学位論文要旨



No 119390
著者(漢字) 飯村,真也
著者(英字)
著者(カナ) イイムラ,シンヤ
標題(和) 水中での触媒的有機合成反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 119390
報告番号 甲19390
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1051号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 長野,哲雄
内容要旨 要旨を表示する

グリーン・サステイナブル ケミストリー (GSC) の重要性が高まる現在、有機溶媒に代わる「環境に優しい反応溶媒(媒体)」の探索が活発に行われている。その中で最も魅力的なものとして水が挙げられる。水は、無毒・無害なだけでなく、通常用いられる有機溶媒に比べ極めて安価であるという利点もある。また、水は有機溶媒と異なる性質を持つことから、従来実現できなかった新たな反応性や反応選択性を生み出す可能性を秘めている。さらに一方では、水は酵素が働く媒体でもあるため、水中での有機反応の研究はそのような観点からも非常に意義深いものであると考えられる。

本研究で筆者は、水中で有効に機能する触媒に関する検討を行い、界面活性剤型触媒や疎水性高分子触媒を用いることで、これまで困難であった様々な水中での触媒的有機合成反応を実現したばかりでなく、それらの触媒に関する重要な知見を得ることができたので、以下にその成果をまとめる。

界面活性剤型Bronsted酸を触媒として用いる水中での脱水反応1

最近筆者らの研究グループは、界面活性剤型 Bronsted 酸であるドデシルベンゼンスルホン酸 (DBSA) と反応基質が水中で形成する内部に疎水場を持つエマルション液滴を活用することで、非常に困難であると考えられていた水中での脱水的エステル化反応が円滑に進行することを見出した。そこで筆者は、本触媒反応系を展開すべく他の水中での脱水反応の検討を行ったところ、エーテル化、チオエーテル化、ジチオアセタール化反応にも有効であることを明らかにした (Scheme 1)。また、基質であるアルコールの脂溶性の違いを利用した選択的エーテル化反応 (Eq.1) や、生成物が結晶である場合には反応後処理においても有機溶媒を全く用いないクリーンで簡便なプロセス (Eq.2) を実現した。これらはいずれも水中でのみ実現できる手法である。さらに、本触媒系を用いる脱水的エーテル化反応の詳細を明らかにすべく速度論的研究を行った結果、興味深い知見を得た。これらの知見に基づき、水中での官能基特異的多成分脱水縮合反応を達成した (Eq.3)。

疎水性高分子触媒を用いる水中での有機合成反応2

上記のように筆者は、界面活性剤型触媒を用いることで水中での新たな触媒的脱水反応を開発することができたが、反応後処理や触媒の回収・再使用が困難であるなどいくつかの改善すべき問題が残されていた。そこで次に、これらの問題を解決すべく、疎水性高分子触媒を用いる水中での有機合成反応の開発に着手することとした。一方で筆者は、これまで速度論的にも熱力学的にも困難とされていた、酸触媒によるカルボン酸とチオールからの直接的チオエステル化反応が、非常に強い Bronsted 酸であるトリフルオロメタンスルホン酸 (TfOH) などを触媒として用いることでトルエン共沸脱水条件下円滑に進行することを見出していた (Scheme2)。このような背景のもと、同様に酸触媒では速度論的に達成が困難であるチオエステルの加水分解をモデル反応とし、疎水性高分子触媒を用いる水中での有機反応の検討を開始した。

架橋ポリスチレンより容易に調製可能な疎水性高分子固定化スルホン酸 (PS-S03H, 0.46mmol/g) を触媒として用い、dodecyl thiolaurate の加水分解を検討したところ、24時間で69%の収率で加水分解が進行した (Table 1, entry 8)。一方で、水中で有効に機能していた界面活性剤型触媒をはじめ他の Bronsted 酸を用いた場合、反応の進行はほとんど観測されなかった。特に、市販のPS-S03H (DOWEX 50W-X2, 4.41 mmol/g) を用いた場合、反応が全く進行しなかりた点は興味深い (entry 9)。これは、触媒が水に膨潤してしまうためと考えられ、すなわち、触媒中のスルホン酸の含有量 (loading, mmol/g) が触媒の活性に大きく影響を及ぼすと考えられる。なお期待した通り、本触媒 (PS-SO3H) は簡便な操作で回収・再使用が可能であった。

次に、ここで開発した完全水系でのチオエステルの効率的酸加水分解法の合成的有用性を示すべく、検討を行った。その結果、一般に塩基性条件下での加水分解ではうセミ化が問題となる基質を用いても、本触媒系を用いれば比較的良好な結果を与えることが明らかとなった (Eq.4)。また興味深いことに、ベンジルアルコール誘導体存在下チオエステルの加水分解を行うと、チオエステルからチオエーテルヘとワンポット保護基交換反応が高収率で進行することを見出した (Eq.5)。さらに、一般に不快な臭いを有するジチオールの代わりに、ほぼ無臭でかつ酸化される心配のないジチオエステルを、ジチオアセタール化剤として直接用いることが可能であることも明らかにした (Eq.6)。

