学位論文要旨



No 118390
著者(漢字) 水谷,尊志
著者(英字)
著者(カナ) ミズタニ,タカシ
標題(和) PI3-キナーゼ阻害剤ワートマンニンの全合成
標題(洋)
報告番号 118390
報告番号 甲18390
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1023号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴�ア,正勝
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 金井,求
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 ワートマンニン(1)は、PI 3-kinaseに対して非常に強力、かつ特異的な阻害活性を有し、それら酵素研究におけるバイオロジカルツールとして広く認識されている化合物である。しかしながら現時点では、このような興味深い生理活性を持つ反面、自身の高い毒性故に、臨床応用には至っていない。それに加えて、強固なステロイド骨格を母核とすると同時に、非常に反応性の高い、特異なフラノシクロヘキサジエノンラクトン構造を合わせ持つため、天然物からの変換による効果的な誘導体創製が困難であることも、臨床応用へと発展しない理由の一つと考えられた。これらの背景の下、1996年に、当柴崎研究室の佐藤らによりヒドロコルチゾンを出発物質とするワートマンニン(1)の初の化学合成が達成された1。しかしながら、既存のステロイド骨格からの変換は、今後必要性が増すと考えられる多様な誘導体創製に際し、多くの制限が伴うと予想された。そこで筆者は、有機合成化学的な興味と共に、柔軟で、多様な誘導体合成に適用可能な、ワートマンニン(1)の全合成を目指し、研究を行った。

【逆合成解析】

 まず、ワートマンニン(1)の活性発現中心である不安定なフラン環部位は合成の最終段階で構築することとし、その前駆体となるラクトン体2を重要中間体と設定した。そのラクトン体2は、エステル結合部位で切断することで3へと逆合成される。その3は、ジオスフェノールアリルエーテル4のdiosphenol-Claisen転位反応を経て構築できると想定した。その4は三環性化合物5より変換可能と考え、5は、化合物6の分子内Heck反応により、生成する4級炭素の立体化学を制御して構築することを計画した。6は、ラセミ体として既知の化合物7より、変換可能と考えた(Scheme 1)。

【Heck反応前駆体の合成】

 ラセミ体である7の、ケトエステル部位のアリル化、5員環上ケトンの選択的アセタール化、脱メトキシカルボニル化により、アリル体9へ導いた。次に、9をエノールシリルエーテルに変換後、mCPBAによるエノールの選択的エポキシ化、続いてフッ化アンモニウムにより処理することで、α-ヒドロキシケトンへと導いた後、酢酸銅(II)を用いた酸化、続くDBU処理により、熱力学的に安定なジオスフェノールが単一化合物として得られた。そのジオスフェノールの水酸基をトリフラートに変換後、精製し、効率良く10を得た。続いて、得られた10のエノンを1,2-還元し、生じる水酸基をSEM基で保護した後、スズキクロスカップリングにより側鎖を伸長して、Heck反応前駆体13を合成した(Scheme 2)。

【重要中間体の合成】

 化合物13を用いた分子内Heck反応により、生じる4級炭素の立体化学を制御して構築することに成功した。ここでこのHeck反応において、11位に相当する水酸基の立体及び保護基の選択が、生じる4級炭素の立体選択性発現に重要であった。続いて、SEM基の脱保護、酸化、還元を経て11位の立体反転を行った後、エノールエーテル部位の四酸化オスミウムによる酸化、得られるヒドロキシアルデヒドの還元によりジオール16を得た。そのジオール16は、酸化銀(I)を用いる一級水酸基の選択的メチル化、二級水酸基のアセチル化、アリル位の酸化を経てエノン18としたのち、そのカルボニルを足掛かりに5工程でジオスフェノールアリルエーテル19を効率よく合成することに成功した。その19を用いたdiosphenol-Claisen転位反応は、封管を用いて200°Cで加熱することにより円滑に進行し、続いて生じたジケトンを還元の後、環状オルトエステル21へと変換した。その後、末端オレフィンの酸化的切断によりアルデヒド22とし、アセチル基の除去、生じるラクトールのTPAP酸化により、重要中間体のラクトン23の合成に成功した(Scheme 3)。

【全合成の達成】

 ラクトン骨格の構築に成功したことから,残る課題はフラン環構築に絞られた。そのフラン環構築に必要な一炭素ユニットは、ラクトン23のアミノメチレン化反応により導入することができた。その後、不安定なエナミン部位をメチルエノールエーテルへと変換し、環状オルトエステルを除去してジオール27を得た。このジオール27は、PDC酸化、続くSwern酸化と段階的に酸化することでジオスフェノール29へと変換された。続いて、この29を用いてフラン環形成を検討した結果、メトキシ基を再度アミノ基で置換の後、酸処理することで、アセタールの脱保護と共にフラン環の構築に成功した。最後に、TBS基の除去、生じた水酸基のアセチル化によりワートマンニン(1)のラセミ体での初の全合成を達成した2、3、4、(Scheme 4)。

【触媒的不斉全合成の検討】

 医薬品のキラリティー制御の重要性は、関連する様々な事例の存在からも明白である。そこで筆者は共同研究者と共に、最終的に本全合成を真に効率的な触媒的不斉全合成へと発展させるべく、新たに検討を行った。その方法論として、CD環部位の、有機分子触媒を用いた分子内不斉アルドール縮合による構築を選択した(Scheme 5)。

