学位論文要旨



No 118878
著者(漢字) 大図,佳子
著者(英字)
著者(カナ) オオズ,ヨシコ
標題(和) 新規なボウル型配位子の開発と遷移金属錯体合成への応用
標題(洋) Syntheses and Applications of Novel Bowl-type Ligands for Transition Metal Complexes
報告番号 118878
報告番号 甲18878
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4531号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 下井,守
 東京大学 助教授 市川,淳士
内容要旨 要旨を表示する

これまで当研究室では、高反応性化学種の安定化のため、Figure 1に示すようなbowl型立体保護基を開発してきた。これらを活用すれば、模式図に示すように官能基同士の接近を効果的に抑制することにより、高反応性化学種の自己二量化や自己縮合を抑制できる。一方で、官能基の周辺には比較的広い空間が存在するため、適当な試剤との反応性は保持される。このようなbowl型分子を遷移金属への配位子として用いた場合、複数の配位が抑制され、基質との反応空間が確保された配位不飽和な錯体を形成しやすく、これら錯体は活性種の失活を防ぎつつしかも金属中心は基質との反応性を保つことができると期待される。そこで、本研究ではbowl型配位子の開発とその遷移金属錯体合成への応用として、bowl型トリアリールホスフィン配位子、bowl型イミド配位子を持つ遷移金属錯体の合成を検討した。

剛直なデンドリマー型骨格を有する新規なトリアリールホスフィン配立子およびその金属錯体の合成と構造

かさ高いホスフィン配位子の設計については、これまでに多くの研究がなされている。そこで、分子全体としては非常にかさ高いもののリン原子周辺に比較的広い空間を持つホスフインとして、bowl型立体保護基1-3 (Figure 1)のリン類縁体であるトリアリールホスフィンTRMP (4)、m-テルフェニル基上の置換基のかさ高さを増したTRIP (5)、4の世代を上げたTRMP* (6)を開発した(Figure 2)。これらホスフィンの遷移金属への配位環境を明らかにするため、ホスフィン配位子とPdCl2との反応を検討したところ、かさ高いTRIP (5)およびTRMP*(6)が、特徴的な構造を持つパラジウム錯体を形成することが明らかになった。すなわちTRMP*(6)を1および2当量用いた場合には、複核7および単核錯体8がそれぞれ生成した。一方で、TRIP(5)を用いた場合には、当量にかかわらず三核錯体9のみが得られた(Scheme 1)。

三核錯体9は、X線結晶構造解析の結果、深いキャビティーを持つTRIPがPdCl2の3量体を挟んだ構造であることが明らかとなった(Figure 3)。錯体9は、構造決定されたPdCl2の三量体錯体としては初めての例である。

さらに、これらPd(II)錯体のX線結晶構造解析の結果から、ホスフィン配位子のcone angleおよびSPS(substituent-phosphorus-substituent) angleを比較した(Figure 4)。配位子として一般的なPPh3と比べて、cone angleについてはTRIP (5)、TRMP*(6)ともに著しく増大しているのに対し、SPS angleについては、TRMP*(6)においてはPPh3に比べてむしろ小さくなっており、TRIP(5)においても増加はわずかであった。従ってこれらのホスフィン配位子は、PPh3に比べて三つのアリール基の立体反発をさほど増大させることなく分子サイズを増大できていることが明らかとなった。

さらに、ホスフィン配位子4-6とPd(dba)2を用いて、スチレンとハロベンゼンとのMizoroki-Heck反応を検討した結果、これらかさ高い配位子を用いた場合でもPPh3の場合と同程度の触媒活性が得られることがわかった。

bowl型イミド配位子を有する遷移金属イミド錯体の合成、構造、および反応

遷移金属イミド錯体は、触媒的C=N二重結合形成反応の中間体と考えられているが、通常二量化により、不活性種へ変化しやすい。そこで、すでに当研究室で開発しているbowl型置換基の一つであるBmt基 (Figure 1)を有するイミド配位子を用いて、二量化などによる失活を起こしにくいビス(イミド)モリブデン錯体の合成について検討した。

DME中、Na2MoO4、Et3N、TMSCl、BmtNH2(11)、およびt-BuNH2を反応させたところ、ビス(イミド)モリブデン錯体12が主生成物(ca. 70%)として得られた(Scheme 2)。同様の反応を、11のかわりに2,6-ジイソプロピルアニリンを用いて行った場合には3種類のビス(イミド)錯体の混合物が得られたと報告されているが、11の反応ではBmtN配位子がモリブデン上に二つ導入されたと考えられる錯体は観測されなかった。また、12は不活性ガス雰囲気下で取り扱う必要があるが、BmtNユニットをt-BuNに置換した、文献既知のビス(イミド)錯体 [Mo(NBut)2Cl2(DME)]と比較して安定であった。t-BuNH2を添加せず1当量の1-adamantanamineを用いた反応の場合、ビス(イミド)錯体とオキソイミド錯体の混合物が得られることが報告されている。そこで、1当量のBmtNH2(11)を用いて同様の反応を行ったところ、ほぼ定量的にオキソイミド錯体13のみが得られた。これらの結果はBmt基の立体的特長が現れた結果と考えられる。このようなBmt基を持つイミド錯体の場合には、その立体保護効果のためにDMEを配位させなくてもある程度安定な錯体を合成できると期待され、その場合触媒活性が高まると予想される。そこで、補助配位子を持たないビスイミドモリブデン錯体の合成のため、反応溶媒をDMEからトルエンに変更したところ、モリブデン中心にBmtイミド、およt-Buイミド、t-BuNH2が配位し、さらにBmtNH2(11)も弱く相互作用した錯体14が得られた。12、13および14は、X線結晶構造解析の結果、Mo中心が大きく歪んだオクタヘドラル構造をとっていることが明らかとなった(Figure 5)。また、錯体14のC6D6中の1H NMRのスペクトルから、14は溶液中ではBmtNH2(11)が解離した構造をとるものと推察された。

次に、触媒的イミンメタセシス反応について検討した。これまで、イミド錯体を用いた触媒的イミンメタセシス反応は、イミド錯体の二量体形成などによる失活のため困難であり、数例の報告があるのみであった。そこで、ビス(イミド)錯体12と14を用いてt-BuCH=NPh (15)とPhCH=NPr"(16)の触媒的メタセシス反応を行ったところ、14を用いた場合、12と比較し非常に速く反応が進行することが明らかとなった(Scheme 3)。錯体14は、溶液中においてBmtNH2(11)が解離し、配位不飽和な錯体が生成しやすいため高活性を示したと考えられる。さらに、この反応においては、期待したとおり、二つのイミドユニットのうちt-BuNユニットが反応に用いられ、BmtNユニットはMoに結合した状態で立体保護効果を及ぼしていることが示唆された。

以上、本研究では、金属中心を遠隔的に取り囲む新規なbowl型配位子を開発し、これらを活用することにより、金属上に導入される配位子の数を効果的に制御できることを明らかにした。

Crystal structure of [(PdCl2)3(TRIP)2](9).

Structures of the Ar3P-Pd moiety in complexes (a) [PdCl2(TRMP)2] (10), (b) [(PdCl2)3(TRIP)2] (9), and (c)[PdCl2(TRMP*)2] (8).

Crystal structures of (a) Mo(NBmt)(Nbut)Cl2(DME)(12)and(b)Mo(NBmt)(O)Cl2(DME)(13)and(c)Mo(NBmt)(NBut)Cl2(BmtNH2)(t-BuNH2)(14).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は四章からなり、第一章は序論、第二章はデンドリマー型トリアリールホスフィンの合成、第三章ではデンドリマー型ホスフィンを有するパラジウム錯体の合成、第四章ではbowl型イミド配位子を有するモリブデン錯体の合成について述べられている。

第一章では、遷移金属の配位子として広く用いられている、三級ホスフィン配位子、イミド配位子の利用と応用について示した。さらにこれまで当研究室において、高反応性化学種の安定化のため開発されてきたbowl型分子とその活用について紹介するとともに、このようなbowl型分子を遷移金属への配位子として用いることが、金属上に導入される配位子の数の制御に極めて有効であると推測している。

第二章では、剛直なデンドリマー型骨格を有する新規なトリアリールホスフィン配位子の合成と構造について述べている。分子全体としては非常にかさ高いもののリン原子周辺に比較的広い空間を持つデンドリマー型トリアリールホスフィンとして、TRMP(1)、置換基を変えかさ高さを増したTRIP(2)、1の世代を上げたTRMP*(3)を合成している。

第三章では、合成したホスフィンの遷移金属への配位環境を明らかにするため、ホスフィン配位子1-3とPdCl2との反応を検討し、かさ高いTRIP(2)およびTRMP*(3)が、特徴的な構造を持つパラジウム錯体を形成することを明らかにしている。すなわちTRMP*(3)を1および2当量用いた場合には、複核[(PdCl2)2(TRMP*)2](4)および単核錯体[PdCl2(TRMP*)2](5)がそれぞれ生成する。一方で、TRIP(2)を用いた場合には、当量にかかわらず三核錯体[(PdCl2)3(TRIP)2](6)のみが得られるという結果を得ている。

X線結晶構造解析を行うことで、三核錯体6の構造を明らかにし、深いキャビティーを持つTRIPがPdCl2の3量体を挟んだ構造であることを見いだしている。この錯体は、構造決定されたPdCl2の三量体錯体としては初めての例である。

さらに、合成したホスフィンを持つPd(II)錯体のX線結晶構造解析の結果から、ホスフィン配位子のcone angleおよびSPS (substituent-phosphorus-substituent) angleを比較している。配位子として一般的なPPh3と比べて、cone angleについてはTRIP(2)、TRMP*(3)ともに著しく増大しているのに対し、SPS angleについては、TRMP*(3)においてはPPh3に比べてむしろ小さくなっており、TRIP(2)においても増加はわずかであるという結果を得ている。従ってこれらのホスフィン配位子が、PPh3に比べて三つのアリール基の立体反発をさほど増大させることなく分子サイズを増大できていることを明らかにしている。

さらに、ホスフィン配位子1-3とPd(dba)2を用いて、スチレンとハロベンゼンとのMizoroki-Heck反応を検討した結果、これらかさ高い配位子を用いた場合でもPPh3の場合と同程度の触媒活性が得られることを明らかにしている。

第四章では、bowl型イミド配位子を有する遷移金属イミド錯体の合成、構造、および反応について述べている。遷移金属イミド錯体は、触媒的C=N二重結合形成反応の中間体と考えられているが、通常二量化により、不活性種へ変化しやすい。そこで、すでに当研究室で開発しているbowl型置換基の一つであるBmt基を有するイミド配位子を用いて、二量化などによる失活を起こしにくいビス(イミド)モリブデン錯体の合成について検討している。

DME中、Na2MoO4、Et3N、TMSCl、BmtNH2(7)、およびt-BuNH2を反応させることにより、ビス(イミド)モリブデン錯体Mo(NBmt)(NBut)Cl2(DME)(8)を主生成物(ca. 70%)として得ている。同様の反応を、7のかわりに2,6-ジイソプロピルアニリンを用いて行った場合には3種類のビス(イミド)錯体の混合物が得られたと報告されているが、7の反応ではBmtN配位子がモリブデン上に二つ導入されたと考えられる錯体は観測されないという結果を得ている。また、8は不活性ガス雰囲気下で取り扱う必要があるが、BmtNユニットをt-BuNに置換した、文献既知のビス(イミド)錯体 [Mo(NBut)2Cl2(DME)]と比較して安定であるという結果を得ている。これらの結果はBmt基の立体的特長が現れた結果であると考えている。このようなBmt基を持つイミド錯体は、その立体保護効果のためにDMEを配位させなくてもある程度安定な錯体を形成し、触媒活性も高まると推測している。そこで、補助配位子を持たないビスイミドモリブデン錯体の合成のため、反応溶媒をDMEからトルエンに変更することにより、モリブデン中心にBmtN配位子、およびt-BuN配位子、t-BuNH2が配位し、さらにBmtNH2(7)も弱く相互作用した錯体Mo(NBmt)(NBut)Cl2(BmtNH2)(t-BuNH2)(9)を得ている。8および9のX線結晶構造解析の結果、Mo中心が大きく歪んだオクタヘドラル構造をとっていることを明らかにしている。また、錯体9のC6D6中の1H NMRのスペクトから、9は溶液中ではBmtNH2(11)が解離した構造をとることを示している。

次に、触媒的イミンメタセシス反応について検討している。これまで、イミド錯体を用いた触媒的イミンメタセシス反応は、イミド錯体の二量体形成などによる失活により困難なため、数例の報告があるのみである。そこで、ビス(イミド)錯体8と9を用いた触媒的メタセシス反応の検討により、9を用いた場合、8と比較し非常に速く反応が進行することを明らかにしている。錯体9は、溶液中においてBmtNH2(7)が解離し、配位不飽和な錯体が生成しやすいため高活性を示したと推測している。さらに、この反応において、期待したとおり、二つのイミドユニットのうちt-BuNユニットが反応に用いられ、BmtNユニットはMoに結合した状態で立体保護効果を及ぼしていると推測している。

以上、金属中心を遠隔的に取り囲む新規なbowl型配位子を開発し、これらを活用することにより、金属上に導入される配位子の数を効果的に制御できることを明らかにしている。

なお、本論文の、第二章、第三章、および第四章については、川島隆幸教授・後藤 敬講師との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク