学位論文要旨



No 118890
著者(漢字) 渡邉,雅之
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,マサユキ
標題(和) 新規な配位様式を示すトリス(2-ピリジル)カルビノール希土類複核錯体の合成および構造と物性
標題(洋) Synthesis, Structures and Properties of Lanthanide Dinuclear Complexes of Tris (2-pyridyl) carbinol with a Novel Coordination Mode
報告番号 118890
報告番号 甲18890
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4543号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 松尾,基之
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

【序】 希土類イオン(Ln)は、特有の磁気的、光学的性質を有するものが多い。この希土類特有の性質を引き出すためには、高い配位数や分子構造を制御することに加え、中心金属を溶媒から遮蔽できる配位子の設計が重要である。本研究で用いたトリス(2-ピリジル)カルビノール(TPC)は、三脚状の三つのピリジン環とアルコキシド酸素を一つ持つ。この配位子を用いて希土類錯体を合成することで、次の三つの特性が期待できる。(1)新しい配位様式:この配位子の遷移金属錯体では、三座配位子として働くことが知られているが、ハードな酸である希土類イオンは、ハードな塩基である頭頂部のアルコキシド酸素と強い相互作用 (oxophilicity) を示し、希土類アルコキシドがμ-oxo錯体を生成しやすいため、新しい配位様式、すなわち酸素で架橋した安定な複核錯体の生成が期待できる (Scheme 1)。(2)磁気的性質:複核錯体が生成した場合、これまであまり明らかになっていない希土類イオン間に働くf-f電子間の相互作用の解明が期待できる。(3)光増感作用(アンテナ効果):ピリジン環部位はπ-π*遷移による紫外部の強い吸収ピークをもつため、光増感作用による配位子-金属間のエネルギー移動が利用できる。そこで本研究では、TPCを配位子とする一連の希土類錯体を合成し、構造を明らかにするとともに、その磁気的性質および光学的性質を調べることを目的とした。

【合成】di(2-pyridyl)ketone に2-lithiopyridine を-80℃で反応させ、収率40%で配位子を得た。錯体の生成を確認するため、吸光光度滴定をアセトニトリル中で行い、錯生成平衡を解析した (Figure 1)。解析は、次式のような複核錯体の生成を仮定して行い、実験結果とよく一致した。一連の希土類金属イオンについて調べたところ、錯生成度定数 (β22) は、logβ22=11程度でほぼ一定の大きな値となり、ソフトなドナーであるピリジン系配位子としては、安定な複核錯体を生成することが示された。これは、頭頂部の酸素ドナーが有効に働いたためと考えられる。水和水を除去したLn(OTf)3 (OTf : trifluoromethane sulfonate) をよく乾燥したアセトニトリルに溶解し、等モルの配位子を滴下して一連の錯体を得た。反応液にそのままエーテルを拡散させることで、アセトニトリル錯体の結晶を、また、配位子の滴下後、水を少量 (1v/v%) 加えて同様に結晶化することでアクア錯体を得た。また、Ln(NO)3・nH2O (n=4-9)と配位子をアセトニトリル中で混合することにより、ニトラト錯体を得た。

【構造】 一般に希土類錯体は、一連の錯体が合成できた場合でも、ランタノイド収縮のため同一の結晶系、空間群の単結晶を得ることは難しい。今回アクア錯体10種(Ln=Nd, Sm, Eu, Gd, Tb, Dy, Ho, Er, Tm, Yb)、アセトニトリル錯体2種(Ln=Ho, Lu)、ニトラト錯体2種 (Ln=La, Tb) の構造解析を行った結果、アクア錯体、アセトニトリル錯体では、得られた単結晶は、結晶系、空間群ともに同一であった。一例として Figure 2にEuアクア錯体の構造を示す。錯体は、複核錯体で八配位の構造をとっている。架橋アルコキシ酸素 (O1) と希土類中心との結合長は、一般に見られるアルコキシドの場合よりも短い。それに伴って、金属間距離は、これまで報告されている希土類複核錯体のなかでは比較的短く、3.8A程度である。一般に安定な八配位構造は dodecahedron もしくは、bicapped trigonal prism であるが、配位環境をねじれ角から解析した結果、歪んだ dodecahedron 構造をとっていることがわかった。また一連の錯体の配位構造を比較すると、金属周りの結合長や金属間距離は、ランタノイド収縮に伴い、減少することが確認できる (Figure 3)。

