学位論文要旨



No 119380
著者(漢字)
著者(英字) Lam,Hilton Yu
著者(カナ) ラム,ヒルトン ユ
標題(和) 生命に関する個人の時間選好に影響する因子 : フィリピン、米国における比較調査
標題(洋) Factors Affecting Individual Time Preference for Life : A Philippine-USA comparative study
報告番号 119380
報告番号 甲19380
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2354号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 大島,巌
 東京大学 助教授 松山,裕
内容要旨 要旨を表示する

時間選好とは、将来獲得される1単位の財と直ちに入手可能な同単位の財について、人のその財への消費願望の強さのことである。この消費選好は、金銭や生命、公平、自由などのような多くの消費対象に適用され得る。割引率は、時間選好の数理的な表現であり、2時点間の消費選好の違いを表す。生命に関する時間選好は、1980年代初めから注目され始めた。生命に関する時間選好は、健康行動やライフスタイルに関する選好の理論研究や、費用や便益が同時には発生しない長期の保健プロジェクトの経済評価のツールなどにおいて重要性が見出される。

本研究の第1の目的は、フィリピンと米国における4つのサブグループ、すなわち医学生、医師、看護学生、看護師間の割引率を比較することである。第2の目的は、割引率に影響する重要な因子を明らかにすることである。

この研究は、医療や看護の専門職に注目し、信念、文化、利他主義、ストレス、自己統制と、割引率との関連を明らかにすることを重要視している。また、アジアと米国の比較を行うという点でもユニークである。

調査対象とした1,400人のうち、米国人345人、フィリピン人722人、計1,067人の回答を分析に用いた。2変数間および多変数間の分析により、以下のことが明らかになった。5年の期間を考慮した割引率は、それよりはるかに長期(80年)の割引率よりも有意に高かった。いいかえれば、寿命を考慮した時間的視野と寿命を超えた時間的視野における割引率は異なっていた。また、いずれの割引率についても両国の幾つかのサブグループ間において有意な差が見られた。

割引率 (y) の分布(負の値[y<0%]、ゼロ[y=0%]、正で低い値[0<y≦10%]、正で高い値[10<y≦20%]、正でとても高い値[y>20%])は、寿命を考慮した時間的視野の割引率と寿命を超えた時間的視野の割引率の間で有意に異なっていた。すなわち、前者の分布は3.6%、73.9%、9.5%、6.3%、6.7%であり、後者の分布は7.3%、62.1%、29.5%、1.0%、0.0%であった。

比例オッズモデルによるロジスティック回帰によれば、ストレス、近親者の死や親友の死、悪化している平和や秩序、職業経験年数、年齢、収入、文化、国は寿命を考慮した割引率の関連因子であった。特に割引率と年齢の関係について、寿命を考慮した時間的視野と、寿命を超えた時間的視野の両方について検討したところ、いずれも年齢が増すと割引率は上昇するが、35<x≦45 歳をピークにその後、減少した。割引率と職業経験年数の関係は、寿命を考慮した時間的視野についてのみ有意差があり、職業経験年数が増加すると、割引率は増加するが、10<x≦20年をピークにその後、減少した。

本研究の結果、寿命を考慮した時間的視野での割引率は、寿命を超えた時間的視野での割引率とは有意に異なっていた。それゆえ、これら2つの時間的視野を含むプロジェクトにおいて同じ割引率が用いられている現状については再検討が必要と思われた。

本研究成果は、個々人の割引率や時間選好に影響を及ぼす要因を考慮した上で、最適のタイミングで個人に働きかけを行う手がかりを与える。生命についてゼロや負の割引率を有する人は、容易にワクチン・プログラムや他の長期的なプログラムを受けるよう説得される可能性は高いが、直ちに根治的外科介入や積極的治療を受けるという説得には容易に応じないかもしれない。逆に、生命について正あるいは高い割引率を有する人は、喫煙習慣や高脂肪食あるいは高コレステロール食、坐業的な生活様式、あるいは安全でない性行動を差し控えたくないかもしれないが、根治的外科介入や積極的治療を受けることについては説得されやすいかもしれない。このように、種々の予防的あるいは治療的介入に対する個々人のコンプライアンスの鍵は、当該介入プログラムについての割引率とその個人の割引率との関係にも依存すると思われる。

今後の課題として、種々の医師患者間の関係における両者の時間選好と、その後の患者の薬や治療に対するコンプライアンスを調べるような、縦断的研究を行うことが望まれる。さらに、ヘルス・プロモーションにおいては、健康増進を図る側と参加者側の割引率の関係と、介入後の経過や成果について検討することも課題となろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、生命に関する個人の時間選好について、異なるサブグループ間で比較を行うとともに、個人の時間選好に影響する因子について調査分析を行ったものである。

本研究では、まずフィリピンと米国における4つのサブグループ、すなわち医学生、医師、看護学生、看護師間の時間選好に関わる割引率を比較した。分析対象は、米国人345人、フィリピン人722人、計1,067人である。分析の結果、いずれのサブグループにおいても、寿命の範囲内の割引率は、寿命より長期(80年)の割引率よりも有意に高かった。また、いずれの割引率についても、いくつかのサブグループ間において有意な差が見られた。

比例オッズモデルによるロジスティック回帰分析の結果、ストレス、近親者の死、親友の死、悪化している平和や秩序、職業経験年数、年齢、収入、文化、国が、寿命の範囲内の割引率の関連因子であった。とりわけ割引率と年齢の関係について、寿命の範囲内の時間的視野と、寿命を超えた時間的視野の両方について検討したところ、いずれも年齢が増すと割引率は上昇するが、35〜45歳をピークにその後、減少した。

本研究の結果、寿命の範囲内の時間的視野の保健プロジェクトと、寿命を超えた時間的視野での保健プロジェクトにおいて、同じ割引率を用いている現状については再検討が必要であることが明らかになった。また、最適のタイミングで予防的あるいは治療的介入を行うために、個人の時間選好に影響を及ぼす要因を考慮する手がかりを得ることができた。

以上、本論文は生命に関する個人の時間選好が時間的視野で異なること、また個人の時間選好が年齢、職業経験年数、文化、ストレスなどの要因と関連することを明らかにした点で独創性が認められ、保健医療分野の予防的あるいは治療的介入において重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク