学位論文要旨



No 118612
著者(漢字) 寺島,千晶
著者(英字)
著者(カナ) テラシマ,チアキ
標題(和) 導電性ダイヤモンド薄膜における電気化学特性とセンサ素子の機能化に関する研究
標題(洋)
報告番号 118612
報告番号 甲18612
学位授与日 2003.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5631号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 助教授 大越,慎一
 他機関   藤嶋,昭
内容要旨 要旨を表示する

緒言

導電性ダイヤモンド薄膜は,天然ダイヤモンドの持つ優れた物理的,化学的特長を有しつつ導電性を付与した新規な電極材料で,様々な分野で大いに期待されている.これまでに,導電性ダイヤモンド薄膜の電気化学特性として,(i)水溶液中で水の電気分解による酸素発生と水素発生の両反応が大きな過電圧のもとでしか起こらず,非常に広い電位窓を示す,(ii)残余電流が非常に小さい,(iii)天然ダイヤモンドと同様に物理的,化学的に安定である,など電極材として優れた特性を有することが報告されている.また,ダイヤモンド電極は炭素のsp3による強固な結合からなり物理的,化学的に不活性であるものの,その最表面はバルクと異なり有機化合物と同様の反応性を示し,比較的簡単に酸化され酸素終端表面となることが報告されている.一旦酸化したダイヤモンド表面のO/C比は一定で,また四端子法で測定した膜の導電性は酸化前後で不変であることから,酸素終端ダイヤモンド電極は,物理的,化学的,さらに真の意味で電気化学的にも安定な導電性薄膜であると言える.本研究では,ダイヤモンド電極の表面終端を明確に差別化した上で,酸素終端ダイヤモンド電極の電気化学特性を評価し,卓越した特性の出現解析をおこなった.また,耐食性に優れた触媒金属と酸素終端ダイヤモンド電極の複合化により,機能化を図り,センサ素子の一体化を提案した.

研究内容

ジスルフィドの電気化学的酸化反応

ジスルフィドはチオールの酸化体であり,その形態はすでに酸化されているので,通常の電極を使用した電気化学的酸化反応は困難とされている.図1は各種電極材による酸化型グルタチオン(GSSG)のボルタモグラムである.白金電極では,電極表面に形成された白金酸化物が触媒的に働き,表面酸化物が形成される電位領域でわずかに観察される.また,グラッシーカーボン電極では,電極そのものの酸化や酸素発生が伴うこと,さらに電解生成物の吸着などによって安定した測定は困難である.一方,酸素終端ダイヤモンド電極では,二つの明瞭な酸化波が再現良く観測される.本項では,ダイヤモンド電極でGSSGが反応するメカニズムを解明し,広い電位窓内でどのような反応が生じているか検証した.

ダイヤモンド電極の表面終端の違いがGSSGの電気化学反応に及ぼす影響を調べたところ,水素終端に比べ酸素終端では,より負側に二つの明瞭な酸化波が観測された.酸素終端化すると,ダイヤモンド微結晶面に形成されたカルボニル基やヒドロキシル基などの酸素含有基によって,電極表面が負に帯電し,正に帯電したGSSG分子との間に電気的な引力が働き,そのイオン−双極子相互作用は,電気化学的な酸化反応を促進したと考えられた.

電解生成物をLC-MS/MSで解析した結果,主な反応生成物はグルタチオンのシステイン酸類似化合物であった.質量分析の結果から,酸素終端ダイヤモンド電極上でのGSSGの酸化反応機構について,以下の化学式を提案した.

このように水が関与した酸素原子移動反応は水の電気分解によって生成したOH・ラジカルが主に関与していると考えられた.

酸素終端ダイヤモンド電極はジスルフィドに対し明瞭なボルタモグラムを与えた.電極表面の酸素含有基は,酸性溶液中で正に帯電したGSSGとの間に静電引力による相互作用を生み出し,電極近傍に引き寄せられたジスルフィドは,水の電解で生じた,ダイヤモンド表面に物理吸着したOH・ラジカルによって,分子内の硫黄原子への酸素原子移動反応により電気化学的に酸化された.

