学位論文要旨



No 119484
著者(漢字) 伊藤,昌彦
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,マサヒコ
標題(和) 減数分裂期および初期発生時におけるJak2の発現とその機能について
標題(洋) Expression and function of Jak2 during meiotic maturation and preimplantation development
報告番号 119484
報告番号 甲19484
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第32号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 酒井,仙吉
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 助教授 久恒,辰博
内容要旨 要旨を表示する

序論

一般に細胞増殖や分化のシグナル伝達において、チロシンリン酸化酵素は重要な役割を果たしている。マウス初期胚では、これまで発生の調節に関与するいくつかの成長因子が報告されている(Insulin、IGF-I、EGF、TGF-αなど)。これらの受容体はチロシンリン酸化酵素活性をもち、初期胚のシグナル伝達に関与していると思われるが、その機能は4細胞期以降において明らかにされているだけであり、それ以前の時期、受精後から4細胞期までの発生を調節するチロシンリン酸化酵素についての知見は得られていない。したがって、4細胞期以前の発生を調節するシグナル伝達は成長因子の受容体以外のチロシンリン酸化酵素を介する可能性も考えられる。そこで、受精から4細胞期の発生を調節するチロシンリン酸化酵素を同定し、その機能を明らかにすることにより、マウス初期胚の発生制御機構を解明することを目的として本研究を行った。

マウス初期胚におけるJak2の発現とその局在

未受精卵は初期発生に必要とされるmRNAを蓄積している。そこで、初期発生を制御するチロシンリン酸化酵素を同定するために、チロシンリン酸化酵素の保存領域に対するdegenerate primerを用いたRT-PCR法により、未受精卵で発現しているチロシンリン酸化酵素のクローニングを試みた。その結果、未受精卵で発現しているチロシンリン酸化酵素のひとつがJak2であることが明らかとなった(Table. 1)。Jak2は膜レセプターの細胞内ドメインに結合する非受容体型チロシンリン酸化酵素であり、Jak-Stat経路を介してIFN, IL, PRL, GH, GM-CSF, EPO, LIFなどのリガンドからのシグナルを伝達することが知られている。そこでマウス初期胚におけるJak2の機能を明らかにするために、受精後のJak2の発現を調べた。Jak2特異的なプライマーを用いたRT-PCR法により、Jak2 mRNAは未受精卵でもっとも多く存在し、発生の進行に伴い急激に減少していくことが明らかとなった(Fig. 1)。また、抗Jak2抗体を用いた免疫染色法により、Jak2タンパクの発現と局在を調べた(Fig. 2)。その結果、Jak2は2細胞期後期まで発現しており、その局在は間期では核内に、分裂期では染色体上にあることが明らかになった。また、1細胞期胚では雌性前核に顕著な局在が認められたが、雄性前核にはほとんどその局在が認められなかった。次に2細胞期後期にみられるJak2の局在の消失がどのように調節されているかを明らかにするために、DNAあるいはタンパク質合成の阻害実験を行った(Fig. 3)。その結果、1細胞期でDNA合成を阻害した胚では局在が消失するのに対して、タンパク合成を阻害した胚では局在の消失が抑制された。したがって、2細胞期後期におけるJak2の局在消失には受精後に合成されるタンパクが必要であり、細胞周期非依存的な機構により調節されていることが明らかとなった。

Jak2の核局在機構の解析

マウス初期胚におけるJak2の核局在機構を明らかにするための実験を行った。はじめに、核への局在がマウス初期胚に特異的なものであるかを確かめるために、Jak2を発現しているNIH3T3細胞、Nb2細胞での局在を免疫染色法により調べた(Fig. 4)。その結果、Jak2は細胞質のみに局在し、核には局在していないことが明らかとなった。また、Nb2細胞はプロラクチンの刺激によりJak2が活性化し、Jak2-stat経路を介して、細胞増殖が調節されることが知られている。そこで既知のシグナル伝達機構におけるJak2の活性化と核への局在との関連を調べた。その結果、プロラクチンの刺激後もJak2の核局在は認められなかった。これらのことから、Jak2はマウス初期胚特異的な機能と関連した、これまでの作用機構とは異なる新たな機能を持つことが示唆された。またJak2の核への局在はGFPとの融合タンパクを発現させ、初期胚および培養細胞で蛍光を観察することによっても確認することができた(Fig. 5)。

先に行った免疫染色実験では、2細胞期前期においてJak2は核内で一様な局在を示していた。しかしながら、2細胞期前期の核内では精子由来、卵子由来の染色体が別々に分かれて局在していることが知られている。そこで、Jak2が精子由来の染色体に蓄積する時期を明らかにするために、1細胞期分裂期でのJak2の局在を免疫染色法により詳細に調べた。その結果、分裂期の中期から後期にかけて精子由来の染色体にJak2の蓄積が始まることが明らかとなった(Fig. 6)。また、雄性前核やNIH3T3細胞の核を未受精卵に移植した細胞では、Jak2は染色体に蓄積しないことが明らかとなった。これらのことから、Jak2の染色体への蓄積はクロマチン構造の違いに依存していることが示された。

減数分裂期におけるJak2の発現と機能

Jak2が雌性前核のみに局在していたことから、そのゲノミックインプリンティングへの関与を考えた。哺乳類の正常な発生には染色体の由来による発現調節機構が不可欠である。この機構をゲノミックインプリンティングとよび、インプリンティングを受ける染色体領域または遺伝子は、配偶子形成過程で精子由来か卵子由来かの「しるし=インプリント」を刷り込まれる。このインプリントの違いは受精を経て、同一の核に入っても維持され、さらに複製・細胞分裂を繰り返しても消失しない。そして体細胞ではインプリントにしたがって父性または母性対立遺伝子特異的な発現が起こる。一方始原生殖細胞ではインプリントの消去が起こり、つづく配偶子形成過程に新たなインプリントを獲得する。このような機構を維持するためのエピジェネティックな修飾としてDNAのメチル化が知られている。そこで、本研究により明らかとなったJak2の雌性前核特異的な局在は、受精直後の雄性前核の脱メチル化と負の相関関係にあることから、ゲノミックインプリンティングへの関与を検証した。はじめにDNAメチル化が消去される胎生12.5日の始原生殖細胞でのJak2の局在を調べた(Fig. 7)。その結果、雄性、雌性生殖隆起内に存在する始原生殖細胞ではともに核にJak2の局在は認められなかった。また、インプリンティングを獲得する生後5日から20日の第一減数分裂前期の卵成長期では、DNAのメチル化とJak2の核局在の開始は同時期に起きることが明らかとなった(Fig. 8)。これらのことから、核に局在するJak2はDNAのメチル化および脱メチル化に関連する機能を持つ可能性が示唆された。

結論

現在までに広く知られているJak2の機能は、サイトカインなどのシグナルを受け、転写因子であるStatを介して遺伝子発現を調節するものである。したがってJak2が核に局在するかぎり、受容体からのシグナルを伝達することができないことから、Jak2の核への局在はこれまでに知られていない新規の機能を示唆するものである。受精後、ゲノムはひとつの細胞のなかで配偶子ごとに別々の独立した核を形成する。1細胞期において、この雄性、雌性前核は同じ細胞質中に存在するにもかかわらず、いくつかの異なる性質を有している。たとえば、両者のDNA合成の順序は時間的、空間的に同調していない。また転写調節の機構も異なっており、雄性前核は雌性前核と比べ高い転写活性を持っている。そしてDNAの脱メチル化においても異なる調節を受けていることが知られている。このように雄性、雌性前核は多くの点で異なる性質を有している。したがって、前核ごとに異なる調節機構を維持するためには、これらのゲノムの由来を見分けるための目印やそれを制御する機構が存在すると考えられる。本研究により明らかとなった雌性前核特異的なJak2の局在は、これまでに知られない雌雄の由来による染色体制御機構に関与していることが考えられる。

Summary of the frequencies of PTK cDNAs isolated from oocytes and embryos

Expression pattern of Juk2 transcripts during preimplantation development

Immunolocalization of Juk2 in mouse oocytes and embryos

Disappearance of Jak2 localization in the late G2 phase of two-cell embryos.

Immunolocalization of Jak2 in culture cells

localization of Jak2-GFP in the embryos and culture cells

Accumulation of Jak2 on the male-derived chromosomes.

Immunohistochemical staining of Jak2 in ovaries and genital ridges.

Nuclear localization of Jak2 and methylated DNA during oogenesis

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章ではマウス初期胚におけるJak2の発現およびその局在、第2章ではJak2の局在調節機構、そして第3章ではマウスの卵形成期におけるJak2の局在とその機能について述べられている。

第1章では、チロシンキナーゼの共通配列を用いてマウス初期胚で発現するチロシンキナーゼの探索を行い、Jak2が未受精卵で多く発現していることが示された。また、抗Jak2抗体を用いた免疫染色の結果、Jak2タンパク質は、マウスの初期胚および未受精卵において、分裂間期には核に、そして分裂期には染色体上に局在することが示された。これはサイトカインのシグナルを伝える主要なチロシンキナーゼが初期胚で発現していることを示した初めての報告であり、初期発生調節機構を理解する上で重要な知見といえる。またこれまで体細胞で知られている知見では、主にJak2は細胞膜上に局在してサイトカインのシグナルを転写因子Statを介して核へ伝えるというものであったが、本論文で示された核あるいは染色体への局在はこれまで知られていない新しいJak2の機能を示唆するものである。

第2章では、まず体細胞でJak2のシグナル伝達を活性化させるプロラクチンを添加してもJak2の核局在は変化しないことが示された。さらにJak2と蛍光物質との融合タンパク質を初期胚および培養細胞に導入することにより、Jak2の核への局在が初期胚特異的に起こることが示された。また、この実験結果により、初期胚特異的な局在はJak2タンパク質自身が初期胚特異的な構造を取っているためではなく、初期胚中の何らかの因子がJak2の局在を調節していることが明らかとなった。そして、1細胞期の分裂期におけるJak2の局在変化、および核移植実験により、Jak2の核への局在はクロマチン構造によって調節されていることが示唆された。

第3章では、クロマチン構造に関与する因子としてDNAメチル化に注目し、卵形成過程におけるその変化とJak2の核局在変化との関連を調べた。その結果、始源生殖細胞ではJak2は細胞質に局在し、その後減数分裂期に入って卵母細胞となり卵形成過程が進むにつれてJak2の核への局在が増加していくことが明らかとなった。この変化はDNAメチル化のものとよく一致しており、卵形成過程においてDNAメチル化とJak2の核局在には密接な関係があることが示された。これは、卵形成期においてチロシンキナーゼが機能していることを示唆する初めての報告であり、さらにクロマチン構造に関与するエピジェネティックな修飾の調節にJak2が関与することを示唆したものであり、卵形成機構に関して重要な知見を付与したといえる。

以上のように、本論文はいまだ不明な点が多い卵形成および初期発生の調節機構の解明に大きく寄与するものであると考えられる。

なお、本論文第1章は、中里款、鈴木智典、酒井仙吉、永田昌男、青木不学との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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