学位論文要旨



No 118119
著者(漢字) 大鎌,直子
著者(英字)
著者(カナ) オオカマ,ナオコ
標題(和) 遺伝子発現を指標とした高等植物の硫黄栄養に対する応答の研究
標題(洋) Study of Response of Higher Plants to Sulfur Nutrition Based on Gene Expression
報告番号 118119
報告番号 甲18119
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2508号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 硫黄は高等植物の必須元素のひとつである。近年、硫酸の吸収や代謝の経路が解明され、この経路で機能する酵素をコードする遺伝子のほとんどが単離された。そして、硫黄欠乏における硫酸吸収や代謝の活性化は、いくつかの酵素については、mRNA量の増加に起因することが判明している。現在硫黄栄養による遺伝子発現制御機構については、システイン、O-アセチルセリン(OAS;システインの前駆体)、グルタチオンといった代謝産物が、硫黄栄養により植物体の濃度が変化すること、及び植物体の濃度を変化させることで遺伝子発現を制御できることから、硫黄栄養のシグナルと考えられている。

 このような硫黄応答遺伝子のモデルとして、ダイズのβ-コングリシニンβサブユニット遺伝子が用いられてきた。βサブユニット遺伝子はシロイヌナズナ中でも硫黄に応答し、その応答は転写レベルであることが知られている。また硫黄代謝系の遺伝子と同様にOASやグルタチオンによって制御されることから、少なくとも一部は硫黄代謝系の遺伝子と共通の経路で硫黄栄養によって制御されることが示唆されている。さらにこれまでに、βサブユニット遺伝子のプロモーターの硫黄栄養応答領域(βSR;235bp)が調べられ、この領域を構成的に発現するカリフラワーモザイクウィルス(CaMV)35SRNAプロモーターに挿入することにより、本葉を含めた種子以外の組織でも硫黄応答が観察できることが報告されている。

 本研究では、まずβSRをCaMV35SRNAプロモーターに挿入したキメラプロモーターにgreen fluorescent protein(GFP)遺伝子を連結してシロイヌナズナに形質転換し、硫黄栄養による遺伝子発現の制御を可視化した。そして硫黄欠乏とメチオニンによるβSRの発現制御が組織により異なることを明らかにした(第1章)。次に作製した形質転換体を利用して、サイトカイニンが硫黄応答性遺伝子を正に制御することを明らかにし、その機構を提案した(第2章)。また形質転換体の種子を変異原処理し、その後代から、硫黄応答性の異なる変異株を単離した(第3章)。

第1章 Differential Tissue-specific Response to Sulfate and Methionine of a Soybean Seed Storage Protein Promoter Region in Transgenic Arabidopsis.

 βSRをCaMV35SRNAプロモーターの転写開始点から90bp上流に挿入したキメラプロモーターにGFP遺伝子をつないでシロイヌナズナに形質転換した(NOB株)。NOB株を硫黄欠乏下で生育させると、外見上の欠乏症状が現れる前に、GFPの蛍光強度が植物体全体で増加した。詳細に観察するとNOB株における硫黄欠乏に伴う蛍光の増加は、葉では周縁部で顕著であった。また、GFP蛍光の変化は、OAS濃度の増加及び、硫酸やGSH濃度の減少と相関していた。このようにNOB株では、硫黄欠乏をGFPの蛍光強度の変化として感度よく簡便に観察できた。

 次に、メチオニンを過剰に蓄積するシロイヌナズナの変異株mto1-1とNOB株を交雑し、mtoNOB株を作製した。種子ではmto1変異に伴うメチオニンの増加より、GFPの発現が抑制されることが、硫黄十分条件でも欠乏条件でも観察された。一方本葉では、硫黄十分条件でも欠乏条件でも、GFPの発現がmto1変異によるメチオニンの増加により抑えられなかった。

 CaMV35SRNAプロモーターの下流にβサブユニット遺伝子のプロモーター全長をつなぎ、さらにGUSレポーター遺伝子をつないだキメラ遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナにおけるmto1変異の効果を解析した。βサブユニットプロモーター全長の本葉での活性はmto1-1変異により抑制された。種子で抑制されることは、すでに明らかにされており、これらの結果により、βSRは種子でのメチオニン応答には十分であるが葉での応答には不十分であること、βSR以外のプロモーター領域に葉におけるメチオニン応答配列があることが明らかになった。

第2章 Regulation of Sulfur-Responsive Gene Exopression by Exgenously Applied Cytokinins in Arabidopsis thaliana.

