学位論文要旨



No 119397
著者(漢字) 中川,晶人
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,アキト
標題(和) アルブミンーヘムを用いる酸素輸液の展開
標題(洋)
報告番号 119397
報告番号 甲19397
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1058号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
 東京大学 助教授 荒川,義弘
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、何時でも何処でも、血液型に関係なく呼吸に充分量の酸素を生体内に供給できる人工酸素運搬体 (酸素輸液) に関する研究成果のまとめである。事故や災害による出血性ショックのため、生命維持が危ぶまれる時、効果的な救命法は輸血 (赤血球製剤の投与) であるが、感染症や合併症、短い保存期間(3週間)などの未解決課題も多い。酸素輸液が完成すれば、輸血代替としてだけでなく、災害時の危機管理対策においても重要な役割を果たすことは間違いない。これまでにも、多数の酸素輸液が開発されてきており、そのほとんどは動物由来の赤血球から精製したヘモグロビン(Hb)を利用しているが、Hbでなくとも、その酸素配位活性中心であるポルフィリン鉄(ヘム)を修飾した誘導体のみでも、Hbと同様に水中で酸素を結合解離することができる。テトラフェニルヘム (FeTPP) に両親媒性の置換基と軸塩基配位子を導入した誘導体 (リピドヘム) や、ヒト血清アルブミン (HSA) に包接した複合体 (アルブミン-ヘム、Figure 1) は、水中 (pH 7.3, 37℃) で赤血球と同等の酸素運搬能を発揮する。

筆者は、リピドヘムおよびアルブミン-ヘムを酸素輸液として展開するために、先ずそれらの酸素配位構造、酸素運搬能を解明、ヘム構造と酸素配位能の相関を明らかにするとともに、動物実験からアルブミン-ヘムの生体内酸素輸送能を実証した。

アルブミン-ヘムの酸素配位構造と運搬能

窒素雰囲気下におけるアルブミン-ヘムの磁気円偏光二色性 (MCD) スペクトルは、5配位Fe(II)高スピン錯体の形成を示し、そこへ酸素を通気すると、6配位Fe(II) 低スピン錯体(酸素錯体)型へ変化した。さらに赤外吸収 (IR) スペクトルから、配位酸素の伸縮振動を1158 cm-1に観測、アルブミン-ヘムは酸素を end-on型で結合していることを明らかにした。また、酸素結合解離に伴う可視吸収スペクトル変化から算出した酸素親和度 (P50) は、35Torであった (37℃)。酸素結合解離に協同性はないが、肺 (110Torr)-末梢組織 (40Torr) 間の酸素分圧差から計算される酸素運搬効率は赤血球と同じ22%であり、生体内で効率よく酸素輸送できる可能性が示された。

プロトヘムを利用した新しいアルブミン-ヘムの合成と酸素配位能

Hbの酸素配位活性中心であるプロトヘムに軸塩基配位子を導入した誘導体 (1-8, Formula 1) のHSA複合体を設計・合成した。プロトヘムと同じ代謝経路をたどる安全な酸素輸液が得られると期待できる。

プロトヘム誘導体 (例えば2) はプロトポルフィリンに Benzotirazol-1-yloxytris(dimethylamino)phosphonium hexafluorophosphate を用いて1段階で軸塩基配位子と疎水性置換基を導入後、中心鉄を挿入し合成した。このエタノール溶液をHSA水溶液と混合し、エタノールを除去、HSA複合体を得た。この水溶液に酸素を通気すると、スペクトルは酸素配位型を示した。界面活性剤を用いて2を水中に可溶化させた場合や、HSAにプロトヘムのみを包接した系では、酸素錯体が生成しないことから、2はHSAの疎水ドメインへ包接され、2量化酸化が抑止されるために、酸素錯体が形成できたものと考えられる。さらに、疎水性、軸塩基配位子の構造、ポルフィリン環の電子密度が異なる一連のヘム誘導体を合成し、HSA複合体のP50、酸素錯体半減期 (τ1/2) を測定した。3や4、2-メチルイミダゾールを導入した5は酸素錯体を形成しない。3や4は親水性が高く、HSAに包接され難いこと、5の場合、軸塩基配位子が脱離しやすいことが原因と考えられる。7とのHSA複合体は酸素錯体型スペクトルを示したようにも見えたが、経時変化がなかったこと、Soret 帯の吸光度が若干上昇した (通常は酸化に伴い吸光度が減少する) ことから、これは酸素錯体ではないと結論した。1、2、6、8のHSA複合体は、酸素通気により酸素錯体を形成した。P50は1、2、6とも同じ値(0.1 Torr)であったが、8のP50は0.4 Torrで、プロトヘム系に比べると大きい。ジアセチルデューテロポルフィリンのpK3(3.3)はプロトポルフィリンの値(4.8)に比べて低く、ビニル基からアセチル基への変換が酸素への電子供与を低減し、その結果、P50が増大したと考えられる。τ1/2はHSA-1 (20 min)<HSA-2 (50 min)=HSA-8 (50 min)<6 (90 min) の順であった。ポルフィリン環の電子密度低下が、酸素錯体の安定度を上昇させると考えている。

これまで、安定酸素錯体を生成するアルブミン-ヘムの条件は、FeTPP誘導体のように酸素配位座近傍に嵩高い置換基を有するヘムに限られていたが、プロトヘム誘導体でもHSAへの包接により、水中で酸素を結合解離できることを初めて明らかにすることができた。さらに、ポルフィリン環および軸塩基配位子の塩基性の調整により、適度な酸素親和度を有するHSA複合体が得られる可能性が示唆された。

リピドヘム集合体の構造と酸素結合能

リピドヘムは水中で自己集合してミセルや小胞体を形成し、酸素を結合解離できるが、過剰な軸塩基配位子を共存させる必要があるため、集合構造や酸素錯体の安定度を低下させる原因に繋がる。そこで、分子内に軸塩基配位子やジアルキルホスホコリン基を共有結合したリピドヘム誘導体(Formula 2)を合成し、置換基が集合形態、酸素配位能に及ぼす影響を明らかにした。

軸塩基配位子と7つのアルキルホスホコリン基を導入した10は、水中で自己集合して、球状ミセルを形成する。TEM、AFM観察の結果から、テトラフェニル環オルト位に結合したエステル置換基を含むポルフィリン部が会合し、二量体構造を形成していると推察される。得られた10 水分散液に酸素を通気すると、安定な酸素錯体が得られ、その結合解離は可逆的であった。25℃におけるP50は7.3 Torr で赤血球の値 (8.8 Torr) にほぼ等しく、τ1/2は11hrであった。10は、水相系で酸素を可逆的に吸脱着できる最小構造のポルフィリン鉄組織体である。一方、ジアルキルホスホコリン基を導入した11は、水中で粒径約 100 nm の2分子膜小胞体を形成する。酸素分圧に応答して可逆的に酸素を結合解離可能で、τ1/2: 1週間(37℃)の非常に安定な酸素錯体が得られた。P50 は 15 Torr で赤血球の値とは異なるが、酸素運搬効率(22%)は赤血球に匹敵した。アルキルホスホコリン基の親疎水バランスを制御して、安定度の高い酸素錯体形成を実現することが出来た。

光を利用した鉄(III)ポルフィリン(ヘミン)の酸素配位能の復元

LMCT(Ligand-to-Metal Charge Transfer)帯の光励起による分子内電子移動反応を利用して、還元剤を添加することなくリピドヘムおよびアルブミン-ヘムの酸素結合能を復元する方法を確立、その反応機構について検討した。対ハロゲンイオンの電気陰性度増大(I-<Br-<Cl-)に伴い、酸化したリピドヘムの紫外部における極大吸収波長が低波長側に移行することから、Fe(III)-Cl-間のLMCT吸収帯を362 nmと帰属した。この溶液をアルゴン雰囲気、糖質(ヒアルロン酸)共存下で光励起(365 nm)すると、Fe(II) 5配位錯体が生成した。これは生成するラジカルを共存糖質が効率良く捕捉し、再酸化反応が抑止されたためと考えられる。そこに酸素を通気すると、酸素錯体が得られた。アルブミン-ヘムの場合、λmax: 330 nmをLMCT吸収帯と帰属、興味深いことにラジカル捕捉剤を共存させなくとも、光還元反応が進行した。これはHSAのアミノ酸残基がその役割を担い、逆電子移動反応を抑止するためと推測される。光還元反応初期の量子収率は0.O1であり、レーザーフラッシュホトリシス法から、光還元反応は100 ns以内に進行することを明らかにした。

以上の結果から、光還元の反応機構を考察した (Figure 2)。LMCT帯の光照射により、ヘミンがLMCT*へ遷移。この状態はS2へ失活しうると考えられ、これが還元反応との競争になる。中心鉄が還元されると、解離したクロライドラジカルがヒアルロン酸またはHSAに捕捉され、還元反応が不可逆となる。つまり、S2への失活と逆電子移動反応が低い量子収率の原因と考えられる。

アルブミン-ヘムの生体内酸素輸送能

アルブミン-ヘム溶液を生体内へ投与した場合、Hb製剤に見られる副作用(急激な血圧上昇)は全く観測されなかった(Figure 3)。腸間膜の微小循環動態観測からも細静脈・細動脈の血管径が一定であることを明らかにした。これは大きな負の表面電荷(等電点 : 4.8)を持つアルブミン-ヘムが、血管内皮細胞表面との静電反発により血管内皮から漏出し難く、血管弛緩因子(一酸化窒素)を捕捉しないことに起因すると考えられる。

さらに麻酔下ラット出血モデルを作成し、アルブミン-ヘムの生体内酸素輸送能を評価した。具体的には、全血液量の70%を HAS で希釈後、さらに全血液量の30%を脱血し、直ちに同量のアルブミン-ヘムまたは HAS を静注、投与後 60 分までの血液ガス、循環系パラメーター、腎皮質酸素分圧を測定した。HSA投与群では、血圧、腎皮質酸素分圧の回復を認めず、投与 30 分後には全例が死亡した。一方、アルブミン-ヘム投与群では、投与直後に血圧が初期値の70%、腎皮質酸素分圧が85%まで上昇、60 分後でもその値を維持し、アルブミン-ヘムによる救命効果と生体内酸素輸送能が実証できた。また、125Iでラベル化したアルブミン-ヘムを用いて測定したHSAおよびヘムの血中滞留時間は、それぞれ消失相で 14 時間、50 分であり、血中から消失したヘムは肝臓へ移行した。これらの結果は、アルブミン-ヘムが出血性ショックからの蘇生液として有効であることを示している。

Albumin-heme.

Protoheme derivatives.

Lipidheme derivatives.

proposed transient states and interconversion pathways for photoreduction of albumin-heme.

Changes in mean arterial pressure (MAP) after the administration of albumin-heme solution in the anesthetized rats (n=5, significant difference from baseline: p<0.05). Basal value of MAP is 90.1±3.0 mmHg. All data are expressed as mean±standard error.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、呼吸に充分量の酸素を生体内に供給できる人工酸素運搬体(酸素輸液)に関する研究成果について述べたものである。従来、ヘモグロビン(Hb)を直接利用した多くの酸素輸液が開発されているが、本論文は、Hb の酸素配位活性中心であるポルフィリン鉄(ヘム)部分に着目し、テトラフェニルヘム(FeTPP)に両親媒性の置換基と軸塩基配位子を導入した誘導体(リピドヘム)と、ヒト血清アルブミン(HSA)に包接した複合体(アルブミン-ヘム)に関して、様々な角度から研究を展開している。

まず第一章では、アルブミン-ヘムの酸素配位構造と運搬能について検討している。アルブミン-ヘムの各種スペクトル解析から酸素親和性を明らかにし、酸素運搬効率が赤血球とほぼ同レベルであり、生体内で効率よく酸素輸送できる可能性を示している。続いて第二章では、新しいアルブミン-ヘムの合成と酸素配位能について述べている。すなわち、Hb の酸素配位活性中心であるプロトヘムに軸塩基配位子を導入した誘導体の HSA 複合体を設計・合成し、この複合体が酸素錯体を生成することを見出している。従来、酸素配位座近傍に嵩高い置換基を有するヘムのみが安定な酸素錯体を生成すると考えられていたが、本論文は、プロトヘム誘導体でも HSA への包接により、水中で酸素を結合解離できることを初めて明らかにしている。さらに、ポルフィリン環および軸塩基配位子の塩基性の調整により、適度な酸素親和度を有するHSA複合体が得られる可能性も示している。

第三章では、リピドヘム集合体の構造と酸素結合能について述べている。リピドヘムは水中で自己集合してミセルや小胞体を形成し、酸素を結合解離できるが、過剰な軸塩基配位子を共存させる必要があるため、集合構造や酸素錯体の安定性を低下させる原因に繋がることが知られている。そこで、本論文では、分子内に軸塩基配位子やジアルキルホスホコリン基を共有結合したリピドヘム誘導体を合成し、置換基が集合形態、酸素配位能に及ぼす影響を明らかにしている。中でも、軸塩基配位子と7つのアルキルホスホコリン基を導入した誘導体が極めて興味深い性質を示すことを見出している。すなわち、この誘導体は、水中で自己集合して球状ミセルを形成する。この球状ミセルについて、透過型電子顕微鏡、原子間力顕微鏡を用いた観察を行い、テトラフェニル環のオルト位に結合したエステル置換基を含むポルフィリン部が会合し、二量体となった構造を推定している。さらに、本錯体の水分散液に酸素を通気すると安定な酸素錯体が得られ、その結合解離は可逆的であることを示しており、本錯体が水相系で酸素を可逆的に吸脱着できる最小構造のポルフィリン鉄組織体であることを明らかにしている。一方、ジアルキルホスホコリン基を導入した誘導体は、水中で粒径約100 nm の2分子膜小胞体を形成することも明らかにしている。この錯体は酸素分圧に応答して可逆的に酸素を結合解離することが可能で、τ1/2: 1 週間(37℃)の非常に安定な酸素錯体であることを示している。興味深いことに、P50は30 Torr、酸素運搬効率は22%であり、これらの値は赤血球に匹敵する。ここでは、アルキルホスホコリン基の親疎水バランスを制御して、安定度の高い酸素錯体形成を実現することができることを示している。

さらに第四章では、LMCT(Ligand-to-Metal Charge Transfer)帯の光励起による分子内電子移動反応を利用して、還元剤を添加することなくリピドヘムおよびアルブミン-ヘムの酸素結合能を復元する方法を確立している。さらに、その反応機構について種々検討を行った結果について述べている。

最後に第五章では、アルブミン-ヘム溶液を生体内へ投与した結果について述べている。まず、アルブミン-ヘム溶液を生体内へ投与した場合、Hb 製剤に見られる副作用(急激な血圧上昇)は全く観測されないこと、腸間膜の微小循環動態観測からも細静脈・細動脈の血管径が一定であることを明らかにしている。さらに麻酔下ラット出血モデルを作成し、アルブミン-ヘムの生体内酸素輸送能を評価している。具体的には、全血液量の70%を HSA で希釈後、さらに全血液量の30%を脱血し、直ちに同量のアルブミン-ヘムまたは HSA を静注、投与後 60 分までの血液ガス、循環系パラメーター、腎皮質酸素分圧を測定している。HSA 投与群では、血圧、腎皮質酸素分圧の回復を認めず、投与 30 分後には全例が死亡した野に対し、アルブミン-ヘム投与群では、投与直後に血圧が初期値の70%、腎皮質酸素分圧が85%まで上昇、60分後でもその値を維持することができこれによりアルブミン-ヘムによる救命効果と生体内酸素輸送能を実証している。また、125Iでラベル化したアルブミン-ヘムを用いて測定したHSAおよびヘムの血中滞留時間は、それぞれ消失相で 14 時間、50 分であり、血中から消失したヘムは肝臓へ移行することを確認している。これらの結果は、アルブミン-ヘムが出血性ショックからの蘇生液として有効であることを示している。

以上、本論文は、Hb の酸素配位活性中心であるポルフィリン鉄(ヘム)部分に着目し、リピドヘムとアルブミン-ヘムに関して、酸素配位構造、酸素運搬能の解明を行い、ヘム構造と酸素配位能の相関を明らかにするとともに、動物実験からアルブミン-ヘムの生体内酸素輸送能を実証している。したがって本論文は、医薬品化学、有機化学の分野に貢献するところ大であり、よって博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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