学位論文要旨



No 119890
著者(漢字) 家田,淳一
著者(英字)
著者(カナ) イエダ,ジュンイチ
標題(和) スピノル型ボース・アインシュタイン凝縮体における物質波ソリトンの研究
標題(洋) Study of Matter-Wave Solitons in Spinor Bose-Einstein Condensates
報告番号 119890
報告番号 甲19890
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4619号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 鳥井,寿夫
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 時弘,哲治
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,冷却原子気体によるボース・アインシュタイン凝縮体における物質波ソリトンを対象とし,逆散乱法を用いた厳密解に基づく解析を行った.学位論文では,研究の背景,基礎理論,逆散乱法を順次導入したのち,それらを総合し,これまで実験では観測されていない物理現象の存在を見出した.

研究の背景

アインシュタイン(1925)によって予言されたボース・アインシュタイン凝縮(BEC)は,ロンドン(1938)によるHe-IIとしての解釈,オシェロフら(1972)による3Heの超流動の発見,によって存在は確立された.しかし,BECをより予言に近い形で実現したのは,米国3グループ(JIRA,MIT,Rice大学)の実験である.1995年,10nKという超低温でアルカリ金属蒸気(87Rb,23Na,7Li)を磁場によってトラップすることにより,制御可能な状態で観測に成功した.この系の注目すべき点として,次の二点が挙げられる.

●系を支配するほとんど全てのパラメータが実験的に制御可能

●短距離型の弱い相互作用をする系で平均場理論がよく実験を説明する

 はじめの点に関しては,原子種の変更,および混合,外部磁場やレーザー光の組み合わせなどによって,凝縮体の形状,次元性,内部自由度,さらには原子間相互作用の大きさまでを自在に選択することが可能となっている.これまでに行われた実験は,BECの物性そのものを調べる基礎研究から,原子レーザー,量子渦形成,光格子中の超流動・絶縁体転移,多成分系における内部自由度間のダイナミクスなど広範囲な応用にわたる.また,実験精度,再現性がきわめて高いという点も特筆に値する.

 二点目に,既に長い研究の歴史を持つ,弱く相互作用する希薄ボース気体の理論が直接適用可能な系であるという利点を持つ.これは,気体状態のまま凝縮するため希薄極限が成立しており,十分低温では99%以上の原子が凝縮相にあるためである.実験開始当初から理論的な予測と実験結果の定量的な一致が数多く報告されており,その中でもグロス・ピタエフスキー(GP)方程式は,凝縮体のダイナミクスを記述する基礎方程式としてその有効性が実証されてきた.ひとたびBECが実現すると,凝縮体を構成する個々の原子(105〜107個)はコヒーレンスを獲得し,原子雲全体があたかも巨大な単一原子であるかのように振舞う.この結果生じる巨大原子の波動関数は「巨視的」であり,平均場的な取り扱いが可能となる.BECが巨視的量子現象として量子力学的世界の拡大鏡の側面をもつとして注目を集めている理由である.その一方で,GP方程式は,媒質の非線形性に起因する非線形項をもつ非線形シュレーディンガー(NLS)方程式と等価である.このため,非線形波動の観点からのアプローチが重要性を帯びてくる.

 このような状況の中で,2002年,米,仏の両グループにより,Li原子によるBECの物質波ブライトソリトンが観測された.これらの実験は,系の原子間相互作用が引力であり,ダイナミクスが1次元的であるといったブライトソリトンの成立条件が満たされていることを示している.物質波ソリトンは,気体原子のBEC実現の過程で派生してきた原子光学の分野において,原子レーザー,コヒーレント物質輸送などへの応用が期待されており,さらには量子情報・通信の素子としても注目を集めはじめた.こういった将来の応用面を考えた場合,気体原子のBECにはもうひとつ長所がある.それは,原子が内部自由度もち,多成分のチャンネルを扱うことができるという点である.この内部自由度と自由度間の結合を利用した量子計算のスキームが,既に理論家たちにより提案されている.

基礎理論

本研究の基礎となるGP方程式は,凝縮体に対するボゴリウボフ(1947)の平均場理論から導出される.これをスピン自由度を持つ凝縮体へと拡張し,多成分GP方程式を得る.次に,オルシャニー(1998)の提唱する,凝縮体の運動が1次元方向に限定された擬一次元的状況における,閉じ込め誘起共鳴(CIR)ついて解説し,本来の3次元的なものから運動方向へ繰り込まれた,実効的な原子間相互作用を導く.この際,BECが有限温度で存在しえるか否かについて,半古典論(WKB法)を用いた我々の研究結果を参照し確認した.

逆散乱法

逆散乱法(ISM)は,NLS方程式を含む,あるクラスの非線形発展方程式の初期値問題を,線形問題に変形することで解く手法である.まず,土田・和達(1998)により行列型に拡張されたNLS方程式のISMを取り上げる.彼らの解析では,非線型方程式に従う物理的な(行列の)複素場は,遠方でゼロとなる境界条件が課されている.この場合,多成分のブライトソリトン解が存在する.次に,非線形項の符号を変え,境界条件も遠方で定数(行列)となる場合について解析を行い,Nソリトン解の表現を与えた.これは本研究で得られた新しい成果のひとつである.

スピン自由度をもつ物質波ソリトン

これまでの議論を総合し,物質波ソリトンと内部自由度を融合させた状況を想定し,多成分結合型NLS方程式を用いて内部自由度を有する凝縮体のダイナミクスを解析する.内部自由度としては,多くのアルカリ原子がそうであるような,f=1超微細基底状態を選定した.この場合,凝縮体は3成分スピノルと呼ばれる超微細スピン空間で回転対称なベクトル型秩序パラメータ{Φ1(x,t),Φ0(x,t),Φ-1(x,t)}で特徴付けられる.これらの従う時間発展方程式は,以下ようになる.

ここで,c0,c1はそれぞれスピンに依存しない平均場の結合定数,スピン交換相互作用の結合定数である.また,極端に細長いポテンシャル中の運動を考えているため,自由度は長軸方向に限られ,動径方向は基底状態に凍結した,擬一次元的な状況下での実効的な結合定数となっている.

 この非線形な方程式系が,条件:c0=c1が球立するとき,完全可積分となることを証明し,逆散乱法を適用することでソリトン解を厳密に求めた.結合型非線形発展方程式の研究は,マナコフ(1973)に始まり多数存在し,非線形光学の分野で幅広く応用されているが,原子光学分野で内部自由度SU(2)を持つような場合についての厳密解の導出は,本研究がはじめての成果である.

 原子間相互作用の制御には,これまでフェッシュバッハ共鳴が広く用いられてきた.一方,共鳴状態を作るためにの外部磁場の印加は,スピン自由度の凍結を引き起こし,スピノル型BECを研究する上では大きな障害となる.よって,可積分条件:c0=c1の実現には,磁場を用いない手法が必要である。我々は,この問題をCIRを考慮することで解決した.CIRは擬一次元系特有の相互作用制御手法で,閉じ込めらポテンシャルとしてレーザー光(電場)を用いれば,磁場に拠らずトラップと可積分条件の双方を同時に実現することが可能となる.

 得られたソリトン解は,ソリトンごとの巨視的な磁化Fj(jはソリトンの番号)によって,強磁性型(|Fj|=Nj),極性型(|Fj|=0)の2種類に大別され,運動量,エネルギー等の保存量はソリトンのパラメータと関連付けられる.ここで,Njはj番目のソリトンに含まれる原子数である.また,極性的なソリトンには二山のピークを持つ解が含まれており,別種のソリトン方程式である佐々・薩摩(1991)の高階NLS方程式との関連性が示唆される.

 次に,2ソリトン解の漸近形(始(終)状態t→〓∞)を解析することにより,強磁性ソリトン同士の衝突が全磁化を中心軸とした歳差運動(図1,2)として解釈できることを明らかにした.

 一方,極性ソリトンと強磁性ソリトンの散乱では,強磁性ソリトンが通常の位相・位置シフトを受けるのみであるのに対し,極性ソリトンには内部自由度間の遷移(Φ±1〓Φ0)が生じる.また,極性ソリトン同士の場合は,散乱領域においては互いに内部自由度の遷移が生じるものの,漸近形においてはそれらがちょうど打ち消しあい,位相・位置シフトがあるのみとなる.図3に,極性ソリトン(ソリトン-1)と強磁性ソリトン(-2)の特徴的な散乱を示す.簡単のためΦ±1成分が同じになるように設定し,|Φ0|2,及び|Φ±1|2の包絡ソリトンを表示した。共に手前から左奥へ向け時間軸,左右に空間軸が設けてある.今,左に進むものをシグナル,右に進むものをスイッチとみなす.ここでシグナルのソリトンに注目すると,t=0の衝突領域を境に±1成分が消え,それを補うように0成分の振幅が増大している.可積分性から全粒子数や全磁化は系の保存量であるため衝突の前後で変わることはない.しかし,その保存則を満たす範囲内では内部自由度間の遷移が許される.上図に示した現象は,その内部自由度間のダイナミクスを最大限に利用した一例である.

 実際はこれら全ての成分が重なり合って各々のソリトンを形成しているが,衝突後に磁場を印加し,ゼーマン分裂を引き起こして0,±1成分を分離・観測することが可能である.すなわち,シグナルとして0成分のみを観測すると,スイッチソリトンの衝突によってシグナルのONが実現する.逆に,0成分のみからなるシグナルを衝突によってOFFにすることも可能である.この制御にはパラメータの微調整が必要となるが,それが多少ずれたとしても同じように0成分の大幅な減衰が実現される.これらを応用することにより,物質波での量子情報処理への道が開かれることが今後期待される.

結論

以上のように,本学位論文では,逆散乱法によって構成した厳密解の解析により,スピノル型ボース・アインシュタイン凝縮体における物質波ソリトンの性質を明らかにした.その結果,新奇な物理現象として,巨視的磁化の歳差運動や成分間のスイッチングといった現象を見出した.

図1:強磁性ソリトンの歳差運動の模式図.ソリトンごとに定義された磁化F1,F2が,衝突によって,全磁化FT=F1+F2を中心軸とした角ωの歳差運動を行い,終状態のスピンF1,F2にいたる.

図2:歳差角の速度依存性.横軸に振幅(κR)でスケールしたソリトン、の速度(κI)をとり,図1に示された才差角ω/πを縦軸にとる.実線はF≡|FT/NT|=1,破線はF=0.5,一点鎖線はF=0.0157,点線はF=0の場合にそれぞれ対応している.

図3:左図は|Φ0|2,右図は|Φ±1|2.手前から左奥へ時間発展.左(右)に進むのがソリトン1(2).

審査要旨 要旨を表示する

 本学位論文は5章からなり、1章はボース・アインシュタイン凝縮体についての序論、2章は弱く相互作用するボース系の理論的基礎、3章は行列Schrodinger方程式に対する逆散乱法、4章はスピノール型明ソリトン、5章は結論を述べている。

 本研究は,1990年代に発見された、レーザー冷却という方法で冷却された原子気体におけるボース・アインシュタイン凝縮を対象とし、この系における物質波ソリトンを理論的に解析したものである。この研究では、数理物理学的に発展しているソリトン理論をレーザー冷却原子気体という具体的なものに適用し、特に、ボース・アインシュタイン凝縮が多成分系(構成元素がスピン自由度を持つ場合)に、特有な多成分ソリトンが存在することを理論的に予言したものである。

 アインシュタインによって1925年に予言されたボース・アインシュタイン凝縮(BEC)は,4Heの超流動の発見,より広い意味ではフェルミオン系における超伝導や3Heの超流動によって存在は確立された.BECは「巨視的量子現象」として著しいものであるが、1990年代にアメリカの幾つかのグループにより発見されたレーザー冷却原子気体におけるBECの注目すべき点は、実験的には系を支配する様々なパラメータが実験的に制御可能であり、理論的には希薄系であるためにボース系に対する平均場理論がよく実験を説明することである。はじめの点に関しては,様々な原子種を用いることができる、Feshbach共鳴と呼ばれる現象を用いて原子間相互作用を(斥力から引力にわたって)制御することができる、系を閉じ込める領域の形状を自在に選択することが可能,などの制御がされている.第二の点については、系を記述する方程式を、ソリトン理論などで用いられる典型的な非線形方程式(例えば非線形Schrodinger方程式)に焼きなおすことができる便利さを与える。具体的には,弱く相互作用する希薄ボース気体の理論として確立しているGross-Pitaevskii方程式が用いられる.直感的には、BECを構成する個々の原子(105〜107個)はコヒーレンスを獲得し,原子雲全体があたかも巨大な単一原子であるかのように振舞うが、この結果生じる巨大原子の波動関数を記述する方程式である.数学的には、Gross-Pitaevskii方程式は非線形Schrodinger方程式と等価である.

 このような状況の中で,2002年,米,仏の両グループにより,Li原子によるBECの物質波ソリトンが観測された.これらの実験は,系の原子間相互作用が引力であり,かつ系を1次元的な領域に閉じ込めた場合に観測された。ソリトンは、非線形系に特徴的な状態であるが、特に物質波ソリトンは,原子レーザー,コヒーレント物質輸送などへの応用が期待されており,さらには量子情報・通信の素子としても注目を集めはじめた.気体原子のBECにおいては、原子が内部自由度(多成分)をもっという特徴があり、本論文提出者はここに着目した。

 本研究の基礎となるGross-Pitaevskii方程式を多成分に拡張すると、多成分非線形方程式に対するソリトン理論を構成することが要求される。一般に、非線形系におけるソリトンは、逆散乱法と呼ばれる技法で解くことができることが知られている。これは、非線形発展方程式の初期値問題を線形問題に変形することで解く手法である.非線形Schrodinger方程式に対する逆散乱法を多成分(行列型)に拡張することは土田・和達により1998年に行われた。この場合多成分のソリトン解が存在することも示されていた.そこでは遠方でゼロとなる境界条件が課されでてたが、論文提出者は、非線形項の符号を変え,境界条件も遠方で定数となる場合についてもソリトン解の表現を新たに与えた.

 次に論文提出者は、多くのアルカリ原子がそうであるような,f=1超微細基底状態をもつ原子からなる系を、多成分系の典型例として考えた。この場合,凝縮体は3成分スピノルと呼ばれるベクトル型秩序パラメータで特徴付けられる.また、閉じ込めに関しては、実験でも実現されているような、凝縮体の運動が1次元方向に限定された状況を採用した。この場合、原子間相互作用は、引力か斥力かを特徴付けるパラメータc0と、スピン間相互作用を特徴付けるパラメータc1で指定される。論文提出者は、この非線形な方程式系が,条件c0=c1<0(引力的で、スピン間は強磁性的な交換相互作用で、両者の大きさが一致)が成立するとき,解析的に解くことができる(完全可積分となる)ことを証明し,土田・和達の行列逆散乱法を適用することでソリトン解を厳密に求めた.

 原子間相互作用の制御には,これまでは磁場をかけたときに生じるFeshbach共鳴が広く用いられてきた.一方,外部磁場をかけるとスピン自由度が凍結されるので,スピノル型BECソリトンの実現には障害となる.しかし、系を1次元的に閉じ込めた場合は、Olshanii(1998)が示したように、閉じ込め誘起共鳴のために原子間相互作用が実効的に変化する。したがって,閉じ込めポテンシャルとしてレーザー光(電場)を用いれば,トラップと可積分条件の双方を同時に実現することが可能となることが提案された.

 得られたソリトン解は,ソリトンごとの磁化に応じて,強磁性型と極性型に大別される.極性的なソリトンには二山のピークを持つ解が含まれており,別種のソリトン方程式である佐々・薩摩(1991)の高階非線形Schrodinger方程式との関連性が示唆される.次に,2ソリトン解を解析することにより、二つの多成分ソリトンの衝突の詳細も調べられた。これにより、極性ソリトン同士の衝突では,位相・位置シフトを除けば2ソリトンはすり抜ける。一方、強磁性ソリトン同士の衝突は磁化歳差運動として解釈できることを明らかにした.極性ソリトンと強磁性ソリトンの散乱では,強磁性ソリトンが位相・位置シフトを受けるのみであるのに対し,極性ソリトンには成分間に振幅の遷移が生じる.つまり、全粒子数や全磁化は系の保存量であるため衝突の前後で変わることはないが,内部自由度の間では遷移が許される。これを用いて、物質波を量子情報処理に応用する可能性も指摘された.

 以上のように,本学位論文では,逆散乱法という数理物理学的手法によって構成した厳密解の解析により,現実に実験されているスピノール型ボース・アインシュタイン凝縮体における物質波ソリトンの性質を明らかにした.その結果,新奇な物理現象として,巨視的磁化の歳差運動や成分間のスイッチングといった現象が予言された.これは、今後発展が期待される原子BECの分野で重要な結果であると思われる。なお、本論文の一部は和達三樹教授、鶴見剛也、宮川貴彦の各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、審査員全員により、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク