学位論文要旨



No 117818
著者(漢字) 石橋,真人
著者(英字)
著者(カナ) イシバシ,マサト
標題(和) CP対称性と格子カイラルゲージ理論
標題(洋) CP symmetry and lattice chiral gauge theories
報告番号 117818
報告番号 甲17818
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4289号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 教授 柳田,勉
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 要旨を表示する

 現在、実験が行われているエネルギースケールでの素粒子の振る舞いを記述する標準模型は、SU(3)のゲージ群を持つ強い力の理論QCDとSU(2)×U(1)のゲージ群を持つ電磁気力と弱い力を記述する理論であるワインバーグ・サラム理論からなっている。SU(3)やSU(2)のようなノンアーベリアンの群をもつゲージ理論は、漸近的自由という現象が起こり、低エネルギーでは強結合の理論になり、通常の摂動論では解析ができない。

 このような強結合領域でのゲージ理論を解析する方法として、現在最も成功しているのが、ユークリッド時空を格子上に切ってその上で理論を定義する格子ゲージ理論である。格子上で理論を定義し、また有限の時空を出発点とするため、紫外領域にも赤外領域にもエネルギーカットオフが入り、この理論は発散のない有限な理論になっている。この有限な理論において物理量を計算し、その物理量を有限に保つように、体積無限大の極限と連続極限をとることによって連続理論での物理量を得ることができる。また、この理論の最も重要な特徴は、統計力学系の解析で使われるのと同様な方法を使いながら、計算機によるゲージ理論の数値計算を可能にすることである。このような数値計算によって、摂動論では計算できないQCDの物理量、ハドロンやクォークの質量、クォークの閉じ込めのストリングテンションなどが計算され、その値は年々改善されている。

 標準模型の大きな特徴の一つは、その中のワインバーグ・サラム理論がカイラルゲージ理論であるということである。カイラルゲージ理論において、左巻きフェルミオンと右巻きフェルミオンは異なったゲージ群の表現に属している。カイラルゲージ理論における重要な現象はゲージアノマリーが現れるということである。ゲージアノマリーとは、古典的な理論にあったゲージ対称性が量子論において破れるという現象である。このゲージアノマリーが現れるかどうかは、理論が持っているゲージ群とフェルミオン多重項によっている。ゲージアノマリーが存在すると、S行列のユニタリティーなどの重要な性質が成り立たなくなるため、その理論は意味のない理論になってしまう。そのため、アノマリーがキャンセルしている理論を構成しなければならない。摂動論においては、ファインマンダイアグラムの1ループレベルでアノマリーがない時には、摂動論のすべての次数でアノマリーが出ないことが示されているが、非摂動論的なレベルでアノマリーがないことを示すには、1ループアノマリーキャンセレーション以上の条件が必要になるかもしれない。例えば、SU(2)のfundamental表現に属する奇数個のフェルミオン多重項をもつカイラルゲージ理論は、摂動論的にはアノマリーのない理論であるが、非摂動論的に、ウィッテンアノマリーと呼ばれるアノマリーが現れ、理論として成り立たなくなる。カイラルゲージ理論におけるもう一つの問題は、理論の正則化の問題である。ゲージアノマリーが現れるということから、ゲージ不変な正則化はカイラルフェルミオンの多重項がアノマリーフリーの時に限り可能である。言いかえると、ゲージ不変な正則化はフェルミオンの属するゲージ群の表現に直接関係しているべきである。この意味では、よく使われる正則化の方法、例えば、次元正則化、パウリ・ビラース法などは、カイラルゲージ理論の解析においてあまり便利でないかもしれない。もし、より良いゲージ不変な正則化法が確立されるならば、電弱力が働く素粒子の系での輻射補正の計算が簡単になるかもしれない。

