学位論文要旨



No 118654
著者(漢字) 窪田,三喜夫
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,ミキオ
標題(和) 言語形式を重視した指導における肯定証拠と否定証拠の役割 : 日本人英語学習者の文法的発達
標題(洋) The Role of Positive and Negative Evidence in Form-Focused Instruction : Japanese EFL Learners' Grammatical Development
報告番号 118654
報告番号 甲18654
学位授与日 2003.11.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第452号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,秀夫
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 教授 Rossiter,Paul
 名古屋外国語大学 教授 松野,和彦
 桜美林大学 教授 森住,衛
内容要旨 要旨を表示する

現在、日本では、リスニング能力とスピーキング能力の向上を目標に、コミュニケーション重視の授業が少しずつ行われるようになってきた。しかし、最近のコミュニカティブ言語教育 (Communicative Language Teaching) では文法指導が軽視される傾向にあり、その結果、意図している内容を伝えることはできるが、文法を正しく用いることはできないという現象が生じた。そこで、コミュニケーション活動を通じた意思伝達能力の習得を授業の目標に据えながら、適宜、学習者に言語形式を意識させるという指導法 (focus on form, Long 1991) が提唱されている。先行研究で、言語形式を重視した指導は学習者が中間言語文法を再構築する際に効果的であると実証されたが、具体的にどのようなインプットが最も効果的であるのかに対して明確な答えは出ていない。よって、本論文では、教師によるどのようなインプットが、文法の(再)構築に有益であるのかを実証的に研究した。特に、明示的文法知識の指導が、文法習得にどのような効果を及ぼすかの実証が本研究の目的である。更に、実験によって得た量的データを古典的テスト理論と項目応答理論の2つの側面から分析することにより、分析の信頼性を高めると共に、2種類の統計的分析の差に関しても検討した。研究課題は、以下の6点である。

(1) どのようなインプットが、文法的知識と文法的コントロールの正確度の上昇に効果的であるのか。

(2) どのようなインプットを与えることにより、指導の効果が長期的に持続するのか。

(3) 測定値の変動は、指導によるものなのか。

(4) 古典的テスト理論と項目応答理論に基づく分析結果に統計的な違いがあるのか。

(5) 項目応答理論による個人能力推定値の分析において、2種類の統計プログラム (BILOG,RASCAL) により、違いは生じるのか。

(6) 項目応答理論に基づく差異分析では、どの項目タイプで統計的な差異が生じるのか。

本研究では、コミュニケーションを重視した通常の授業での言語活動終了後に、以下のような指導を各実験群 (a) 〜 c に対してそれぞれ行った (参照Carroll and Swain 1993)。

(a) 肯定証拠

(b) 肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報

(c) 学習者の反応に対する明示的な否定と肯定証拠

肯定証拠とは、意味が明確な場面であるかを問わず、教師が文法的に正しい英文を提示することを指す。否定証拠とは学習者が用いた言語形式に対して、教師が非文法的であると指摘することを意味する (Sharwood Smith 1994)。明示的メタ言語情報とは、文法解説を指す。実験1・2・3では、上記の (a)・(b)・c の指導を、実験4では (a) と (b) の指導をそれぞれ行った。

コミュニケーションを重視した授業をうけている日本人英語学習者 (大学生 − 実験1・2 : 各96名; 実験3: 63名; 実験4: 90名) を対象に、以下の手順でテストを実施した。

「プリテスト」− 指導前に実施

「ポストテスト1」− 指導直後、1週間後のいずれかに実施

「ポストテスト2」− 1ヶ月後に実施

実験1・2・4では以下の2種類のテスト (文法テストおよび産出テスト) を、 実験3では 1種類のテスト (産出テスト) をそれぞれの被験者群に実施した。

文法テスト − 文法的知識 (宣言的知識) に関するデータを引き出す際には、文法性判断テストを用いた。

産出テスト − 文法的コントロール (手続き的・産出的知識、宣言的知識) に関するデータを得る際には、和文英訳テストあるいは絵記述テストを用いた。

各実験で用いられた目標の文法項目は、以下の通りである。

実験1 − 前置詞付き動詞、句動詞 (prepositional/phrasal verbs)

実験2 − 心理動詞 (psych-verbs)

実験3 − 関係節 (relative clauses)

実験4 − 拠格交替 (locative alternation)

4つの実験におけるデータは、分析の信頼性を高めるために、古典的テスト理論と項目応答理論を用いてそれぞれ分析を行った。群間の差を検定した際に用いられた能力特性推定値は、古典的テスト理論による正答数に基づく測定値を変換して得られた数値である。

4つの実験の結果により、主に次のような点が実証された。

全実験において「肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報」という指導が、他の指導と比べて文法的正確度の上昇に対し効果があった。学習者の文法的知識が(再)構築され、文法的コントロールも高まった。文法項目のタイプやメタ言語情報のタイプ (形式的 vs. 認知的) にかかわらず、同じ結果が得られ、上記の指導が最も効果的であることが明らかになった。特に、産出テストではその指導効果が1ヶ月にわたって持続した。本実験の結果は、口頭産出による追加実験を行うことにより、その妥当性を検証した。

指導が全体の測定値の変動に及ぼす影響を分析するために、オメガ関連度の測定を行った結果、本実験では、指導に対して大きな効果や中程度の効果が見られ、このことにより本実験の結果の妥当性が確認された。

項目応答理論に基づく差異分析の結果、実験1・4の産出テストで、「肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報」という指導により、被験者は与えられたインプットに基づいて学習を一般化することができた。また、実験1では、*take up itのような「動詞 + 小辞 (particle) + 代名詞it」の例外的な誤りに対しては、上記の指導が不可欠であることが項目応答理論に基づく差異分析で実証された。

古典的テスト理論と項目応答理論による分析の統計的違いに関しては、4つの実験すべてにおいて、古典的テスト理論による分散分析の交互作用の過小推定は見られなかった。日本のEFL環境において、項目応答理論が古典的テスト理論と同じように、実用可能であることが具体的に示された。

以上のように、「肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報」という指導が、学習者の文法発達に最も効果的であることが、要因実験計画法によって明らかになった。この手法は、日本での英語クラスルーム・リサーチでは殆ど用いられていない。また、古典的テスト理論と項目応答理論による2種類のデータ分析という独創的な観点から、上記の指導の有効性が実証された。本研究は、流暢さに主眼を置くコミュニケーション重視の指導を行うのと同時に、文法的正確性を伸ばすために、肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報を提示することの必要性を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、どのような言語インプットが文法発達に貢献するのかを、日本における外国語としての英語 (EFL) 学習者を対象にした実証的な実験によって、明らかにすることである。本論文は、Introduction、Part I (Chapter 1)、Part II (Chapter 2-5)の3部構成となっている。Introduction では、最近の外国語教育の動向と日本における英語教育の現状が述べられている。Part IのChapter 1では、先行研究が詳細にわたり解説され、明示的知識、言語形式を重視した指導の理論的基盤、言語習得研究で用いられる用語、第一言語獲得における言語インプットの重要性、第二言語習得におけるインプット補強法や言語形式への注意の役割についてまとめている。また、欧米において研究・実践されているfocus on form の実験結果を紹介しながら、これまでの49例の実証的な実験をメタ分析した研究 (Norris and Ortega 2001) を取り上げ、明示的指導は、非明示的指導よりも指導効果があるが、コミュニケーション活動時に学習者に言語形式に注目させるfocus on form と 言語形式のみの指導を行うfocus on formS の指導効果度には統計的な差がないという点を強調している。更に、オンライン・エラー対処法の研究上の問題点を指摘している。

Part II の Chapter 2 では、本論文で行った4種類の実験に関する概要が述べられ、研究目的・研究課題・仮説・言語材料・データ分析の点から4実験に共通する枠組みをまとめている。教師によるどのような言語インプットが、学習者の文法(再)構築に有益であるのか、特に、明示的文法知識の指導が、文法習得にどのような効果をもたらすのかを検証している。また、実験で用いられる文法項目の選択基準やデータ分析方法が解説されている。特に、従来から用いられている古典的テスト理論に基づく分析のみならず、項目応答理論に基づく分析を本研究では行うため、これら2つのデータ分析方法の違いについて統計学的に考察している。

Chapter 3 は、4種類の本実験を1つずつ紹介し、各実験独自の概要、結果、討論を順に述べている。各実験群に対して行っている指導内容として、コミュニケーションを重視した通常の授業での言語活動終了後に、(a) 肯定証拠、(b) 肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報、(c) 学習者の反応に対する明示的な否定と肯定証拠、がある。日本人大学生の英語学習者を対象に、プリテストを指導前に、ポストテスト1 を指導直後、ないし1週間後に、ポストテスト2 を指導の1ヶ月後に実施している。文法判断と産出に関する2種類のテストを実験1・2・4で、産出テストを実験3で実施している。実験で用いた文法項目は、実験1では、前置詞付き動詞・句動詞、実験2では心理動詞、実験3では関係節、実験4では拠格交替である。