フェノールの電気化学的酸化反応

フェノール類は電気化学的に酸化されると電極表面上に不導体であるポリマ膜を形成する.フェノール類の酸化反応では,最初に一電子反応によりフェノキシラジカルが形成し,引き続き重合または副反応物が生成される.ポリマ重合による電極表面の汚れのため,フェノール類の酸化反応は致命的な問題を抱えている.本項では,酸素終端ダイヤモンド電極を用いたフェノール類の電気化学的酸化反応による,電極応答の安定性を検証した.

図2Aに示すボルタモグラムは,水素終端ダイヤモンド電極による5 mMの2,4-ジクロロフェノールを連続で測定したときの一回目と五回目を比較したものである.ダイヤモンド電極でさえも水素終端のときは,サイクルを五回繰り返す間に酸化電流が消失した.酸化還元電流が見られないこと,さらにこのような電極をセルから外すと,見た目で膜状のものが電極表面を覆っている事から,不導体層が形成されている事が分かる.

ここで特筆すべきは,失活した水素終端ダイヤモンド電極をそのままの状態で,2.64 Vを印加した陽極酸化処理により,酸化電流が回復した事である(図2B).水溶液系で高い電位をかけたために,ダイヤモンド電極近傍にOH・ラジカルが発生し,電極表面に付着した不導体層を完全に酸化分解させてしまったと考えられる.さらに,陽極酸化した後では,酸化電位が1.0 Vから1.4 Vに大幅に移動した事も注目すべき点である.電位が変動した要因として,酸素終端ダイヤモンド表面の双極子と溶液内のアニオンや中性分子との間に静電的な斥力が働いたためと考えている.さらに興味ある結果として,酸素終端ダイヤモンド電極では,ボルタモグラムを連続して測定しても酸化電流の減少はほとんど見られなかった(図2B).この結果は,フェノールの酸化反応過程において,フェノールそのものや反応生成物の吸着がない事,そして不導体化層の形成がない事を示している.ダイヤモンド表面に形成された酸素含有官能基は,ダイヤモンド微結晶の面に沿って蜜に配列しており,負な表面双極子領域を形成している.それゆえ,この領域がフェノールやその反応物であるフェノキシラジカルを反発し,結果として,吸着がほとんど見られず,また,酸化電位も正側へ移動したと考えられた.

酸素終端ダイヤモンド電極はフェノール類の安定した電気化学反応を可能にした.また,酸素終端ダイヤモンド電極は,比較的高い酸化電位(2.64 V vs SCE)を印加しても,電極履歴を変えることなく,その場での再生が可能であった.電気化学的に生成したOH・ラジカルが,電極自身を損傷させることなく不導体化被膜のみを完全に破壊してくれるので,電流応答の回復が可能であった.

ダイヤモンドセンサデバイスの創製と電気化学特性

今まで述べてきたように,酸素終端ダイヤモンド電極は卓越した特性を持ち,優れた電気化学センサ材料と言える.また,酸化イリジウムは導電性貴金属酸化物であり,触媒活性に加えて物理的,化学的に安定で優れた導電性を示すことから,ダイヤモンド同様耐食性に優れたpHセンサ材料として知られている.この安定でpH特性を持つ材料とダイヤモンド電極を複合化させた電極を擬似参照極とし,無垢なダイヤモンド作用極と組み合わせることで,試料のpHに依存しないセンサ素子になると考えた.本項では,このように作製したセンサの電気化学特性を,pHの異なるフェノール溶液に対して測定し,安定な電流応答が得られるかどうかを検証し,半永久的に作動する新規なセンサ素子の提案をおこなった.

酸化イリジウムを微粒子状にダイヤモンド電極に電析させた電極(Γ; 2 μmol cm-2)では,Ir(III)/Ir(IV)の酸化還元波のpH応答性が見られた(図3挿入図).さらに,酸化イリジウムを積層させると(Γ; 2.7 mmol cm-2),酸化イリジウム修飾ダイヤモンド電極の自然電位とpHの関係は,良好な再現性とネルンスト応答を示した(図3)

このpHセンサ電極を擬似参照極,酸素終端ダイヤモンド電極を作用極としたときのフロー系でのアンペロメトリック測定をおこなった.時間の経過とともに溶液のpHが変化する系で,クロロフェノールのフローインジェクション測定した結果を図4に示す.酸素終端ダイヤモンド電極を作用極,Ag/AgClを参照極とし,印加電位を0.9 V(a)および1.4 V(b)で測定した結果,0.9 Vのときベースラインは安定しているものの,pHが低いときはシグナルが小さくpHが高くなるに従い応答が限界電流値を示すようになった.一方,印加電位が高い場合(b),pHが低いときでもクロロフェノール応答は高く一定であった.しかし,ベースラインの上昇が見られ,また高い残余電流のためにシグナルの減少も見られた.酸素終端ダイヤモンド電極を作用極,酸化イリジウム修飾ダイヤモンド電極を擬似参照極とし,0.9 Vを印加した結果(d),ベースラインの大きな変動もなく,応答電流も一定であった.

フェノールのようなpH依存性のある試料に対して,pHセンサ電極を擬似参照極として使用した結果,フェノールのpKa以下ではpHに依存しない酸化応答が確認された.この結果は,小型な高機能センサデバイスの実現を示唆するものである.

結論

酸素終端ダイヤモンド電極における電気化学反応は,電極表面と反応種との静電相互作用と水の分解で生成したOH・ラジカルによる電子授受が関与した特異な反応による事を明らかにした.広い電位窓を活用した電気化学反応が可能であり,貴な酸化還元電位をもつジスルフィドの電気化学的酸化反応が可能であった.また,フェノール類の安定した電気化学反応を可能にし,電極履歴を変えることなくオンラインで再生させることも可能にした.さらに,pHセンサ材料である酸化イリジウムと複合させ,擬似参照極として使用できたことは,試料のpHに影響を受けず,電極の安定性に優れた,半永久的に作動する新規なセンサ素子の可能性を示唆していた.

Cyclic voltammograms for 1 mM GSSG in pH 2 Britton-Robinson buffer at (A) anodically oxidized diamond, (B) glassy carbon, and (C) platinum electrodes. The sweep rate was 0.1 V s-1. Thin lines represent background current.

Cyclic voltammograms for a high-concentration (5 mM) 2,4-dichlorophenol in Britton-Robinson buffer (pH 2) at diamond electrodes. (A) At the as-deposited diamond, due to high concentration, electrode fouling was observed after the fifth cycle. (B) After fouling was observed, the electrode was subjected to electrochemical treatment at 2.64 V for 4 min in order to examine the possibility of reactivation.

Dependence of rest potential on pH for the iridium oxide modified diamond electrodes. Amount of iridium oxide deposited was 2.7 μmol cm-2. (inset) CV behavior for IrOx-BDD electrode (Γ; 2 nmol cm-2) in various pH solution (pH; 1.8, 3.8, 5.8, 7.7, 9.5, and 11.3).

Flow injection analysis and the pH profile in pH gradient program. (a) BDD-WE 0.9 V vs Ag/AgCl, (b) BDD-WE 1.4 V vs Ag/AgCl, (c) GC-WE 1.2 V vs Ag/AgCl, (d) BDD-WE 0.9 V vs IrOx-BDD, and (e) pH profile.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は八章より構成されており,導電性ダイヤモンド薄膜の特性を有効利用した電気化学分析への応用を主眼において,ダイヤモンド電極の卓越した特性とそのセンサ素子の機能化について述べている.第一章では問題の設定と研究の方向づけがなされ,第二章以降に具体的な研究成果を示している.最後の章は全体の総括と研究に関する将来展望を述べている.

第一章は序論であり,ダイヤモンドの物性,合成方法,ボロンドープダイヤモンドの特性および電気化学特性について概要が述べられ,電気化学分析に応用された事例が紹介されている.論文提出者は,ダイヤモンド電極が物理的,化学的に不活性であるものの,その最表面はバルクと異なり比較的簡単に酸化され酸素終端表面となること,そして酸素終端ダイヤモンド電極は真の意味で電気化学的にも安定であることに注目し,酸素終端ダイヤモンド電極の電気化学分析への応用に問題提起をおこなっている.

第二章では,酸素終端ダイヤモンド電極の広い電位窓を利用した酸化体であるジスルフィドの電気化学的酸化反応について述べている.チオールおよびジスルフィドの電極反応機構を解明し,広い電位窓内でどのような反応が生じているかを明らかにしている.酸素終端ダイヤモンド表面の酸素含有基は,酸性溶液中で正に帯電した反応種との間に静電引力による相互作用を生み出し,電極近傍に引き寄せられたジスルフィドが,水の電解で生じたダイヤモンド表面に物理吸着したOH・ラジカルによって,分子内の硫黄原子への酸素原子移動反応により電気化学的に酸化されたことを示している.さらに,このような反応が低い残余電流の中で発生している点で,酸素終端ダイヤモンド電極は他の電極と大きく異なり,ダイヤモンド電極の優れた特長となっていることを明らかにしている.

