学位論文要旨



No 118795
著者(漢字) 緒方,芳子
著者(英字)
著者(カナ) オガタ,ヨシコ
標題(和) 1次元格子系における非平衡特性
標題(洋) Non-equilibrium properties of one-dimensional lattice systems
報告番号 118795
報告番号 甲18795
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4448号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 羽田野,直道
 東京大学 教授 河東,泰之
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 藤川,和男
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文では、無限にひろがった1次元格子上の自由フェルミオン模型及びXXスピン模型における非平衡特性についての研究を行った。これらはモード間相互作用のない、バリスティックな系の現象をあらわし、その非平衡状態は非自明な物理的特性をしめす。非平衡状態として、以下のような状況を考える。無限にのびた1次元格子模型を、原点を境に左右に二分し、左右が温度の異なる熱平衡状態(あるいは化学ポテンシャルの異なる基底状態)にあるような初期状態を考える。そしてこの初期状態から、系を全系のダイナミクスに基づき時間発展をさせる。この後、時間が無限に経ったあとに系がいたる状態のことを、非平衡定常状態とよぶ。この状態は、T. G. Ho, H. Araki をはじめとする研究者らによってそれぞれ独立に求められた。これは、異なる温度(あるいは化学ポテンシャル)を持った左向き粒子と右向き粒子からなる並進不変な状態である。

本博士論文の主な内容は、1.非平衡定常状態における current(流れ)の特性、2.左右対称でない初期状態から並進不変な非平衡定常状態への拡散(緩和)過程、3.非平衡定常状態の“有効ハミルトニアン”による特徴づけ、4.非平衡定常状態の安定性の研究、である。本研究では、無限系における非平衡現象をとりあつかうための枠組みとして、C*環論を用いた。この枠組みにおいて、無限系そのものを考えることにより、散逸や巨視性の概念を自然に導入することができる。

まず、非平衡定常状態における current の特性については、その外場に対する依存性を調べた。1次元格子上の自由フェルミオン模型及びXXスピン模型の非平衡定常状態は、それが並進不変な状態にあるにもかかわらず、零でない energy current(エネルギー流)が存在する。つまり、この系は、異常な熱伝導をしめす。この energy current は、高温領域と低温領域とで、まったく異なる様相をしめす。高温領域においては、外場が大きくなるにつれて、energy current は増加する。それに対し、低温領域においては、外場が大きくなるにつれて、energy current は減少するのである。低温領域で外場が energy current をおさえる働きをすることは、実際に様々な系における実験で確かめられている。

次に本博士論文では、左右が温度の異なる熱平衡状態、あるいは化学ポテンシャルの異なる基底状態にあるような初期状態から出発したときの拡散過程は、あるスケーリング則に従うことを示した。n番目のサイトに局在した物理量X(n)を考えよう。(例えば、nサイト上のz方向のスピンなどである。)この物理量の時刻tでの期待値を X(n,t) とおく。すると、時間tの十分大きな領域で、X(n,t) はスケーリング則X(n,t)〜Φ(n/t)に従う。このスケーリング関数Φは、初期状態の温度及び、化学ポテンシャルに依存する。本博士論文では、このスケーリング関数を、磁化、磁化流、および、Emptiness Formation Probability (EFP) と呼ばれる確率について求めた。絶対零度で左右の化学ポテンシャルが異なるような初期状態から出発した場合、磁化に対するスケーリング関数は、原点を中心とした平らな部分をもつ。そして、この場合、磁化を表す曲線 は左から右へと、常に単調な変化をしめす。ところが、その一方、左右異なる有限な温度で、温度差が大きく、磁場が小さいような熱平衡状態からはじまったときは、非単調な曲線があらわれる。これは、初期状態の速度分布の結果として記述することができる。

さらに本博士論文では、非平衡定常状態を、何らかの有効ハミルトニアンに対する熱平衡状態ととらえることを考えた。有限系では熱平衡状態は Gibbs 状態として導入するが、無限系では、すべての状態が一つのヒルベルト空間上では表現されないため、この特徴づけは行えない。そのかわりにC*環の枠組みにおいては、Kubo-Martin-Schwinger (KMS) 条件、Gibbs 条件そして Variational Principle という、熱平衡状態をあらわす3つの条件が存在する。これらの条件は、一般には一致しない条件であり、すべての状態が何かの時間発展に対してKMS状態になっているわけでもない。本博士論文では、以下のことを示した。1次元自由フェルミオン模型の非平衡定常状態は、KMS 条件、Gibbs 条件そして Variational Principle すべてによって特徴付けることができる。その一方で、XXスピン模型は、どんな有効ハミルトニアンをとってきても、KMS条件、Gibbs 条件を満たすことはない。しかしながら、XXスピン模型は Variational Principle をもちいて特徴付けることができる。対応する有効ハミルトニアンは、長距離相互作用を持っている。有限系において、XXスピン模型は、Jordan Wigner 変換により、自由フェルミオン模型に書き換えられることが知られている。無限系においても、対応する変換を導入することができる。一見、ふたつの模型は完全に一致し、一方で成立することは、もう一方でも成立するだろうというように考えてしまう。しかし、上の結果は、無限系ではこれが真ではないことを示している。自由フェルミオン模型の非平衡定常状態についてはKMSとするような時間発展がある一方で、XX模型のそれに対応する非平衡定常状態は決してKMS状態にはならない。