Chapter 4のDiscussion では、全実験の結果と、その結果に至った要因をまとめている。4実験の結果、「肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報」の指導が全実験で最も指導効果があり、被験者の文法的な正確度が増した。特に、産出テストでは、この指導の効果が1ヶ月間保持された。項目応答理論による差異分析も行われ、学習の一般化の現象を立証している。更に、言語形式を重視した指導における認知的なモデルを提示している。また、Discussion では日本人英語教師への文法アンケートの結果を紹介して、本実験で得られたデータに基づく結果と一致することを指摘している。更に、口頭産出による追加実験の結果が紹介され、本実験を裏付ける結果が得られた点も記述されている。最終章のChapter 5の結論では、本研究の全体のまとめと、本研究の問題点とこれからの研究課題に関して述べている。

以上の通り、本研究は、日本における英語学習におけるメタ言語知識の重要性を、4つの本実験と1つの追加実験のデータ分析により明らかにしており、実際の外国語教育現場で大いに参考になる知見や研究方法・教育上の示唆が数多く含まれている。

本研究で特筆すべき点の第一は、独自性に富んでいることである。これまで、第二言語としての学習者を対象としたデータに基づく研究は海外では行われてきたが、日本では本格的な実証実験は存在せず、精密な実験手法による本研究は、その点で優れている。1つの大実験を行うのではなく、4種類の中規模実験を同じ実験課題のもとで行うことによって、実験結果の再現性を確認し、結果の信頼性を高めている。更に、古典的テスト理論と項目応答理論の両面からデータ分析をしていることは、データ分析の信頼性を高めるのに役立っており、高く評価されるべきであろう。

第二に、本論文は自然科学の論文と同じような明瞭性がある。研究目的に基づいて、実験を構築し、データを集め、分析し、解釈を加えるという手法である。また、Chapter 1 で本研究目的の策定においては、先行研究の概要を簡潔にまとめ、本研究に密接に関与する研究成果を中心に整理しており、後学への良い指針となると思われる。

第三の点として、社会人として博士課程に入学後、8年間をかけて、膨大なデータを蓄積し、それまでの研究・教育経験と知識を以って、204ページの論文にまとめあげたことは、賞賛に値する。

しかしながら、本研究に今後取り組むべき問題点がないわけではない。実験で用いられたテスト項目の内容を、ポストテストで繰り返すのではなく、同じ目標文を用いながら単語や場面が若干異なるテスト項目を作成する必要がある。本論文提出者も指摘しているが、例えば、フィードバック項目と推量項目をそれぞれ20問以上含むテストを作成し、この項目タイプによって指導効果度が異なる可能性を今後検証すべきである。また、各実験で行われたメタ言語情報の指導内容に関して、特に実験4では、Pinker (1989)の枠組みを用いれば、更に認知的レベルの高い文法説明を学習者に提示できたと思われる。今後、メタ言語情報の指導の質の面からの追実験が必要であろう。

更に、文法学習の研究において、認知心理学での記憶研究の成果を活用することが求められよう。文法項目のタイプによって、記憶に基づく文法学習が促進されることもあれば、構造規則に基づく学習が促進されることもあると考えられる。文法項目のタイプによって、学習プロセスや効果的文法指導方法が異なることが予測される。

また、日本人英語学習者にとって、どのような項目が習得の難易度が高いのか、あるいは低いのかを、学習者コーパスを構築することによって、今後明らかにする必要がある。本論文では、大学生を対象とし、4種類の本実験のうち、3実験で既習の文法項目を、1実験で新出項目を扱い、「肯定・否定証拠と明示的メタ言語情報」を用いた指導が、有効であるという結果を得た。しかし、同様の指導が全ての学習レベルにおいて有効であるかどうかは、まだ明らかでない。中学生・高校生を対象とした実験を組み、言語能力に応じた的確な文法指導法の検討が早急になされるべきであろう。

このように、本研究で解決されていない点や、今後早急に追実験を行う必要のある部分もあるが、本研究の理論的・実践的基盤をゆるがすものではない。本論文の学問的・実践的な意義と貢献は、いささかも疑う余地がなく、本論文のような実証的研究が言語習得・外国語教育界で盛んになっていくことを望む。今後、本博士論文提出者が更に研鑚を積み、クラスルーム・リサーチを推進させ、量的研究と質的研究をうまく融合させながら、外国語学習の理論と実践の掛け橋となる「データに基づく」実験を積み重ねていくことが期待される。

従って、本審査委員会は、博士 (学術) の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク