学位論文要旨



No 119073
著者(漢字) 近藤,剛史
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,タケシ
標題(和) 単結晶ダイヤモンド電極の電気化学特性
標題(洋) Electrochemical Properties of Single-Crystal Homoepitaxial Diamond Electrodes
報告番号 119073
報告番号 甲19073
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5805号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 金,幸夫
 東京大学 助教授 立間,徹
 神奈川科学技術アカデミー 理事長 藤嶋,昭
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

導電性ボロンドープダイヤモンド薄膜(以下、ダイヤモンド電極)は、広い電位窓や小さい残余電流といった優れた電気化学特性を有しており、その応用分野も電気化学分析や電気分解を中心に近年広がりを見せている。しかし一方で、ダイヤモンド電極の基礎特性に関してはまだ理解されていない部分が残っている。そのひとつの原因としては、通常用いられるダイヤモンド電極は多結晶薄膜であるため、電気化学特性に影響を与える可能性のある因子(例えば、結晶粒界、複数の結晶面、結晶性の不均一性など)が多く混在しているためであると考えられる。本研究で取り扱う単結晶電極(Fig. 1)は、原子レベルで平坦な単一の結晶面から成るため、このような因子が少なく、ダイヤモンド電極の電気化学特性について、構造と機能という視点で詳細な評価を行うことができると考えられる。本研究では、まず単結晶ダイヤモンド電極について基礎的な電気化学特性を調べ、ダイヤモンド電極の大きな特徴のひとつである表面改質による電極特性変化について、結晶面依存性による検討を行った。

単結晶ダイヤモンド電極の作製

本研究に用いた単結晶ダイヤモンド電極は、マイクロ波プラズマCVD法による、基板上へのボロンドープダイヤモンド層のエピタキシャル成長により作製した。基板には高圧高温法による合成ダイヤモンドプレートを用いた。(100)および(111)を成長面として選択することにより、それぞれの結晶面についてホモエピタキシャルボロンドープダイヤモンド薄膜を得た。合成の際の炭素源としてはアセトン・メタノール(9:1, v/v)混合溶液を用い、メタノールに可溶なB2O3をホウ素源として溶解させたものを、水素ガスバブリングにより蒸発させチャンバ内に導入した。原料のホウ素濃度は10000 ppm B/Cに調製したが、SIMSによる11B濃度測定の結果、(100)、(111)単結晶ダイヤモンド電極ではそれぞれのホウ素濃度は2×1018、2×1019 cm-3と、予想される1021 cm-3より低い濃度であることがわかった。しかしラマンスペクトルおよびRHEED測定の結果、これらのサンプルは結晶性の高いエピタキシャル膜であることが確認された。

単結晶ダイヤモンド電極の基礎電気化学特性

ダイヤモンド電極の最も大きな電気化学的特性である、水溶液系における広い電位窓と、電気二重層領域における小さい残余電流について、多結晶と単結晶ダイヤモンド電極の比較を行った。両者における0.1M H2SO4中のCVを比較すると、水素・酸素発生ともにほぼ同じ電位で起こり始めており、両者において電位窓には大きな違いがみられなかった。しかし、電気二重層領域における残余電流は多結晶電極では約2 mA cm-2であるのに比べて単結晶電極では1 mA cm-2以下と小さいことがわかった。尿酸やセロトニンといった生体関連有機物について多結晶・単結晶ダイヤモンド電極を用いてCVやLSVによる電気化学分析を行うと、シグナル電流はほぼ同程度であるのに対し、バックグラウンド電流は単結晶電極の方が小さく、その結果、バックグラウンド電流に対するシグナル電流の比は、多結晶電極より単結晶電極において大きくなった(Fig. 2)。ダイヤモンド電極はこのような分析法において従来の電極材料よりも検出下限の小さい高感度な電極材料であると言われているが、その中でも単結晶電極は特に微量な分析に適していることが示された。

単結晶電極を用いたダイヤモンド酸素終端表面の電気化学特性評価

ダイヤモンド電極表面はas-grownでは水素終端表面であるが、各種酸化処理により酸素終端表面に改質することができる。このとき表面の性質は大きく変化し、水素終端表面では疎水性・表面導電性であるのに対し、酸素終端表面では親水性・絶縁性となることが知られている。例えば、導電性カンチレバーを用いたAFMにより、ダイヤモンド表面に局所的に高い正電圧を印加すると、その部分だけ表面が酸化し、周囲よりも導電性が低下することが知られている。また、ある種の酸化還元種のダイヤモンド電極における電子移動速度は、表面終端種に依存し著しく特性が異なることも報告されている。このような表面改質による電極特性の変化について、単結晶電極を用いた検討を行った。

多結晶および(100)、(111)単結晶ダイヤモンド電極の、水素終端表面と陽極酸化による酸素終端表面について、0.1 M H2SO4中における交流インピーダンス特性を比較した。(100)電極におけるBode (Phase angle vs. Frequency) プロット(Fig. 3)では、陽極酸化後に300-1000Hz付近の周波数領域で容量成分を示すピークが新たに生成していることがわかった。この容量成分は、測定電位にほとんど依存しないことから、電極反応由来の成分ではないことが示唆された。また、Mott-Schotkyプロットからキャリア密度の深さ方向分布を見積もると、表面近傍10-30 nmの領域までキャリア密度が非常に少なくなっていることが示唆され、インピーダンスのシミュレーション結果と合わせて、陽極酸化によるダイヤモンド表面の不活性層の生成が示された。ダイヤモンドの表面酸化による導電性の低下および新たに生成した高周波数領域の容量成分は、このような不活性層の形成によるものと考えられる。

単結晶ダイヤモンドの表面化学修飾

ダイヤモンドの表面酸化では、上に述べたような電気的特性の変化に加えて表面官能基も変化すると考えられる。表面官能基の変化は電極表面の化学的な性質と深く関わるものであり、また官能基の種類は結晶面構造を反映するものであると考えられる。

(100)、(111)単結晶ダイヤモンドの陽極酸化表面について、XPSによるC1sのスペクトルをFig. 4に示す。表面酸化によりメインピークの高エネルギー側にショルダーピークが観察され、酸化的な炭素原子が増加していることがわかる。また陽極酸化表面について、酸化的な炭素原子は(100)では2種類あり、C-OおよびC=Oに由来すると考えられる。一方、(111)ではC-Oの1種類であり、ダイヤモンド表面に生成する表面官能基は結晶面に依存することが示唆された。また、陽極酸化処理表面と酸素プラズマ処理表面において、生成する表面官能基の種類が異なることも示された。

水素アニール処理直後の水素終端ダイヤモンド電極について、0.1M H2SO4中でLSVを測定すると、酸素発生電流が流れ始める前の、+1.4-1.8 V vs. Ag/AgCl付近に酸化ピークが見られた(Fig. 5)。このピークははじめの1回目のみ観察され、2回目以降は著しく減少するか観察されなかった。この酸化ピーク電位は(100)と(111)ではピーク電位が異なり、結晶面に依存していることが分かった。このことから、この酸化ピークはダイヤモンド表面における水素終端から酸素終端への変化、すなわち酸素含有表面官能基の生成に基づくことが推察される。実際に、酸化ピークにおける電荷量は、表面第1層の酸化に必要な電荷量とほぼ同程度であることがわかった。多結晶電極では、(100)および(111)で観察されたピークが両方とも観察された。

表面官能基の分析およびその利用の可能性を検討するために、カルボニル基およびヒドロキシル基と選択的に反応する2,4-dinitrophenylhydrazine(DNPH)および3-aminopropyltriethoxysilane(APTES)による酸素終端ダイヤモンドの表面化学修飾を試みた。電極表面のカルボニル基の存在により電子移動が促進されるFe2+/3+をプローブとして、CVにより電子移動速度変化を調べると、(111)電極では陽極酸化表面とDNPH処理表面でほとんどピーク電位差(DEp)に変化が見られなかったのに対し、(100)電極ではDNPH処理後にDEpの増加、すなわち電子移動速度の減少が見られた(Fig. 6)。これは(100)電極にのみDNPH修飾によるカルボニル基の不活性化が起きていることを示しており、すなわちダイヤモンド表面の陽極酸化ではカルボニル基は(100)に選択的に生成することを示唆している。逆に、APTES処理によるFe(CN)63-/4-の電子移動速度変化は(100)電極より(111)電極において大きく、すなわち(111)ダイヤモンドの陽極酸化表面ではヒドロキシル基が多く存在していることが示唆された。

まとめ

(1)ダイヤモンド電極に特徴的な広い電位窓、小さい残余電流、速い電子移動などの特性はいずれも単結晶電極で観察される現象であり、ダイヤモンド表面自身の特性に基づくものであるといえる。特に単結晶電極では多結晶電極よりも電気二重層領域における残余電流が小さく、電気化学法による微量分析に応用できる可能性がある。

(2)ダイヤモンドの表面酸化では、表面近傍のキャリア密度減少による不活性層の形成、および酸素含有表面官能基の生成という2つの変化が起きていることが、XPS、交流インピーダンス測定、表面化学修飾などの結果から導かれた。特にダイヤモンド表面に生成する官能基の種類はダイヤモンド表面の結晶面構造を反映しており、単結晶電極を用いた評価がダイヤモンド電極の電気化学特性の理解に有用であることが示された。

Single-Crystal Diamond Electrodes.

Relationship between LSV anodic peak current and uric acid concentration at polycrystalline and (100) single-crystal diamond electrodes.

Inpedance Bode plots for 0.1 M H2SO4 at (a) hydrogen-terminated and (b) anodically -treated (100) single-crystal diamond electrodes.

XPS C1s spectra for anodically-treated (a) (100) and (b) (111) diamond surfaces.

LSVs for 0.1 M H2SO4 at hydrogen -terminated polycrystalline and single-crystal diamond electrodes.

CV peak separation (DEp) for Fe2+/3+ at hydrogen-terminated, anodically-treated and DNPH-modified single-crystal diamond electrodes.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章より構成されており、ダイヤモンド電極における基礎特性を理解することを目的とした、よりシンプルな構造を持つ単結晶ボロンドープダイヤモンド薄膜を用いた電気化学特性評価について述べている。第1章では、序論としてダイヤモンド電極研究および単結晶ホモエピタキシャルダイヤモンド研究の背景について述べ、第2章では、単結晶ホモエピタキシャルダイヤモンドの作製・評価法、および実験についての説明がされている。第3章から第6章は単結晶ダイヤモンド電極を用いた研究の成果が示され、第7章では全体のまとめとこの研究についての今後の展望が述べられている。

第1章は全体の序論として本研究の背景が述べられている。ダイヤモンドの特性、導電性多結晶ボロンドープダイヤモンドによる電気化学への応用と現在の展開、電気化学を含めた単結晶ホモエピタキシャルダイヤモンドに関する研究の概要、ダイヤモンド表面終端とその特性について述べられており、本研究への導入としている。第2章は特に本研究で作製したホモエピタキシャルダイヤモンド薄膜についてのキャラクタリゼーションが示されている。

第3章では、単結晶ダイヤモンド電極における基礎的な電気化学特性について述べられている。まず、単結晶ダイヤモンド電極における電解質水溶液における広い電位窓と電気二重層領域における小さな残余電流といった通常の多結晶ダイヤモンド電極に見られる特徴を確認し、これらはダイヤモンド表面が元来持つ特性であることを示している。さらに無機酸化還元種における電子移動速度はMarcus理論に従う外圏型電子移動であることが示し、単結晶ダイヤモンド表面における良好な電気化学応答性を確認している。また、以上のような特性から単結晶ダイヤモンド電極の電気化学検出用電極への応用の可能性を示し、実際に有機物の電解酸化による検出下限では多結晶電極を上回り、あらゆる電極材料の中でも最高レベルのパフォーマンスを示すことを明らかにしている。

第4章では、ダイヤモンド水素・酸素終端表面がそれぞれ表面導電性・絶縁性といった対照的な導電特性を示すという一般的な事実をもとに、原子間力顕微鏡(AFM)を用いたダイヤモンド表面の導電性微細パターニングの試みが述べられている。導電性のAFMチップを用いてサンプルであるダイヤモンド水素終端表面に局所的に+2 V以上の電圧を印加すると、その領域が酸素終端化し、導電性表面が絶縁化することを示している。この技術により、導電性ダイヤモンド表面に20 nm程度の絶縁性の細線を描くことに成功している。ダイヤモンドは電子デバイスとしてシリコンに替わる高パフォーマンスを期待される材料であり、比較的容易に導電性ナノリソグラフィーが可能であることはダイヤモンドの電子材料への応用をより実現に近づけるものである。

第5章では、第4章で述べられている水素・酸素終端表面における導電性の違いの起源を明らかにするために電気化学インピーダンス法を用いた、ダイヤモンド/電解質溶液界面における電気的特性を詳しく評価している。インピーダンス測定の結果、ダイヤモンド表面を陽極酸化することにより、表面にアクセプタ濃度の極端に小さい電気的不活性層が形成されることを明らかにしている。逆に、ダイヤモンド水素終端表面では、表面近傍において、ホウ素濃度を超える異常な高アクセプタ濃度領域が存在することが明らかとなり、これらが対照的な表面導電特性に寄与していることを示している。

第6章では、単結晶ダイヤモンドの表面化学修飾を中心に、酸素終端表面における表面官能基の分析を試みている。まず、XPSや電気化学的な挙動からダイヤモンド(100)および(111)では異なる酸素含有官能基の存在を示し、特定の官能基に対して反応する試薬を用いた表面化学修飾によりさらに詳しい分析を行っている。その結果、ダイヤモンド陽極酸化表面において、(111)では圧倒的な割合でヒドロキシル基が生成するのに対し、(100)ではカルボニル基やヒドロキシル基などが混在した状態であることが示唆されている。また、このような表面官能基による表面双極子の違いが電気化学特性に影響を及ぼすことが、アスコルビン酸の電子移動速度変化から示されている。

本論文における単結晶ダイヤモンド電極を用いた研究は、通常用いられる多結晶ダイヤモンド電極における特性についてダイヤモンド結晶表面由来の性質を明らかにしただけでなく、結晶面や表面終端を積極的にコントロールすることにより、目的・用途に応じたダイヤモンド電極の最適化を行うことができることを示している。言い換えれば、ダイヤモンド電極研究全体における単結晶を用いた研究の基礎・応用の双方における意義が本論文により明確化されたと考えられる。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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