【磁性】 複核錯体での金属間の磁気的相互作用を調べるため2K-300Kの範囲で [Gd2TPC2(OTf)2(H2O)2]・2MeCN の磁化率測定を行った。Figure 4にχTの温度Tに対するプロットを示す。20Kから300Kまでの温度範囲で常磁性的挙動を示し、20K付近から低温では、ガドリニウム間に働く反強磁性的な相互作用によるχTの減少がみられた。

【発光】Eu(III)錯体の蛍光および励起スペクトルを Figure 5に示す。蛍光スペクトルにおいて、5D0→7F0遷移が現れることから、溶液中でも錯体はかなり対称性が悪くひずんだ構造をとっていることがわかる。また、励起スペクトルから、金属中心の励起準位に相当する波長 (5L6 : 394nm) よりも、配位子のπ-π*遷移に相当する波長での励起が発光を強くしていることが明らかとなり、いわゆるアンテナ効果(配位子-金属間エネルギー移動)を示すことが分かった。配位子に起因する励起スペクトルのピークは、Tb錯体でも同様に観察され、配位子からEu、Tbにエネルギー移動していることを明らかにした。更に、Nd(III)錯体について、近赤外の発光を測定したところ、Figure 6に示すように、近赤外領域に三つのピークが観察された。これまで、近赤外領域で発光するNd錯体の研究例は少なく、今回の結果は、新しい配位子系の構築を提案する。

【結論】 筆者は、トリス(2-ピリジル)カルビノール(TPC)を用いて一連の希土類錯体を合成し、単結晶X線構造解析を行った結果、この配位子は、希土類元素と新しい配位様式で結合した安定な希土類複核錯体[Ln2TPC2X4(sol)2] (X=OTf, NO3- ; sol=H2O, MeCN)を生成することが明らかになった。低温において、二核間には、反強磁性的相互作用が現れることが明らかになった。また、配位子のアンテナ効果による発光特性を見出した。また、この配位子を用いることで、Nd錯体において近赤外領域で発光することが明らかになった。上記の結果は、系統的な研究の乏しい希土類複核錯体の合成、構造、物性に関する新たな基礎的知見を与えるものである。

Coordination mode for TPC.

Spectrophotometric titration of TPC with Eu(NO3)3 in acetonitrile. Arrows indicate spectral changes observed on the titration. Concentration of TPC was 1.0×10-4 M and of Eu(NO3)3 was 3.0×10-3 M.

ORTEP drawing of complex [Eu2TPC2(OTf)4(H2O)2]・2MeCN. The ellipsoids of thermal vibration represent a 50% probability. Hatoms and triflates have been omitted except for coordinating oxygen. Selected bond distances (A) and angles (°) : Eu-N1 2.619(2), Eu-N2 2.548(2), Eu-N3 2.552(2), Eu-01 2.292(1), Eu-02(H2O) 2.413(2), Eu-05(triflate) 2.383(2), Eu-08(triflate).

The Ln-Ln distance, and Ln-N and Ln-O bond lengths (A) of [Ln2TPC2(OTf)4(H2O)2]・2MeCN vs f-electron configuration.

χTvs. Tplot of [Gd2TPC2(OTf)4(H2O)2]・2MeCN.

Excitation (left) and luminescence (right) spectra of aqueous [Eu2TPC2(OTf)4(H2O)2] at 298 K. The emission and excitation wavelengths for the spectra are 619.0 nm and 263.0 nm, respectively. The concentration of [Eu2TPC2(OTf)4(H2O)2] is 3.3×10-5 M.

A luminescence spectrum of [Nd2TPC2(OTf)4(H2O)2]・2MeCN in DMSO-d6 at 298 K. The excitation wavelength for the spectra is 585.0 nm. The concentration of [Nd2TPC2(OTf)4(H2O)2]・2MeCN is 2.0×10-5 M.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、最後に全体の総括が記されている。以下に各章の概要を記す。

