学位論文要旨



No 118259
著者(漢字) 楊,莉玲
著者(英字) Yang,Liling
著者(カナ) ヤン,リリン
標題(和) ヒト非小細胞肺癌におけるIAPによる癌選択的アポトーシス抑制とその標的ペプチドを用いた抗腫瘍効果の解析
標題(洋) Tumor Selective Suppression of Apoptosis by IAP in Human NSCLC and the Antitumor Effect of the Targeting Peptide
報告番号 118259
報告番号 甲18259
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2066号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 栗原,裕基
内容要旨 要旨を表示する

序論

 肺癌は現在最も死亡率の高い悪性新生物の一つであり特に非小細胞肺癌はその中でも進行癌中でしばしば共通に見られる肺癌である。Taxol及びcisplatinによる治療法は進行した非小細胞肺癌のstandard治療薬として用いられているが、化学療法剤耐性はその有効な治療効果を妨げる主要の原因となっている。抗癌剤耐性はしばしば癌細胞におけるアポトーシス誘導性の低下と深く結び付いていることから、癌細胞における細胞死決定因子変化が化学療法の効果を決定する要因となっている可能性がある。アポトーシスの実行において、ミトコンドリアからのcytochrome c放出によって活性化されるApaf-1/ caspase-9複合体(apoptosome)が中心的な役割を果たす。最近、このapoptosomeの活性欠損がある種の癌細胞においても生じていることが報告されている。しかし、癌細胞におけるその活性欠損の機構および生理的意義については十分に明らかでない。本研究では化学療法剤に耐性なヒト非小細胞肺癌(NSCLC)細胞においてその抗癌剤耐性にapoptosome活性低下が関与することを見出した。さらにNSCLCのapoptosome活性低下におけるXIAP分子の役割及びこれを標的とした新規細胞透過性ペプチドの治療効果について解析した。

1.ヒト非小細胞肺癌におけるapoptosomeの活性低下とXIAP発現亢進の関与

 ヒト非小細胞肺癌における抗癌剤耐性とアポトーシス機構欠損を調べるために、ヒト非小細胞肺癌細胞株を用いてアポトーシス誘導性及びアポトーシス実行系であるapoptosome活性について調べた。その結果、ヒト非小細胞肺癌細胞NCI-H460細胞においてcisplatinなどの抗癌剤に対するアポトーシスの耐性がアポトーシス実行系であるapoptosome低下と関わっていることを見出した。NCI-H460細胞では、ヒト正常肺細胞TIG3および他の肺癌細胞と比較してin vitroにおけるcytochrome c依存的なカスパーゼの活性化が著しく低下していることが明らかになった(Fig.1)。このapoptosome低下はapoptosomeの構成因子であるcytochrome c, Apaf-1, caspase-9の発現低下によるものではなかった。細胞死制御因子の発現を網羅的に解析した結果、H460細胞においてIAPファミリ分子の一つであるXIAPが選択的に高発現にしていることを見出した。またH460細胞においては、他のIAP分子であるc-IAP-1の発現も認められたが、caspase-9に対してはXIAPが選択的に結合していることがわかった。そこでIAPを特異的に阻害するSmacN7ペプチドを用いて検討したところ、SmacN7ペプチドはH460細胞におけるapoptosomeの活性の低下を強く回復させた(Fig.2)。この際、XIAPとcaspase-9のH460細胞における結合が阻害されることが分かった。他方、SmacN7ペプチドはapoptosome活性を保持している他のヒト非小細胞肺癌細胞やヒト肺正常細胞TIG3におけるapoptosomeの活性には影響を与えなかった。以上の結果からH460細胞においてXIAPがアポトーシス実行系の低下に中心的な役割を果たしていると考えられた。H460細胞株においてはXIAPの過剰の発現を認められるが、他方、ヒト正常肺TIG3細胞においても低いレベルであるがXIAP発現が認められる。そこでさらにRecombinant XIAP蛋白を用いてapoptosomeの阻害とXIAPの発現レベルとの関係について検討した。その結果、XIAPによるapoptosome阻害には量的閾値(20 nM)が存在し、H460細胞におけるXIAPの発現はapoptosome阻害に十分である一方、ヒト正常肺TIG3細胞におけるXIAPの発現レベルは阻害の閾値以下であることが明らかになった。さらにヒト非小細胞肺癌におけるXIAPの発現レベルを調べるため、ヒト非小細胞肺癌(扁平上皮癌および腺癌)術後凍結材料20例におけるXIAPの発現を検討した。その結果、ヒト正常肺組織においてはTIG3細胞と同様にXIAPの発現レベルが低く閾値レベル以下であるのに対して、ヒト非小細胞肺癌20例中13例においてはXIAPの発現レベルはH460細胞株と同レベルでありこれらの細胞においてXIAPの過剰発現がapoptosis阻害に関わっていることが示唆された(Fig3)。

 以上の結果からヒト非小細胞肺癌においてXIAPの発現がその化学療法剤耐性に重要な働きをしていることが明らかになった。また、XIAPによるapoptosome阻害には濃度的閾値が存在し、少なくともヒト正常肺組織においてはその発現レベルは阻害の閾値以下であることから、発現亢進のある癌細胞においてXIAPが化学療法の選択的標的となりうることが示唆された。

2.ヒ卜非細胞肺癌におけるTAP標的とたペプチドの抗腫瘍効果の検討

 IAPを標的としたペプチドの抗腫瘍効果を検討するため細胞透過性のポリアルギニン結合型SmacN7ペプチドを合成した。FITC標識ペプチドを合成して調べた結果、6アルギニンおよび8アルギニン結合型のSmacN7は共に複数の癌細胞に効率よく取り込まれ、特に8アルギニン結合型のSmacN7(SmacN7(R)8)がより効果的な細胞内蓄積を認めた(Fig.4)。他方、ポリアルギニンを持たないSmacN7については有意な細胞内蓄積は認められなかった。そこでさらにSmacN7(R)8の抗癌剤との併用効果を検討した。H460細胞においてcisplatin及びtaxolと併用した結果、これらの薬剤による細胞死誘導効果がSmacN7(R)8併用によって強く増強されることが分かった。この作用はXIAPによるapoptosome阻害が起きているH460細胞に選択的であり、ヒト正常肺TIG3細胞に対しては認められなかった。またSmacN7(R)8単独及び細胞非透過性のSmacN7ではその効果を認めなかった。さらにその際のアポトーシス実行系の活性化を調べるためcaspaseの活性化を検討した。その結果、cisplatinとtaxol処理後のcaspase-3の活性がSmacN7(R)8の併用によって強く上昇した。この際caspase-3の活性化型へのprocessingがおこった。さらにH460細胞をヌードマウスに移植したxenograftを作成しin vivoでのSmacN7(R)8の抗腫瘍効果を検討した。その結果、cisplatinによる腫瘍増殖抑制効果はSmacN7(R)8との併用によって強く増強された(Fig.5A)。この際、コントロール群と比較してSmacN7(R)8とcisplatinを併用投与した群ではマウスに対して有意な体重減少は認められなかった(Fig.5B)

 以上のことからIAPを標的とする細胞透過性のSmacN7(R)8ペプチドがin vitro及びin vivoにおいて副作用を起こすことなくヒト非小細胞肺癌に対して抗癌剤との併用により腫瘍増殖抑制増強効果を示すことが明らかとなった。

結論

 本研究においてはヒト非小細胞肺癌の化学療法剤耐性にXIAPの発現亢進とそれによるapoptosome活性の阻害が関わっていることを明らかにした。Recombinant XIAP蛋白を用いた検討の結果からXIAPによるアポトーシス実行系の阻害には濃度的な閾値が存在すること及びヒト正常肺組織ではXIAPの発現レベルは閾値以下であることからXIAPが癌選択的な化学療法の標的分子として有効であるものと考えられる。さらにIAPを標的とする新しい細胞透過性ペプチドSmacN7(R)8を合成しそれがin vitro及びin vivoにおいてヒト非小細胞肺癌の腫瘍増殖を抗癌剤との併用で有効に抑制することを見出した。今後さらにSmacN7(R)8ペプチドの構造および活性をmimicする低分子化合物を検索することにより、ヒト非小細胞肺癌に対する有効な化学療法剤の開発が期待される。

Figure 1. Chemoresistant H460 Cells Have a Diminished Apoptosome Activity.

Figure 2. N-ter minal Peptide of Smac Relieves XIAP Inhibition of Caspases and Reverses the Low Apoptosome Activity in H460 Cells.

Figure 3. XIAP Expressions in Human NSCLC Patient Samples. N1 and N2 represent normal tissues from around the tumors. S1-10: squamous cell carcinomas; A1-10: adenocarcinomas.

Figure 4. Fluorescence Microscopy Observation of the Polyarginine-conjugated SmacN7 CellularAccumulation.

Figure 5. Effect of SmacN7(R)8 in combination with Chemotherapeutic Agent on Tumor Growth and Body Weight Change in Nude Mice Bearing Human Cancer Xenografts.

審査要旨 要旨を表示する

 肺癌は現在最も死亡率の高い悪性新生物の一つであり特に非小細胞肺癌はその中でも進行癌中でしばしば共通に見られる肺癌である。Taxol及びcisplatinによる治療法は進行した非小細胞肺癌のstandard治療薬として用いられているが、化学療法剤耐性はその有効な治療効果を妨げる主要の原因となっている。抗癌剤耐性はしばしば癌細胞におけるアポトーシス誘導性の低下と深く結び付いていることから、癌細胞における細胞死決定因子変化が化学療法の効果を決定する要因となっている可能性がある。アポトーシスの実行において、ミトコンドリアからのcytochrome c放出によって活性化されるApaf-1/ caspase-9複合体(apoptosome)が中心的な役割を果たす。最近、このapoptosomeの活性欠損がある種の癌細胞においても生じていることが報告されている。しかし、癌細胞におけるその活性欠損の機構および生理的意義については十分に明らかでない。本研究では化学療法剤に耐性なヒト非小細胞肺癌(NSCLC)細胞におけるその抗癌剤耐性へのapoptosome活性低下の関与とNSCLCのapoptosome活性低下におけるIAP分子の役割及びこれを標的とした新規細胞透過性ペプチドの治療効果について解析し、下記の結果を得ている。

1.ヒト非小細胞肺癌における抗癌剤耐性とアポトーシス機構欠損を明らかにするために、ヒト非小細胞肺癌細胞株を用いてアポトーシス誘導性及びアポトーシス実行系であるapoptosome活性について調べた。その結果、ヒト非小細胞肺癌細胞NCI-H460細胞においてcisplatinなどの抗癌剤に対するアポトーシス耐性がアポトーシス実行系であるapoptosome低下と関わっていることが示された。このapoptosome低下はapoptosomeの構成因子であるcytochrome c, Apaf-1, caspase-9の発現低下によるものではなかった。細胞死制御因子の発現を網羅的に解析した結果、H460細胞においてIAPファミリ分子の一つであるXIAPが選択的に高発現にしていることが示された。またH460細胞においては、他のIAP分子であるc-IAP-1の発現も認められたが、caspase-9に対してはXIAPが選択的に結合していることがわかった。そこでIAPを特異的に阻害するSmacN7ペプチドを用いて検討したところ、SmacN7ペプチドはH460細胞におけるapoptosomeの活性の低下を強く回復させた。この際、XIAPとcaspase-9のH460細胞における結合が阻害されることが分かった。他方、SmacN7ペプチドはapoptosome活性を保持している他のヒト非小細胞肺癌細胞やヒト肺正常細胞TIG3におけるapoptosomeの活性には影響を与えなかった。以上の結果からH460細胞においてXIAPがアポトーシス実行系の低下に中心的な役割を果たしているが示された。

2.Recombinant XIAP蛋白を用いてapoptosomeの阻害とXIAPの発現レベルとの関係について検討した。その結果、XIAPによるapoptosome阻害には量的閾値(20 nM)が存在し、H460細胞におけるXIAPの発現はapoptosome阻害に十分である一方、ヒト正常肺TIG3細胞におけるXIAPの発現レベルは阻害の閾値以下であることが明らかになった。さらにヒト非小細胞肺癌におけるXIAPの発現レベルを調べるため、ヒト非小細胞肺癌(扁平上皮癌および腺癌)術後凍結材料20例におけるXIAPの発現を検討した。その結果、ヒト正常肺組織においてはTIG3細胞と同様にXIAPの発現レベルが低く閾値レベル以下であるのに対して、ヒト非小細胞肺癌20例中13例においてはXIAPの発現レベルはH460細胞株と同レベルでありこれらの細胞においてXIAPの過剰発現がapoptosis阻害に関わっていることが示唆された。

3.IAPを標的としたペプチドの抗腫瘍効果を検討するため細胞透過性のポリアルギニン結合型SmacN7ペプチドを合成した。FITC標識ペプチドを合成して調べた結果、6アルギニンおよび8アルギニン結合型のSmacN7は共に複数の癌細胞に効率よく取り込まれ、特に8アルギニン結合型のSmacN7(SmacN7(R)8)がより効果的な細胞内蓄積を認めた。

4.H460細胞においてcisplatin及びtaxolと併用した結果、これらの薬剤による細胞死誘導効果がSmacN7(R)8併用によって強く増強されることが分かった。この作用はXIAPによるapoptosome阻害が起きているH460細胞に選択的であり、ヒト正常肺TIG3細胞に対しては認められなかった。さらにその際のアポトーシス実行系の活性化を調べるためcaspaseの活性化を検討した。その結果、cisplatinとtaxol処理後のcaspase-3の活性がSmacN7(R)8の併用によって強く上昇した。さらにH460細胞をヌードマウスに移植したxenograftを作成しin vivoでのSmacN7(R)8の抗腫瘍効果を検討したところ、cisplatinによる腫瘍増殖抑制効果はSmacN7(R)8との併用によって強く増強された。これらの結果からIAPを標的とする細胞透過性のSmacN7(R)8ペプチドがin vitro及びin vivoにおいて副作用を起こすことなくヒト非小細胞肺癌に対して抗癌剤との併用により腫瘍増殖抑制増強効果を示すことが明らかとなった。

 以上、本論文はヒト非小細胞肺癌においてXIAPの発現がその化学療法剤耐性に重要な働きをしていることを明らかにした。また、XIAPによるapoptosome阻害には濃度的閾値が存在し、少なくともヒト正常肺組織においてはその発現レベルは阻害の閾値以下であることから、発現亢進のある癌細胞においてXIAPが化学療法の選択的標的となりうることが示唆された。さらにIAPを標的とする新しい細胞透過性ペプチドSmacN7(R)8を合成し、それがin vitro及びin vivoにおいてヒト非小細胞肺癌の腫瘍増殖を抗癌剤との併用で有効に抑制することを示した。本研究はヒト非小細胞肺癌に対するより有効性の高い新たな化学療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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