学位論文要旨



No 119208
著者(漢字) 安,光得
著者(英字)
著者(カナ) アン,ガントク
標題(和) アミノアジピン酸還元酵素に基づく菌類の系統進化に関する研究
標題(洋)
報告番号 119208
報告番号 甲19208
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2759号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 中島,春紫
 筑波大学 教授 徳増,征二
内容要旨 要旨を表示する

分子系統学の解析により、菌類は植物よりも動物に近縁であることが示されている。しかし、細胞レベルにおいて動物と菌類の相違点は少ない。菌類学の教科書によると、細胞壁にキチンを有することやアミノアジピン酸経由でオキソグルタル酸とアセチルCoAからリジンを生合成することなどが挙げられている。本研究においては菌類の特徴とされているアミノアジピン酸経由リジン生合成から菌類の系統進化を研究した。

菌類型と原核生物型のアミノアジピン酸経由リジン生合成経路の比較

オキソグルタル酸とアセチルCoAよりアミノアジピン酸を経由しリジンを生合成する経路は長く菌類の特徴とされてきたが、近年、種々の原核生物がアミノアジピン酸を経由しリジンを生合成することが報告されている。しかし、両者の生合成経路には違いが見られ、アミノアジピン酸からリジンまでの経路がまったく異なっている。特に、アミノアジピン酸還元反応が菌類特有のものであり、その反応を触媒するアミノアジピン酸還元酵素は菌類のみが有し、動物や植物は持っていないことがゲノムの比較より明らかになった(1)。アミノアジピン酸の還元に関与する酵素は酵母 Saccharomyces cerevisiae においてはLYS2 (1392aa)と呼ばれ、アデニル化ドメイン、ペプチジルキャリヤードメイン、還元化ドメインの3つのドメインからなる。

アミノアジピン酸還元酵素の分子進化

既知の7つの LYS2 はいずれも子嚢菌類からのものであった。そこでこれらの配列のアライメントより、アデニル化ドメインを増幅できるPCRプライマーを作成した(1)。このプライマーを用いて PCR を行ったところ、子嚢菌類以外の菌類構成グループである担子菌類、接合菌類、ツボカビ類からも目的産物を得ることができた。相同性検索より、タンパク質立体構造が明らかにされている Bacillus brevis のグラミシジンS合成酵素には、それぞれのアミノ酸結合領域を有したアデニル化ドメインとペプチジルキャリヤードメインが近接して存在し、LYS2 の対応する2つの相当ドメインとよく似た構造を有していることがわかった。グラミシジンS合成酵素にはAMP結合領域にバクテリアのアデニル化ドメインにはないシステインが存在し、重要な機能を担っていると考えられた。LYS2 のアデニル化ドメインが、どの細菌の非リボソーム型ペプチド合成酵素のアデニル化ドメインと構造的に最もよく似ているかを最尤法により解析した。その結果、菌類の LYS2 のアデニル化ドメインはアグロバクテリウム由来のタンパク質と近縁であることが示されたが、そのブーツストラップ確率は17%と低く、信頼に堪えうるものではない。このことは、このドメインの起源が極めて古く、度重なる重複置換が生じたことを意味し、現存タンパク質の構造比較からはその祖先を推定できないと考えられる(2)。

アミノアジピン酸還元酵素に基づく菌類の系統解析

子嚢菌類30株、 担子菌類13株、接合菌類2株、ツボカビ類4株から LYS2 アデニル化ドメインをコードしている領域の塩基配列を決定した。塩基置換頻度を rDNA や ITS 領域のそれらと比較したところ、lys2 は塩基の挿入・欠失の頻度が低く、同義的置換頻度が極めて高いことがわかり、本領域が分子系統学および分子生態学に、より適したものであると言える。また、担子菌類 Bullera 、Rhodotorula 、Mixia についてはリジンを含まない最少培地で発現している RNA を取り、RT-PCR を行ったところ、lys2 が確かに発現していることを確認した。その RT-PCR 産物の塩基配列と、ゲノムからのPCR産物の塩基配列を比較したところ、Bullera と Mixia には同じ位置にイントロンが存在し、また Rhodotorula はそれらとは異なる位置にイントロンが存在していた。しかし、生物系統やリボソーム RNA 比較、さらに LYS2 のアミノ酸配列比較によると、Mixia は Bullera とより Rhodotorula に近縁であった。すなわち、これらのイントロンの挿入位置は生物系統と相関がないことを示す。他方、LYS2 比較に基づく菌類の系統樹を最尤法で作成した結果、LYS2 の多様化は菌類の系統進化を反映していた(図1)。

環境における菌類の検出への応用

lys2を指標にし、環境中における菌類を調べた。サンプルはミャンマーの大豆食品を用いた。18S rDNA と lys2領域に対し PCR し、その産物をクローニングして得られたクローン各20個の塩基配列を決め、相同性検索にかけた。結果は、18S rDNA では真正子嚢菌類、半子嚢菌類が検出され、lys2では真正子嚢菌類、古生子嚢菌類、担子菌類が検出された。18S rDNA はゲノム当たり数百コピー存在することを考えると優勢分類群だけがよく検出され、環境中の菌類の多様性分布を反映していないと考えられる。一方、lys2はゲノム当たり1コピーであることから rDNA よりも菌類系統解析及び菌類生態解析を調べるのに有効である。

 従来の研究は生物に普遍的に存在しているものを比較することが中心であった。菌類特異的な遺伝情報を菌類の系統進化解析に用いた本格的な研究はこれが初めてである。本研究により、アミノアジピン酸還元酵素が菌類のリジン生合成における鍵酵素であり、その分子進化は菌類の多様化と一致することを示した。よって、この遺伝情報が菌類の指標として使うことができ、菌類の系統進化学および生態学研究のツールとして現在最強のものであることを示した。

Lys2比較に基づく系統樹An KD, Nishida H, Miura Y, Yokota A. (2002) Aminoadipate reductase gene : a new fungal-specific gene for comparative evolutionary analyses. BMC Evol. Biol. 2:6)An KD, Nishida H, Miura Y, Yokota A. (2003) Molecular evolution of adenylating domain of aminoadipate reductase. BMC Evol. Biol. 3:9
審査要旨 要旨を表示する

分子系統学的解析から、菌類は植物および動物と異なることが示されているが、細胞レベルでの相違点は少ない。菌類は細胞壁にキチンを有すること、アミノアジピン酸経由でオキソグルタル酸とアセチル CoA からリジンを生合成する点が植物、動物と異なる。本研究では菌類に特徴的なリジン生合成系の酵素、アミノアジピン酸還元酵素遺伝子の塩基配列を用いて系統解析を行い、菌類の系統進化を研究した。

第1章では本研究の背景について述べている。第2章では菌類と原核生物のアミノアジピン酸経由リジン生合成経路について比較した。オキソグルタル酸とアセチル CoA よりアミノアジピン酸を経由してリジンを生合成する経路は菌類の特徴とされてきたが、近年、種々の原核生物でアミノアジピン酸を経由してリジンを生合成することが見い出された。しかし、両者の生合成経路には違いが見られ、アミノアジピン酸からリジンまでの経路がまったく異なっている。特に、アミノアジピン酸還元反応が菌類特有のものであり、その反応を触媒するアミノアジピン酸還元酵素は菌類のみが有し、動物や植物は持っていないことがゲノムの比較より明らかになった。アミノアジピン酸の還元に関与する酵素は酵母 Saccharomyces cerevisiae においては LYS2 (1392 アミノ酸残基)と呼ばれ、アデニル化ドメイン、ペプチジルキャリヤードメイン、還元化ドメインの3つのドメインから成る。

第3章ではアミノアジピン酸還元酵素の分子進化について述べた。既知の7つの子嚢菌類のLYS2の配列のアライメントより、アデニル化ドメインを増幅できる PCR プライマーを作成してPCR反応を行い、子嚢菌類、担子菌類、接合菌類、ツボカビ類の何れからも目的産物を得ることができた。塩基配列を決定し、相同性検索を行った結果、原核生物のリボソーム非依存性ペプチド合成酵素と相同性を示すことがわかった。タンパク質の立体構造が明らかにされている Bacillus brevis のグラミシジンS合成酵素では、アデニル化ドメインとペプチジルキャリヤードメインが近接して存在し、LYS2の対応する2つの相当ドメインとよく似た構造を有していることがわかった。LYS2 のアデニル化ドメインは細菌のなかで Agrobacterium 属細菌由来のタンパク質と最も類縁性を示した。子嚢菌類30株、担子菌類13株、接合菌類2株、ツボカビ類4株から LYS2 アデニル化ドメインをコードしている領域の遺伝子の塩基配列を決定し、系統解析を行った。本遺伝子と rDNA、ITS 領域の遺伝子の塩基置換頻度を比較したところ、lys2は塩基の挿入・欠失の頻度が低く、同義的置換頻度が極めて高いことがわかり、本領域が分子系統学および分子生態学研究により適したものであると言える。

第4章では担子菌類のlys2 に存在するイントロンについて考察した。担子菌類 Bullera 、Rhodotorula 、Mixia についてはリジンを含まない最少培地で発現している mRNA を得、RT-PCR を行って、lys2 が発現されていることを確認した。その RT-PCR 産物の塩基配列と、ゲノムからの PCR 産物の塩基配列を比較したところ、Bullera と Mixia には同じ位置にイントロンが存在し、また Rhodotorula ではそれらとは異なる位置に存在していた。rRNA の塩基配列とLYS2のアミノ酸配列に基づく系統解析では、Mixia はBullera より Rhodotorula により近縁であるので、イントロンの挿入位置は生物系統と相関がないことがわかった。

第5章ではlys2を指標とした環境中の菌類の検出への応用について述べた。菌類を多く含む大豆食品からDNAを抽出し、 18S rDNA と lys2 遺伝子について PCR 反応を行い、その産物をクローニングして菌相を調べた。18S rDNA はゲノム当たり数百コピー存在するため、優勢分類群だけがよく検出され、環境中の菌類の多様性分布を反映していないものと考えられる。一方、lys2 はゲノム当たり1コピーであることから rDNA よりも菌類系統解析及び菌類生態解析を調べるのに有効であるものと考えられた。従来の研究は生物に普遍的に存在する遺伝子について比較することが中心であったが、菌類に特異的な遺伝子を用いて菌類の系統進化の解析を行ったのはこれが初めてである。

第6章では今後の展望について考察した。本研究により、アミノアジピン酸還元酵素が菌類のリジン生合成における鍵酵素であり、その分子進化は菌類の多様化と一致することから、菌類の系統研究の指標として使うことができ、菌類の系統進化学および生態学研究の強力なツールと成り得ることを示した。

以上、本論文はアミノアジピン酸還元酵素遺伝子の塩基配列を用いて系統解析を行い、菌類の系統進化をを明らかにしたもので、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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