第三章では,酸素終端ダイヤモンド電極を用いて,電極失活物質として知られるフェノールの電気化学的酸化反応を検証し,電極応答の安定性を検討した結果について述べている.ダイヤモンド電極でさえ水素終端のときは電極表面に不導体層が形成されて電流応答の消失が見られ,酸素終端ダイヤモンド電極では不導体化層の形成がない事を示している.その要因として,ダイヤモンド表面に形成された酸素含有基と電極活物質との間の静電相互作用により,フェノールおよびフェノキシラジカルのような不導体化被膜の前駆体物質が電極近傍から反発を受けて酸化反応していることを示唆している.さらに,酸素終端ダイヤモンド電極は電極履歴を変えることなく,反応活性の高いOH・ラジカルを発生させるような高い電位をかけることで,電極表面に付着した不導体層を完全に酸化分解できることを明らかにしている.この特性は酸素終端ダイヤモンド電極に特有で,簡便で再現性のある電極回復操作法を示唆している.

第四章および第五章では,酸素終端ダイヤモンド電極を電気化学分析へ応用した結果について述べている.第四章では,酸素終端ダイヤモンド電極が貴な酸化還元電位を持つジスルフィドおよびチオールの酸化反応を低い残余電流の中で行えることから,液体クロマトグラフィで分離した生体試料中の還元型グルタチオンと酸化型グルタチオンの同時分析へ応用した結果を述べている.このグルタチオンの還元体と酸化体の比は良好な酸化ストレスマーカであり,ダイヤモンド電極によるLC-アンペロメトリック分析法は,試料を誘導体化処理することなく直接酸化検出できるため,簡便で迅速な,そして高感度分析法であることを示している.また第五章では,ダイオキシンの前駆体として知られるクロロフェノールの高感度分析法について述べている.酸素終端ダイヤモンド電極がフェノールの電極反応に耐性があり,また,オンラインで電極を再生させることができ,長期に渡る分析が可能であることから,都市ゴミ焼却施設からの排ガス連続分析へ適応できることを示唆している.

第六章では,電極触媒である酸化イリジウムと酸素終端ダイヤモンド電極を複合化させた機能性電極による,過酸化水素センサおよびpHセンサの作製とセンサ特性について述べている.微粒子状から薄膜に至るまで酸化イリジウムの形態を制御できる手法を見出し,微粒子状に電析した酸化イリジウム修飾ダイヤモンド電極は,ナノアレイ電極効果によってバルクの白金電極に比べ過酸化水素に対する応答が10倍程度向上し,一方,酸化イリジウムでダイヤモンド表面を完全に覆った電極は,再現性に優れたpHセンサであることを示している.

第七章では,ダイヤモンド電極による新規な機能性センサ素子の提案がなされており,その提案に基づいた基礎的な電気化学特性について述べている.酸化イリジウム修飾ダイヤモンド電極は,pHセンサの機能を有したまま,参照極としても十分に働いていることを示し,作用極である酸素終端ダイヤモンド電極と組み合わせることで,フェノールのpKa以下ではpHに依存しない酸化応答を示すこと,さらにこの応答は再現性に優れていることを明らかにしている.つまり,基板に絶縁性ダイヤモンドを使用し,無垢なダイヤモンド電極を作用極および対極に,そして酸化イリジウムで修飾したダイヤモンド電極を擬似参照極としたワンチップ化ダイヤモンドセンサは,試料のpHに影響を受けず,電極の安定性に優れた,半永久的に作動する新規なセンサ素子となる可能性を示唆している.

第八章では,本研究で得られた成果を総括し,今後の展望について述べている.

本論文における結果は,酸素終端ダイヤモンド電極の卓越した出現特性の解明に実験的側面から重要な役割を果たしており,また,その特性を有効に活用した電気化学分析法の確立もなされている.さらには,センシング対象を拡げるために触媒金属で修飾し,付加価値の高いアウトプットを意識したセンサ素子の一体化も提案されており,実用面において高く評価でき,今後の電気化学分析の発展に資するところ大である.

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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