 硫黄栄養応答遺伝子の発現に及ぼす植物ホルモンの影響を調べるために以下の実験を行った。培地にサイトカイニン、アブシジン酸、オーキシン、エチレン前駆体、ジベレリン、ジャスモン酸を添加すると、サイトカイニンを添加した場合のみ、NOB株におけるGFPの蛍光強度が増加した。この傾向は、培地の硫酸濃度に関わりなく観察された。また硫黄代謝系の硫黄栄養応答性遺伝子であるadenosine 5'-phosphosulfate reductase(APR)1とsulfate transporter (Sultr) 2;2のmRNA量もサイトカイニン添加によって増加した。しかしながら、培地へのサイトカイニンの添加により、硫黄応答性遺伝子の正の制御因子であるOASの濃度は変化しなかった。APR1は糖によって正に発現制御されるとの報告があるが、本研究では培地へのサイトカイニンの添加によって植物体の糖濃度が増加した。また培地への糖の添加により、NOB株のGFPの蛍光強度が増加した。一方、糖濃度は硫黄欠乏により変化せず、また、サイトカイニン濃度も硫黄欠乏によって変化しなかった。

 これらの結果から、添加されたサイトカイニンは、硫黄欠乏とは独立な経路でこれら硫黄栄養応答性遺伝子の発現を正に制御し、その制御は組織の糖濃度の増加を通して行われることが示唆された。

第3章 Isolation and characterization of Arabidopsis thaliana mutants with altered response to sulfur

 NOB株の種子をEthyl methanesulfonateで変異源処理し、そのM2世代約4万株から、親株のNOB株(以後野生型株と記す)と異なるGFP蛍光強度を示す株をスクリーニングした。25株の変異株の候補が得られ、そのうち12株を戻し交雑して、F2での表現型の分離を観察した。12株中8株は、表現型が弱く、はっきりとした分離が観察されなかった。4株については、3:1に分離することが観察されたので一遺伝子による変異と分かった。これらのうちGFPの蛍光強度とGFP遺伝子のmRNA量に相関のあった2株について詳細に解析した。

 nbm1-1(NOB mutant)は、硫黄十分条件でも欠乏条件でも野生型株よりGFP蛍光が強い。内在性硫黄応答遺伝子であるSultr2;2, APR1, serine acetyltransferase(SAT)1のmRNA量も、硫黄十分条件でも欠乏条件でも野生型株より高かった。植物体の硫酸イオン濃度は変化していなかったが、硝酸イオン濃度が野生型株の約半分であった。システインとグルタチオンの濃度は変化していなかったが、OASの濃度が増加していた。このOAS濃度はN/S比と正の相関を持つという過去の報告とは異なっていた。これらから、nbm1-1では、OAS合成過程に何らかの変異があることが示唆された。ポジショナルクローニングによりnbm1-1の原因遺伝子は、染色体5番上腕の約69kbの範囲に存在していることが分かった。

 nbm2-1も、硫黄十分条件でも欠乏条件でも、GFP蛍光と上記内在性遺伝子の発現が野生型株より強かった。植物のサイズが小さく、頂芽優性を失っていた。硫酸イオン、硝酸イオン濃度が野生型株より少なく、OAS、システイン、グルタチオン濃度が高かった。nbm2-1では、OASによる正の遺伝子発現原因制御が、グルタチオンによる負の制御に打ち勝っていると考えられた。ポジショナルクローニングによりnbm2-1の原因遺伝子は、染色体3番上腕の約182kbの範囲に存在していることが分かった。

1. Ohkama, N., Goto, D. B., Fujiwara, t. and Naito, T. (2002) Differential tissue-specific response to sulfate and methionine of a soybean seed storage protein promoter region in transgenic Arabidopsis. Plant & Cell Physiology, 43,1266-1275.

2. Ohkama, N., Takei, K., Sakakibara, H., Hayashi, H, Yoneyama T. and Fujiwara T. (2002) Regulation of sulfur-responsive gene expression by exogenously applied cytokinins in Arabidopsis thaliana. Plant & Cell Physiology, in press.

審査要旨 要旨を表示する

 硫黄は高等植物の必須元素のひとつであり、近年、硫酸の吸収や代謝の経路で機能する酵素をコードする遺伝子のほとんどが単離された。システイン、O-アセチルセリン(OAS;システインの前駆体)、グルタチオン(GSH)といった代謝産物が、硫黄栄養により植物体の濃度が変化することで遺伝子発現が制御(mRNA量)されることから、硫黄栄養のシグナルと考えられている。このような硫黄応答遺伝子のモデルとして、ダイズのβ-コングリシニンβサブユニット遺伝子が用いられてきた。βサブユニット遺伝子はシロイヌナズナ植物体でも硫黄に応答し、その応答は転写レベルであり、OASやGSHによって制御されることが知られている。さらにこれまでに、βサブユニット遺伝子のプロモーターの硫黄栄養応答領域(βSR; 235bp)が調べられ、この領域を構成的に発現するカリフラワーモザイクウィルス(CaMV)35SRNAプロモーターに挿入することにより、本葉を含めた種子以外の組織でも硫黄応答が観察できる。

 第1章では上述のキメラプロモーターにgreen fluorescent protein(GFP)遺伝子をつないだシロイヌナズナ形質転換体(NOB株)を作成した。GFP蛍光の変化は、OAS濃度の増加及び、硫酸やGSH濃度の減少と相関していた。またメチオニンを過剰に蓄積するシロイヌナズナの変異株mto1-1とNOB株を交雑し、mtoNOB株を作製した。Mto1変異に伴うメチオニンの増加より、種子ではGFPの発現が抑制されるが本葉では抑えられなかった。さらにCaMV 35SRNAプロモーターの下流にβサブユニット遺伝子のプロモーター全長をつないだコンストラクトを持つ形質転換シロイヌナズナでは、βサブユニットプロモーター全長の活性は本葉でも、種子でもmto1変異により抑制された。これらの結果により、βSRは種子でのメチオニン応答には十分であるが、葉ではβSR以外のプロモーター領域にメチオニン応答配列があることが明らかになった。

 第2章では硫黄栄養応答遺伝子の発現に及ぼす植物ホルモンの影響を調べた。培地にサイトカイニン、アブシジン酸、オーキシン、エチレン前駆体、ジベレリン、ジャスモン酸を添加すると、サイトカイニンを添加した場合のみ、NOB株におけるGFPの蛍光強度が増加した。また硫黄代謝系の硫黄栄養応答性遺伝子であるadenosine 5'-phosphosulfate reductase (APR)1とsulfate transporter(Sultr)2;2のmRNA量もサイトカイニン添加によって増加した。しかしながら、培地へのサイトカイニンの添加により、植物体のOAS濃度は変化せず、糖濃度が増加した。また培地への糖の添加により、NOB株のGFPの蛍光強度が増加した。これらの結果は、添加サイトカイニンは、硫黄欠乏とは独立な経路で糖濃度の増加を通してこれら硫黄栄養応答性遺伝子の発現を正に制御していることを示唆した。

 第3章ではNOB株の種子をethyl methanesulfonateで変異源処理し、そのM2世代約4万株から、NOB株(以後野生型株と記す)と異なるGFP蛍光強度を示す株をスクリーニングした。25株の変異株の候補が得られた。これらのうち一遺伝子による変異と確認され、GFPの蛍光強度とmRNA量に相関のあった2株(nbm1-1,nbm2-1)について詳細に解析した。nbm1-1(NOB mutant)とnbm2-1は、硫黄十分条件でも欠乏条件でも野生型株よりGFP蛍光が強く、Sultr2;2,APR1,serine acetyltransferase(SAT)1のmRNA量も高かった。nbm1-1ではシステインとGSHの濃度は変化していないが、OASの濃度が増加した。これらから、nbm1-1では、OAS合成過程に何らかの変異があることが示唆された。ポジショナルクローニングによりNBM1-1は、染色体5番上腕の約69kbの範囲に存在していることが分かった。nbm2-1はOAS、システイン、GSH濃度が高かった。nbm2-1では、OASによる正の遺伝子発現原因制御が、グルタチオンによる負の制御に勝っていると考えられた。NBM2-1は染色体3番上腕の約182kbの範囲に存在していることが分かった。

 以上本論文は、硫黄栄養による遺伝子発現の制御を可視化した形質転換体を作製し、硫黄欠乏とメチオニンによるβSRの発現制御が組織により異なることとサイトカイニンが硫黄応答性遺伝子を正に制御することを発見し、形質転換体の種子を変異原処理し硫黄応答性の異なる新規変異株を単離したもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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