学位論文要旨



No 119475
著者(漢字) 大西,立顕
著者(英字)
著者(カナ) オオニシ,タカアキ
標題(和) 金融市場における価格変動の経済物理学的解析
標題(洋) Econophysical analysis of price changes in financial markets
報告番号 119475
報告番号 甲19475
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第23号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 教授 小屋口,剛博
 東京大学 助教授 眞溪,歩
 東京大学 助教授 堀田,武彦
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

市場価格は激しい変動を示すことが経験的に知られているが,そのメカニズムや法則性については分かっていない.近年,コンピュータの発展により高頻度データの解析が行なわれるようになり,価格変動にはオープンマーケット特有の普遍的な統計的性質があることが明らかになってきている.これらを説明する理論的なモデルができれば,現象の本質を理解したり,予測や制御などへの応用が期待できる.これまでいろいろなモデルが提案されているが,価格変動をうまく再現できるモデルはまだない.

価格変動の統計的性質

価格差の相関は非常に短時間で0 になるが,価格差の絶対値は長時間相関がある(Fig.1).これは,価格P(t) の上下は予測困難だが,ゆらぎの幅は予測可能であることを意味し,一度大きな変動が生じると変動の大きな状態がしばらく持続する性質を表わしている.価格差の累積分布は正規分布よりもはるかに裾野が大きくベキ分布に近い分布になる(Fig.2).このような性質はあらゆるオープンマーケットに共通する普遍的な特性であることが知られている.

本研究では,確率過程の観点と仮想市場の観点から価格変動のモデルを考察し,変動のメカニズムについて理解を深める.また,マルチフラクタルの手法を用いて変動パターンを特徴づけることにより,価格変動の統計性について調べる.なお,解析には円ドルレートのティックデータ(1999 年1 月4 日〜3 月12 日) を用いる.

確率過程によるモデル化

時系列データから得られる統計性を満たすように確率過程を構成することで,確率過程による価格変動のモデル化を行なう.

実際の多くのディーラーは移動平均価格を使ってトレードしている.また,移動平均に基づいてパラメータが変動する確率過程(自己変調過程) により,取引間隔がモデル化できることが報告されている.そこで移動平均を用いた次式の過程を考える〓重みwi は平均2乗予測誤差〓が最小になるよう定めるものとする.ただし,P はP(t) の平均値である.この決め方は残差∈(t) が無相関になるよう定めることに対応する.

時系列データから計算した結果,重みは指数分布に近く(Fig.3),ランダムウォークとは顕著に異なることが分かった.時間スケールを変えて解析することにより,数分程度以下の短かい時間スケールでは価格変動はランダムウォークから外れることが分かった.重みの分布は時間帯により異なるが,実時間でみればどの時間帯もwi > 0 となるのはi < 2分程度で,これは取引間隔の解析で用いられた移動平均の幅とほぼ一致する.よって,この移動平均はディーラーの動きの特徴を捕えていると考えられる[1].また, 〓(t) は無相関になるが,j〓(t)j は長期相関を持ち(Fig.4),j〓(t)j はベキに近い分布になった.よって,価格変動の本質的特性は〓(t) にあると考えられる.

〓(t) を符号〓(t) = ±1 の項と大きさの項に分け,〓とすると,〓(t) はランダムに+1 か??1 を取る率変数とみなせることが示せる.j〓(t)j については次式の自己変調過程を考える〓重みw0i は平均2乗予測誤差〓が最小になるよう定めるものとする.ただし, 〓〓 j〓〓j はj〓(t)j の平均値である.

時系列データから計算した結果,重みw0i は裾野の大きいベキ分布になった(Fig.5).これは価格差の絶対値の長時間相関と対応している.また, μ(t)は無相関で(Fig.6),累積分布は時間帯によらず指数分布に近い分布になった.よって,j〓(t)j は平均値が滑らかに変動するような非定常ポアソン過程で記述できる.

以上より,価格変動は次式の確率過程でモデル化できることが示された〓この過程で生成される価格時系列は,価格変動の基本的性質を再現することが確認できる.よって,価格が過去のj〓(t)j の履歴に依存するために価格差の絶対値に長期相関が生じていること,自己変調の効果(ランダムノイズの乗法過程) により価格差の累積分布がベキ分布になることが分かった.

スピンモデルによるモデル化

一人一人のディーラーの行動を想定することにより,ディーラーが多数いる市場の振舞いのモデル化を行なう.

2次元格子上にスピン変数Si(t) = 〓1 を持つN 人のディーラーが配置しているものとする(i =1; 2; 〓 〓 〓 ;N).Si = 1 は買い,Si = -1 は売りのポジションを表わす.価格は需給で決まるので〓で与えられ(-1〓 P(t) ± 1),Si(t) は確率Pで式のように更新されるものとする〓 〓ただし,〓 は逆温度,hi(t) はディーラーi が感じる局所場,Jij はディーラーi がディーラーj から受ける相互作用の強さ,α> 0 はglobal 結合の強さである.各ディーラーは4人のディーラーから影響を受けるものとし,影響を受ける場合はJij = J > 0,受けない場合はJij = 0 とする.一般にはJij は非対称行列になる.hi(t) の第1項は他の4人と同じポジションを取ろうとする群衆行動の効果を表わす.hi(t) の第2項はjP(t)j が大きくなる,つまり,価格が極端に高くなったり安くなったりするとポジションを逆にしようとする効果を表わす.

実社会のネットワークは格子のように規則的でも,完全にランダムでもなく,その間に属するようなSmall World Network で記述されることが知られている.よって,ディーラー間の相互作用もSmallWorld Network で考える方がより現実的である.各ディーラーが最隣接した4人のディーラーと結合を持つ規則的な状態(Fig.7 左) から始め,各結合を確率p でランダムにつなぎ変える操作をすべての結合について行ないSmall World Network (Fig.7 右)を構成する.パラメータp は生成されたネットワークのランダムネスを表わし,ネットワークはp = 0のとき規則的で,p = 1 のとき完全にランダムになる.p に依存して,ネットワークを特徴づける経路距離L(p) とクラスターの度合C(p) は変化する(Fig.8).L(p) が小さく,C(p) が大きい値を取る10 -3 < p < 10>〓>-2 の領でSmall World の効果が顕著になる.

数値計算(N = 10201, T = 1β = 1:5, J = 1, α = 20)の結果p < 10 -2 の範囲でこのモデルは価格変動性質を満たし,Small World の効果を考慮した場合も価格変動が再現できることが示せた(Fig.9〜11).また,価格差の累積分布のベキの指数はp の値に応じて変化することが分かった.これは,p が大きくなるとL(p) が小さくなり,情報が早く伝わるようになるため大きな変動が起こりやすくなることから理解できる.実際,市場によってベキ指数が異なることが知られており,この違いはネットワーク構造の違いにより生じている可能性が示唆される.

マルチフラクタルによる解析

価格時系列を線分上の測度分布と解釈することで,変動パターンを特徴づけることができる.今,長さT[Tick] の区間を長さ1 の区間に規格化し,さらにその全区間を大きさ〓 = 1=d のセルに分割する.ただし,d はT の約数とする.セルi の測度を〓とする.このとき,価格変動(Fig.12) は長さ1 の線分(サポート) 上の測度li(〓) の分布(Fig.13) とみなすことができる.このような分布はマルチフラクタルで特徴づけることができる.

特異性指数α と特異性スペクトルf(α) は〓 0の下で次式で定義される〓ただし,N〓(〓) は特異性指数の値がα であるセルの個数である.q 次の相関指数γ8q は分配関数〓を用いて〓の下で次式で定義される〓(11)〜(14) 式より鞍点法を用いると,f(α) とα はq とT の関数として次式で与えられる〓時系列データからL[Tick] 間の価格差〓と特異性スペクトルの特徴量〓の時系列を計算し,解析した.その結果,パラメータT; q;L の値をうまく選べば,fq;T (t) とdPL(t)の散布図は一様分布から外れた偏った分布になり(Fig.14),2つの物理量の間に相関があることが分かった(Fig.15).これは,数時間程度の長い時間スケールでも価格変動はランダムではないことを示している.また,価格予測にマルチフラクタルの手法が有効である可能性が示唆される.

まとめ

確率過程による価格変動のモデルを提案し,解析した結果,自己変調過程の機構により価格変動の累積分布がベキ分布になることが分かった.また,価格変動のスピンモデルを拡張し,解析した結果,ディーラー間のネットワーク構造によって,ベキ指数が変わることが分かった.最後に,価格変動をマルチフラクタルの手法で解析した結果,スペクトルの特徴量と価格変動との間に相関があり,長い時間スケールでも価格変動はランダムではないことが分かった.

相関関数.

価格差の累積分布.

