学位論文要旨



No 118394
著者(漢字) 浅海,真
著者(英字)
著者(カナ) アサウミ,マコト
標題(和) N-acetyltransferase活性を介したβ-amyloid産生制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 118394
報告番号 甲18394
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1027号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 講師 東,伸昭
 北海道大学 教授 鈴木,利治
内容要旨 要旨を表示する

 Amyloid Precursor Protein、APPはアルツハイマー病の病理学的特徴である老人斑の主要構成成分、β-amyloid(Aβ)の前駆体として単離された、長い細胞外ドメインと膜貫通ドメイン、短い細胞内ドメインからなる一回膜貫通型受容体に似た構造を持つタンパク質である。現在はAPPの細胞内代謝過程でβ-secretase、γ-secretaseにより切り出され生成されるAβの持つ神経毒性が、シナプスの脱落や神経細胞死を引き起こし、アルツハイマー病を発症させると考えられている(βアミロイド仮説およびシナプス仮説)。実際、家族性アルツハイマー病ではAPP、presenillinの変異によってAβ産生量が増加することが知られており、Aβの産生が神経細胞死の引き金となると広く考えられている。

 当研究室ではこれまでにAPP細胞内ドメインに結合するタンパク質としてhARD1(humanhomologue of yeast ARD1 N-acetyltransferase)を単離した。yeast ARD1はタンパク質のN末端のアミノ酸(特にSerに対する特異性が高い)をアセチル化するN-terminal acetyltransferaseである。これまでに我々はhARD1がAPPの代謝安定化を起こすとともに、Aβ40産生を抑制することを見いだしていたが、その分子機構は明らかではなかった。

 本研究において私は、hARD1にco-factorが存在し、両者の共存下でのみN-acetyltransferase活性を持つこと、その活性はhARD1のacetyl-coenzyme A結合配列にmutationを入れることで抑制されること、そしてhARD1のN-acetyltransferase活性とAβ40産生に相関があることを見いだした。これらの結果はhARD1によるAPP代謝調節の分子機構にhARD1のN-acetyltransferase活性が関与していることを強く示唆するものである。

1. human NAT1のクローニングとhARD1-hNAT1の結合の検討

 データベースを用いた相同性検索の結果、hARD1はyeast ARD1 N-acetyltransferaseの活性ドメインと約60%もの相同性を持ち、また、acetyl-coenzyme A結合配列も保存していることが明らかとなった。この知見を基に、私はhARD1もyeastと同様にN-acetyltransferase活性を保持し、そのN-acetyltransferase活性がAPP代謝調節機構に関与する可能性を考えた。この可能性を検討するため、まずhumanでのN-acetyltransferase活性測定系の確立を行った。

 活性測定系を検討するにあたり、yeastでは約95kDaの分子量を持つNAT1というタンパク質がco-factorとして働くという報告を基に、yeast NAT1のhuman homologueをデータベースから検索した。その結果、yeast NAT1と同様にN末端側にTPR(tetratrico peptide repeat)motifを持ち(humanでは5つ、yeastでは3つ)、yeast NAT1と約40%の相同性を持つ分子を見いだした(GenBank accession number AJ314788)。この分子をHEK293細胞からRT-PCR法で単離し、hARD1との結合を共役免疫沈降法を用いて検討した。その結果、HEK293細胞内での結合を確認した(Fig.1)。

2. N-acetyltransferase活性測定系の確立

 hNAT1を単離しhARD1との結合を確認したので、次にhumanでのN-acetyltransferase活性測定系の確立を行った。活性測定系の確立にあたり、yeastの活性測定系(Lee et al.、 J.B.C.263(29):14948-(1988))を参考にした。この系は、[3H]ラベルされたアセチル基を持つacetylcoenzymeAを用い、ACTH peptideを基質として酵素反応をさせ、反応終了後にACTH peptideをナイロン膜で回収し、転移したアセチル基を液体シンチレーションカウンターで計測するものである。反応条件やナイロン膜の洗浄液の溶液組成など、活性測定系の条件検討を行った結果、hARD1/hNAT1を共発現させたHEK293細胞のlysateでN-acetyltransferase活性を検出した。また、この条件ではhARD1、hNAT1の単独発現下では活性の有意な上昇は観察されなかった。これはhumanでのN-acetyltransferase活性を初めて測定した結果である。

3. hARD1 dominant negative formの同定

 hARD1はそのN末端側のN-acetyltransferase活性ドメイン内にacetyl-coenzymeA結合ループを形成する配列を保存している(amino acid residues 82-87、RXXGXA)。この点を考慮し、そのconsensussequenceであるArg82とGly85をそれぞれAlaに変異させたhARD1(hARD1 R82A、G85A)を作成し、N-acetyltransferase活性への影響を検討した。HEK293細胞にそれぞれのconstructs(hARD1 wt、R82A、G85A、hNAT1)を発現させ、上記で確立した活性測定系を用いてそのlysateの活性を測定した。この結果、hNAT1と共に発現させた場合に活性の低下が観察され、変異による効果はR82A<G85Aであった(Fig.2、ANOVA、significance at p<0.05 or better)。hARD1/hNAT1の共役免疫沈降物を用いた場合も同様の傾向を示した(data not shown)ことから、hARD1 R82AはhARD1 wtのdominant negativeformとして用いることができることが明らかとなった。また、hARD1 G85AはwtとR82Aの中間の活性を示しており、この変異体も後の実験で用いることにした。

4. N-acetyltransferase活性とAβ40産生の相関関係の検討

 これまでの結果から、hARD1 のacetyl-coenzymeA結合配列に変異を入れる(R82A、G85A)ことでN-acetyltransferase活性を欠失、もしくは一部を欠失することが明らかとなったことから、これらの変異体を用いてhARD1のAβ40産生抑制とN-acetyltransferase活性の相関を検討した。実験はHEK293細胞を用い、APP、hARD1(wt、R82A、G85A)、hNAT1を一過的に発現させ、培地中に放出されるAβ40をsandwich ELISA法を用いて測定した。その結果、特にhNAT1と共発現させた場合にAβ40産生量がN-acetyltransferase活性と負の相関を示した(Fig.3、ANOVA、significance at p<0.01 orbetter)。ただ、Aβ40産生量の変化はN-acetyltransferase活性の変化量ほどではないことから、現在のところ、この酵素活性とAb40産生の間には何らかの因子が存在し、そのアセチル化がAβ40産生制御の律速であると考えている。どちらにしろこの結果は、Aβ40産生、さらにはAPPの代謝の分子機構にN-acetyltransferaseが関係していることを示唆した最初の報告である。

総括

 本研究において私は、これまでその分子機構に関してほとんど解明されていなかったhARD1によるAPP代謝制御機構において、そのN-acetyltransferase活性が関与していることを示した。私はN-acetyltransferase活性発現に必須のサブユニットであるhuman NAT1を単離し、その上でhumanでのN-acetyltransferase活性測定系を初めて確立した。次にその活性測定系を用いて、acetyl-coenzymeA結合配列に変異を入れることで、hARD1のN-acetyltransferase活性が欠失、もしくは一部欠失することを明らかにした。さらにそれらのdominant negative formを用いてhARD1のAβ40産生への影響を検討した結果、N-acetyltransferase活性とAβ40産生量の間に負の相関関係があることを見いだした。 現在、アセチル化のAPP代謝調節への関与がどのような機構によって行われているかについて検討を行っている。また、家族性アルツハイマー病患者、孤発性アルツハイマー病患者におけるhARD1の発現を健常人と比較したので、それについても報告する予定である。

Fig.1 共役免疫沈降法によるhNAT1-hARD1間の結合の確認

Fig.2 hARD1/hNAT1によるN-acetyltransferase活性とhARD1 acetyl CoA結合配列の変異による活性の抑制(ANOVA、p<0.05)

Fig.3 N-acetyltransferase活性とAβ40産生抑制との相関の検討(ANOVA、p<0.01)

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 Amyloid Precursor Protein(APP)はアルツハイマー病の病理学的特徴である老人斑の主要構成成分、β-amyloid(Aβ)の前駆体として単離された、長い細胞外ドメインと膜貫通ドメイン、短い細胞内ドメインからなる一回膜貫通型受容体に似た構造を持つタンパク質である。現在はAPPの細胞内代謝過程でβ-secretase、γ-secretaseにより切り出され生成されるAβの持つ神経毒性が、シナプスの脱落や神経細胞死を引き起こし、アルツハイマー病を発症させると考えられている(βアミロイド仮説およびシナプス仮説)。

 神経生物物理学教室では、APP細胞内ドメインに結合するタンパク質がAPPの代謝を調節しており、その異常によりAβの産成量が増大し、アルツハイマー病の発症に至るという仮説のもとに、APP細胞内ドメイン結合タンパク質の同定と機能解析を行ってきた。最近、APP細胞内ドメイン結合タンパク質分子の一つとして、hARD1(human homologue of yeast ARD1N-acetyltransferase)を単離し、hARD1がAPPの代謝安定化を起こすとともに、Aβ40産生を抑制することを見出したが、その分子機構は明らかではなかった。

 そこで、浅海真は、本研究において、hARD1の機能とAPP代謝への関与について調べた。そして、hARD1にco-factorが存在し、両者の共存下でのみN-acetyltransferase活性を持つこと、その活性はhARD1のacetyl-coenzyme A結合配列にmutationを入れることで抑制されること、そしてhARD1のN-acetyltransferase活性とAβ40産生に相関があることを見出した。これらの結果はhARD1によるAPP代謝調節の分子機構にhARD1のN-acetyltransferase活性が関与していることを強く示唆するものである。