 格子ゲージ理論における最近の進展は、正確なゲージ不変性を持つ格子上での非摂動論的なカイラルゲージ理論の構成への道を開いた。リュッシャーによって定式化されたこの格子カイラルゲージ理論において、有限格子時空上でアノマリーフリーなU(1)カイラルゲージ理論や無限格子時空上においてのワインバーグサラム理論の構成が行われており、また格子上でのウィッテンアノマリーの解析もなされている。さらに、摂動論的にアノマリーのないゲージ群とフェルミオン多重項をもつカイラルゲージ理論がゲージ不変性を破ることなしに格子上で定式化された。このような格子上でのカイラルゲージ理論の構成によって、標準模型の数値計算、例えば、有限温度での電弱相転移の解析などが将来的に可能になるかもしれない。また、この構成は、強結合領域でのカイラルゲージ理論の理解を深めるだろう。

 ところが、ハーゼンフラッツによって、この定式化におけるカイラルフェルミオンの作用が、CP変換の下で不変でないことが指摘された。CP変換は粒子と反粒子を交換する変換であるが、このギンスパーグ・ウィルソン演算子を用いた定式化において、粒子のカイラル射影演算子と反粒子のカイラル射影演算子が連続理論とは異なり基本的には非対称であることから、このようなことが起こってしまう。CP対称性は、カイラルゲージ理論において基本的な離散的対称性であるので、格子上の理論でも保たれていることが期待される。標準模型においては、CP対称性はカビボ・小林・益川行列の位相によってだけ破れており、このCPの破れは標準模型の格子での解析に影響を及ぼすかもしれない。このため、この定式化におけるCP対称性の破れを詳細に調べるのは大変重要である。

 このような背景、動機のもとでこの学位論文では格子カイラルゲージ理論におけるCP対称性の破れを詳細に調べた。はじめに、格子カイラルゲージ理論のリュッシャーの定式化についてレビューした。その後で、ハーゼンフラッツの解析において使われた射影演算子をかなり一般的な演算子へ拡張し、それを用いることによって、カイラルフェルミオンの作用のCP対称性の破れを調べた。その結果、CP対称性を保つ作用は存在するが、そのとき作用は非局所的になるか、またはフェルミオンの種の倍増が起きてしまうことがわかった。このことにより作用のCP対称性の破れは演算子の局所性や、フェルミオンの種の倍増などの現象と関係していることが明らかになった。次に、具体的な計算を可能にするカイラル射影演算子を使いながら、フェルミオン生成汎関数の計算を行い、量子論レベルでのCP対称性の破れの解析を行った。その結果、次のことが示された。この格子カイラルゲージ理論においてCP対称性の破れは3箇所にだけ存在する。一つ目は、フェルミオン生成汎関数にかかる定数位相因子。二つ目は、フェルミオン生成汎関数にかかる次元のある定数因子。三つ目は、外線にあらわれるフェルミオンプロパゲーター、または湯川結合を含んだカイラルゲージ理論を考えるときには、湯川頂点に結びついたプロパゲーターである。最初の二つの破れは、トポロジカルセクターにだけ依存し、トポロジカルセクターが足し上げられる時に、それぞれのセクターにかかるトポロジカルウェイトに吸収できると考えられる。しかし、最後のフェルミオンプロパゲーターにおけるCP対称性の破れは取り除くことができない。この破れは、ヒッグズ場が期待値を持たないときには、局所的な項であるが、ヒッグズ場が期待値を持つ時には、非局所的になってしまう。湯川結合を含んだカイラルゲージ理論の解析においては、議論を簡単にするため、湯川結合を摂動論的に扱ったが、これを非摂動論的に扱う時にもこの非局所的な破れは残ると思われる。しかし、この格子カイラルゲージ理論に残る、これらの局所的な、または非局所的なCP対称性の破れは、素朴には適切な連続極限をとることにより消えると思われる。ただし、はっきりとしたことを言うためには、さらなる解析が必要であるだろう。

 補遺において、格子カイラルゲージの基本を簡単にまとめた。

審査要旨 要旨を表示する

 格子ゲージ理論は量子論的ゲージ理論の非摂動的な力学を研究する最も有力な手法であり、過去20年ほどにわたりQCDにおけるクォークの閉じ込めやハドロン・スペクトルの計算等に格子ゲージ理論の大規模な数値シミュレーションが用いられて大きな成功を収めてきた。現在クォークの閉じ込めの問題は格子理論のデータに基づいて肯定的に解決されたと考えられている。

 従来格子理論における特有な困難と考えられていたものに、カイラル・フェルミオンの問題がある。ディラックの微分演算子を格子の上で素朴に離散化すると、いわゆるスピーシーズ・ダブリングの問題が現れる。これは、格子上では運動量のとる値が周期的になるため一階の微分作要素を離散化すると運動量空間で〓の形を持ち(αは格子定数)、D(p)はp=0以外にp=π/αでも零をとるためである。ここで、dD(p)/dpの符号がρ=0,π/αで反対になるため、逆のカイラリティーを持つフェルミオンがp=0とp=π/αに対になって現れる。この現象がフェルミオン・ダブリングと呼ばれる。

 このため、弱い相互作用の理論のようにカイラル対称性をゲージ化した理論を格子状に定義することは従来不可能と考えられてきた。しかし、ここ数年間において格子カイラル・フェルミオンの問題に大きな進展があり、格子定数αがゼロでない状況でα=0の連続理論のカイラル対称性に対応する変換が定式化され、この対称性を持つためには作用素D(p)がGinsparg-Wilsonの関係式を満たす必要があることが認識された。

 格子状のカイラル変換は次の形を持つここでγ5は通常のγ5行列、一方〓5はで定義されDはGinsparg-Wilsonの関係式を満たす作用素である。Ginsparg-Wilson関係式を用いると射影演算子の条件が確かめられる。(4)を書き直すとが得られ、カイラル変換(2)の下でフェルミオンの作用が不変であることが分かる。

 関係式(4)を満たす作用素Dでスピーシーズ・ダブリングを持たない具体的な例はNeubergerなどによって構成された。このように格子上にカイラル・フェルミオンの問題を乗せる問題はα≠0で成り立つ対称性として定式化され格子理論において厳密な取り扱いが可能になりつつある。

 しかし、このようにして定式化されたカイラル対称性においては(2)に見るようにψと〓の変換が異なるため、一般にCP対称性が破れる可能性がありこの問題は初めてハーゼンフラッツによって指摘された。CP対称性はカイラルゲージ理論における標準的な対称性であり、素粒子の標準理論においては、カビボ・小林・益川行列の位相によってのみ破れている。このため格子理論のCP非保存は将来格子理論による標準模型の分析に影響を与える可能性がある。

 学位申請者はこうした動機から格子理論のCP非保存の問題を議論した。まず、申請者は(1)Ginsparg-Wilson関係式に基づくカイラル・フェルミオンの定式化では一般に格子レベルでのCP非保存がさけられないことを示し、(2)さらにフェルミオンを含む分配関数を調べ量子論的なレベルでCP非保存がどのような形をとるかを正確に求めた。

 その結果つぎのことが示された。格子カイラルゲージ理論においてCP対称性の破れは3箇所だけに存在する。一つ目はフェルミオン生成汎関数にかかる位相因子、二つ目は、フェルミオン生成汎関数にかかる次元のある定数因子。三つ目は、外線に現れるフェルミオンプロパゲーターである。最初の二つの破れはトポロジカルセクターだけに依存し、トロジカルセクターが足しあげられるときに、各セクターに掛かるウエイトに吸収できると考えられる。最後の外線のフェルミオンプロパゲーターにおけるCP対称性の破れは取り除くことが出来ない。しかしこの破れは格子定数αに比例しており、また外線にのみ現れるため量子効果でオーダーα0に持ち上げられる可能性は無く連続極限ではゼロに帰着することが期待される。

 このように、論文申請者はフェルミオンのループを通した新たなCP非保存は現れずCP非保存は本質的にtreeレベルのものに留まることを指摘した。このため、カイラル対称性の定式化にともなう格子上のCPの破れの問題は連続極限で大きな困難を引き起こす可能性は少ないと結論される。

 この論文は、二編の共著論文に基づいているが、論文申請者の寄与が十分にあるものと認められ、審査員一同で学位論文にふさわしいものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク