学位論文要旨



No 119892
著者(漢字) 今村,卓史
著者(英字)
著者(カナ) イマムラ,タカシ
標題(和) 一次元多核成長模型の厳密解
標題(洋) Exact solutions in one-dimensional polynuclear growth model
報告番号 119892
報告番号 甲19892
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4621号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 助教授 国場,敦夫
 東京大学 助教授 羽田野,直道
内容要旨 要旨を表示する

 表面成長は自然界のさまざまなスケールでおこる興味深い現象の一つである。さらに表面成長におけるゆらぎはその成長のメカニズムに応じて普遍的な振舞いをするという意味で非平衡統計力学の問題として重要である。1986年にKardar-Parisi-Zhangは表面成長に関して一つの普遍クラス(KPZ普遍クラス)を導入した。その後KPZ普遍クラスはさまざまな表面成長模型および非対称単純排他過程(ASEP)などの拡散模型の普遍性を記述していることがわかり、非平衡統計力学において重要な役割を果たしている。

 一方ランダム行列理論は、乱数を要素としてもつ行列の統計的振る舞いを議論するものである。物理学においては1950年代に重い原子核のスペクトルを解析するためにE.P.Wignerによって導入され、以後Mehta、GaudinそしてDysonらによってランダム行列の固有値相関の普遍性に関する興味深い数理構造が明らかにされた。またランダム行列理論はそれ自身の基礎理論の発展とともに二次元量子重力、量子色力学(QCD)、量子カオス、メソスコピック系等さまざまな分野に応用されている。

 最近、上の2つのトピック、一次元KPZ系とランダム行列理論、が関係していることが明らかになり注目されている。一次元のKPZ系において、荒さ指数(roughness exponent)等のスケーリング指数だけでなく物理量の分布関数そのものが厳密に得られ、しかもそれがランダム行列の最大固有値の極限分布(Tracy-Widom分布)に等しいことが判明したのである。

 本論文では一次元KPZ普遍クラスに属する一次元離散多核成長模型(polynuclear growth(PNG) model)を厳密に解析することによりKPZ系とランダム行列とのつながりを考察する。一次元離散PNG模型のルールは以下の通りである。(この模型は、時刻、高さは自然数に、位置は整数に値を持つという離散的な模型である。また時刻t、位置rにおける高さをh(r,t)であらわす。)

 (1)核生成: 時刻t、位置rにおいて、高さkの核が確率的に生成される。(図1)

 (2)ステップの成長: いったん核生成がおこると1時刻あたり1つずつ左右へ成長する。(図1)

 (3)ステップの合体: 2つのステップがぶつかるとき,その点での高さは高い方のステップの高さになる。(図2)

 以上のルールで定義される離散PNG模型について、本論文では高さゆらぎの同時刻多点相関関数を議論した。PNG模型の数理構造を明らかにし、それを用いて同時刻相関関数のスケーリング極限を得た。特に模型の空間が無限系か半無限系か、あるいは両端や原点における外場の値によって相関関数がどのように変化するのかを考察し、その結果相関関数は上の条件(無限系か半無限系か、および外場の値)に応じた様々なクラスの多行列模型の最大固有値のプロセスに等しいことを明らかにした。

 具体的には以下のような議論を行った。まず第2章において一次元離散PNG模型を定義しその数理構造を議論した。最初に2章前半において、本論文で実際に解析の対象にする模型の定義を行った。さらに2章後半において、前半で定義されたPNG模型の数理構造を解析するために、多層版PNG模型を導入した。その結果PNG模型は多体の非交差ランダムウォーク模型と解釈することができ、測度が行列式の積で書けることが判明した。具体的には無限系で一つの、半無限系で外場がある場合とない場合に対応して二つの、合計三つのタイプの行列式型の測度が得られた。

 3章では2章で得られた三つのタイプの行列式型の測度それぞれに関して、相関関数を考察した。この相関関数は我々が最終的に得たいPNG模型の高さゆらぎの同時刻相関関数を特別な場合として含むものである。その結果、相関関数はフレドホルム行列式で表示できることを示した。

 ここまでの、2章3章での解析を基にして、4章から6章においてPNG模型のスケーリング極限を考察した。4章と5章が無限系の解析、6章が半無限系の解析に当てられている。

 4章では無限系PNG模型における高さゆらぎの同時刻相関関数のスケーリング極限を考察した。具体的には3章で得たフレドホルム行列式の積分核を二重積分表示し、スケーリング極限を鞍点法で評価した。具体的には以下のことがわかった。

(i)両端の外場パラメタの積が臨界値より小さい時には、バルクの相関関数のスケーリング極限はエアリー過程で記述されることがわかった。ここでエアリー過程とはユニタリークラス(エルミート行列)の多行列模型あるいは、Gaussian Unitary Ensemble(GUE)間の遷移を記述するDysonの行列のブラウン運動模型の最大固有値のプロセスのことである。それに対して両端に近いところの相関関数は一次元のブラウン運動の相関関数で記述される、すなわち高さゆらぎはガウシアンで表されことが示された。さらにバルクとエッジの統計が競合する点(GOE2点)が存在していて、その付近の高さゆらぎの相関関数を記述するフレドホルム行列式表示を導出した。

(ii)両端の外場の積が臨界値より大きい時は、すべての地点の高さゆらぎがガウシアンで記述された。

(iii)両端の外場の積が臨界値の時は特別な1点(F0点)を除くすべての地点の高さゆらぎはガウシアンであり、F0点付近の高さゆらぎを記述するフレドホルム行列式表示を得た。

(iv)GOE2点、F0点に関する高さゆらぎの1点関数についてはBaik-Rainsによるリーマンヒルベルト問題をつかった解が知られている。この解と本論文で得たフレドホルム行列式の解との等価性を考察した。

 5章では4章で得られたGOE2点付近の高さゆらぎを記述するフレドホルム行列式のランダム行列による解釈をおこなった。その結果、このフレドホルム行列式は、外場のあるランダム行列を初期条件としてもつDysonの行列のブラウン運動模型の最大固有値のプロセスを記述していることが分かった。

 6章では半無限系で原点に外場がある場合とない場合の二つの場合について、PNG模型の高さゆらぎの相関関数のスケーリング極限が議論されている。解析手法は4章と同様で、二重積分表示されたフレドホルム行列式の積分核に鞍点法を適用した。具体的に以下のことがわかった。

 (i)原点に外場がある場合、ない場合両方とも、バルクの高さゆらぎはエアリー過程で記述された。

 (ii)原点に外場があるとき、原点付近の高さゆらぎはorthogonal-unitaryクラスのランダム行列間の遷移を記述するDysonの行列のブラウン運動模型の最大固有値のプロセスで記述された。

 (iii)原点に外場がない場合、原点付近の高さゆらぎはsymplectic-unitaryクラスのランダム行列間遷移を記述するDysonの行列のブラウン運動模型の最大固有値のプロセスで記述された。

 以上のように本論文ではPNG模型の数理構造に着目し高さゆらぎの同時刻多点相関関数のスケーリング極限を厳密に導出した。相関関数はフレドホルム行列式で表示できた。さらに無限系、半無限系の違いや両端、原点における外場の値の違いは、フレドホルム行列式の積分核の違いとして反映され、得られた相関関数には様々なクラスの多行列模型の最大固有値プロセスが対応していることが分かった。

 本論文の解析手法、および結果は一次元KPZ普遍クラスに関して詳細な視点を与えた。さらにKPZ系とランダム行列理論が多点の相関という意味でも深く結びついていることを明らかにした。本論文で得られた手法、結果が、低次元非平衡系とランダム行列理論双方のさらなる結びつきや発展に寄与することを期待する。

図1 核生成、ステップの成長の例:原点で高さkの核が確率的に生成し、左右に成長する。実線はh([r],t)で書いた。(rは実数とし、[r]はrを超えない整数を意味する。)

図2 ステップ合体の例:

