学位論文要旨



No 119396
著者(漢字) 高草,英生
著者(英字)
著者(カナ) タカクサ,ヒデオ
標題(和) FRETを利用したレシオ測定チロシンホスファターゼ活性検出プローブの開発と応用
標題(洋)
報告番号 119396
報告番号 甲19396
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1057号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

序論

異なる2波長での蛍光強度を測定しその比(レシオ)を検出するレシオ測定法は、蛍光プローブ自身の局在や濃度変化、試料の大きさや厚さのばらつき、励起光強度のばらつきなどの影響を減じることができるため、バイオイメージングを行う際に特に有利な測定法である。レシオ測定を行うためには、ターゲット分子との相互作用で励起波長ないし蛍光波長がシフトするような特性をもつ蛍光プローブ(レシオプローブ)が必要となる。本研究では、蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を利用したレシオプローブ設計法を新規に提案し、その方法に基づいてタンパク質チロシンホスファターゼ(PTP)をターゲットとしたプローブの開発を行った。PTPは、多くの重要な細胞機能(分化、増殖、癌化、免疫応答、神経機能)に関与すると考えられているが、その機能や活性調節機構に関して不明な点も多く残されているのが現状であり、生理的条件下でのPTP活性検出法が求められている。

FRET型チロシンホスファターゼプローブの開発

FRETにおいて、ドナーの蛍光スペクトルとアクセプターの吸収スペクトルの重なりの大きさ(重なり積分)は、エネルギー移動効率を規定する因子の一つである。私はFluoresceinが吸収特性の大きく異なる2つのコンフォメーション(lactone型とquinoid型)をとることに着目して、以下に説明する重なり積分変化をスイッチとする新規設計法を考案した(Figure 1)。

フェノール性水酸基に置換基を導入してlactone型となったFluoresceinはCoumarinとの間にスペクトルの重なりを持たないために、FRETは起こらない。よって、クマリンの励起エネルギーはそのままクマリンの蛍光として観測される。標的酵素によって置換基が加水分解を受けると、Fluoresceinがquinoid型となりCoumarinとの間に大きな重なり積分が生じる。従って、FRETによるアクセプター蛍光が観測されるようになる。

PTPによって加水分解されるリン酸基を導入した化合物1-3 をPTPレシオプローブとして設計・合成した(Figure 2)。1-3においては、FluoresceinとCoumarinを繋ぐリンカーの構造やFluoresceinに導入したリン酸基の数が異なっており、それら構造の違いが分光学的特性や酵素反応特性に与える影響について検討した。水溶液中で1-3の蛍光スペクトルを測定したところ、いずれも450 nm付近のCoumarin蛍光を示した(Figure 3)。PTPの一種であるPTP1Bを添加したところ、Coumarin蛍光が減少し515 nm付近のFluoresceinとから、レシオによる検出が可能であることが示された。シクロヘキサン構造をリンカーに持つ蛍光が増大した。PTP活性によって蛍光波長がシフトしたこ1と2は、エチレン構造をリンカーに持つ3よりも高い蛍光量子収率を示した(Table 1)。これは、リンカーをrigidな構造にすることで、水溶液中での色素会合による消光を妨げることができたためと考えられる。また、1と2ともに酵素反応後において高いFRET効率を示しており、酵素反応前後でFRET効率が劇的に変化することが明らかとなった。また、これらの化合物の蛍光はいずれもpH依存性や濃度消光を示したが、レシオ値に換算することでその影響を減じることができる

酵素反応パラメーターから、いずれの化合物もPTPの良い基質となることが明らかとなり、嵩高いシクロヘキサン構造を導入しても基質認識には影響を及ぼさないことが示された。分光学的特性、酵素反応特性の比較から、感度・酵素との親和性ともに1が最も優れていると判断し、これをレシオイメージングに適用することとした。

FRET 型 PTP プローブを用いたレシオイメージング

マイクロインジェクション法で1を生細胞に導入し、フィルター交換によりドナー蛍光とアクセプター蛍光を分光する方法でレシオイメージングを行った。その結果、経時的にレシオ(アクセプター蛍光/ドナー蛍光)の増大が観測された。このレシオ増大がPTPによるものであることを確認する目的で、PTP阻害剤であるSodium Orthovanadateを添加したところ、その濃度依存的にレシオ増大が抑制された。また、PTPは触媒過程にシステインのチオレートが寄与しているために、レドックスによって活性が変化することが知られている。そこでレドックスの影響を調べたところ、過酸化水素の添加でレシオの増大が抑制され、この抑制は還元剤の添加で解除された。これらの結果から、レシオの増大はPTP活性を反映していることが明らかとなった。

次に、1を用いたイメージングで正常細胞の接触阻止とPTP活性の関連について解析することを試みた。接触阻止を起こすマウス筋芽細胞C2C12を用いて細胞密度とPTP活性との関係を調べたところ、周囲がすべて細胞で埋まっているDenseの状態において、PTP活性の増大が観測された(Figure 4)。ウシ大動脈血管内皮細胞BAECにおいても同様の結果が得られた。一方、接触阻止能を欠損しているヒト子宮ガン細胞HeLaでは、細胞密度によるPTP活性の変化は見られなかった。よって、生きた細胞からPTP活性を直接検出することで、接触阻止が起こる際にPTP活性が増大することを示した。

次に、密度に依存してPTP活性が上昇するメカニズムについて検討すべく、薬理学的な実験を行第 4 章 疎水性基を有する PTP プローブの開発】疎水性構造を付加した局在型 PTP プローブ結果から、プローブを膜などの疎水的な部分に局在化させるためには、疎水性と電第 5 章 総括、今後の展望】RET型レシオプローブの新規設計方法を考案し、その方法に基づいった。まず、還元剤であるN-acetyl cysteine(NAC)を添加したところ、Sparseの状態においてもPTP活性の増大が見られた。また、lipoxygenaseの阻害剤であるnordihydroguaiaretic acid(NDGA)もしくはhospholipase A2の阻害剤であるbromophenacyl bromide(BPB)を添加した場合においても、同様にPTP活性の増大が観測された(Figure 4)。この結果は、アラキドン酸代謝経路より産生されるROSがPTP活性の調節因子となっていることを示唆している。さらに、PTP活性を増大させたNAC、NDGA、BPBをそれぞれ添加した系での細胞増殖速度を調べた結果、いずれの系においても細胞増殖が遅くなっていることが明らかとなった。この結果は、PTP活性の増大によって細胞増殖が抑制されることを示唆している。

疎水性基を有する PTP プローブの開発

局所的なPTP活性を検出する目的で、プローブに疎水性構造を付加した局在型 PTP プローブの開発を試みた。リン酸化フルオレセインにホスファチジルリン脂質、コレステロール、ドデシルピペリジン骨格をそれぞれ導入したDOPE-FDP、Chol-FDP、DP-FDPを設計・合成した。これらの細胞内局在、蛍光強度変化を比較したところ、疎水性基の大きいDOPE-FDPとChol-FDPはミセルを形成して均一な分布を示したのに対し、疎水性基が比較的小さく3級アミンの正電荷を有するDP-FDPでは膜やオルガネラへの局在を示した。局在化したDP-FDPは経時的な蛍光強度の増大を示し、これはPTP阻害剤のorthovanadateで抑制された。したがって、DP-FDPの示す蛍光増大は局在化部位でのPTP活性を反映していることが考えられる。

これらの結果から、プローブを膜などの疎水的な部分に局在化させるためには、疎水性と電荷のコントロールが重要であることが示された。

総括、今後の展望

重なり積分をスイッチとしたFRET型レシオプローブの新規設計方法を考案し、その方法に基づてチロシンホスファターゼプローブ1-3を設計・合成した。感度・酵素との親和性ともに優れていた1をレシオイメージングに適用した結果、生きた細胞におけるPTP活性を直接検出することが可能となり、正常細胞の接触状態依存的なPTP活性の上昇を捉えることに成功した。このように、1は生細胞でのイメージングを可能にするPTPレシオプローブであり、今後のPTP研究に貢献することが期待される。特に、細胞をすりつぶした状態では見ることのできない機能、あるいは細胞1つ1つのレベルでしか見ることのできない機能の解明に威力を発揮すると考えられる。細胞内で特定部位に局在化させるなどの改良を加えれば、数多くあるPTPアイソザイムの中から標的を絞ることができ、より詳細な解析が可能になると思われる。また、本研究で考案したレシオプローブ設計法は、導入する基質構造を変えることで糖加水分解酵素、エステラーゼ、プロテアーゼなど他の多くのレシオプローブ開発につながることが期待される。

The detection mechanism based on spectral overlap integral switching.

The structures of 1-3.

The emission spectra of compounds 1-3 (1.0 μM) after the addition of PTP1B (10 μg/ml) in 0.1 M HEPES buffer (pH 7.4) containing 1.0 mM DTT and EDTA at 30°C.

Chemical properties of 1-3.

(a) The increase rate of the fluorescence ratio in C2C12 cells dependent on the cell density and inhibitors. (b) Ratio images of C2C12 cells 5 min after the probe labeling.

審査要旨 要旨を表示する

異なる2波長での蛍光強度を測定しその比(レシオ)を検出するレシオ測定法は,蛍光プローブ自身の局在や濃度変化,試料の大きさや厚さのばらつき,励起光強度のばらつきなどの影響を減じることができるため,バイオイメージングを行う際に特に有利な測定法である.レシオ測定を行うためには,ターゲット分子との相互作用で励起波長ないし蛍光波長がシフトするような特性をもつ蛍光プローブ(レシオプローブ)が必要となる.高草英生は博士課程において,蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を利用したレシオプローブ設計法を新規に提案し,その方法に基づいてタンパク質チロシンホスファターゼ(PTP)をターゲットとしたプローブの開発を行った.PTPは,多くの重要な細胞機能(分化,増殖,癌化,免疫応答,神経機能)に関与すると考えられているが,その機能や活性調節機構に関して不明な点も多く残されているのが現状であり,生理的条件下でのPTP活性検出法が求められていた.

FRET型チロシンホスファターゼプローブの開発

FRETにおいて,ドナーの蛍光スペクトルとアクセプターの吸収スペクトルの重なりの大きさ(重なり積分)は,エネルギー移動効率を規定する因子の一つである.このうち,Fluoresceinが吸収特性の大きく異なる2つのコンフォメーション(lactone型とquinoid型)をとることに着目して,以下に説明する重なり積分変化をスイッチとする新規設計法を考案した.フェノール性水酸基に置換基を導入してlactone型となったFluoresceinはCoumarinとの間にスペクトルの重なりを持たないために,FRETは起こらない.よって,クマリンの励起エネルギーはそのままクマリンの蛍光として観測される.標的酵素によって置換基が加水分解を受けると,Fluoresceinがquinoid型となりCoumarinとの間に大きな重なり積分が生じる.従って,FRETによるアクセプター蛍光が観測されるようになる.

PTPによって加水分解されるリン酸基を導入した化合物1-3 をPTPレシオプローブとして設計・合成した.1-3においては,FluoresceinとCoumarinを繋ぐリンカーの構造やFluoresceinに導入したリン酸基の数が異なっており,それら構造の違いが分光学的特性や酵素反応特性に与える影響について検討した.水溶液中で1-3の蛍光スペクトルを測定したところ,いずれも450 nm付近のCoumarin蛍光を示した.PTPの一種であるPTP1Bを添加したところ,Coumarin蛍光が減少し515 nm付近のFluorescein蛍光が増大した.PTP活性によって蛍光波長がシフトしたことから,レシオによる検出が可能であることが示された.シクロヘキサン構造をリンカーに持つ1と2は,エチレン構造をリンカーに持つ3よりも高い蛍光量子収率を示した.これは,リンカーをrigidな構造にすることで,水溶液中での色素会合による消光を妨げることができたためと考えられる.また,1と2ともに酵素反応後において高いFRET効率を示しており,酵素反応前後でFRET効率が劇的に変化することが明らかとなった.また,これらの化合物の蛍光はいずれもpH依存性や濃度消光を示したが,レシオ値に換算することでその影響を減じることができる

酵素反応パラメーターから,いずれの化合物もPTPの良い基質となることが明らかとなり,嵩高いシクロヘキサン構造を導入しても基質認識には影響を及ぼさないことが示された.分光学的特性,酵素反応特性の比較から,感度・酵素との親和性ともに1が最も優れていると判断し,これをレシオイメージングに適用することとした.

FRET型PTPプローブを用いたレシオイメージング

マイクロインジェクション法で1を生細胞に導入し,フィルター交換によりドナー蛍光とアクセプター蛍光を分光する方法でレシオイメージングを行った.その結果,経時的にレシオ(アクセプター蛍光/ドナー蛍光)の増大が観測された.このレシオ増大がPTPによるものであることを確認する目的で,PTP阻害剤であるSodium Orthovanadateを添加したところ,その濃度依存的にレシオ増大が抑制された.また,PTPは触媒過程にシステインのチオレートが寄与しているために,レドックスによって活性が変化することが知られている.そこでレドックスの影響を調べたところ,過酸化水素の添加でレシオの増大が抑制され,この抑制は還元剤の添加で解除された.これらの結果から,レシオの増大はPTP活性を反映していることが明らかとなった.

次に,1を用いたイメージングで正常細胞の接触阻止とPTP活性の関連について解析することを試みた.接触阻止を起こすマウス筋芽細胞C2C12を用いて細胞密度とPTP活性との関係を調べたところ,周囲がすべて細胞で埋まっているDenseの状態において,PTP活性の増大が観測された.ウシ大動脈血管内皮細胞BAECにおいても同様の結果が得られた.一方,接触阻止能を欠損しているヒト子宮ガン細胞HeLaでは,細胞密度によるPTP活性の変化は見られなかった.よって,生きた細胞からPTP活性を直接検出することで,接触阻止が起こる際にPTP活性が増大することを示した.

さらに,密度に依存してPTP活性が上昇するメカニズムについて検討すべく,薬理学的な実験を行った.まず,還元剤であるN-acetyl cysteine(NAC)を添加したところ,Sparseの状態においてもPTP活性の増大が見られた.また,lipoxygenaseの阻害剤であるnordihydroguaiaretic acid(NDGA)もしくはphospholipase A2の阻害剤であるbromophenacyl bromide(BPB)を添加した場合においても,同様にPTP活性の増大が観測された.この結果は,アラキドン酸代謝経路より産生されるROSがPTP活性の調節因子となっていることを示唆している.さらに,PTP活性を増大させたNAC,NDGA,BPBをそれぞれ添加した系での細胞増殖速度を調べた結果,いずれの系においても細胞増殖が遅くなっていることが明らかとなった.この結果は,PTP活性の増大によって細胞増殖が抑制されることを示唆している.

以上,本研究において高草英生は,重なり積分をスイッチとしたFRET型レシオプローブの新規設計方法を考案し,生きた細胞におけるPTP活性を直接検出することに成功した.このPTPレシオプローブは今後のPTP研究に貢献することが期待される.特に,細胞をすりつぶした状態では見ることのできない機能,あるいは細胞1つ1つのレベルでしか見ることのできない機能の解明に威力を発揮すると考えられる.また,本研究で考案したレシオプローブ設計法は,導入する基質構造を変えることで糖加水分解酵素,エステラーゼ,プロテアーゼなど他の多くのレシオプローブ開発につながることが期待される.重なり積分をスイッチとして用いたFRETプローブ開発の成功は本研究が世界で初めてであり,様々な生体反応の解析手段として非常に有用となる事が期待される.これらの成果は生物有機化学,細胞生物学に広く貢献するものであり,博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる.

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