学位論文要旨



No 119392
著者(漢字) 鏑木,洋介
著者(英字)
著者(カナ) カブラギ,ヨウスケ
標題(和) (-)-Strychnineの全合成
標題(洋)
報告番号 119392
報告番号 甲19392
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1053号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 徳山,英利
 東京大学 助教授 長澤,和夫
内容要旨 要旨を表示する

【序】

マチン科Strychnos nux-vomica の種子から採取されるstrychnine (1) はStrychnos アルカロイドを代表する化合物である。古くから植物起源の最も強力な毒素の一つとしても知られている。構造は1948 年にRobinson ら、Woodward らの研究によって決定された1。分子量334(分子式C21H22N2O2)、骨格はわずか24 個の原子から構成される小さな分子であるが、6 つの不斉中心と特異な7 つの環を有し、他に類のない極めて複雑な構造を有する低分子有機化合物である。それゆえ有機合成化学者の興味を引きつけ、多くのグループによってその合成が試みられてきた。現在までに、ラセミ体の全合成が8 例(うち形式全合成3 例)、光学活性体の全合成が5 例報告されている2。これらは有機合成化学の発展にも大きく寄与した。合成上の課題となる点は、7 位4 級炭素を含む上部5 環性骨格の立体選択的構築、及び3 置換オレフィンの幾何化学を制御した構築が挙げられる。今回、筆者らのグループも独自の合成戦略で全合成を達成したので、以下報告する。

【逆合成解析】

1に特徴的な上部5 環性骨格の構築法について、まずモデル化合物を用いて以下のような検討を行った。当研究室で開発されたインドール合成法3と環状アミン合成法4を用いて合成された2に対して、o-ニトロベンゼンスルホニル(以下Ns と略す)基の除去の後に酸性条件下Boc 基の脱保護を行った(Scheme 1)。すると、アルデヒドとアミンが分子内で脱水縮合して3 で示したイミニウム塩を形成し、その後渡環反応が進行し望みの上部5 環性骨格が立体選択的に形成された。Magnus らはstemmadenine 型化合物の酸化により類似のイミニウム塩を形成させて渡環反応を行っているが2b、アルデヒドとアミンの分子内脱水縮合によってイミニウム塩を形成させる例はこれまでのところない。この知見をもとに、次のような逆合成解析を行った(Scheme 2)。

まず1 はその生合成前駆体でもあるWieland-Gumlich aldehyde (5) を経由して合成することとした。5 は上記知見に基づき6 の渡環反応により合成可能であると考えられる。ここで3 置換オレフィンの幾何化学の制御と渡環反応に必要なホルミル基の遊離を、3 位と18 位の結合に基づく6 員環の切断により行うこととすると、7 へ逆合成される。9 員環アミンの合成にはNs 基を用いた環状アミン合成法を適用し、ジオール8 から閉環することとした。8 はマロン酸エステル9 と光学活性なビニルエポキシド10 の辻−Trost 反応により合成することを計画した。そこでまず9及び10 の合成を行った。

【(-)-strychnine の全合成】

インドール9 は当研究室で開発されたインドール合成法を用いて容易に合成することができた(Scheme 3)。キノリンをチオホスゲンを用いて開環した後に、アルコールをTBS 基で保護して11 を得た。11 に対してマロン酸ジメチルの付加を行って得られるチオアミド12 をラジカル環化条件に付すことにより望みのインドール9 を得ることができた。

一方、ビニルエポキシド10 は次のように合成した(Scheme 4)。安息香酸のBirch 還元、メチルエステル化、オレフィンの異性化によって得られるジヒドロ安息香酸メチル13 に水存在下NBS を作用させると位置選択的にブロモヒドリンが形成され、ラセミ体のブロモヒドリン14 を得た。14 はリパーゼAYS を用いる光学分割により光学活性なアセチル体15 及びアルコール体16 に分離することができ、望みの絶対配置を有するエナンチオマー15 を収率46%、99% ee で得ることができた。15 はDIBAL で還元しジオール17 へ導いた。これをNaOMe で処理するとエポキシドが生成し、最後に一級アルコールをTBS 基で保護し10 を得ることができた。

次に9 と10 の辻−Trost 反応によるカップリングを試みた。9 のようなかさ高い置換基を有するマロン酸誘導体を基質とした辻−Trost 反応はこれまでにほとんど反応例がなく、カップリングは困難を極めた。種々検討した結果、トルエン中5 mol%のPd2(dba)3と25 mol%のP(2-furyl)3 を用いると良好な収率でカップリング体18 を得ることができた(Scheme 5)。18 はアルコールをMOM基で保護した後に脱炭酸、インドール窒素原子の保護、TBS 基の脱保護を経てジオール19 へ導いた。これに対してo-ニトロベンゼンスルホンアミド(NsNH2)を用いた光延反応を試みたところ、まず片方のアルコールと分子間で光延反応が進行しNs アミドが導入され、その後速やかにもう片方のアルコールと分子内光延反応が進行し、9 員環アミン20 を95%の収率で得ることができた。ここでジアステレオマーの混合物である20 は、DBU で加熱処理することにより単一のジアステレオマーに収束させることができた。MOM 基の除去、アルコールの酸化によって得られるケトン21 は、Rubottom 酸化によりα-ヒドロキシケトン22 へ変換した。22 をメタノール存在下、四酢酸鉛で処理するとC-C 結合の開裂が円滑に進行し、アルデヒド23 を与えた。引き続きNs 基、Boc 基の除去を行うと予想通り渡環反応が進行し、5 環性化合物24 を立体化学を完全に制御して得ることができた。24 は文献既知の5 工程を経て1 へ導き2d,2g、(-)-strychnine の全合成を達成した。