1.human NAT1のクローニングとhARD1-hNAT1の結合の検討

 hARD1はyeast ARD1 N-acetyltransferaseの活性ドメインと約60%の相同性を持ち、また、acetyl-coenzyme A結合配列も保存していた。yeastでは約95kDaの分子量を持つNAT1というタンパク質がco-factorとして働くという報告を基に、yeast NAT1のhuman homologueをデータベースから検索した。その結果、yeast NAT1と同様にN末端側にTPR(tetratrico peptide repeat)motifを持ち(humanでは5つ、yeastでは3つ)、yeast NAT1と約40%の相同性を持つ分子を見出した(GenBankaccession number AJ314788)。この分子をHEK293細胞からRT-PCR法で単離し、hARD1との結合を共役免疫沈降法により検討した結果、HEK293細胞内での結合を確認した。

2.hARD1のN-acetyltransferase活性測定

 浅海は、hARD1のN-acetyltransferase活性測定系の確立を行った。hARD1/hNAT1を共発現させたHEK293細胞のlysateでN-acetyltransferase活性を検出した。また、この条件ではhARD1、hNAT1の単独発現下では活性の有意な上昇は観察されなかった。これはhumanでのN-acetyltransferase活性を初めて測定した結果である。

3.hARD1の活性を抑制する変異体の同定

 hARD1はそのN末端側のN-acetyltransferase活性ドメイン内にacetyl-coenzyme A結合ループを形成する配列を保存している(amino acid residues 82-87、RXXGXA)。この点を考慮し、そのconsensus sequenceであるArg82とGly85をそれぞれAlaに変異させたhARD1(hARD1R82A、G85A)を作成し、N-acetyltransferase活性への影響を検討した。HEK293細胞にそれぞれのconstructs(hARD1wt、R82A、G85A、hNAT1)を発現させ、上記で確立した活性測定系を用いてそのlysateの活性を測定した。その結果、hNAT1と共に発現させた場合に活性の低下が観察され、変異による効果はR82A>G85Aであった(ANOVA、significance at p<0.05 or better)。hARD1/hNAT1の共役免疫沈降物を用いた場合も同様の傾向を示した。また、hARD1G85AはwtとR82Aの中間の活性を示した。

4.N-acetyltransferase活性とAβ40産生の相関関係の検討

 これまでの結果から、hARD1のacetyl-coenzyme A結合配列に変異を入れる(R82A、G85A)ことでN-acetyltransferase活性を欠失、もしくは一部を欠失することが明らかとなったことから、これらの変異体を用いてhARD1のAβ40産生抑制とN-acetyltransferase活性の相関を検討した。実験はHEK293細胞を用い、APP、hARD1(wt、R82A、G85A)、hNAT1を一過的に発現させ、培地中に放出されるAβ40をsandwich ELISA法を用いて測定した。その結果、特にhNAT1と共発現させた場合にAβ40産生量がN-acetyltransferase活性と負の相関を示した。ただ、Aβ40産生量の変化はN-acetyltransferase活性の変化量ほどではないことから、現在のところ、この酵素活性とAβ40産生の間には何らかの因子が存在し、そのアセチル化がAβ40産生制御の律速であると考えている。この結果は、Aβ40産生、さらにはAPPの代謝の分子機構にN-acetyltransferaseが関係していることを示唆した最初の報告である。

5.N-acetyltransferase活性がAPPのendocytosisに及ぼす影響

 神経生物物理学教室では、pulse-chase法によるAPP代謝の解析から、hARD1の強制発現によってGolgi体でO型糖鎖修飾を受けた後のmature APPの分解が抑制されることを既に示していた。また、最近10年ほどの間に行われた細胞生物学的な実験から、APPのendocytosisとAβ40産生に関連があることが示唆されている。そこで、浅海は、hARD1/hNAT1によるAβ40産生制御の作用点としてAPPのendocytosisを考え、hARD1とhNAT1を共に発現させた細胞でのAPPのendocytosisを経時的に測定し、コントロールと比較した。その結果、測定値のばらつきが大きく、どの時間でも有意さを検出することはできなかったが、hARD1とhNAT1を共に発現させた細胞でのAPPのendocytosisが抑制されるという傾向を見出した。Aβ40産生にAPPのendocytosisが重要であるというこれまでの知見と考え併せると、この結果は非常に興味深い。

 以上のように、本研究は、hARD1のN-acetyltransferase活性発現に必須のサブユニットであるhuman NAT1を単離し、hARD1のacetyl-coenzyme A結合配列に変異を入れて、N-acetyltransferase活性を欠失した変異体を作成した。そして、それらのdominant negative formを用いてhARD1のAβ40産生への影響を検討した結果、N-acetyltransferase活性とAβ40産生量の間に負の相関関係があることを見いだした。また、その効果はAPPのendocytosisを制御していることによるものである可能性を示した。これらの結果はAPPからAβが産生される機構に関して新たな知見を加えたるのであり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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