複製時に新たに合成されたDNA鎖が維持メチル化酵素によりメチル化されるのを阻害することにより脱メチル化するメカニズムである。この2つのメカニズムの相違は脱メチル化にDNA複製または細胞周期の進行が関与しているかどうかである。そこでLPS刺激時のHIV-1遺伝子活性化に細胞周期の進行が関与しているかどうかについて検討した。HIVマウスの脾臓細胞を予め細胞内蛍光色素であるCFSEで染色しておき、LPS刺激時におけるHIV p24 Gagたんぱく質の発現をフローサイトメーターにて調べた。細胞内のCFSEは細胞が分裂するにつれ希釈されるので、蛍光強度を追うことで各細胞がどのくらい細胞分裂したのかを知ることができる。48時間LPS刺激後のHIVマウス脾臓細胞では、p24 Gagたんぱく質の発現は細胞分裂を起こした細胞でのみ認められ、未分裂の細胞では認められなかった。この結果より、LPS刺激によるp24 Gagたんぱく質の発現には細胞周期の進行が重要であることが分かったので、次に細胞周期のどの段階がHIV-1遺伝子の発現に重要なのかを調べた。HIVマウス脾臓細胞をLPSで刺激すると同時に、細胞周期の進行を各段階でとめる阻害剤を添加した結果、p24 Gagたんぱく質の発現は細胞周期をどの段階で停止させてもみられなくなった。以上の結果より、HIVマウス脾臓細胞におけるHIV-1遺伝子活性化には、細胞周期の進行に依存したHIV-1 LTRの脱メチル化が関与している可能性が示唆された。

 HIV-1遺伝子の活性化が細胞周期の進行に依存していることがわかったので、先に示したLPS刺激時のHIV-1 LTRにおける脱メチル化が、細胞分裂した細胞と未分裂の細胞で異なるかどうかを検討した。LPS刺激後48時間のHIVマウス脾臓細胞を未分裂細胞と細胞分裂した細胞に分け、それぞれの細胞群のHIV-1 LTRにおけるCpG部位のメチル化状態を調べたところ、未分裂の細胞ではHIV LTRにある7ケ所のCpG部位全てがメチル化されていたのに対し、細胞分裂を起こした細胞ではHIV LTRにある7ケ所のCpGのうち5'側から2番目のCpG部位で弱く、5番目のCpG部位で強く脱メチル化されていた。脱メチル化されていた2ヶ所のCpG部位はどちらも、CREB/ATF結合部位であることから、HIVマウス脾臓細胞におけるLPS刺激後のHIV-1遺伝子活性化には、細胞周期に依存したHIV-1 LTR内にあるCREB/ATF結合部位の脱メチル化が関与していることが示唆された。

総括

 以上の結果より、HIVマウス脾臓中のHIV-1プロウイルスは通常HIV-1 LTRにあるCpG部位全てがメチル化状態であるために不活性であるが、LPS刺激を受けるとTNF-αおよびIL-1の誘導と、細胞周期の進行を介したHIV-1 LTRにあるCREB/ATF結合部位の脱メチル化により活性化状態に移行するという、新たなHIV-1遺伝子再活性化機構の存在がin vivoで初めて示された。この研究成果は、AIDS発症を抑制する新たな方法創出の一助になると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、論文全体を通じてヒト免疫不全ウイルス(HIV-1)全長を導入したトランスジェニックマウス(HIVマウス)を用いて研究を行っている。第1章では、リポポリサッカライド(LPS)によるHIV-1遺伝子活性化に対するTNF-α、IL-1α/β、IL-6、IFN-γの役割を各種サイトカイン遺伝子を欠損したHIVマウスを用いて検討し、第2章では、HIV-1再活性化に対するメチル化・脱メチル化の役割を細胞分裂と絡めて解析している。また、その前後に緒言、総括および参考論文の記載がなされている。

 申請者は第1章で、HIV-1遺伝子活性化に対するサイトカインの役割を検討した。まず、HIVマウスにLPSを投与することにより、HIV-1遺伝子の発現が脾臓やリンパ節で著明に亢進することを明らかにした。このときHIV.1遺伝子活性化に先行して発現が誘導されるTNF-α、IL-1α、IL-1β、IL-6、IFN-γなどのサイトカインの役割を明らかにするためにTNF-α、IL-1α、IL-1β、IL-6、IFN-γ各種サイトカイン遺伝子欠損HIVマウスを作製し、LPS投与によるHIV-1遺伝子活性化レベルを比較検討した。その結果、TNF-αおよびIL-1α/β遺伝子欠損HIVマウスではLPS投与時のHIV-1遺伝子発現が野生型マウスに比べ有意に低下していたのに対し、IL-6やIFN-γ遺伝子欠損HIVマウスでは差はみられなかったことから、LPS刺激によるHIV-1遺伝子の活性化には主としてTNF-αやIL-1が関与していることを明らかにした。更にTNF-αやIL-1刺激により活性化されるp38 MAPキナーゼの阻害剤SB203580を用いて、TNF-αやIL-1の下流でp38 MAPキナーゼが関与している可能性を示した。

 また申請者は、第2章でHIV-1のプロモーターであるLong Terminal repeat(LTR)のメチル化とHIV-1遺伝子再活性化について詳細な検討を行っている。まず、脱メチル化剤5'-Azac処理によりHIV-1遺伝子発現がLPS単独刺激と比較して著明に亢進することから、HIV-1再活性化に対するメチル化の関与を示唆した。次にHIVマウス個体レベルで、LPS刺激によりHIV-1遺伝子発現が誘導された時にのみLTR内のメチル化部位が脱メチル化されることを配列解析により示した。次に細胞内蛍光色素CFSEを用いて、LPS刺激によるHIV-1遺伝子発現誘導が細胞分裂を起こした細胞でのみ認められ未分裂の細胞では認められないこと、および細胞周期の停止剤により細胞周期をどの段階で停止させてもHIV-1遺伝子発現が認められなくなったことから、HIV-1遺伝子再活性化には細胞分裂が必須であることを明らかにした。更にLPS刺激後、細胞分裂を経てHIV-1発現が認められる細胞群と未分裂でHIV-1発現が認められない細胞群を分画し配列解析結果を比較することにより、HIV-1遺伝子を発現している細胞では、HIV-1 LTRにある7ヶ所のメチル化部位のうち、CREB/ATF結合部位である5'側から2番目と5番目のメチル化部位が特異的に脱メチル化されていることを示した。これらの結果より、LPS刺激によるHIV-1再活性化には、細胞分裂に依存したHIV-1 LTR内にあるCREB/ATF結合部位の脱メチル化が関与していることを明らかにした。

 以上本研究により、LPS刺激によるHIV-1遺伝子の再活性にはTNF-αおよびIL-1が主要な役割を果たすこと、および細胞分裂を介したHIV-1 LTRにあるCREB/ATF結合部位の脱メチル化が重要であることが動物個体を使って初めて明らかにされた。これらの成果は、新たなHIV-1遺伝子再活性化機構の存在を明らかにしたものであり、ウイルス学の進歩に貢献するものである。また、この研究成果は、AIDS発症を抑制する新たな方法を創出する一助になることが期待でき、人類の福祉に貢献するものである。

 なお本論文において、サイトカインの役割に関する研究は、尾崎秀徳、安田二朗、宝来玲子、田川陽一、浅野雅秀、西城忍、今井光信、関川賢二、Manfred Kopf、岩倉洋一郎と、またメチル化と再活性化に関する研究は、石田高尚、チェ・ビョンイル、渡邉俊樹、安田二朗、岩倉洋一郎と共著であるが、論文全般を通じて申請者が主体となって研究を行っており、申請者の寄与が十分であると判断した。

 従って、博士(農学)の学位を授与できると認める。

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