最後に、本博士論文においては、非平衡定常状態にたいして有限系を付け加えたときに、それが巨視的に安定か否かという研究を行った。無限系では、あるヒルベルト空間を与え、そのヒルベルト空間内の密度行列として全ての状態を定義しようとするのは適当でない。その中に密度行列としては表され得ない状況も存在し得るからである。そのため無限系では、状態は、いくつかの自然な条件をみたすC*環上の線型汎関数として定義される。そして逆に、状態が与えられたとき、それの属するヒルベルト空間を(ユニタリ同値の意味で)一意に構成することができるのである。これをGNS構成法という。フェルミオン系やスピン模型では、同じヒルベルト空間内であらわされるふたつの状態は、「巨視的に同値」と解釈することができる。この観点から状態の巨視的安定性を考える。いま、定常状態にたいして、外部から有限系をつなげたとする。有限系との相互作用がくわわったことで、状態は定常でなくなり、時間と共に変化していく。このとき、時間が無限に経ったときの状態は、どのようなものになっているだろうか。それは、はじめの状態と、巨視的に同値なものだろうか、それとも、非剛値だろうか。前者は巨視的安定性、後者は巨視的不安定性を意味する。本博士論文では、温度の異なる初期状態からはじまった自由フェルミオン系の非平衡定常状態について、これが巨視的に不安定であることを示した。この解析は、Liouville operator とよばれるヒルベルト空間上の作用素のスペクトル解析に帰着する。本博士論文では、この解析を、格子場にたいする Positive Commutator Method をもちいて行った。

以上の結果は、1次元格子上のバリスティックな非平衡現象について、新たな知見を与えている。用いられた数学的手法は、さらに高次元をふくめた一般のバリスティック系について適用することが出来ると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は非平衡統計力学の一つのアプローチとして、「非平衡定常状態」の存在とその性質を議論している。平衡統計力学と異なり、非平衡状態を厳密に議論することは難しい。本論文はC*代数という厳密な手法を使って、非平衡状態の問題に真正面から取り組んだ成果である。対象は相互作用のない1次元模型という簡単な場合ではあるが、統計力学上も数理物理的観点からも高く評価できる業績である。博士(理学)の学位を授与するに十分であると認める。

本論文は全部で7章から成る。第1章は、本論文の背景と構成を述べたイントロダクションである。

第2章では、まず対象となる模型(1次元自由フェルミオン模型と1次元XXスピン模型)を厳密に定義している。その上で、それらの模型における「非平衡定常状態」を構成している。具体的には、初期状態で系の右半分と左半分をそれぞれ異なる温度と化学ポテンシャルの平衡状態にとり、その後で十分に時間発展させた状態を非平衡定常状態とする。厳密な構成と共に、直観的な説明として、右向きの粒子は左側の温度と化学ポテンシャルを受け継ぎ、左向きの粒子は右側の温度と化学ポテンシャルを受け継ぐという状況が述べられる。

第3章では、非平衡定常状態における熱伝導が、様々な場合について計算されている。多くの1次元系ではフーリエの熱伝導則(エネルギー流が温度勾配に比例する)が成立せず、特徴的な異常熱伝導が観察される。非平衡定常状態でもそのような熱伝導が起こることが、具体的に厳密に示される。

続いて第4章では、非平衡定常状態における磁化プロファイルの時間発展が議論されている。長時間極限では、(空間/時間)という変数で磁化プロファイルがスケールされることが示される。そして、そのスケーリング関数が様々な場合について計算されている。

第5章では、問題となっている非平衡定常状態を平衡統計力学の変分原理の観点から眺める。非平衡定常状態が、ある長距離相互作用のあるスピン模型の平衡状態(自由エネルギー最小の状態)として記述できることが示される。直観的には、粒子の流れにより離れた場所のスピン間に相互作用が生じると説明される。

第6章では、非平衡定常状態の安定性が数学的に議論される。第2章で述べられたように、非平衡定常状態では右向きの粒子は左側の温度と化学ポテンシャルを受け継ぎ、左向きの粒子は右側の温度と化学ポテンシャルを受け継いでいる。そのため、左向きの粒子流か右向きの粒子流のどちらか一方だけに別の熱浴が付加されても、非平衡定常状態は破壊されない。ところが、両方の粒子流にまたがるように熱浴が付加されると、独立だった粒子流の間に粒子のやり取りが発生するため、非平衡定常状態は破壊されてしまう。この直観的な描像を、C*代数を使って厳密に証明している。数学的には、ε(k)=|k|という直線的な分散関係ではなく、ε(k)=-cos kという分散関係においてC*代数を使ったことが極めてオリジナルな成果である。

最後に第7章で全体のまとめが述べられる。本論文で得られた新しい成果が改めて強調されている。以上のように、本論文では統計力学の難問に取り組み、独自で、かつインパクトのある成果を得ており、高く評価できる。

なお本論文は、そのほとんどが論文提出者単独の研究に基づいている。第5章のみは松井卓氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を進めたものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上より、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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