学位論文要旨



No 119962
著者(漢字) 金井塚,勝彦
著者(英字)
著者(カナ) カナイヅカ,カツヒコ
標題(和) 電極上での金属錯体ポリマー鎖の逐次合成とその電子移動機構・速度論に関する研究
標題(洋) Study on the Stepwise Fabrication of Metal Complex Polymer Chains on the Electrode and Their Electron-Transfer Mechanism and Kinetics
報告番号 119962
報告番号 甲19962
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4691号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 下井,守
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

 遷移金属と有機配位子との組み合わせにより、レドックス・発光・磁気特性などの機能を持ち合わせた金属錯体を合成することができる。そのため、電極と配位子を化学結合により固定し、逐次的な錯形成反応を利用することで任意の連結数・幾何構造および物性を持つ錯体デバイス創出が可能となる(Fig.1)。第1章では、錯体デバイスの研究背景とこれまでに報告されているデバイス作製手法について詳細に記述し、本研究の目的を記載した。

 第2章では、本研究で採用した"電極上での分子積み木"を行なう上で、作製条件の検討を行なった。水素炎でアニールした金電極を(tpy-AB-S)2のクロロホルム溶液に5分間浸漬することでtpy-AB-Sの自己組織化単分子膜を作製した(Fig.2)。続いて、(1)このtpy末端と鉄(II)イオンを錯形成させるために、電極をテトラフルオロホウ酸鉄(II)または硫酸アンモニウム鉄(II)水溶液に3時間浸漬した。続いて、(2)鉄(II)イオンと錯形成させるために、対称位にテルピリジン部位を持つtpy-AB-tpy架橋配位子のクロロホルム溶液に3時間浸漬した。(1)、(2)の操作を繰り返すことで錯体の逐次多層化を試みた。一方、コバルト錯体では(2)の操作の後に、(3)1分間電極電位を0.3V(vs.Ag+/Ag)に保持する操作を加えることで多層化を行った((1)+(2)(+(3))で[1Fe]or[1Co])。

 定量的な錯形成を把握する上で、(1)サイクリックボルタモグラムから電極上に固定化されたレドックス錯体数の算出、(2)吸収スペクトル測定による吸光度変化、(3)走査型電子顕微鏡および走査型トンネル顕微鏡によるモルフォロジー観察を行なった。Fe(tpy)2錯体は約0.8V(vs.Ag+/Ag)にFeIII/FeIIに由来する可逆な1電子酸化還元反応を示すことが知られている。そこで、FeIII/FeIIのレドックスを追跡することで電極に固定された錯体の挙動を理解することができる。[1Fe]において、掃引速度を0.1-0.5V/sで測定したCVをFig.3Aに示す。0.85VにFeIII/FeIIのレドックス波が観測され、ピークアノード電流値と掃引速度が比例関係にあることから、電極上で錯形成反応が進行していることが示唆された。また、アノード電流面積から算出した錯体吸着量が、計算から求めた飽和吸着量に近い値を示したことから、電極上で錯体が密に配列していることが推察できる。続いて、Fig.3Bに[nFe](n=2,4,6,8,10)のCVを示す。電極浸漬サイクル数の増加に伴いFeIII/FeIIに由来する電流量増加が確認され、錯体の表面濃度を浸漬数に対してプロットすると比例的に増加したことから、定量的な逐次錯形成が示唆された。また、[10Fe]において全ての錯体がレドックス活性であり、約21nmを超えた電子移動挙動が観測された。これは共役鎖を介して連結することで、効率良く電子がワイヤー内をホッピングできるためと考えられる。

 FeII(tpy)2錯体の1-5連結体の吸収スペクトルをFig.3Cに示す。電極浸漬繰り返しに伴い250-650nmの波長域で吸光度増加が確認された。特に592nmは錯体のMLCT(metal-to-ligand charge transfer)であり、ピークトップと電極浸漬回数のプロットが比例関係にあり、定量的な錯形成を支持する結果が得られた。一方、コバルト錯体ではコバルト(II)イオンを用いて錯形成を行い、その後電気化学的に1電子酸化したCoIII(tpy)2錯体にすることで初めて多層化できることを明らかにした。

 第3章では界面錯体集積体の電子移動メカニズムの解明を行った。従来のアモルファス多層膜では、レドックス錯体はランダムに電極上に配置されている。ここで、外場から全く電場を印加していない場合に、等価な酸化体(O)のみが存在し、かつ、錯体間に相互作用が無い場合を仮定する。このとき、外部回路によって電位を印加すると系の平衡が破れ、電解電流が観測される。電流−時間(i−t)曲線をポテンシャルステップクロノアンペロメトリー(CA)法により測定し、"見かけの拡散係数(Dapp)"を仮定することで膜中の電子移動速度を求めることができる(すなわちCottrellの式に従う)。

 一方、本研究で用いた[nFe](n =2,5,8)のCA測定結果をFig.4に示す。i−t曲線は初期時間において一定電流が観測され、その後、早い減衰挙動が観測され、Cottrellの式で解析することができなかった。これはレドックスに伴う電子ホッピングが従来のアモルファス多層膜のような"拡散過程"で進行していないことを支持する結果である。そこで、新たな電子伝達メカニズムを提案した。錯体は化学結合を介して一次元に並んでいるため、電極と一層目の電子移動速度定数をk1(s-1)、錯体間の自己交換反応速度定数をk2(cm2 mol-1 s-1)として順次電子が鎖内をホッピングするモデルを考える(4層膜の電子伝達モデルを例に示す)。このような電子移動メカニズムで考えると実験値と良い一致を示すことがわかった(Fig.4)。このように、化学結合を介して錯体同士を連結させたワイヤー内を電子が移動するメカニズムを初めて明らかにした。

 第4章ではπ共役で架橋した金属錯体ワイヤーの電子輸送能の算出を試みた。スペーサー(空間もしくは分子)を介して電子がAからBへと移動するとき、電子移動速度は式[kapp=k0exp(-βx)]で記述することができる。ここでx(A)はAB間の距離、β(A-1)はスペーサーに固有なパラメータでありβ値が小さいスペーサーほど長距離電子輸送が可能である。これまでに様々な分子におけるβ値の報告例があり、アルキル鎖(1.0A-1)、DNA(0.2-0.9 A-1)、π共役鎖(0.2-0.6 A-1)となっている。

 本研究の"分子積み木"を利用することで、電極上に固定する錯体の種類、数、順序を自由に変えることができる。そこで、Fig.5に示すように、鉄錯体の数を1,2,3…と変化させて電極上に固定し、その外側にコバルト錯体1個を連結させる。このとき、コバルト錯体のみのレドックスを観測し、電子移動速度定数と電極からの距離のプロットから、内側に連結した鉄錯体連結体のβ値を計測できる。このようにして鉄錯体連結体、コバルト錯体連結体のβ値をそれぞれ算出したところ0.012A-1、0.0025A-1と見積もられた。これらの値は従来報告されてきた値より遥かに小さく(Fig.6)、アゾ架橋した1次元錯体連結体が長距離電子輸送スペーサーとして有用であることが示唆された。

 第5章では、本研究の総括および今後の展望が記されている。すなわち、1次元連結可能な配位子(アゾ基で架橋されたビステルピリジン)と種々の遷移金属(鉄およびコバルト)との錯形成反応を金電極上で逐次的に行うことで、界面ポテンシャル場の制御された精巧な界面錯体集積体の作製に成功した。この界面錯体集積体の基礎物性評価を行ったところ、1次元共役架橋した錯体連結体がこれまでにない長距離電子輸送の可能性を有していること、また、作製した錯体集積体の電子移動は、既存の電子伝播モデルで表すことができず、新たな電子移動メカニズムが存在することがわかった。また、付録では、コバルト錯体ポリマー鎖中に存在するアゾ基への紫外光照射により、可逆なシス−トランス異性化挙動が確認できたことから、"電子移動を光でスイッチできる多重機能連動型の錯体デバイス創出"の可能性を見出すことができたことを記した。

Fig1.Interfacial bottom-up synthesis of linear polymer complex.

Fig.2.Bottom-up fabrication of bis(tpy)metal complex on gold and the side-view SEM image of a film with[47Co].

Fig.3.(A)Cyclic voltammograms of [1Fe](scan rates were 0.1-0.5V/s)(B)Cyclic voltammograms of [nFe](n=2,4,6,8,10)in 0.1 M Bu4NClO4-CH2Cl2 at 0.1 V/s vs.Ag+/Ag(C)Absorption spectra of [nFe](n=1-5)

Fig.4. THe current-time curves for FeIII/FeII couple of[nFe](n=2,5,8)(gray),and their simulation curves(black)

Fig.5. Plots for In Kct vs.the distance between the electrode and the metal centre of the outermost layer,d,of[nCo1Fe](n=1-5)and[nFe1Co](n=1-5).

Fig.6. Electron-transport abilities of molecular wires.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章と付録からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は1次元遷移金属錯体ポリマーの界面ボトムアップ合成、第3章は錯体ポリマー鎖の電子移動機構、第4章は錯体ポリマー鎖の電子輸送能、第5章は研究成果のまとめと展望について述べられている。以下に各章の概要を記す。

 第1章では研究の背景として、これまでの電気活性分子薄膜作製法を紹介し、それらと比較して今回著者らが提案する界面逐次錯形成合成法の利点について議論した後、新分子薄膜作製法によって実現される一分子鎖内電子移動、電子輸送の研究の目的を述べている。

 第2章では、ビス(テルピリジン)金属錯体ポリマーの界面ボトムアップ合成とその電気化学的および分光化学的キャラクタリゼーションならびに走査型電子顕微鏡、走査型トンネル顕微鏡観察の結果を述べている。まず合成としては以下の方法を確立した。金電極を(tpy-AB-S)2(tpy:terpyridine,AB:azobenzene)溶液に浸漬してtpy-AB-Sの自己組織化単分子膜を作製した後、Fe(II)イオンの水溶液に浸漬し、次にtpy-AB-tpy架橋配位子溶液に浸漬する。さらに、Fe(II)イオン、架橋配位子の溶液に交互に浸漬することによって鉄錯体の逐次多層化による[nFe]膜の作製を実現した。一方、コバルト錯体ではCo(II)イオンを用い、電気化学的なCo(III)への酸化過程を加えることで、多層化に成功した。電気化学的および分光化学的測定から求めた錯体被覆量から、電極上で錯体が密に配列していることが推察でき、また電極浸漬サイクル数の増加に伴う電流量および光学吸収の増加から定量的な逐次錯形成が示された。

 第3章では錯体分子鎖の電子移動メカニズムの解明について記述している。従来のアモルファスレドックス多層膜では、電流−時間曲線をクロノアンペロメトリー(CA)法により測定し、"見かけの電荷の拡散係数"を仮定することでCottrell式から膜中の電子移動速度を求められてきた。一方、本研究で作製した規則配列集積体、[nFe 」のFe(III)/Fe(II)および[nCo]のCo(II)/Co(I)のCAにおいて初期時間に一定電流が観測され、その後、早い減衰挙動が観測され、Cottrell式で解析できなかった。そこで、新たな電子移動機構として、分子鎖内のみの電子移動を仮定し、電極と一層目の電子移動速度定数をk1(s-1)、錯体間の自己交換反応速度定数をk2(cm2 mol-1s-1)として順次電子が移動するモデルを提案した。シミュレーションの結果、このモデルと実験値と良く一致することを示した。

 第4章では錯体分子鎖の電子輸送能の算出について記述している。スペーサーを介して電子がAからBへと移動するとき、電子移動速度は式[kapp=k0exp(-βx)]で記述することができる。ここでx(A)はAB間の距離、β(A-1)はスペーサーに固有なパラメータでありβ値が小さいスペーサーほど長距離電子輸送が可能である。これまでの報告例では、β値はアルキル鎖:1.0A-1、DNA:0.2-0.9A-1)、π共役鎖:0.2-0.6A-1である。本研究では、鉄錯体の数を1,2,3・・・と変化させて電極上に固定し、その外側にコバルト錯体1個を連結させ、コバルト錯体のみのレドックスの電子移動速度定数と電極からの距離のプロットから、内側に連結した鉄錯体連結体のβ値を計測できる。この方法で鉄錯体連結体、コバルト錯体連結体のβ値を算出したところそれぞれ0.012A-1、0.0025A-1と見積もられた。これらの値は従来報告されてきた値より遥かに小さく、1次元π共役錯体連結体が長距離電子輸送スペーサーであることを示唆された。更に本結果の理由について考察した。

 第5章では、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。またAppendixとして、上記以外の研究結果としてRu錯体ポリマー合成の試み、Co錯体ポリマー鎖の光異性化挙動についても言及している。

 以上、本論文は、今回、界面ポテンシャル場の制御された精巧な1次元共役界面錯体集積体の作製と、それらの電子移動、電子輸送に関する新規な結果を詳細に記述しており、錯体化学、電気化学、界面科学、材料科学の研究におおきなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価できる。なお、本論文第2-4章は西原 寛、村田昌樹、西森慶彦、森 一郎、益田秀樹、西尾和之氏との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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