 その結果、容易に大量に合成可能な32を基質とし、フェニルアラニンを触媒として、良好な収率および不斉収率にて、ワートマンニン(1)の有力なキラル合成前駆体となる化合物33を得ることに成功した(Table 1)。加えて本反応は、筆者の知る限りこの種のC環上に側鎖を有する化合物の合成において、触媒量のアミノ酸で反応が進行した、初の成功例である3。今後は、本反応条件の最適化および、化合物33の光学活性な1への変換を検討する予定である。

【結語】

1)PI 3-キナーゼの特異的かつ非常に強力な阻害剤であるワートマンニン(1)の、分子内Heck反応およびdiosphenol-Claisen転位反応を鍵反応とした,ラセミ体ではあるものの初の全合成を達成した。本研究成果は今後,新規バイオロジカルツールの創製および新たな医薬の創製に有益な情報を与えるものと考える。

2)ワートマンニン(1)の触媒的不斉全合成に向けた検討の結果,フェニルアラニンを用いた触媒的不斉閉環反応により,ワートマンニン(1)のキラルな合成前駆体となりうる化合物の触媒的不斉合成に成功した。

【参考文献】

1) Sato, S.; Nakada, M.; Shibasaki, M. Tetrahedron Lett. 1996, 37, 6141-6144. 2) Honzawa, S.; Mizutani, T.; Shibasaki, M.Tetrahedron Lett. 1999, 40, 311-314. 3) 水谷尊志、本澤忍、戸崎慎也、重久浩樹、柴崎正勝、第44回天然有機化合物討論会講演要旨集, 2002, 43-48. 4) Mizutani, T.; Honzawa, S.; Tosaki, S.; Shibasaki, M. Angew. Chem. Int. Ed.2002, 41, 4680-4682.

Scheme 1. Retrosynthetic Analysis

Scheme 2. Synthesis of Substrate for Heck Reaction

Scheme 3. Synthesis of Key Intermediate Lactone

Scheme 4. Total Synthesis of (±)-Wortmannin

Scheme 5. Synthetic Plan

able 1. Preliminary Results of Asymmetric Intramolecular Cyclization

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【序】

 ワートマンニン(1)は、PI 3-kinaseに対して非常に強力、かつ特異的な阻害活性を有し、それら酵素研究におけるバイオロジカルツールとして広く認識されている化合物である。しかしながら現時点では、このような興味深い生理活性を持つ反面、自身の高い毒性故に、臨床応用には至っていない。それに加えて、強固なステロイド骨格を母核とすると同時に、非常に反応性の高い、特異なフラノシクロヘキサジエノンラクトン構造を合わせ持つため、天然物からの変換による効果的な誘導体創製が困難であることも、臨床応用へと発展しない理由の一つと考えられた。これらの背景の下、1996年に、柴崎研究室の佐藤らによりヒドロコルチゾンを出発物質とするワートマンニン(1)の初の化学合成が達成された。しかしながら、既存のステロイド骨格からの変換は、今後必要性が増すと考えられる多様な誘導体創製に際し、多くの制限が伴うと予想された。そこで水谷尊志は、有機合成化学的な興味と共に、柔軟で、多様な誘導体合成に適用可能な、ワートマンニン(1)の全合成を目指し、研究を行った。

【ワートマンニンの全合成】

 ラセミ体として既知の2より導かれる3のスズキクロスカッリング、続く分子内Heck反応により、生じる四級炭素の立体化学を制御して構築することに成功した。続いて、各種官能基変換の後、ジオスフェノールアリルエーテル6を合成し、その6を用いたdiosphenol-Claisen転位反応により、立体的に非常に混み合ったネオペンチル位へ炭素鎖を導入する事に成功した。そしてその炭素鎖を足がかりとして、重要中間体のラクトン8の合成に成功した。続いて、フラン環形成に必要な一炭素ユニットを、8のアミノメチレン化反応により効率的に導入した後、酸化、脱保護等を経て、ワートマンニン(1)のラセミ体での初の全合成を達成した。(Scheme 1)

【触媒的不斉全合成の検討】

 医薬品のキラリティー制御は、関連する様々な事例の存在からも重要な問題と考えられる。そこで水谷尊志は共同研究者と共に、最終的に本全合成を真に効率的な触媒的不斉全合成へと発展させるべく、新たに検討を行った。その方法論として、CD環部位の、有機分子触媒を用いた分子内不斉アルドール縮合による構築を選択した(Scheme 2)。

 その結果、容易に大量に合成可能な12を基質とし、これまでに、フェニルアラニンを触媒として、良好な収率および不斉収率にて、ワートマンニン(1)の有力なキラル合成前駆体となる化合物11を得ることに成功している(Scheme 3)。加えて本反応は、この種のC環上に側鎖を有する化合物の合成において、触媒量のアミノ酸で反応が進行した、初の成功例である。現在は、本反応条件の最適化および、化合物11の光学活性な1への変換の検討が行なわれている。

 以上、本研究成果は今後の医薬開発に重要な情報を提供するものであり、博士(薬学)を授与するに十分値すると判断した。

Scheme 1. Total Synthesis of (±)-Wortmannin

Scheme 2. Synthetic Plan

Scheme 3. Preliminary Result of Intramolecular Asymmetric Cyclization

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