学位論文要旨



No 119638
著者(漢字) 金,泳南
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンナン
標題(和) 近代日本の説話研究における「民族」の発見
標題(洋)
報告番号 119638
報告番号 甲19638
学位授与日 2004.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第517号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 大澤,吉博
 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 助教授 伊藤,徳也
 大手前大学 教授 川本,皓嗣
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、近代における「説話」の概念や研究方法に関する研究である。近代的学問として成立した説話研究は、説話の採集や分類を基礎にして説話の発生や伝播の経路を明らかにしようと努める一方、説話における普遍的な要素や地域的な特性を見出そうとしてきた。そして、説話の地域的な特性に基づいて、その説話を伝承してきた民族の精神や記憶が説話の中に秘められていると認識するようになった。このような認識は、説話を国ごとに分けて考えることを可能にしたのであり、「日本説話」や「朝鮮説話」などの用語も誕生したのである。

 本論文では、近代における説話研究について、二つの認識に基づいて議論した。一つは、説話の中に内在していると考えられた民族の精神や記憶などは、近代以後の説話研究者たちによって構成された想像体である、という認識である。もう一つは、説話研究を通して作り出された民族の同一性は、外部の説話に求められたものである、という認識である。例えば、近代説話研究を通して構成された日本民族の同一性は、日本の説話の中で見出されたのではなく、外部、具体的に言えば朝鮮の説話との関係の中で見出されたものであった。すなわち、日本の説話研究における朝鮮の説話とは、自分たちの説話を規定してくれるものになったのであり、朝鮮の説話を語る方式で日本の説話のあり方が決められたのである。本文の議論を通して次のようなことが明らかになった。

 第一章では、「三輪山式伝説」の発生や伝播をめぐる議論を検討し、日本民族の同一性が外部の説話との比較研究を通していかに構成されてきたのかを明確にしてみた。具体的には、「三輪山式伝説」の分布をいかに捉えるのかによって、日本民族の同一性が異なってくる過程を探ることであった。鳥居龍蔵は「三輪山式伝説」が日本と朝鮮半島に共に分布している事実に基づいて、日本民族と朝鮮民族が大昔同一民族であったとした。彼の仮説に従えば、日本民族の同一性は、日本列島や朝鮮半島、さらに満州地方を含む、広大な地域に拡張して求められたものになる。これに対して、高木敏雄は同じ「三輪山式伝説」の比較研究を通して、日本民族の同一性や日本の民族文化を日本列島の内側に求めた。つまり、「三輪山式伝説」は鳥居の主張するように日本と朝鮮半島にのみ分布するのではなく、世界的に分布している説話であると議論することで、説話の伝播や分布を人種の問題と結びつけて議論した鳥居の説を批判したのである。

 彼らの説話研究は民族の範囲に関する見解で違っていたが、説話研究を通して民族や民族文化を形成しようとした点、そして日本の民族を語る際に「朝鮮」という他者の存在が不可欠であった点では同様であった。他者の説話を積極的に語ることで自分の民族を形成しようとしたのが、彼らの比較研究であった。朝鮮の説話は彼らにとって日本民族を照らしている鏡であったのである。

 第二章では、近代の説話研究の中でもう一つの重要な側面である、説話集の発刊の問題を取り扱った。近代以前の時代においても説話集は存在したが、近代以後に編纂された説話集は、民間に口頭伝承されてきた説話を民族文化として規定し、民族文化を研究する資料として説話を採集し説話集を刊行したことで、それ以前の時代とは異なる意味を持つ。このような認識の中で採集された説話は、編纂者の意図によって分類されたり排除されたりし、あるいは書き変えされる場合すら生じたのである。

 本稿では、中村亮平の『朝鮮童話集』について議論したが、中村は朝鮮説話を語る形式においては上記の二人の研究と異なっていたが、「朝鮮」という場所に関する意味合いにおいては認識を共にしていた。中村は『朝鮮童話集』の中で、与えられた現実に満足して生きている朝鮮人の姿を「美しく」描写した。ところが、朝鮮の説話における「美」とは、そもそも朝鮮の説話の中に「美しい」要素が内在していたのではなく、中村が「記述」によって見出した「美」であった。このような他者に関する「記述」が可能だったのは、日本による植民地支配という政治的な力関係が背後に横たわっていたためであった。

 中村の描いた「美しい朝鮮」という世界は、彼が朝鮮の説話の中で求めた世界であったことはいうまでもない。「良き野蛮人」としての朝鮮人の姿を朝鮮の説話集の中で表象することで、文明化した自分たちを浮き彫りにしたのである。それ故に、中村にとって「美しい朝鮮」という言説空間は、日本人の共同主観を確認する場所としての機能を果たしていた。その意味で他者の説話である朝鮮説話という場所は、自分たちの同一性を形成する場所に他ならなかったのである。

 第三章で議論した柳田國男の説話研究は、比較研究を否定したことで独特な位置を占めている。柳田國男は、高木敏雄や鳥居龍蔵のように日本の説話と外部の説話の比較を通して、説話の伝播や起源について議論することを強く批判し、日本国内の民間に伝承されてきた資料のみを用いて、日本の説話の中で日本の固有信仰を発見しようと試みた。このような柳田の説話研究は、近代国民国家日本の民族的な同一性を確認する契機としての、日本の「固有信仰」を日本説話の中から見出そうとしたものであった。それは、近代国民国家を新しい組織体として捉え、その構成員である国民の民族的な同一性を求めるには、従来の学問では不可能だと認識したためであった。そして、「桃太郎」をはじめいわゆる「小さ子」物語の分析を通して、その中から日本の固有信仰の一つの形態として「小さ子信仰」を見出したのである。

 では、日本の説話と朝鮮の説話における伝播や交流関係を否定的に捉え、日本説話と朝鮮説話の比較研究を固く禁止した柳田にとって、朝鮮という外部はいかなる存在であったのか。柳田は朝鮮の説話に関して相当の知識を持っていたにもかかわらず、自分の説話研究の中で朝鮮の説話に関して記述したことがほとんどなかった。それは、現在の日本と朝鮮の間に同一性を見出せる共通点が見られなったためであると考えられる。つまり、柳田にとって朝鮮とは同化の対象であり、日本民族と朝鮮民族の同質性を追求することはこれからの課題であると明確に認識していたのである。

 日本の歴史を「移住拓殖の歴史」として認識している柳田にとって、朝鮮の植民地支配はまさに移住拓殖が進行していることを意味していた。朝鮮という場所は、日本民族の移住拓殖の歴史を保証してくれる場所であり、柳田の説話研究において朝鮮説話という場所が非常に重要な意味を持つ場所であったことは、彼が朝鮮説話に関して「積極的に」語らなかったことで逆に裏付けられるのである。

 第四章では、三品彰英の朝鮮神話研究について議論した。三品は朝鮮神話の研究を通して、朝鮮神話の原始性に注目し、また神話の中で朝鮮半島の古代社会像を見出した。ところが、三品の朝鮮神話研究は朝鮮神話における原始性を究明することを目的にしたものではなく、朝鮮神話の原始性に注目することによって、日本神話の体系性や発展性を浮き彫りにすることを目的としたのであった。つまり、三品にとっては日本の古代研究の一つの方便として朝鮮神話が認識されたのであり、それ故に彼の朝鮮神話研究は日本神話研究の一部として位置づけることが可能である。

 三品は神話を、原初的形態から発展段階を経て体系化するものとして、すなわち進化論的に発展するものとして捉えている。そして日本神話は幾段階かの発展を経て体系的になったのに対して、朝鮮の神話は原初的な形態を示している、と主張している。この時朝鮮神話は、日本神話の発展性を浮き彫りにするものとして、原初的形態を保持するものでなければならないのである。さらに、三品は朝鮮神話の中で日本神話では失われた原初的形態を発見しようと試みていたが、この時朝鮮神話という場所は、日本神話や日本の古代という自己の過去を形成する場所としての意味合いが強くなるのである。

 近代日本の研究者たちが説話研究を通して自分たちの共同体の記憶を構成しようと試みたのは、自分たちが置かれた現実的な要求によるものであった。その要求とは、国民国家を造るための民族を「発見」し、民族の文化を「実体化」することであった。説話の中で民族の実体を見出すためには、認識的な操作が必要であり、その認識操作を行う場所の一つが朝鮮説話という場所であった。従って、日本人研究者たちが語った朝鮮説話は、日本の民族的な同一性を見出すために構築された虚構の世界であり、それ故に、その虚構の世界が実際の朝鮮説話といかなる関係にあるのかは、最初から問題にならなかったのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「近代日本の説話研究における「民族」の発見」は、近代日本における説話研究のありようを追究したものである。近代日本の説話研究は、説話のなかに民族の精神や記憶を見出そうとしてきたが、それは、説話自身に内在したものを析出したのではなく、そこに民族の同一性を見出さねばならないという要請を受けて成されたたものとしてあった。それが、朝鮮の説話・神話を「外部」に見出すことによって果たされたのであることを、本論文は、研究の実際に即して具体的に示しだすのである。本論文の意義は、近代日本の説話研究の問題性を鋭角的に摘出するとともに、その日本人による研究が構築した、虚構の朝鮮説話の世界を受け入れて、朝鮮の説話研究がはじまったという問題に踏み込み、朝鮮側の従来の研究をも根本的に批判的に見直そうとするに至ったことにある。

 本論文は、序章、第一章「三輪山式伝説の比較研究における「伝播」と「民族」の問題」、第二章「近代説話集とテクスト記述をめぐって」、第三章「「桃太郎の誕生」における共同体と信仰」、第四章「神話研究と古代社会認識の問題」、終章、から成る。序章で方法的立場について述べ、第一章では高木敏雄・鳥居龍蔵、第二章は中村亮平、第三章は柳田國男、第四章では三品彰英を、それぞれ取り上げて検討し、終章において、それまでの論議を踏まえて、朝鮮の説話研究に批判の目を向けるという構成である。

 本論文の全体を貫くのは、「研究」のかたちをとったものが、いかに「民族」の「記憶」をもとめるものであったかを見定めるという姿勢である。要するに、「民族」の発見という命題をになって突き進むものとしての「研究」であり、近代日本における国民国家建設のなかで、民族的同一性を見出すべく、朝鮮説話の世界を作り出して語った説話研究ということにつきるというのである。それが、具体的には対象たる研究者を替えながら繰り返し確認されてゆくのであり、執拗ともいえる論述は、強い説得力をもつものとなっている。

 第一章において見られたのは、鳥居龍蔵と高木敏雄の三輪山式伝説の研究である。両者が、古代日本のテキストにあらわれるのと同じ三輪山式の伝説を朝鮮に見出し、その位置づけを論じたとき、鳥居は、民族文化の同一性を見ようとしたのに対して、高木は、差異を見ることに力点を置き、そこに各々の民族文化の独自性を見ようとした。両者は方向が異なるようにみえる。しかし、説話に民族の「記憶」を見るという点で、両者の本質は同じなのである。そうした制度というべき規制に絡めとられてあることが、以下の章でも繰り返し見届けられる。

 第二章では、中村亮平の『朝鮮童話集』(1926)が取り上げられる。1920年代に朝鮮に教師として勤めていた中村が、朝鮮の説話に興味をもち、子供向けに編んだものである。ここでは朝鮮は「美しい」世界として描かれる。日本では失われた「美」を朝鮮に見出したのであり、それを通じて朝鮮・日本の一体性とともに、自分たちの文化的同一性を確認しようとしたものであった。第三章では柳田國男の『桃太郎の誕生』に即して検討し、説話のなかに「固有信仰」を見出すことによって民族的文化的な同一性を確認しようとしたことを見つつ、朝鮮について語ることのなかった柳田が、同化の対象として朝鮮を認識していたことを捉える。そして、第四章では、三品彰英の朝鮮神話研究が、朝鮮神話における「原始性」と、日本神話の体系性・発展性とを比較的に捉えることにたって、日本民族の「古代」を形成するものであったことを見届けるのである。

 その一貫した追究は、近代日本における説話研究のかかえた、民族の「発見」というモチーフが、朝鮮という「他者」をつくりだすこととともにいかに成り立ったかを明確に示し出したものとして評価される。特に、三品の朝鮮神話研究について、朝鮮神話の「原始性」を見出したことが、日本神話との比較のために作り出されたものであるという批判的検討は、鋭く本質をついて説得的であり、現在も朝鮮神話研究の権威として認められている三品に対する批判として、大きな意味をもつ。また、朝鮮の側の説話研究が、日本の説話研究の規制を受けてしかありえなかったという問題の方向を明確にしたことは、従来の研究に対して根本からの見直しの可能性をひらいたものとして高く評価される。本論文では萌芽的段階にとどまっているが、その発展を期待したい。

 しかし、問題意識が先行していて、論議には繰り返しが多く、十分に成熟したものとなっているとはいえず、それぞれの章も中途半端であって完成度に不満が残ることが、審査委員から指摘された。ただ、そうした欠点は今後の研究の発展のなかで補われることが十分期待され、本論文の価値をそこなうものではないということが、委員の一致した評価であった。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク