学位論文要旨



No 119425
著者(漢字) 渡邉,智美
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,トモミ
標題(和) 遺伝子変異マウス及びメダカを用いた肝発生の解析
標題(洋)
報告番号 119425
報告番号 甲19425
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1086号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
内容要旨 要旨を表示する

【序】

肝臓は、恒常性の維持、食物・毒物の代謝能や肝切除後の再生能など多くの機能を有する器官である。肝発生は、前腸からの肝芽の出芽、増殖、分化、成熟といった段階によって構成されていると考えられている。これまで肝発生の研究はマウスやラットなどの個体あるいは初代培養細胞など解析が盛んであった。近年肝形成不全を有する遺伝子欠損マウスなどが多数作出されており、肝形成に関わる種々の分子の機能が逆遺伝学を用いて次第に明らかにされつつある(図1)。しかしながら、各々の段階を制御している因子やそこに存在する細胞など発生過程における肝臓の研究は、詳細な解析が進んでいないのが現状である。その理由として、肝臓を構成する細胞の長期培養や体内での状態を反映した細胞株の樹立が困難であること、肝臓に特異的なマーカーが限られていることなどが挙げられる。肝発生の研究をさらに発展させるためには、肝発生を評価するための新たなツールや生きたまま肝発生を解析できる実験系の開発が重要である。

メダカをはじめとする魚類は、脊椎動物でありながら遺伝学が容易であることに加え、卵発生で胚が透明であり、胚の外側から肝臓を容易に観察できるので、肝発生を経時的に解析できるなどの利点を有している(図2)。メダカは肝形成に必須の分子機構を明らかにする上で非常に有用な実験系となりうると考えられた。

本研究において、私は肝発生に必須のシグナル伝達系の解明及び肝発生を分子レベルで解析することを目的として、まずマウス胎児肝を認識するモノクローナル抗体を多数作製し、次にそれらを用いて増殖に導く新規のシグナル経路を見出した。また、ERATO 近藤誘導プロジェクトにおいてメダカを用いたゲノム規模の網羅的な変異体スクリーニングを行い、肝臓形成不全および肝機能不全となる変異体を単離することに成功した。

【方法と結果】

肝芽細胞を特異的に認識するモノクローナル抗体を用いた肝芽細胞増殖シグナルの解析

これまでに私は、マウスにおいて胎児肝を特異的に認識するモノクローナル抗体を多数作製してきた。そのうち抗Liv2 抗体は、パラフィン切片上においても肝芽細胞を特異的に認識する有用なツールであり、初期胎児肝における肝芽細胞数の追跡が可能となった。この抗体を用いて、肝形成不全を呈するストレス応答性キナーゼSEK1 欠損マウスにおける肝芽細胞数の減少を見出し、SEK1を介するシグナル伝達系が肝芽細胞において増殖・生存シグナルとして必須の役割を果たしていることを新たに明らかにした(図3)。

この結果から、肝芽細胞における増殖シグナルのリガンドや受容体、下流の基質や転写因子などの新たな分子の存在が浮かび上がってきたため、遺伝学を用いることが可能であるメダカをツールとして肝発生に必須の遺伝子を網羅的に探索することにした。

肝臓の形成に異常を伴う変異メダカのスクリーニング

変異原処理を施した雄と野生型の雌を掛け合わせたF3 において肝臓および内胚葉形成に異常のある劣性変異体を探索した(図4)。スクリーニング方法は、形態観察による肝臓の大きさ、形のスクリーニングと蛍光物質を用いた機能面からのスクリーニングの2つを用いた。現在までにメダカ全ゲノムの約30%をカバーする領域をスクリーニングし、肝臓や胆嚢に異常のある変異体が多数得られた。またこれとは別に、初期発生異常の変異体のスクリーニングから内胚葉形成に異常のある変異体を多数単離した。各変異体を、1)肝臓の大きさや形態異常(グループ1:4種類)、2)左右逆位(グループ2:3種類)、3)胆嚢色異常(グループ3:3種類)、4)脂質代謝異常(グループ4:3種類)、5)肝形成の前段階となる内胚葉形成異常(グループ5:4種類)に分類した(表1)。

肝臓の大きさに異常のある変異体 kakurembo (kak)

グループ1には、肝臓の減少や腸管の形態異常などの変異体が含まれる。中でもkak は野生型に比較して肝臓が著しく減少し、胆嚢の位置が前側に移動していた(図5)。さらに、肝芽の出現時期において初期肝マーカーであるgata6 をプローブとしたwholemount in situ hybridization を試みた結果、野生型と同様に肝芽が認められたことから、kak 遺伝子は肝芽の出現ではなくその後の肝臓の増殖に関与することが示唆された。

肝臓が左右逆位の変異体 kendama (ken)

メダカにおいて肝臓は胚の左側に位置し、左右非対称の臓器である。左右逆位変異体kendama(ken) において心臓が正常位であるにもかかわらず、肝臓のみが真ん中に位置するものが得られた。残りの2つの変異体において心臓と肝臓は同時に逆位になっており、これら変異体から肝臓の左右決定は体全体の左右軸に加えて肝臓独自に行われる可能性が考えられた。

胆嚢色異常の変異体

メダカの胆嚢は、発生後期になると胆汁色素の蓄積から淡緑色を呈する。胆嚢色異常変異体のsuou (suo) は胆嚢が橙色に呈色していた。akane (aka) は胆嚢が赤に呈色し、ominaeshi (omi) は無色であるが、そのことに加え野生型において赤く観察される血球が透明であった。各変異体をヘモグロビン染色した結果、aka, omi では血球および胆嚢においてヘモグロビン陰性であったが、suo は染色パターンが野生型に比較して弱いものの陽性であった。肝臓においてヘモグロビンや胆汁の前駆体が合成されているという知見もあり、これらの結果から、胆嚢色の異常は血球の蓄積ではなく、胆汁形成の異常である可能性が示唆された。

脂質代謝異常の変異体

ホスホリパーゼA2 により切断されて胆嚢に蓄積する蛍光色素、PED6 をメダカ胚の飼育溶液に加えて暗所にて飼育した結果、形態形成は正常であるにもかかわらず胆嚢の蛍光が認められないuguisucha (ugu) など3種類の変異体が得られた。これらの変異体は、脂質代謝経路あるいは胆汁輸送に異常があると考えられた。

?内胚葉形成異常の変異体

初期発生異常の変異体の中から内胚葉形成に異常のある変異体に対し、foxA3 をプローブとしたin situ hybridization を用いて検討した結果、foxA3 発現に異常の認められた変異体を6種類単離した。これら変異体のうち、akatsuki (aku)などは内胚葉形成から、sakura (sak)やhirame (hir)、fukuwarai (fku) は肝芽形成に異常を来していると考えられた。

【まとめ】

本研究において、マウス胎児肝特異的なモノクローナル抗体を多数作製し、その中でも肝芽細胞特異的な抗Liv2 抗体を用いて肝芽細胞の増殖シグナルの一端を明らかにした。さらに、メダカを用いたゲノム規模のスクリーニングから肝臓の形態形成変異体や代謝異常変異体を単離した(図6)。これら変異体は、肝発生の様々な段階に異常を来していることから、この変異体を解析することにより、肝発生をその出芽から機能まで広く解明することが可能となると考えられる。今回得られた変異体の中には、貧血や黄疸のような人の疾患と類似の表現型を示すものもあり、モデル生物としての利用が期待される。肝臓の発生過程は脊椎動物全般に共通していると考えられ、ノックアウトマウスを用いた個々の現象の解明に加えて、メダカを用いて新たに網羅的な解析をすることで、最終的に肝発生という組織構築の現象を概念的にまたより詳細に解明することが可能となるという点において、本研究は非常に意義があると考えられる。

【謝辞】

メダカのスクリーニングに際し、ERATO 近藤誘導分化プロジェクトの古谷-清木誠博士、近藤寿人大阪大学教授に感謝申し上げます。

肝形成不全を呈するストレス応答性キナーゼSEK1 欠損マウス。

メダカ胚の左側面および肝臓領域メダカは卵生であるため顕微鏡下で発生を経時的に観察できる。L: 肝臓、S: 脾臓、G: 胆嚢。

肝芽細胞における生存シグナル

TNF 受容体の下流にはアポトーシス誘導シグナル、NF-kB を介する生存シグナル、SAPK/JNK 系が知られている(灰色の四角で囲った部分)。SAPK/JNK系が増殖・生存に関与していることが示唆された(波線部)。括弧は各ノックアウトマウスの致死日。

メダカを用いたゲノムスクリーニングの流れ

スクリーニングにより得られた肝形成不全変異体一覧

肝臓形態異常変異体kakurembo

kak 変異体において、肝臓の減少と胆嚢の位置異常が認められた。A: 野生型、B: kak 変異体。矢頭は胆嚢、波線部は肝臓の輪郭。

変異体から明らかにされうる肝発生の機構

今回のメダカを用いたスクリーニングにより、ノックアウトマウスにより明らかになった分子機構に加えて肝発生に関わる様々な機構を明らかにする可能性のある変異体が多数得られた。

Watanabe, T., et al. Dev. Biol., 250, 332-347 (2002)Nishina, H., Watanabe, T., et al. Stem Cell and Liver Regeneration, pp. 1-14, Springer-Verlag TokyoWaanabe,T., et al.Mech.Dev.Medaka issue.(2004)
審査要旨 要旨を表示する

肝臓は、恒常性の維持、食物・毒物の代謝や肝切除後の再生など、多くの機能を有する器官である。肝発生の研究は、哺乳動物の個体あるいは初代培養細胞などを用いた解析が盛んであり,肝形成不全を有する遺伝子欠損マウスなどから、肝形成に関わる種々の分子の機能が次第に明らかにされつつある。しかしながら、肝臓を構成する細胞の長期培養や細胞株の樹立が困難であること、また肝臓に特異的なマーカーが限られていることなどから、発生過程における肝臓の研究は未解明な部分が多く、肝発生を評価するための新たなツールや生きたまま肝発生を解析できる実験系の開発が望まれている。「遺伝子変異マウス及びメダカを用いた肝発生機構の解析」と題した本論文では、まずマウス胎児肝を認識する新規のモノクローナル抗体を多数作製し、それらを用いて増殖に導く新たなシグナル経路を見出している。また、脊椎動物でありながら遺伝学や発生学の適用が容易であるメダカを用いて、肝臓形成不全および肝機能不全となる多種の変異体を単離することに成功している。

肝芽細胞を特異的に認識するモノクローナル抗体を用いた肝芽細胞増殖シグナルの解析

本論文では、先ずマウスにおいて胎児肝を特異的に認識するモノクローナル抗体を新規に多数作製している。中でも抗Liv2 と命名された抗体は、パラフィン切片上において肝芽細胞を特異的に認識する有用なツールであり、初期胎児肝における肝芽細胞数の追跡を初めて可能にした。この抗体を用いて、肝形成が不全となるストレス応答性キナーゼSEK1 欠損マウスにでは肝芽細胞数が減少することを見出し、SEK1 を介するシグナル伝達系が肝芽細胞において増殖・生存シグナルとして必須の役割を果たすことを新たに明らかにした。さらに、SEK1 を介するシグナル伝達系の上流に位置すると考えられるTNF 受容体1 とSEK1 の両遺伝子欠損マウスを解析し、肝芽細胞においてSEK1 を介するシグナル伝達系が細胞の生死に関わるTNF 受容体1 下流のNF-κB 系とは独立に機能し、細胞増殖に必須の役割を果たす可能性を見出している。また、以上の結果と遺伝子欠損マウスを用いたこれまでの知見に基づいて、肝芽細胞の増殖シグナルに関連する新たな分子の存在を提唱している。

肝臓の形成に異常を伴う変異メダカのスクリーニング

次に、変異原を処理したメダカを用いて肝臓および内胚葉形成に異常のある劣性変異体を探索した。メダカ全ゲノムの約30%をカバーする領域をスクリーニングし、肝臓や胆嚢に異常のある変異体、また初期発生異常を指標に内胚葉形成に異常のある変異体が多数単離された。各変異体は、肝臓の減少や腸管の形態異常などを含む形態異常群(グループ1:4種類)、肝臓の位置異常を含む左右逆位群(グループ2:3種類)、胆嚢色異常群(グループ3:3種類)、脂質代謝異常群(グループ4:3種類)、及び肝形成の前段階となる内胚葉形成異常群(グループ5:6種類)に分類された。各変異体の表現型をさらに解析した結果、まずグループ1のkakurembo においては、肝臓の増殖が低下している可能性を見出し、グループ2の左右逆位変異体群からは、肝臓の左右決定が体全体の左右軸に加えて独自に行われる可能性を見出した。またグループ3の胆嚢色異常変異体では、ヘモグロビン染色の結果から、その異常は血球の蓄積ではなく胆汁形成の異常である可能性が示唆された。グループ4はホスホリパーゼA2により切断されて胆嚢に蓄積する蛍光色素を用いた機能的解析から、形態形成は正常であるにもかかわらず脂質代謝経路あるいは胆汁輸送に異常があると考えられた。グループ5の内胚葉形成に異常のある変異体6種類に対しては、初期内胚葉マーカーを指標に解析を進め、内胚葉形成から異常が認められるものと肝芽形成以降に異常があるものを含むことが見出された。

以上を要するに、本論文ではマウス胎児肝を特異的に認識する新規モノクローナル抗体を多数作製し、その中でも肝芽細胞に特異的な抗Liv2 抗体を用いて肝芽細胞の増殖シグナルの一端を明らかにしている。さらに、メダカを用いたゲノム規模のスクリーニングを進め、肝臓の形態形成変異体や代謝異常変異体を多数単離している。肝発生の過程は脊椎動物全般に共通していると考えられるが、単離されたメダカの変異体は、肝発生の様々な段階に異常をもつものを含んでおり、肝発生を初期の出芽段階から幅広い機能的な側面まで解析することを可能としている。これらの研究成果は、今後の肝発生の分子機構を解明する上で重要な手がかりを与えており、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと判断される。

UTokyo Repositoryリンク