学位論文要旨



No 119095
著者(漢字) 上村,聡
著者(英字)
著者(カナ) カミムラ,ソウ
標題(和) シクロホスファトおよびシクロホスフィマト配位子を有する有機金属錯体の研究
標題(洋) Studies on Organometallic Complexes with Cyclophosphato and Cyclophosphimato Ligands
報告番号 119095
報告番号 甲19095
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5827号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 工藤,一秋
内容要旨 要旨を表示する

緒言

表面酸素原子上に担持された金属化学種が高い触媒活性を示すことから,O ドナー配位子を利用した固体触媒の均一系モデル錯体合成の試みが,近年活発になされている.実際,Si-O 結合を構成単位とし,シリカの部分構造とも見なせるシルセスキオキサンや,それ自身触媒活性も示すヘテロポリ酸などを O ドナー配位子として持つ金属錯体の合成研究が盛んに行なわれている.一方,このような酸素表面モデルとしての興味に加えて,これらの O ドナー配位子を基盤とする有機金属錯体は新しい無機材料合成のためのシングルソースプレカーサとしても期待されている.すなわち,あらかじめ構造と組成とが厳密に制御された Si-O-M (M=metal) などの骨格要素を有する有機金属錯体をまず調整した後に,これを焼成することで内部構造の均一な無機化合物を得ようとする考え方である.

以上の背景のもと,本研究では上記の酸化物担持触媒モデルと無機材料合成の前駆体の両面から期待される O ドナー配位子としてシクロホスファト (PnO3n)n- に注目した.本配位子は,配位可能な末端酸素原子が環状骨格上に配列されていることから特徴的な配位挙動が期待される.そこで本研究では,シクロホスファトが有機金属錯体合成においてどのような配位挙動を取り,どのような構造的特徴を持った錯体を与えるのかを前周期,後周期遷移金属のそれぞれについて明らかとすることを目的とした.さらに,シクロホスファトのアミド類縁体として知られるシクロホスフィマトに関してもその錯形成能を探るとともに,両者の配位挙動の違いを明らかとすることも併せて検討した.

Pd(II),Pt(II),Pt(IV) を含むシクロトリホスファト錯体の合成,構造とその溶液内挙動

[PdCl2(PPh3)2] と (PPN)3(P3O9) [PPN=(PPh3)2N+] との反応から,1aを得た (Scheme 1).1aは固体状態において2つのホスフィンとイス形構造の P3O9 配位子の2つの末端酸素原子がパラジウムへ配位した平面四配位構造を取り,P3O9 の第3のアキシャル末端酸素原子 (O(3)) とパラジウムとの間には弱い相互作用が存在する.また,この末端酸素原子とホスフィンのオルト CH 水素は O(3) 原子と C-H…O 水素結合の形成を示唆する極めて近い距離に位置していた.錯体 1aはその 31P{1H} NMR スペクトルから,金属周りの擬回転運動に起因したフラクショナルな錯体であることが判明したが,低温測定においてもそのスペクトルに変化は観測されなかった.

一方,同様の反応から,ホスフィンの種類が異なるパラジウム錯体1bならびに白金錯体2a-2dを得た.これらの錯体の 31P{1H} NMRの低温測定においては,白金錯体2aおよび2bでは-60℃付近でシグナルのブロードニングが,また白金錯体2cおよび2dでは,-50℃以下でシグナルの分裂が観測され,特にキレートホスフィンを有するこの2つの錯体においては配位酸素原子の交換が遅くなっていることが判明した.

一連の白金錯体について X 線結晶構造解析を行ったところ,2aおよび2bはパラジウム錯体 1aとその構造において大きな差異はなく,P3O9 配位子のコンホメーションはいずれもイス形となっていたが,dppe 錯体 2c [Fig. 1 (b)] においては P3O9 配位子は P(1)O(9)P(3)O(7)P(2) がほぼ平面をなす特徴的な配座となり,Pt…O(3) 間の相互作用はなくなっていた.このことから2cのコアレス温度が他に比べて高かったのは,P3O9 配位子のコンホメーション変化に伴って O(3) がPtから離れ,擬回転運動の5配位中間体をとりにくくなったためであると理解できる.一方,イス型の P3O9 配位子を有する2dに関しては,dppb 配位子の架橋メチレン鎖の反転過程が阻害要因として働き,結果として2dのコアレス温度が他に比べて上昇したものと考察された.また,dppb錯体2dの擬回転運動に関して熱力学的な解析を試みたところ,ΔG‡233=42±2 kJ・mol-1,ΔH‡ = 45±1 kJ・mol-1,ΔS‡ = 10±6 J・mol-1・K-1 と各パラメータが算出された.

Rh(I),Ir(I),Ru(II),Pd(II) を含むシクロテトラホスファト錯体の合成

八員環構造のシクロテトラホスファト (P4O124-) に関してはこれを用いた有機金属錯体の合成例はなく,その配位挙動は未知である.そこでまず後周期遷移金属のP4O12錯体について検討を行った.

(PPN)4(P4O12) に等モルの [M(cod)Cl]2 (M = Rh, Ir; cod = 1,5-cyclooctadiene) を反応させたところ,二核錯体 (PPN)2[{M(cod)}2(P4O12)] [M = Rh (3a), Ir (3b)] を得た.3は固体状態において2つの金属原子が環の上下に1つずつ結合した trans 構造を取っていた.一方,室温の31P{1H} NMR では P4O12 に帰属されるシグナルが2種類観測されたことから [3a: δ-18.4, -18.5 (s, 1:8); 3b: δ-16.4, -16.9 (s, 1:3)],異性体の存在が示唆された.この2種のシグナルは温度によってその強度比が変化し,室温と-60℃とではメジャーな化学種が異なっていた.また,3aと3b間で金属フラグメントのスクランブリングは観測されなかった.以上のことから3は溶液中において分子内転位による trans/cis の平衡混合物として存在しているものと推定された (Scheme 2, Fig. 2).

一方,4当量の [Rh(cod)(MeCN)x]+ と (PPN)4(P4O12) との反応を試みたところ無電荷のロジウム四核錯体 [{Rh(cod)}4(P4O12)] (5) が得られた (Fig. 3).X 線結晶構造解析から5はP4O4環の上下に2つずつのロジウム原子が交互に結合した特異な構造を取っていることが分かった.3aのcis体に対応する部分骨格を含む5は,3が溶液中においてcis/trans異性体混合物として存在していることを間接的に支持している.

この他,ルテニウムならびにパラジウム錯体に関しても二核錯体 [{Ru(PPh3)2(MeCN)2}2(P4O12)] (6) および (PPN)2[{Pd(π-ally)}2(P4O12)] (7) が得られた.

Ti(IV) を含むシクロホスファト錯体の合成

次に,単核〜三核のチタン錯体のシクロホスファト配位子上への集積を試みることにした.

(PPN)4(P4O12) と Cp*TiCl3 (Cp* = C5Me5) との反応からは,チタン二核錯体8を得た [Scheme 3, Fig. 4(a)].固体状態において本錯体はサドル形P4O12配位子2分子が2つの Cp*Ti フラグメントを介して張り合わされた箱型の構造で,その内部には細長い空孔が存在している.一方,オキソ架橋三核錯体 [Cp*TiCl(μ-O)]3 と等モルの (PPN)4(P4O12) との反応からは,クラウン形コンホメーションのP4O12配位子をもつ9が得られた.9はP4O12配位子とTi3O3ユニットの相対的な回転運動に起因するフラクショナルな挙動を示すことが、そのNMR測定により確認された.

またシクロトリホスファトに関しては,二核錯体 [Cp*TiCl2(μ-O)]2,三核錯体 [Cp*TiCl(μ-O)]3 と (PPN)3(P3O9) との反応から,それぞれ10ならびに11が得られた [Scheme 3, Fig. 4(b)].

シクロトリホスフィマト錯体の合成

次に,P3O93- の架橋O原子がNHにより置換された類縁化合物であるシクロトリホスフィマト P3(NH)3O63- に着目し,両配位子の有機金属錯体における配位挙動の比較を行なうこととした.

三核錯体 [Cp*TiCl(μ-O)]3 との反応からは,柱状構造の無電荷錯体 [{Cp*Ti(μ-O)}3{P3(NH)3O6}] (12) が得られた (Scheme 4).(PPN)3(P3O9) との反応からは前項で示したように,1つの塩素原子を未反応のまま残したアニオン性錯体11が生成していることと対照的である.このような錯形成挙動の差異は二つの配位子の電子供与性ならびに立体的なサイズの違いを反映したものと考えられる.

また,この無電荷錯体12はメタノールに溶解することでTi3O3の6員環部分が開環し,チタン上へMeO配位子が入った錯体 13を与えた (Scheme 4, Fig. 5).また13はメタノール溶媒中でのみ存在でき,重アセトン中に溶解すると閉環構造の錯体12を再生する.おそらく微量に含まれる系中の水との反応により脱メタノールが進行したものと考えられる.原料に用いた三核錯体 [Cp*TiCl(μ-O)]3 ではメタノールとの反応は認められないことから,今回見出した12および13の相互変換反応は本来メタノールに対して不活性であった [Cp*TiCl(μ-O)]3 中のチタン中心が [P3(NH)3O6] 配位子との錯形成によってその反応性を高めたと見ることも出来る.

Ortep drawings of the anionic parts in la (a) and 2c (b). Hydrogen atoms of 2c are omitted for clarity

Variable temperature 31P{1H} NMR (CDCl3) spectra of 3a

Ortep drawing of 5. Hydrogen atoms are omitted for clarity.

Ortep drawings of the ani onic parts in 8(a) and 10(b). Hydrogen atoms are omitted for clarity.

Ortep drawings of 13. Hydrogen atoms are omitted for clarity.

審査要旨 要旨を表示する

固体触媒において,酸素表面上に担持された金属化学種が高い触媒活性を示すことを受けて,酸素ドナー配位子を利用した有機金属錯体が近年注目されているが,特に,ドナー性酸素原子が環状に配列した構造を持つものは,金属中心の興味深い反応性を導き出すことに成功している.一方,このような酸素表面モデルとしての興味の他に,酸素ドナー配位子を基盤とする有機金属錯体は,新しい無機材料合成のためのシングルソースプレカーサとしても期待されている.すなわち,あらかじめ構造と組成とを厳密に制御した無機成分を母体とする有機金属錯体をまず調整した後に,これを焼成することで内部構造の均一な無機化合物を得ようというものである.このような背景のもと,本論文は、ドナー性酸素原子が環状に配列しているという構造的特徴を持ち,無機成分から成るポリアニオン,シクロホスファトならびにシクロホスフィマトに着目し、両配位子が有機金属錯体合成においてどのような配位挙動を示すのか,また,このような酸素ドナー配位子が金属中心に対してどのような反応性を付与しうるのかの二点を目的に据えて行なった結果をまとめたものであり,7章より構成されている.

第1章では,酸素ドナー配位子の二つの利用法である,酸素表面モデルと無機化合物合成の前駆体に関連する事項を詳述した後、シクロホスファトならびにシクロホスフィマトを酸素ドナー配位子として用いる利点を示し,本研究の背景と目的を述べている.

第2章では,6員環構造のシクロトリホスファトを用いて10属遷移金属錯体を合成し、その構造的特徴を明らかとするとともに,得られた錯体の溶液内における動的挙動の解析を行っている.

第3章では,先に用いた6員環のシクロトリホスファトに比べて,より広い8員環状の骨格を持つシクロテトラホスファトに新たに着目し,これを酸素ドナー配位子として利用した場合に,後周期遷移金属がどのような集積形態を取りうるのかについて述べている。特に,ロジウムの 2 核錯体から4 核錯体へと変換される際に,シクロテトラホスファトがイス形からサドル型へとそのコンフォメーションを大きく変化させて金属の集積度に柔軟に対応していることはシクロホスファトの特徴として興味深い.

第4章では,第3章で明らかとなったシクロホスファトの示す柔軟な骨格変換を受けて,酸素親和性の高い前周期遷移金属錯体との反応へと展開している.その結果,シクロテトラホスファトと単核チタン錯体との反応からは,内部に細長い空孔を有するチタン2核錯体が得られ,また,シクロトリホスファトとチタン2核錯体との反応からは2分子のシクロトリホスファトが2つのチタン中心を架橋配位するという新規構造を見出すに至っている.

第5章では,シクロホスファトの性質を知るために,これの類縁化合物であるシクロホスフィマトを酸素ドナー配位子として錯体合成を行ない,両配位子の配位挙動の比較を行なっている.その結果,オキソ架橋チタン三核錯体との反応において2つの配位子が,構造の全く異なる錯体を与えることを見出し,さらに,その原因を両配位子の電子的および立体的な差異であると考察し,これを実験的に明らかとしている.

第6章では,酸素表面上に担持された後周期遷移金属の反応性開発を念頭に,アニオン性シクロトリホスファトルテニウム錯体の反応性について検討を加えている.すなわち,光分解反応を用いることにより,ルテニウム上のアレーン配位子を2座キレート配位子2,2'-ビピリジンで置換して,ルテニウム上に空の配位座を発生させ,ここに各種基質を導入することを試みている.内部アルキンとの反応においてはη2配位のアルキン錯体が得られ,また,末端アルキンとの反応では,反応条件により,カルベン錯体が生成する場合と,炭素、炭素三重結合の切断反応が進行する場合があることを明らかとしているが,特に注目すべきはアニオン性錯体が得られている点である.すでにカチオン性錯体中心の有機金属化学が成熟しているのに対して,アニオン性錯体の有機金属化学は未開拓な分野であり,本章での知見はこの領域を切り開く一歩と認められる.また,メタノールを反応させた場合にはルテニウム中心の酸化を伴ってメトキシ錯体が生成することを見出しているが,本反応に関しては酸素分子の関与が示唆されており,酸化反応触媒系の確立につながるものとしても興味深いものである.

第7章では,第2章から第6章までの研究について総括し,今後の研究の展望を述べている.

以上のように本論文はまず,シクロホスファトがその柔軟な骨格変換により,多様な配位様式の錯体群を与えることを見出し,シクロホスファトの配位化学という基礎化学的な知見拡充に貢献するとともに,無機化合物合成の新しい前駆体を提供した.また,シクロホスファトルテニウム錯体を用いた有機基質の取り込みとその変換反応を見出し,アニオン性錯体の化学という未開拓領域の道を開いた.これらの成果は有機金属化学,錯体化学,有機合成化学上,きわめて重要な知見である.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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