重みの分布

j〓(t)j の相関関数.

重みの分布.

μ(t) の相関関数.

Small World Network の構成.

L(p) とC(p).

価格差の累積分布.

価格差の相関関数.

価格差の相関関数.

価格変動.

測度分布.

散布図(T = 1980,q = 8,L = 2000).

相関係数(T =1980).

Takaaki Ohnishi, Kazuyuki Aihara, Misako Takayasu and Hideki Takayasu, Statistical properties of the moving average price in dollar-yen exchange rates", Applications of Physics in Financial Analysis 4, Warsaw,2003.
審査要旨 要旨を表示する

金融市場において価格は激しい変動を示すことが経験的に知られているが,そのメカニズムや法則性については,はっきりとは分かっていない.近年のコンピュータの発展により,様々な市場における価格変動について高頻度データを用いた解析が行なわれており,価格変動は完全にランダムではなく,普遍的な統計的特性があることが明らかになってきている.これらを説明する理論的なモデルができれば,現象の本質を理解したり,予測や制御などへの応用が期待できる.本論文は,短かい時間スケールで顕著になる価格変動の統計性を確率過程と仮想市場の立場から考察し,価格というマクロな観点と市場参加者間の相互作用というミクロな観点から価格変動を解析するものである.また,マルチフラクタルの手法を用いて長い時間スケールでの価格変動の統計性についても調べ,価格変動のメカニズムの理解を深めるものである.

本論文は全6章からなる.

第1章では,金融市場における価格変動について経済物理学の観点から概観し,本論文で考察する問題の位置づけを与えている.

第2章では,市場価格変動の基本的な統計的性質を説明している.価格差の相関は非常に短時間で0になるが,価格差の絶対値は長期相関を保ち,分布は正規分布よりもはるかにすその広いベキ分布に従う.これらの性質は最も基本的で市場によらない普遍的な経験則となっている.

第3章では,時系列データから得られる経験則を満たすように確率過程を構築することにより,価格変動を再現する確率過程モデルを提案している.このモデルでは価格を均衡価格と無相関なゆらぎの和で記述できると仮定し,均衡価格を過去の価格の重み付き移動平均で定義し,重みを Yule-Walker法により求めている.この手法によりゆらぎは無相関にできるが,ゆらぎの絶対値の相関は残っており,価格変動の本質的特性がゆらぎにあることを明らかにしている.さらに,ゆらぎ成分については,ゆらぎの符号は正負をランダムに取る確率変数とみなせ,ゆらぎの絶対値は非常に長い幅を持つ重み付き移動平均を用いた自己変調過程として記述できることを示している.また,数値計算によりこのモデルが生成する価格時系列は実際の価格変動の統計的特性を満たすことを確かめている.この結果から,価格差の絶対値の長期相関は自己変調過程で用いる過去のゆらぎ幅の履歴から生じていること,価格差のベキ分布は自己変調過程に内在するランダムノイズの乗法過程により生じていることを明らかにしている.

第4章では,市場参加者の相互作用の観点から価格変動を調べている.実社会のネットワークがスモールワールドネットワーク的特性を有することを考慮して,Bornholdt が提案した価格変動のスピンモデルを拡張し,その解析を行なっている.数値計算により,このモデルも実際の価格変動の統計的特性を再現することを示している.また,ネットワークのランダムネスの大きさに応じて価格差の分布のベキ指数が変化することを示している.この結果から,市場参加者間のネットワーク構造の違いが市場によりベキ指数の値が異なる原因になりうることを明らかにしている.

第5章では,価格変動をマルチフラクタルにより解析している.価格変動の時系列パターンを線分上の測度分布と解釈することで変動パターンをスペクトルとして特徴づけている.時系列を統計的に解析することにより,スペクトルからパラメータをうまく選んで抽出した特徴量と価格変動との間に相関があることを示している.この結果から,数時間や数日といった長い時間スケールでも価格変動は完全にランダムなわけではないことを示している.また,価格の予測にマルチフラクタル解析が有益であり,過去の価格変動のパターンが将来の価格変動に影響を与えていることを明らかにしている.

第6章では,本論文の成果をまとめ、今後の展望を与えている.

以上のように,本論文は価格変動をミクロとマクロの両面から解析し,価格変動のメカニズムを明らかにしたものであり,複雑理工学上貢献するところが大きい.なお,本論文第4,5章は合原一幸との,第3章は合原一幸,高安美佐子,高安秀樹との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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