学位論文要旨



No 118805
著者(漢字) 酒井,一博
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,カズヒロ
標題(和) E弦理論の幾何学的諸相
標題(洋) Geometric Aspects of E-String Theory
報告番号 118805
報告番号 甲18805
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4458号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 助教授 加藤,晃史
 東京大学 助教授 細野,忍
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、弦理論のソリトンのひとつであるE弦のなす場の理論について、その量子論的スペクトラムを幾何学的背景を利用して求める研究についてまとめたものである。

弦理論は自然界の全ての基本構成要素と相互作用を統一的に記述する理論の最有力候補としてこの20年間精力的に研究されている。素粒子理論の標準模型の基盤をなすゲージ理論を含み、かつ無矛盾な重力の量子化を与える点が弦理論の魅力であるが、一方でこの理論は完全な定式化が摂動論の範囲にとどまっている発展途上の理論である。しかしながら1990年代半ばの弦双対性の発見を契機に、近年弦理論の非摂動論的側面の研究が活発に行われている。このような流れの中で、弦理論は当初の予想をはるかに超えた、豊かな構造を内包することが明らかになってきた。本論文の主題であるE弦の存在は、そのような驚くべき発見のひとつである。

E弦はE8×E8ヘテロティック弦理論において、インスタントンの大きさが零になる極限で発見された。インスタントンの大きさが零になる極限では、弦結合定数の大小によらずに摂動論的な記述が破綻する特異性が現れる。しかしながらこのような特異性は、必ずしも物理現象の特異性に直結するとは限らない。ゲージ理論で知られているように、理論の持つソリトンが軽くなって低エネルギースペクトラムに現れるという非摂動論的効果を考えることで、特異性を解消できる場合がしばしばある。E8×E8ヘテロティック理論をK3多様体にコンパクト化した理論において1つのインスタントンがつぶれる設定にも、このような特異性解消が適用できる。しかしながらこの場合、ソリトンとして現れるのは通常のように点粒子ではなく、1次元の空間的広がりを持つ弦であることが明らかになった。この弦は世界面に(0,4)超対称性、E8カレント代数の対称性をもつ。よってこの弦は、それまで弦理論の構成要素として知られていたどの弦とも異なる未知の物体であり、E8非臨界弦、あるいはE弦と呼ばれるようになった。

ヘテロテイック理論において発見されたE弦であるが、実はE弦のみをヘテロティック理論の他の全てのモードから切り離すことができる。このときE弦は、それ自身で閉じた6次元の(0,1)超対称場の理論を形成する。このとき特に、E弦は重力からも分離できるのが特徴的である。従って、重力なしに定義できる弦の量子論を与えるという意味で、E弦には単なるヘテロティック弦理論のソリトンにとどまらない重要性がある。

しかしながら、E弦のなす場の理論は Lorentz 不変なラグランジアンによる記述を持たないことから、通常の場の理論に適用される方法では量子化できない。この理論の量子論的振舞いを調べるにあたっては、空間一次元分の周期的コンパクト化が有効である。すなわちE弦理論をR5×S1にコンパクト化すると、伸びたE弦に加えてS1に巻きつくE弦が現れるが、この後者のE弦の各 Kalza-Klein モードを粒子とみなすことで、5次元の点粒子の場の理論としてスペクトラムを調べることができる。その中でも重要なのは Bogomolnyi-Prasad-Sommerfield(BPS) 状態となるモードである。BPS状態は超対称性代数の短表現をなすため、量子効果による繰り込み補正を受けず、非摂動論的にも厳密な取り扱いが可能である。したがって巻きついたE弦のBPSスペクトラムを解明することは、具体的に実現可能な目標として、E弦の量子論の最も基本的な問題のひとつに位置づけられる。実際これまでこの方向でいくつもの研究がなされてきたが、部分的な結果にとどまっていた。本論文の主要な成果は、可能な全てのモジュライパラメータを取り入れた場合のBPSスペクトラムを完全に与え、この方向の研究を完成させたことである。

E弦は1/2K3曲面、あるいは有理楕円曲面とも概 del Pezzo 曲面とも呼ばれる4次元多様体の幾何と密接な関係をもつ。この対応関係は、K3にコンパクト化したヘテロティック理論と複素3次元Calabi-Yau 多様体にコンパクト化したF理論との双対性から導き出せる。ヘテロティック理論におけるE弦の出現はF理論側で Calabi-Yau 多様体の中の1/2K3の無限小収縮に対応する。この双対性を5次元理論へ次元還元すると、R5×S1上のE弦理論の双対理論は、M理論を同じ Calabi-Yau 多様体にコンパクト化することで与えられる。このM理論による描像が具体的な解析の上ではもっとも威力を発揮する。今の場合、S1に巻きついたE弦は1/2K3中の2次元面に巻きついたM2ブレインによって実現され、一方の伸びたE弦は1/2K3に巻きついたM5ブレインによって実現される。そしてE弦のBPS状態の分配関数は、前者の実現によって4次元N=2有効ラグランジアンに現れるプレポテンシャルに関係づけられ、後者の実現によっては1/2K3上のN=4位相的ゲージ理論の分配関数と関係づけられる。

E弦理論を周期的コンパクト化によってさらに4次元にまで落とすと、低エネルギーでは有効的に4次元N=2ゲージ理論とみなすことができる。N=2ゲージ理論の有効作用はプレポテンシャルと呼ばれる正則関数によって記述される。このプレポテンシャルは5次元のBPS状態を数え上げていることが知られており、5次元BPS状態の分配関数そのものと同一視できる。分配関数という性質上、プレポテンシャルは無限和の形をなすが、一方でN=2ゲージ理論のプレポテンシャルは、有限次元の多項式方程式で表される Seiberg-Witten 曲線から生成できる。したがって、この Seiberg-Witten 曲線を求めることにより、BPS分配関数の完全な決定が達成されるのである。