次に筆者は、なぜ疎水性高分子固定化スルホン酸が水中で優れた活性を示すのかを明らかにすべく、触媒中のスルホン酸の含有量および触媒構造に関する詳細な検討を行った。その結果、水中では両親媒性触媒を用いるという従来の概念とは異なり、反応の進行のためには触媒の疎水性が重要であることを明らかにした。また、これらの検討の知見を基に、スルホン酸の含有量 (loading) が低くかつ長鎖のアルキル基を有する疎水性高分子固定化スルホン酸 (LL-ALPS-SO3H) を創製した (Figure 1)。

さらに本触媒は、チオエステルの加水分解ばかりでなく、アセタールやアセトニドの脱保護、トランスチオアセタール化反応、エポキシドやアルキンの水和反応にも有効であることを明らかとした (Scheme 3)。アセタールの加水分解においては、市販の DOWEX 50W-X2 と比較することで、チオエステルの加水分解同様、LL-ALPS-SO3H が遥かに優れていることが分かった。なお、エポキシドの水和反応では生成物が水溶性であるため、有機溶媒を全く用いない水系でのフローシステムヘと展開が可能であると考えられる。さらに、これまで困難とされてきた、金属触媒を用いずに触媒量の Bronsted 酸を用いる水中でのアルキンの付加も、高収率で進行することが分かった。これらの反応のほとんどが、僅か 1 mol%の LL-ALPS-SO3H を用いるだけで、水中で円滑に進行することは特筆に値する。

なおこの他にも、疎水性高分子固定化スルホン酸が、水中での保護されたアルコール類の脱保護 (Scheme 4) や Mannich 型反応 (Scheme 5) にも有効に機能することを明らかにしている。

更に筆者は、疎水性高分子固定化触媒の水中での触媒的有機合成反応の有用性を拡張すべく、検討を行った。すなわち、疎水性高分子固定化 Lewis 酸触媒の開発に着手し、疎水性高分子固定化スカンジウム触媒 (PS-Sc) が、水中での向山アルドール反応などの炭素-炭素結合形成反応に有効であることを見出した。例えば、水中で加水分解されやすいケイ素エノラートを用いる向山アルドール反応が、2.5 mol%の PS-Sc を用いることで、穏やかな条件下円滑に進行することを明らかにした (Scheme 6)。また、PS-Sc触媒においても、注目すべき loading の効果があることを明らかにし、触媒の疎水性が重要であることを示した。

以上のように筆者は本研究において、水中で有効に働く触媒に関する様々な検討を行うことで、水中での有機反応の新たな可能性を示した。また、これまで一般に用いられてきた手法とは異なる「疎水性高分子触媒を水中で用いる」という新しい概念を提案することができた。本研究で見出された触媒は、単に反応を促進するのではなく、反応進行に効果的な反応場を水中で創り出すことで有効に機能している。すなわち、水中での触媒的有機合成反応の実現には、反応場創出型触媒の開発が鍵であると考えられる。これらの知見は、水中での触媒的有機合成反応の開発に重要な指針を与えるものである。

Dehydration Reactions in Water

TfOH-Catalyzed Direct Thioesterification from Carboxylic Aclds and Thiols

Hydrolysls of Thioester with Various Bronsted Acid Catalysts

Low-Loading and Alkylated Polystyrene-Supported Sulfonic Acid

LL-ALPS-SO3H-Catalyzed Organic Reactions in Water

LL-ALPS-SO3H-Catalyzed Deprotection of Protective Alcohols in Water

PS-SO3H-Catalyzed Mannich-Type Reactions in Water

PS-Sc-Catalyzed Mukaiyama Aldol Reaction in Water

(a)Kobayashi, S.; Iimura, S.; Manabe,K. Chem. Lett. 2002, 10. (b)Manabe, K.; Iimura, S.; Sun, X. M.;Kobayashi,S. J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 11971 (a) Iimura, S.; Manabe, K.; Kobayashi, S. Chem. Commun. 2002, 94. (b) Iimura, S. ; Manabe, K.; Kobayashi, S. Org. Lett. 2003, 5, 101. (c) Iimura, S.; Manabe, K.; Kobayashi, S. Org. Biomol. Chem. 2003, 1,2416. (d) Iimura, S.; Nobutou, D.; Manabe, K.; Kobayashi, S. Chem. Commun. 2003, 1644. (e)Iimura, S.; Manabe, K.; Kobayashi, S. J. Org. Chem. 2003, 68, 8723.
審査要旨 要旨を表示する