高さ1と2のステップが原点でぶつかったとき、高さは2となる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、ランダムな核生成のもとで結晶がどのように成長するかをモデル化した離散KPZ(Kardar-Parisi-Zhang)モデルにおける界面の形状に関する理論物理学的な方法による解析が与えられている。結晶成長模型は、統計力学の重要な課題の一つで、平衡、非平衡現象の重要なプロトタイプを与え、詳しい研究が進んでいる。また、特に一次元系では界面の形状に関する性質が厳密に解かれる場合が発見され、数理物理の観点からも注目されている。この分野での先駆的な研究として、C.A.Tracy and H.Widom,M.Prahofer and H.Spohn,J.Baik and E,M,Rains,Johansson,等の研究があり、形状の高さやそこでの一箇所でのゆらぎに関する研究が行われ、さらにいくつかの特別な場合での多点分布関数も調べられて来ている。申請者は、一次元模型において界面の凹凸のゆらぎに関する多点分布関数を行列式の積の形で表現する方法を用い、系が自由境界を持つ場合や半無限の場合、あるいは系の端点で核生成率が異なる場合などについて、多点分布関数を厳密な結果を得ている。ここで用いられる関数形は、ランダム行列理論でのGOE,GUE,GSEのそれぞれのタイプの固有値分布で現れるものと数学的に同等な形をしており、それらとの関連についても深い考察を与えている。さらに、今回得られた分布関数のいくつかは、対応するランダム行列がこれまで知られておらず、その方面での新しい知見をひらくものと考えられる。特に、位置の変化に伴って分布の形態が変化する移行形態を調べ、界面の位置によるゆらぎの分布の普遍性の変化を表す具体的な表式を求めることに成功している。

 本論文は7章からなる。第1章は、イントロダクションであり、本論文で扱われている物理の背景、研究の動機、論文全体の概要が述べられている。第2章では本論文で扱うモデルとそれが示す物理的現象の説明がなされている。また、本論文で重要な役割をする界面の凹凸のゆらぎに関する多点分布関数を行列式の積の形で表現する方法と、そのランダム行列理論との関係を説明している。第3章では、本論文で重要な役割をする多点分布関数を行列式表現に関する詳しい性質を議論し、特に空間が半無限の場合にこれまで求められていなかった具体的な、Fredholm行列式の導出に成功している。第4章では無限系PNG模型における高さゆらぎの多点分布関数のスケーリング極限を考察し、端点での核生成率によってゆらぎの性質が定性的に変わることを、明らかにしている。特に、ゆらぎの性質が変わるGOE2点、あるいはF0点と呼ばれる点での多点分布関数のスケーリング極限を具体的なFredholm行列式で表すことに成功している。ここで明らかにされた、任意の端点での核生成率のもとでの多点分布関数のスケーリング極限はこれまでにない新しい成果である。第5章では、第4章で得たGOE2点の周りでのゆらぎの多点分布関数のFredholm行列式が、決定論的源泉をもつランダム行列で表されることを発見し、対応するランダム行列理論との関係を明らかするなど、ゆらぎの分布のタイプの変化を厳密に調べ新しい知見を得ている。第6章では、系が半無源である場合に原点の特別な核生成率がある場合について解析している。これらの場合はこれまで解析されていない新しい対象であり、多様なランダム行列に対応していることが発見され、今後の新しい研究の発展の方向を与えるものになっている。第7章では論文の結論が述べられている。

 この論文で扱われている分野は非常に活発に研究されており、研究者たちが新しい成果を競い合っているところであるが申請者はその中で注目される論文を発表し続けている。特に、行列式の積の形で表せる分布関数に関しては、これまで個別の問題に即して考えられて来たが、今回の研究では広く一般の場合を研究することにより、一般的に行列式の積の形で表せる分布関数という新しい研究の方向性に道をひらいたといえる。これらの成果を審査委員会として高く評価した。

 なお、本論文第3、4、5、6章は笹本智弘氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を進めたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 論文は意欲的かつ丁寧に書かれており、本研究テーマに関する詳しい背景説明と申請者の独創的な成果を含んでおり、理学学士の学位論文として合格と認められる。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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