(a) Briggs, L. H.; Openshaw, H. T.; Robinson, R. J. Chem. Soc. 1946, 903. (b) Holmes, H. L.; Openshaw, H. T.; Robinson, R. J. Chem. Soc. 1946, 910. (c) Woodward, R.B.; Brehm, W. J. J. Am. Chem. Soc. 1948, 70, 2107.(a) Woodward, R. B.; Cava, M. P.; Ollis, W. D.; Hunger, A.; Daeniker, H. U.; Schenker, K. J. Am. Chem. Soc. 1954, 76, 4749. (b) Magnus, P.; Giles, M.; Bonnert, R.; Kim,C. S.; McQuire, L.; Merritt, A.; Vicker, N. J. Am. Chem. Soc. 1992, 114, 4403. (c) Stork, G. Presented at the Ischia Advanced School of Organic Chemistry, Ischia Porto,Italy, September 21, 1992. (d) Knight, S. D.; Overman, L. E.; Pairaudeau, G. J. Am. Chem. Soc. 1993, 115, 9293. (e) Kuehne, M. E.; Xu, F. J. Org. Chem. 1993, 58, 7490.(f) Rawal, V. H.; Iwasa, S. J. Org. Chem. 1994, 59, 2685. (g) Kuehne, M. E.; Xu, F. J. Org. Chem. 1998, 63, 9427. (h) Sole, D.; Bonjoch, J.; Garcia-Rubio, S.; Peidro, E.;Bosch, J. Angew. Chem. Int. Ed. 1999, 38, 395. (i) Nakanishi, M.; Mori, M. Angew. Chem. Int. Ed. 2002, 41, 1934. (j) Ohshima, T.; Xu, Y.; Takita, R.; Shimizu, S.; Zhong,D.; Shibasaki, M. J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 14546. (k) Eichberg, M. J.; Dorta, R. L.; Lamottke, K.; Vollhardt, K. P. C. Org. Lett. 2000, 2, 2479. (l) Ito, M.; Clark, C. W.;Mortimore, M.; Goh, J. B.; Martin, S. F. J. Am. Chem. Soc. 2001, 123, 8003. (m) Bodwell, G. J.; Li, J. Angew. Chem. Int. Ed. 2002, 41, 3261.Tokuyama, H.; Yamashita, T.; Reding, M. T.; Kaburagi, Y.; Fukuyama, T. J. Am. Chem. Soc. 1999, 121, 3791.(a) Kan, T.; Fujiwara, A.; Kobayashi, H.; Fukuyama, T. Tetrahedron 2002, 58, 6267. (b) Kan, T.; Fukuyama, T. J. Syn. Org. Chem., Jpn. 2001, 59, 779.
審査要旨 要旨を表示する

Strychnine (1)は脊髄の運動ニューロンのグリシン受容体と選択的に結合することによりシナプス後抑制を遮断し、強直性痙攣などを引き起こすことでよく知られている。一方、構造的にはわずか24個の原子からなる7環性の骨格の中に連続する6つの不斉中心と2つの窒素原子を含み、この系統の化合物の中では最も複雑な構造を有している。それゆえstrychnineは多くの有機合成化学者の興味を引きつけている。既に10例の全合成が報告されているが、その興味深い構造的特徴ゆえに、現在もなお活発に合成研究が行われている。鏑木は近年当研究室で開発された手法を応用することにより、 (-)-strychnineの効率的全合成を達成した。

まず、当研究室で開発されたインドール合成を用いて、キノリン(2)より4工程でインドール5を合成した(Scheme 1)。その一方、光学活性ビニルエポキシド9を安息香酸(6)よりLipase AYSを用いた光学分割反応を含む7工程で合成した(Scheme 2)。

次に、5と9を辻−Trost反応によってカップリングを行うことにより10を得た(Scheme 3)。このようなかさ高い置換基を有する基質同士のカップリング反応は困難を極めたが、種々検討した結果、トルエン中5 mol%のPd2(dba)3と25 mol%のP(2-furyl)3を用いる反応系が有効であることを見出した。

得られた10は4工程でジオール11へと変換された。これに対してo-ニトロベンゼンスルホンアミド(NsNH2)を用いる光延反応を行うと、まず片方のアルコールと分子間で光延反応が進行することによりNsアミドが導入され、続いて速やかにもう片方のアルコールと分子内光延反応が進行し9員環アミン12を与えた。窒素原子を含む中員環の合成は一般に困難であることから、このように穏和な反応条件で効率的に9員環アミンを得ている点は注目に値する。

その後、12を5工程でα-ヒドロキシケトン13へ変換した。これをメタノール存在下、四酢酸鉛で処理するとC-C結合の開裂反応が円滑に進行し、アルデヒド14を与えた。引き続きNs基、Boc基の除去をワンポットで行うと渡環反応が進行し、strychnine (1)に特徴的な5環性骨格を有する化合物15を完全に立体化学を制御して得ることができた。最後に15を文献既知の5工程で(-)-1へ導き、全合成を達成した。

以上のように、鏑木は独自の方法論を用いて(-)-strychnineの効率的全合成経路を確立した。また、その過程で見出された知見や用いられた方法論は、今後医薬品化学の分野において広く応用されることが期待できる。従って、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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