第1章では研究の背景と目的について述べている。希土類イオンの、特有の磁気的、光学的性質を引き出すためには、配位数や分子構造を制御することに加え、中心金属を溶媒から遮蔽できる配位子の設計が重要である。TPCは、希土類錯体を生成することで、次の三つの特性が期待できる。(1)新しい配位様式:ハードな酸である希土類イオンは、ハードな塩基である頭頂部のアルコキシド酸素と強い相互作用を示し、希土類アルコキシドがμ-oxo 錯体を生成しやすいため、新しい配位様式、すなわち酸素で架橋した安定な複核錯体の生成が期待できる。(2)磁気的性質: 複核錯体が生成した場合、これまであまり明らかになっていない希土類イオン間に働くf-f電子間の相互作用の解明が期待できる。(3)光増感作用(アンテナ効果):ピリジン環部位はπ-π*遷移による紫外部の強い吸収ピークをもつため、光増感作用による配位子-金属間のエネルギー移動が利用できる。そこで本研究では、TPCを配位子とする一連の希土類錯体を合成し、構造を明らかにするとともに、その磁気的性質および光学的性質を調べることを目的とした。

第2章では、合成について述べている。TPC錯体の生成を確認するため、一連の希土類金属イオンについて錯生成平衡を解析した結果、錯生成度定数 (β22) は、logβ22=11程度でほぼ一定の大きな値となり、ソフトなドナーであるピリジン系配位子としては、安定な複核錯体を生成することが示された。水和水を除去したLn(OTf)3をよく乾燥したアセトニトリルに溶解し、配位子を滴下して一連の錯体を得た。反応液にそのままエーテルを拡散させることで、アセトニトリル錯体の結晶を、また、配位子の滴下後、水を少量加えて結晶化することでアクア錯体を得た。また、Ln(NO)3・nH2O (n=4-9)と配位子をアセトニトリル中で混合することにより、ニトラト錯体を得た。

第3章では、分子構造について述べている。一般に希土類錯体は、一連の錯体が合成できた場合でも、ランタノイド収縮のため同一の結晶系、空間群の単結晶を得ることは難しい。今回アクア錯体10種 (Ln=Nd, Sm, Eu, Gd, Tb, Dy, Ho, Er, Tm, Yb)、アセトニトリル錯体2種 (Ln=Ho, Lu)、ニトラト錯体2種 (Ln=La, Tb) の構造解析を行った結果、アクア錯体、アセトニトリル錯体では、得られた単結晶は、結晶系、空間群ともに同一であった。錯体は、複核錯体で8配位の構造をとり、架橋アルコキシ酸素と希土類中心との結合長は、一般に見られるアルコキシドの場合よりも短い。それに伴って、金属間距離は、これまで報告されている希土類複核錯体のなかでは比較的短く、3.8A程度である。配位環境をねじれ角から解析した結果、歪んだ dodecahedron 構造をとっていることがわかった。また一連の錯体の配位構造を比較すると、金属周りの結合長や金属間距離は、ランタノイド収縮に伴い、減少することが確認できる。

第4章では、複核錯体での金属間の磁気的相互作用について述べている。2K-300Kの範囲で[Gd2TPC2(OTf)2(H2O)2]・2MeCNのχTの温度Tに対するプロットにおいては、20Kから300Kまでの温度範囲で常磁性的挙動を示し、20K付近から低温では、ガドリニウム間に働く反強磁性的な相互作用によるχTの減少がみられた。

第5章では、発光特性について述べている。Eu(III)錯体の蛍光スペクトルにおいて、5D0→7F0遷移が現れることから、溶液中でも錯体はかなり対称性が悪くひずんだ構造をとっている。また、励起スペクトルから、金属中心の励起準位に相当する波長 (5L6 : 394nm) よりも、配位子のπ-π*遷移に相当する波長での励起が発光を強くしていることが明らかとなり、いわゆるアンテナ効果(配位子-金属間エネルギー移動)を示すことが分かった。配位子に起因する励起スペクトルのピークは、Tb錯体でも同様に観察され、配位子からEu、Tbにエネルギー移動していることを明らかにした。更に、Nd(III)錯体が、近赤外の発光を示すことが観察された。

最後に、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。

以上、本論文は、希土類複核錯体の構造制御した合成を行うとともに、磁気的性質、発光特性について新しい結果を記述しており、錯体化学、物性科学の研究におおきなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価できる。なお、本論文第2,3,4,5章は西原 寛、村田昌樹、並木康祐、木村貴海、南川卓也、山田鉄兵、飯盛勝一との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたまたは出版予定のものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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