学位論文要旨



No 119730
著者(漢字) 李,燕
著者(英字)
著者(カナ) リ,エン
標題(和) 黄色ブドウ球菌のdnaD,dnaB,dnaI温度感受性変異株の同定と解析
標題(洋) Identification and characterization of Staphylococcus aureus dnaD,dnaB and dnaI temperature-sensitive mutants defective in chromosomal DNA replication
報告番号 119730
報告番号 甲19730
学位授与日 2004.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1103号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 細菌のDNA複製の開始段階は、そのタイミングと同時性について厳密に制御されている。複製開始の同時性とは、細菌細胞内にある複数の複製起点から複製が同時に生じることをいう。複製の開始段階では複製フォークの適切な会合のために多くの蛋白が必要である。複製フォークの会合反応は、複製進行中のフォークがDNA上の障害によって一時停止し、その後再開始する時にも生じることが考えられている。

 グラム陰性の大腸菌では複製開始直後の複製の再開始を抑える機構として、DnaA蛋白の制御的不活性化機構と、oriCの隔離の機構が知られる。しかしながら、これらの機構に関わるHda、Dam、SeqAといった蛋白は、グラム陽性の黄色ブドウ球菌にそのホモログを有しない。また黄色ブドウ球菌はDNAポリメラーゼIIIの触媒サブユニットとして、DnaEとPolCという二つの蛋白を有するが、この点は大腸菌のそれとは異なっている。これらの知見は、黄色ブドウ球菌の複製の開始と伸長段階の調節機構は、これまで研究が進められてきた大腸菌とは異なっていることを示唆している。

 DnaD、DnaB、及びDnaI蛋白は、黄色ブドウ球菌を含むGC含量の低いグラム陽性の細菌種に特異的に存在する。枯草菌における研究ではいずれも複製開始に必要とされる。生化学的には、枯草菌の複製の再開始時の複製フォークの再構成に働く蛋白であると報告されている。しかしながら同じく複製フォークの再構成に関わる大腸菌のPriBやPriCと異なり、枯草菌のDnaD、DnaB、及びDnaI蛋白は菌の増殖に必須であることから、両者には機能的相違があることが予想される。私は、グラム陽性菌のDNA複製機構を明らかにすることを目的とし、dnaD、dnaB、及びdnaI遺伝子の温度感受性変異株の分離と解析を行った。

1) dnaD、dnaB、及びdnaI遺伝子の温度感受性変異株の分離

 黄色ブドウ球菌RN4220株を親株とし、変異剤であるエチルメタンスルホン酸処理により、約千株の温度感受性変異株を分離した。これらの株は30℃では増殖するが、43℃では増殖できない。次に、黄色ブドウ球菌のゲノムを含むプラスミドライブラリーを用いて、温度感受性を相補するプラスミドを選択した。相補プラスミドには、変異株の温度感受性の原因となっている変異遺伝子の野生型遺伝子が挿入されており、これを決定することにより変異株の変異遺伝子を同定できることが期待される。その結果、二つの温度感受性変異株の温度感受性がdnaD遺伝子によって、五つがdnaB遺伝子によって、三つがdnaI遺伝子によって相補されることが分かった (Table 1)。これらの変異株は全て一アミノ酸置換を導く変異を、それぞれの蛋白に有することが見出された (Table 1)。DnaD、DnaB、DnaI蛋白は、DNA複製に必要であるとされる。そこで変異株のDNA合成、蛋白合成をそれぞれ[3H]thymidine、[35S]methionineの酸不溶性画分への取り込みによって測定したところ、いずれの変異株においてもDNA合成が制限温度下で特異的に停止することが分かった(fig.1)。

それぞれの変異が温度感受性の原因であるかについてさらに検証するために、ファージを用いた形質導入実験を行った。その結果、いずれの温度感受性の表現形質も、対応する遺伝子の近傍に挿入した薬剤耐性マーカーとある一定の頻度で形質導入されたことから、同定したそれぞれの変

異が温度感受性の原因であることが示唆された。従って、dnaD、dnaB、及びdnaI遺伝子が黄色ブドウ球菌のDNA複製に必須であることが示唆された。

2) DnaD蛋白はDNA複製の開始段階、並びにその伸長段階の完了に必要である

 dnaDの変異株においてDNA複製が開始段階で止まるのかを明らかするために、染色体の複製起点と終結点の相対比 (ori/ter比) をサザンブロット法によって同定した。変異株を43℃で2時間培養すると、dnaD1726株のori/ter比は2.1から1.4に減少した。後者の数値は野生株にクロラムフェニコール処理した際の数値、1.5と同程度であったことから、dnaD1726株は開始段階でDNA複製を停止していることが示唆された。一方、dnaD2021株のori/ter比は2.9から3.4と減少しなかったことから、dnaD2021株ではDNA複製が伸長段階で停止していることが示唆された。dnaD遺伝子が複製の伸長段階に必要であるという知見は新規であったので、この点を確証するために細胞内のDNA量をフローサイトメトリー法によって決定する実験を行った。dnaD2021株に細胞分裂を阻害するセファレキシンを加え43℃で30分培養した際には2Nと4Nの染色体の位置にピークが認められたが、さらに2時間まで培養するとこのピークはシャープになるのではなく崩れてゆき、全体として幅広のピークを形成した。このピークの崩壊は温度シフト時にタンパク質合成阻害剤であるクロラムフェニコールを同時に添加することにより阻害された。これらの結果は、菌液中のある細胞群は進行中の複製を終了するがその他の細胞群は終了できないこと、また染色体DNAの分解が新規蛋白合成に依存して生じていることを示唆する。この知見はori/ter 比の解析によるのそれと一致するものであった。

 dnaD1726株においては、細胞をセファレキシン処理し43℃で30分あるいは2時間培養した際に、ともに明瞭な2N、4Nおよび小さな8Nのピークを示した(Fig.2、B3 and B4)。このパターンはクロラムフェニコールとセファレキシンを処理し30℃で培養した細胞と同様であった(Fig.2、B2)。この結果はori/ter比の結果と同様に、dnaD1726株では開始段階でDNA複製が停止していることを示唆する。従って、DnaD蛋白はDNA複製の開始段階だけでなく、複製の伸長段階の完了にも必要であることが示唆された。

 枯草菌においてDnaD蛋白は、複製再開始の複製フォークの再構成に必要とされることから、DnaD蛋白がDNA修復に必要であることを予想した。そこで私はdnaD変異株がDNA修復に欠損があるかを調べた。DNAに障害を与えるマイトマイシンCに対して、二つのdnaD変異株は共に野生株よりも感受性を示した。また紫外線処理により、dnaD2021株の生菌数は野生株に比べ顕著に減少した。またこれらのDNA障害への感受性はdnaD遺伝子を含むプラスミドによって相補された。この結果は、DnaD蛋白が黄色ブドウ球菌においてDNAの修復に必須であることを示唆している。

3) DnaB蛋白はDNA複製の開始、ならびにその同時性の調節に必要である。

 五つのdnaB変異株のシフト後2時間のori/ter比はいずれも1.4あるいは1.5と、複製が開始段階で停止するクロラムフェニコール処理菌の1.5と同様のレベルに低下した。フローサイトメトリー法によるDNA量の解析によっても、上記のdnaD1726株と同様に、進行中の複製は完了し次の複製開始が生じていないことが示唆された。dnaB2831株においては、2N、4Nのピークの他に、3Nのピークが認められた(Fig.3、A1)。この3Nのピークは細胞内の複製起点が同時に開始しない際に生じる形質である。従ってこれらの結果は、DnaB蛋白が黄色ブドウ球菌の複製開始に必要であるだけでなく、その同時性の制御にも必要であることを示唆している。

4) DnaI蛋白もDNA複製の開始、ならびにその同時性の調節に必要である。

 三つのdnaI変異株の43℃、2時間培養後のori/ter比はいずれも1.7と、これも複製が開始段階で停止するクロラムフェニコール処理菌と同様のレベルに低下した。フローサイトメトリー法によるDNA量の解析によっても、上記のdnaD1726株と同様に、進行中の複製は完了し次の複製開始が生じていないことが示唆された。複製開始の阻害時にdnaI7302株においては、2N、4Nのピークの他に、3Nのピークが認められた(Fig.3、A2)。従ってこれらの結果は、DnaI蛋白が黄色ブドウ球菌の複製開始に必要であるだけでなく、その同時性の制御にも必要であることを示唆している。

5) 考察

 本研究において私は、黄色ブドウ球菌においてDnaD、DnaB、およびDnaI蛋白がDNA複製の開始段階に必要であることを明らかにした(Fig.4,A)。dnaB, dnaI変異株においては複製開始の同時性の欠損を明らかにした。これはグラム陽性細菌のプライモソーム蛋白がその制御に関わることを示す初めての結果である。DnaD蛋白は染色体複製の伸長段階にも必須であった。このDnaD蛋白の複製伸長段階への関与は、一時停止した複製フォークがPriA依存に再開始する過程にDnaD蛋白が関与することによって説明できる(Fig.4,B)。この解釈はDnaD蛋白がDNA修復に必須である結果からも支持される。大腸菌においてはヘリカーゼとヘリカーゼローダーの機能の厳密な制御が複製伸長段階に必要とされることからは、複製伸長段階におけるヘリカーゼとヘリカーゼローダーの活性の調節にDnaD蛋白が機能することも考えられる(Fig.4,C)。

参考文献:1) Y. Li, K. Kurokawa, M. Matsuo, N. Fukuhara, K. Murakami and K. Sekimizu Identification of temperature-sensitive dnaD mutants of Staphylococcus aureus that are defective in chromosomal DNA replication. Mol Gen Genomics 271: 447-457(2004)2) M. Matsuo, K. Kurokawa, S. Nishida, Y. Li, H. Takimura, C. Kaito, N. Fukuhara, H. Maid, K. Miura, K. Murakami and K. Sekimizu. Isolation and mutation site determination of the temperature-sensitive murB mutants of Staphylococcus aureus. FEMS Microbiology Letters. 222(1):107-13 (2003)

Table-1 Temperature-sensitivity phenotypes of the mutants were complemented by the corresponding wild type dnaD, dnaBor dnal gene.

 Fig. 1 The dnaDts, dnaBtS and dnaIts mutants specifically exhibfted DNA synthesis defects

Fig.2 Flow cytometric analysis of DNA contents in dnaDts mutants

Fig. 3 FACS analysis of DNA pattern in dnaB283l and dna17302 mutants.

Fig. 4. Model for functional roles of S. aureus DnaD, DnaB and Dnal in DNA replication

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、黄色ブドウ球菌のDNA複製の開始段階に必須の役割を果たしている3つのタンパク質、DnaD, DnaB, 及びDnaIに関する遺伝学的研究である。黄色ブドウ球菌はヒトに対する感染症菌として臨床上重要な意味をもつ細菌である。特に細菌、多剤耐性となったメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による感染が大きな問題となっている。MRSAに対して最後の特効薬とされてきたバンコマイシンに対して耐性を獲得した、VRSAと呼ばれる黄色ブドウ球菌が分離されたという報告がなされ、新規抗菌剤の開発が緊急の社会的要請となっている。

 抗菌薬の開発に当たって、細菌の増殖に必須な過程を司る酵素タンパク質を同定することは重要である。DNA複製は細菌の増殖に必須であり、数多くのタンパク質が関与する過程であることが大腸菌を材料とした遺伝学的並びに生化学的解析により明らかにされてきた。しかしながら、黄色ブドウ球菌については、DNA複製機構に関する分子レベルでの知見はきわめて限られている。このような状況にあって、論文申請者は、黄色ブドウ球菌のDNA複製に関する遺伝学的研究の基礎となる変異株の分離方法を確立し、さらに分離された変異株の中から、DNA複製開始にあずかると予想された3つのタンパク質の変異株を選択して、それらの性状を解析した。

 本論文は4つの章から構成されている。第1章では、黄色ブドウ球菌の染色体DNA複製の温度感受性変異株の分離並びに同定について、第2章、第3章、第4章では、それぞれ黄色ブドウ球菌のdnaD、dnaB、dnaI遺伝子の温度感受性変異株について、論文提出者による研究成果が述べられている。

 第1章において申請者は、黄色ブドウ球菌のDNA複製に関する遺伝変異株の取り扱いに関して述べている。変異原処理した多数の候補株の中から、DNA複製の変異株を選別し、その変異部位を遺伝子の塩基配列のレベルで決定する具体的方法が記述されている。特に本論文において強調されているのは、ファージトランスダクションによる、温度感受性を支配する遺伝子領域の決定方法である。従来、大腸菌の遺伝学においては、ファージトランスダクションにより変異部位を他の株に移す方法が確立されていた。しかしながら、黄色ブドウ球菌を使った遺伝学においてはこの点が軽視されており、変異と形質の因果関係に疑問が残る場合が数多く見られた。申請者はこの問題を解決するために、黄色ブドウ球菌におけるファージトランスダクションを確立し、DNA複製の研究に有効であることを実証した。

 第2章、3章、及び4章においては、それぞれdnaD、dnaB、及びdnaI遺伝子の温度感受性変異株の性質を検討した結果、並びにそれに基づいたそれぞれの遺伝子産物の機能に関する予測が述べられている。本論文では、フローサイトメトリーによる複製開始及び伸長における異常をモニターする方法を用いて、それぞれの変異株が、非制限温度下で示すDNA複製の異常を考察している。例えば、dnaD遺伝子の変異株については、DNA複製の開始段階及び伸長段階の両方において異常を示すものが発見された。この結果は、dnaD遺伝子の産物であるDnaDタンパク質が、DNA複製の開始及び伸長の両方に必要不可欠な機能を果たしていることを初めて示したものである。

 以上、李燕の論文は、ヒトの病原性細菌である黄色ブドウ球菌のDNA複製について、その分子機構を明らかにする方法論を開拓するとともに、重要な新知見を加えたという点で遺伝学的、分子生物学的、並びに、生物薬学の分野に貢献したと考えられる。したがって、李燕に対して博士(薬学)の学位を授与することが適当であると結論した。

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