Seiberg-Witten 曲線を決定するにあたっては、M5ブレインによるもう一方の実現が役に立つ。1/2K3×T2にn回巻きついたM5ブレインの分配関数は、1/2K3上のN=4U(n)位相的ゲージ理論の分配関数と同一視できる。この分配関数は、アフィンE8対称性と保型性をもち、ギャップ条件を満たし、正則アノマリー方程式と呼ばれるnについての再帰方程式に従う。これらの条件は分配関数を一意的に決定するのに十分であり、nが比較的小さい場合については具体的な計算が可能である。本研究ではこの計算を実際に遂行し、その結果を再現するような Seiberg-Witten 曲線の具体形を求めた。

得られた Seiberg-Witten 曲線は、アフィンE8代数の指標と保型関数を用いて表されており、E弦の分配関数のもつアフィンE8対称性、保型性、Wilson 線パラメータに関する二重周期性を明示的に表す形に書かれている。(このことから本論文ではこの Seiberg-Witten 曲線をしばしば〓8曲線と呼んでいる。)さらにこの Seiberg-Witten 曲線は、それ自身が1/2K3の楕円ファイブレイション表示を与えている。1/2K3の楕円ファイブレイションはE8の240個の根に対応した240個の正則切断を持つことが知られている。本研究ではこれらの正則切断の具体形を今回得た Seiberg-Witten 曲線に基づき計算した。その帰結として、E弦理論の Wilson 線パラメータに対して予想されていた幾何学的解釈が実際に確かめられた。

また、E弦理論の Seiberg-Witten 曲線は、知られている全ての5次元N=1及び4次元N=2超対称SU(2)ゲージ理論の低エネルギー有効作用について統一的記述を与える。本論文では〓8曲線に対してモジュライパラメータについての極限操作を施すことにより、E8フレーバー対称性を持つ5次元及び4次元SU(2)ゲージ理論の Seiberg-Witten 曲線を実際に再現した。より低いフレーバー対称性に対応した Seiberg-Witten 曲線はこれらの曲線から得られる。一方で、4次元SU(2)ゲージ理論の中でも、4つの基本表現物質場をもつ理論、および1つの随伴表現物質場をもつ理論は共形対称性を持つという点で特別な理論であり、その反映としてこれらの理論の Seiberg-Witten 曲線には保型性が現れる。本論文では、〓8曲線のもつ保型性をそのまま移行させつつこれらの理論の Seiberg-Witten 曲線を再現するという新しい対応を与えた。特に4つの基本表現物質場をもつ理論の方には、電磁トライアリティと呼ばれる4次元理論の枠内では説明のつかない双対性が存在する。本論文ではこの理論を上記の対応に従いE弦理論から再現することで、電磁トライアリティがE弦理論の保型性の自然な帰結として導かれることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は、E弦理論のBPS状態の分配関数を最も一般のモデュライパラメータを含む場合に決定し、幾何学的な諸性質を明らかにしたものである。

E弦とは、E8×E8 heterotic string をK3空間ヘコンパクト化した際、K3空間内のインスタントンのサイズが消える極限における特異性を解消する新たな低エネルギー自由度として現れるもので、M理論的には、11次元のインターバルの端にあるD9-brane とM5-brane を橋渡しするM2-brane に対応する。このE弦は、世界面の(0,4)超対称性と、affine E8対称性を持ち、重力と分離する極限ではそれ自身で定義された6次元の弦理論となる。

しかしながら、E弦は固有の作用が知られていないため、そのスペクトルを決定するには双対性を利用するなど工夫が必要である。これまで、モデュライパラメータが制限された場合には、そのBPSスペクトラムが知られていたが、最も一般の場合については求められていなかった。

本論文では、この問題に対して平坦な6次元部分をさらにサークルにコンパクト化し、その Kalza-Klein モードを5次元粒子とみなすと有効場の理論として超対称ゲージ理論が現れその有効作用を調べるという立場からアプローチした。具体的には、E弦がサークルに巻き付いたモードやそれ以外のモードをそれぞれ M2-brane や M5-brane と関係付け、その幾何学によって5次元N=1超対称ゲージ理論の有効相互作用あるいは1次元リダクションした4次元N=2超対称ゲージ理論の preptential を決定することが、E弦側ではBPS状態の分配関数を決定する事に対応する。特に Seiberg-Witten 曲面を、その affine E8対称性、保型性、Wilson line parameters に対する二重周期性を明白に保つ形で決定する事に成功した。

これらの結果からさらに、Wilson line parameters に対して予想されていた幾何学的解釈を具体的に確かめる事ができたり、あるいは様々な極限操作により4次元N=2超対称ゲージ理論の性質を導く事が可能になった。特に4つの基本表現の物質場を含む場合には従来由来が明白でなかった電磁トライアリティを自然に説明する事が可能になった。

以上のように、本論文の結果は単なる一般化にとどまらず、様々な有用な物理的結果をもたらすなど、今後の研究に繋がる価値のある結果であるといえる。

なお本論文は江口徹氏との共同研究にもとづくものであるが、解析そのものを始め論文提出者の寄与が中心的な役割を果たしていると判断できる。

以上により、審査委員一同は、本論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると認める。

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