学位論文要旨



No 118868
著者(漢字) 疋田,肇
著者(英字)
著者(カナ) ヒキダ,ハジメ
標題(和) 重力・地形データを用いた月地殻構造の推定
標題(洋) Lunar Crustal Structure from Topography and Gravity data
報告番号 118868
報告番号 甲18868
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4521号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 助教授 佐々木,晶
 東京大学 教授 栗田,敬
 東京大学 助教授 早川,基
 国立天文台 助教授 花田,英夫
内容要旨 要旨を表示する

地殻の厚さを推定することは月の起源や月の材料物質に関する情報を与えるという意味で重要である。特に月の地殻はplagioclaseに富んだアノーソサイト質であると考えられるから、地殻の総質量は月のバルクのAl2O3の存在度を推定する強力な情報となる。そこで本研究では重力データを用いて月の地殻構造を推定し、難揮発性元素であるAlのバルク存在度を明らかにする

過去の重力データを用いて地殻構造を推定する研究では計算パラメータである地殻の密度ρCrust・マントルの密度ρMantle・地殻-マントル境界層の基準半径RMを簡単に仮定している(e.g.Zuber et al., 1994; Neumann et al., 1996;Wieczorek and Phillips,1998)。しかし地殻-マントル境界層におけるマントルの起伏を決める重要な要因がマントルと地殻の密度差であることを考えると、地殻の密度・マントルの密度の仮定が結果に与える影響は大きい。また地殻-マントル境界層の基準位置についても、過去の研究では月の表側の地殻の厚さが60 km程度であるというApollo時代の月震の解析結果に基づき決めているが(Toksoz et al., 1974; Nakamura et al., 1982)、最近の月震の再解析から月の表側の地殻の厚さを30-45kmとする地殻モデルも提出されている(Khan and Mosegaard, 2002; Lognonne et al., 2003)。そこで本研究ではこれら3つのパラメータ値の妥当性を再検討し、その結果に基づき地殻モデルを構築した。

まず地殻密度については、Lunar Prospectorのγ線の分光観測から推定された月面の鉄の存在度マップ(Lawrence et al.,2002)に対して、Apolloサンプルの鉄存在度とノルム密度の関係を適用して月の水平方向の地殻密度モデルを構築した。このときApollo岩石試料の空隙率の頻度分布(Warren, 2001)から月面の地殻物質の空隙率を見積もった。鉛直方向には空隙率が圧力によって閉じていくと考えられるので、月の深さ方向の空隙率分布をApollo岩石試料の弾性波速度の圧力変化に関する実験結果(Mizutani et al., 1972)と固体の弾性定数と空隙率の理論(Budiansky and O'Connell, 1976)を元に推定した。

残りのパラメータである(ρMantle, RM)については月の簡単な層モデル(地殻-マントル-コア)を用い、月の質量・慣性モーメントの制限を満たす(ρMantle, RM)の組み合わせを求めた。その結果、過去の研究において仮定された3つのパラメータ(ρCrust,ρMantle,RM)の組み合わせは、月の質量・慣性モーメントの組み合わせを満たさないことがわかった(e.g. Zuber et al., 1994;Neumann et al., 1996;Wieczorek and Phillips, 1998)。

月面の玄武岩層分布については、マスコンを作る海についてはSolomon and Head (1980)のbasalt diskモデルを適用した。ただし、彼らのモデルにおいて玄武岩の厚さは実際より大きく見積もられていると考えられるので、玄武岩の最大の厚さをクレーターの直径-深さの関係に従い見積もり、玄武岩の厚さ分布を修正した:Pike(1974)の直径15km以上のフレッシュクレーターに成り立つ関係とWilliams and Zuber(1998)の直径100 km以上の形状を比較的保存しているクレーターに成り立つ関係。その他の海の領域は、月面の画像解析を基にモデル化されたWilhelms(1987)の海の分布マップを用い、海の厚さをDe Hon (1974)の地形学的研究の結果から一律400 mであると仮定した。海の領域の下に位置する高地地殻については密度を推定する方法がないので、月面の鉄存在度の最頻値である5.5 wt%の鉄を持つ地殻である場合と、高地岩石の鉄存在度のおよその上限である10 wt%の鉄を持つ地殻である場合の二通りを仮定した。

以上のような二通りの海の玄武岩モデル(Pike, 1974 or Williams & Zuber, 1998)・二通りの海の下の地殻密度(5.5wt% iron crust or 10 wt% iron crust)の仮定に対し、月の質量・慣性モーメントの制限を満たす(RM,ρMantle)の組み合わせから地殻の厚さが最大・最小になる地殻モデルを構築した。ここで地殻厚さ最大のモデルとは月の質量・慣性モーメントの制限を満たす(RM,ρMantle)の組み合わせのうちRMが最小になる場合を意味し、地殻厚さ最小のモデルとは全球における地殻の厚さの最小値が0 kmになる場合を意味する。その結果、地殻の平均の厚さは46-82kmの範囲にあることがわかった。全てのモデルで最も地殻の薄くなる場所はCrisium basin (17°N, 59°E)であり、最もの地殻の厚くなる場所はSouth-Pole Aitken basinの北東(24°S,129°W)であることがわかった。また、月の表側の嵐の海周辺の地殻の厚さは44-92 kmであることがわかった。これは地殻の厚さ60 km(Toksoz et al., 1974; Nakamura et al., 1982)や45km(Khan and Mosegaard, 2002)という月震の解析結果とは調和的であるが、最近の30 kmという解析結果(Lognone et al., 2003)とは相容れない結果である。

さらに月震観測ネットワークの設置場所を提案するために、最大の地殻厚さモデル・最小の地殻厚さモデルを比較することで地殻の厚さが取り得る範囲を地域ごとに調べた。その結果、地殻厚さ最小・最大モデルの間で地殻厚さのとりうる幅が大きく、かつ各モデルにおいて水平方向の地殻厚さのバリエーションが小さい領域としてMare Fecunditatis(0°N, 50°E)周辺が挙げられる。もし月面の鉄存在度から予想される地殻密度が正しいとすると、この領域の地殻の厚さがLunar-A計画を含む将来の月震観測で推定されれば、重力から予想される地殻モデルの地殻厚さの取り得る範囲が大幅に制限される可能性がある。

本研究の結果から地殻の総質量は6.3-11.9 wt%の範囲にあることがわかった。地殻中のAl2O3の存在度をアノーソサイト質試料Al2O3存在度(平均値21.8-最頻値27.5wt%; Papike,1998)を元に仮定し、地殻中のAl2O3の総質量を見積もったところ、月全体の1.4-3.3 wt%であることがわかった。月のマントル中のAl2O3存在度をマントル中のTh存在度(0.04ppm; Jolliff et al., 2000)を元に仮定したところ、本研究の地殻モデルの結果から月のバルクのAl2O3存在度は3.4-5.2wt%であるという結果を得た。これはC1コンドライトのバルクAl2O3存在度(1.6 wt%, Anders and Ebihara, 1982)より有意に大きいが、地球のバルクAl2O3存在度(Al2O3=3.7wt%, Taylor, 1982)の0.9-1.4倍程度である。すなわち、月が地球に比べて難揮発性元素に富んでいるという特徴はこれまで信じられていたものよりはるかに小さい可能性が高い。これは月の起源に関するco-accretion仮説(Ruskol,1977)も宇宙化学的観点から否定されるべきではないことを示すものである。

The minimum crust thickness model using the 5.5 wt% iron concentrate crust beneath mare regions (P55MIN). For the basalt thickness at major large basins, the basalt thickness model of Solomon and Head (1980) revised with the result of Pike (1974).

The maximum crust thickness model using the 5.5 wt% iron concentrated crust beneath mare regions (P55MAX). For the basalt thickness at major large basins, the basalt the basalt thickness model of Solomon and Head (1980) revised with the result of Pike (1974).

The characteristic summary of the minimum and maximum crust thickness model for the case of 5.5 wt% iron concentrated crust beneath mare regions.

The characteristic summary of the minimum and maximum crust thickness model for the case of 10 wt% iron concentrated crust beneath mare regions.