近年、有機反応でしばしば用いられる有機溶媒に替わる環境に優しい反応溶媒(媒体)の探索が活発に行われている。本論文は、その中で水に注目し、水を反応溶媒として用いる触媒的有機合成反応に関する研究を行った結果について述べたものである。水は、通常の有機溶媒に比べて安価で毒性もなく、引火などの心配もない。また、水は有機溶媒と異なる性質を有することから、従来、有機溶媒中では実現できなかった新たな反応性や反応選択性を具現できる可能性がある。さらに、水は生体内で酵素が働く媒体でもあるため、水中での有機反応の研究は生命有機化学の観点からも意義深いものと言える。

まず第一章では、界面活性剤型 Bronsted 酸であるドデシルベンゼンスルホン酸 (DBSA) を用いる水中での脱水反応について述べている。DBSAと反応基質が水中で形成する内部に疎水場を持つエマルション液滴を活用することで、従来困難であると考えられていた、エーテル化、チオエーテル化、ジチオアセタール化反応などの脱水プロセスが、水中で円滑に進行することを明らかにしている。また、基質であるアルコールの脂溶性の違いを利用した選択的エーテル化反応や、生成物が結晶である場合には反応後処理においても有機溶媒を全く用いない、クリーンで簡便なプロセスが実現できることも示している。さらに、本触媒系を用いる脱水的エーテル化反応に関して速度論的研究を行い興味深い知見を得ており、その知見に基づき、水中での官能基特異的多成分脱水縮合反応も達成している。

続いて第二章では、カルボン酸とチオールからの直接的なチオエステル化反応について検討し、非常に強い Bronsted酸であるトリフルオロメタンスルホン酸が有効な触媒として働くことを明らかにしている。エステルの生成とは異なり、チオエステルの生成は熱力学的に圧倒的に不利であるため、これまではカルボン酸とチオールからチオエステルを直接合成することは不可能であると考えられていた。本研究では、詳細な反応解析を行うことで上記の問題を解決し、化学的手法による初めての分子間の直接的チオエステル化反応を達成している。本反応は多くの反応基質に適用可能であり、合成的にも十分価値のある反応である。

本論文は、界面活性剤型触媒を用いることで水中での新たな触媒的脱水反応を達成したが、一方、界面活性剤型触媒は反応後処理や触媒の回収・再使用が困難であるなど、いくつかの改善すべき問題が残されていた。そこで次に第三章では、これらの問題を解決すべく、疎水性高分子触媒を用いる水中での有機合成反応の開発を行っている。まず、架橋ポリスチレンより容易に調製可能な疎水性高分子固定化スルホン酸 (PS-S03H) を触媒として用いると、dodecyl thiolaurateの加水分解反応が円滑に進行することを見出している(第二節)。この触媒反応は合成的にも有用であり、一般に塩基性条件下での加水分解ではうセミ化が問題となる基質にも適用可能であること、ベンジルアルコール誘導体の存在下でチオエステルの加水分解を行うと、チオエステルからチオエーテルヘとワンポット保護基交換反応が高収率で進行することも見出している。さらに、一般に不快な臭いを有するジチオールの代わりに、ほぼ無臭でかつ酸化される心配のないジチオエステルを、ジチオアセタール化剤として直接用いることが可能であることも明らかにしている。

さらに第三節では、触媒中のスルホン酸の含有量および触媒構造に関する詳細な検討を行い、水中では両親媒性触媒を用いるという従来の概念とは異なり、反応の進行のためには触媒の疎水性が重要であることを明らかにしている。また、これらの検討から得られた知見を基に、スルホン酸の含有量が低くかつ長鎖のアルキル基を有する疎水性高分子固定化スルホン酸 (LL-ALPS-S03H) を創製している。本触媒は、チオエステルの加水分解ばかりでなく、アセタールやアセトニドの脱保護、トランスチオアセタール化反応、エポキシドやアルキンの水和反応にも有効であることを明らかにしている。さらに、これまで困難とされてきた、金属触媒を用いずに触媒量の Bronsted 酸を用いる水中でのアルキンの付加も、高収率で進行することを示している。これらの反応のほとんどが、僅か1 mol%のLL-ALPS-S03Hを用いるだけで、水中で円滑に進行する。さらに、疎水性高分子固定化スルホン酸が、水中での保護されたアルコール類の脱保護(第四節)やMannich型反応(第五節)にも有効に機能することを明らかにしている。

最後に第四章では、疎水性高分子固定化触媒の水中での触媒的有機合成反応の有用性を拡張すべく、疎水性高分子固定化 Lewis 酸触媒の開発に着手し、疎水性高分子固定化スカンジウム触媒 (PS-Sc) が、水中での向山アルドール反応などの炭素-炭素結合形成反応に有効であることを見出している。

以上、本論文は、水中での触媒的有機合成反応の研究を行い、新たな知見に基づき新規の触媒を創製するとともに、有機溶媒中では得られない個々の反応の反応性、選択性を、水を溶媒として用いることにより実現している。したがって本論文は、有機合成化学、医薬品化学の分野に貢献するところ大であり、よって博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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