審査要旨 要旨を表示する

月の地殻の厚さ分布は、月の起源や進化過程を解明する上で重要な制約条件を与える。これまでApollo計画によって月面に設置された地震計による月震の解析から、月の表側の平均の地殻厚さが60km程度と見積もられているが、限られた場所のデータに基づくものであり、また最近の再見積もりによって、平均厚さがずっと薄く30-45kmであるという可能性が示唆されている。一方、当初の月震の解析結果を拘束条件として、重力データ、地形データの解析から月表層での地殻の厚さ分布が求められているが、これらの解析では、いずれも地殻の密度が一様と仮定し、地殻の平均厚さとマントルの密度を適当に決めて行っているために不確定性が大きく、現状で月の地殻の厚さ分布が十分に分かっているとは言えない。本論文では、他の月探査データの情報も取り入れ、地殻の密度の水平方向の分布を与え、また深さ方向にも変化することを考慮して、月の地殻厚さの分布について可能な範囲を推定している。

本論文は9章から構成される。第1章は導入の章であり、月の地殻の厚さを推定する意義と過去の同種の研究のレビューおよび本研究の目的について述べられている。また第2章では本論文の解析に用いた地形・重力データについての説明をおこなっている。第3章では地殻の密度について、Lunar Prospectorのγ線の分光観測から推定された月面の鉄の存在度マップに対して、Apolloサンプルの鉄存在度とノルム密度の関係を適用することによって、月の水平方向の地殻密度モデルを構築している。この密度推定においては、Apollo岩石試料の空隙率の頻度分布から月面の地殻物質の空隙率を見積もっている。鉛直方向については、空隙率が圧力によって閉じていくことを考慮し、深さ方向の空隙率分布をApollo岩石試料の弾性波速度の圧力変化に関する実験結果と固体の弾性定数と空隙率の理論をもとに推定した。

第4章では月面の海を覆う玄武岩層について、玄武岩の最大の厚さをクレーターの直径-深さの関係に従って見積もり、従来の玄武岩層の厚さ分布を修正し、より現実に近い厚さ分布を求めた。玄武岩層の下に位置する地殻については密度を推定する方法がないので、月面の鉄存在度の最頻値である5.5 wt%の鉄を持つ地殻である場合と、高地岩石の鉄存在度のおよその上限である10 wt%の鉄を持つ地殻である場合の二通りを仮定した。第5章では本論文で用いる地形・重力データから地殻の厚さを推定する具体的な手法について詳述されている。第6章では地殻-マントル-コアからなる簡単な月の質量分布モデルを用い、月質量・慣性モーメントの制限を満たすマントル密度(ρMantle)・地殻-マントル境界層の基準となる位置 (RM) の関係を求めた。これらの関係は本論文で地殻厚さ分布を求めるための基準値として用いられる。またこの解析の結果、過去の研究において仮定された3つのパラメータ(ρCrust,ρMantle,RM)の組み合わせは、月の質量・慣性モーメントの組み合わせを満たさないことが示された。

以上の準備にもとづいて、第7章では二通りの海の玄武岩層モデル・二通りの海の下の地殻密度の仮定に対し、月の質量・慣性モーメントの制限を満たすマントル密度・地殻-マントル境界層の基準となる位置の組み合わせから、地殻の厚さが最大・最小になる地殻モデルを構築した。その結果、地殻の平均の厚さは46-82 kmの範囲にあることが分かった。全てのモデルで最も地殻の薄くなる場所はCrisium basin(17°N, 59°E)であり、最も地殻の厚くなる場所はSouth-Pole Aitken basinの北東(24°S, 129°W)であることが示された。続いて第8章では第7章の結果に基づき、月震観測に適した場所の推定・月の材料物質についての検討を行っている。最後に第9章に論文のまとめを記述している。

以上述べてきたように、本論文は月の地殻の厚さについて、従来の方法に比べてより現実的な月地殻モデルに対して、地殻の厚さ分布の可能な範囲を明らかにしたものである。まだ地殻厚さを一意に決定することは出来ないが、本研究で得られた地殻厚さ分布の範囲は、今後の観測に対して示唆を与えるものである。本研究の成果は月の起源に関する研究に重要な進展をもたらすものである。従って、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として十分な価値があるものと判定した。

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