学位論文要旨



No 120043
著者(漢字) 山田,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ヒロユキ
標題(和) 予混合圧縮着火機関における着火時期制御方法の反応論的研究
標題(洋)
報告番号 120043
報告番号 甲20043
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5985号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

1.緒論

 高効率化,低公害化の可能性を持った内燃機関として予混合圧縮自己着火(以下HCCI)機関が近年注目を集めているが,このHCCI機関では火花点火機関やディーゼルサイクル機関と違い,自着火の時期を間接的に制御する必要がある.多くのの炭化水素燃料における自着火は2段階の熱発生に別れ、先行する小さな発熱を冷炎、後続する発熱を熱炎と呼ぶ。冷炎を支配する反応機構は低温酸化反応機構と呼ばれ、非常に複雑な反応過程を経るため未知な点も多い。その一方で冷炎での発熱による温度上昇は熱炎発生時期に大きな影響を及ぼすため、HCCI機関での着火時期予測、制御のためには冷炎を支配する反応機構を明らかにする必要がある。

 そこで,本研究ではこの冷炎反応に注目し,その進行停止のメカニズムをジメチルエーテル(DME)を燃料としたHCCI機関における冷炎終了時の排気成分分析により検証する。さらに近年、反応性の高い物質を添加することにより着火時期制御を行う研究例が報告されているが、それらの添加物が自着火を支配する反応機構に与える効果を、着火時期遅延物質としてメタノール、促進物質としてオゾンを用いて、HCCI機関での指圧解析、冷炎終了時の排気成分分析より行う。

 また、近年提案されているCurranらによる詳細反応機構(1998年)を用いた計算結果と実験結果を比較することにより、その詳細反応機構を検証する。

2.DME燃料における冷炎反応の進行停止メカニズムの検証

 図1は冷炎終了時の排気成分分析結果をDME,ホルムアルデヒドの反応割合(DMEの場合は,消費されたDME/投入したDME,ホルムアルデヒドの場合は,生成したホルムアルデヒド/投入したDME)として、当量比に対して表している.熱炎に至るまでは,当量比によらず30%程度のDMEが消費されること,消費されたDMEと生成されたホルムアルデヒドはほぼ1:1になることが判る.またCurranらによる詳細反応機構の計算結果は実験結果を非常によく再現している。そのため以降ではこの詳細反応機構を用いて、実験で確認された冷炎反応の特徴的性質を検証していく。

 DMEの低温での酸化過程を簡略に示すと下の(1)式のようになる。

CH3OCH3 + OH → αOH + βHCHO + other products(R-1)

HCHO + OH → CHO + H2O          (R-2)

 ここでαは一連の過程によるDME一分子消費毎のOHの増加率,βはホルムアルデヒドの生成率である.α,βは反応の速度定数から温度毎に一意に決まる。この(R-1)の反応に加え冷炎反応での中間生成物でありOHとの反応が比較的速い(R-2)式を加え、この2つの式からOHの生成速度を求めると

d[OH]/dt = {(α-1)k1[DME] - k2[HCHO]}[OH]=G[OH](1)

となる。

 つまり,Gが正の間だけOHは増加し反応は進行する.反応が停止する点は,Gが0となる時であり,

[HCHO]/[DME] = (α-1)k1/k2 (2)

となる.(α-1)は温度のみの関数であるが,低温酸化過程が活性な温度領域が非常に狭いことを考えると定数と見なせる.また,k1,k2それぞれは温度の強い関数であるが,比で考えると先ほど同様ほぼ定数と見なせる.従って,初期条件とは関係なくDME濃度とホルムアルデヒド濃度の比がほぼ一定となったところで反応は停止する.

 またDME,ホルムアルデヒドの増減は

d[DME]/dt = -k1[DME][OH]  (3)

d[HCHO]/dt = (βk1[DME]-k2[HCHO])[OH] (4)

と示せる.これを時間に依らない式とするための変数変換を行うと,下記の様になる.

dy/dq = β-(1-q)yk2/k1 (5)

y = [HCHO]/[DME]   q={[DME]0-[DME]}/[DME]0   [DME]0 = DME初期濃度

βもαと同様狭い温度範囲では定数と考えても良い.冷炎反応が開始される700Kにおいてはk2/k1=2.4,β=1.3であるので,図2にこれらの値を用いて(5)式よりyを数値的に求めた結果,及びこのyから求めた(1)式に示されるGを[DME]0及びk1で無次元化した値(g)を示す。図2teによると,g = 0となる点でy ≒ qであり,消費されるDMEと生成するホルムアルデヒドが1:1であるという実験結果を説明できる.さらに g = 0となるときのqの値は0.22である.実験結果で反応が停止するのはq = 0.3程度であり概ね一致する.

3.メタノール添加による着火時期遅延メカニズムの検証

 図3に当量比(DMEのみを考慮,以下同様)0.42,吸気温度383Kの条件下でメタノールを添加した場合の指圧,熱発生率,温度プロファイルの実験値の変化を示す.図中のメタノール添加量は初期燃料に対する割合で示している。これによると,メタノール添加量を増やすことにより着火時期の遅延が確認できる.また遅延は,メタノール添加により冷炎反応が活性となる下限温度が高くなることによる冷炎発生時期の遅延化,冷炎での熱発生量の減少によるその後の到達温度の低下,この2要因により起こることが判る.

 図4に図3と同一条件における計算結果を示す.計算は断熱,空間ゼロ次元の条件であるため,熱発生率,温度および圧力は実験と比較すると急激な変化を示すが,実験で確認されたメタノール添加による冷炎発生時期の遅延,冷炎における発熱量の減少による着火時期の遅延を良く再現している.

 添加物無しの条件での冷炎進行停止メカニズムは(R-1)、(R-2)式を用いて議論してきたが今回はメタノールと連鎖担体であるOHとの反応(R-3)式を加えて議論する。

CH3OH + OH → HCHO + other product          (R-3)

 これらの3つの式から前記の議論同様gを求めると、

gMEOH = (α-1)(1-q) - yk2/k1- rk3/k1(6)

と表せる。メタノール添加無しの条件での議論ではDMEの低温酸化が活性な範囲ではほぼdy/dq = 1で推移することを示した。ここでもy〓qの近似が成り立つとして整理すると

qterm = {-k3/k1r+ α-1}/{α-1+ k2/k1}(7)

となる.前記の議論同様α,k2 / k1,k3/ k1を定数と見なすと,qはrのみを変数とした単調減少の一次関数となる.

 図5にHCCI機関における冷炎終了時の排気成分分析結果および同条件でのCurranらの詳細反応機構を用いた計算結果を投入燃料量で無次元化した値,および上記の(7)式を用いた計算結果を示す。上記の議論同様、実験および計算結果においては燃料消費割合は初期燃料に対するメタノールの添加割合のみに依存して,その他の初期条件によらないことが判る.また,上記の簡略予測式は冷炎での燃料消費を良く再現している.

4.オゾン添加による着火時期促進メカニズムの検証

 図6に実験で確認されたHCCI機関における圧力,熱発生率,温度プロファイルのオゾン添加の有無による違いを示す.この結果を見ると非常に微量の添加であるのに,熱炎発生時期が大きく促進していることが判る.温度プロファイルを見ると,オゾン添加により600Kを越えた辺りで緩やかな温度上昇が確認され,着火時期が促進されていることが判る.

 図7には図6と同様の条件における計算結果を示す.このときCurranらの詳細反応機構にはオゾンに関する素反応が含まれていないため、(R4)式を追加した。

O3 + M → O2 + O + M(R4)

またオゾン添加の際の添加量は,実験で確認された着火時期を再現する値とした.添加量は実験と比較すると約40分の1となる.この大きな差異は,金属部品を多用しているエンジン内で,吸気,圧縮行程において,金属表面を触媒としたオゾンの分解が活発に起きているためだと考えられる.

 図7と図6を比較すると,実験で確認された600Kを越えたあたりの緩やかな温度上昇に起因する着火時期の促進が計算においても再現されている.また化学種履歴をみると,この緩やかな温度上昇が起きているところでオゾンは減少し,冷炎が発生する辺りではすでにほとんどのオゾンが消費されていることが判る.これは,オゾンの分解により生成した酸素原子がDMEと反応しその結果として緩やかな発熱に結びつくものと思われる.

 次に図8にオゾン添加ありと無しの条件における冷炎終了時の燃料消費、ホルムアルデヒド生成割合を当量比に関して示す。このとき、オゾン添加有りの条件では全ての当量比においてオゾン添加量を一定とした。この結果をみると,オゾン添加により全ての当量比において燃料消費は大きくなっている.また,低当量比ほど燃料消費は大きく,ホルムアルデヒドの生成割合は低当量比側で若干の減少が確認できる.つまり,オゾン添加無しの条件で観測された,ホルムアルデヒド生成量が燃料消費量とほぼ等しくなるという傾向はオゾンを添加した場合成り立たない.以上のような特徴は,実験,計算双方で確認されると共に定量的にも非常によく一致する.

 以降ではオゾン添加したときの冷炎における燃料消費、ホルムアルデヒド生成割合の変化のメカニズムを検証していく。オゾン分解による燃料消費割合は燃料に対するオゾンの相対濃度が大きいため当量比が低いほど大きくなる。このとき分解されたDMEは通常の冷炎での分解と違い温度が低いため、HPMF(hydro-peroxy-methyl-formate)に滞留しホルムアルデヒドを生成しない。つまりホルムアルデヒド生成率(β)が低下することになる。図10にはg = 0となるときのy、qのβを変化させた場合の値を示す。これを見ると、βを減少させることにより燃料消費が増加しホルムアルデヒドの生成は減少するという実験で確認された傾向と同様な傾向が確認できる。

Fig. 1 Species consumption/generation relative to initial amount of DME as a function of equivalent ratio, (a) DME consumption, (b) HCHO generation. Intake gas temperature = 414K.

Fig. 2 y(HCH0/DMEo) and g (non dimensional chain branching index) as a function of q (consumed DME / DME0).

Fig. 3 Observed pressure(a), rate of heat release(b) and temperature(c) profiles at various methanol/DME ratio as a function of crank angle. Intake gas temperature = 383K, DME equivalence ratio = 0.42.

Fig. 4 Calculated pressure(a), rate of heat release(b) and temperature(c) profiles at various methanol/DME ratio as a function of crank angle. Intake gas temperature = 383K, DME equivalence ratio = 0.42.

Fig. 5 Normalized DME consumption vs. normalized methanol addition. Symbols are observations, solid lines are detailed model calculations, and a dashed line is the simplified model formula (eq. 7).

Fig. 6 Experimentally observed profiles of pressure (a), rate of heat release (b), and temperature (C) with and without ozone addition. Intake gas temperature = 383K, equivalence ratio = 0.37, initial oxygen mole fraction in air = 0.217, estimated [ozone] / [DME] = 6.75×10-3 [molar ratio].

Fig. 7 Calculated profiles of pressure (a), rate of heat release (b), temperature (c), and species mole fractions (d) with and without ozone addition. Intake gas temperature = 383K, equivalence ratio = 0.37, initial oxygen mole fraction in air = 0.217, and [ozone]/ [DME] = 1.54×10-4 [molar ratio].

Fig. 8 Experimental and calculated DME consumption and HCHO formation relative to initial DME as a function of equivalence ratio without ozone addition(a) and with ozone addition(b). Intake gas temperature = 383K, initial oxygen mole fraction in air = 0.217. Ozone mole fraction =1.37×10-4 in experiment and 3.95×10-6 in calculation.

Fig. 9 Normalized HCHO fraction y and normalized DME consumption q at the termination of cool ignitions (g = 0) as a function of HCHO formation index β.

審査要旨 要旨を表示する

 山田裕之が課程博士学位請求のため提出した論文は、「予混合圧縮着火機関における着火時期制御方法の反応論的研究」と題し、全8章で構成されている。

 第1章は全体の序論であり、内燃機関技術開発の現状、本研究で対象とした予混合圧縮着火機関の位置づけ等を背景として述べている。そして本研究の目的として、特に冷炎・熱炎からなる二段階着火現象に着目し、着火制御に関連した機構の解析と検証を行うことを述べている。また基礎概念となる燃焼反応理論につき概説している。

 第2章は、「DMEを燃料としたHCCI機関における低温酸化過程の機構検証」として、まず本研究全体を通じて使用した、圧縮着火観測用の実験内燃機関装置の説明と、提出者の発案となる、冷炎発生・熱炎抑制条件での排気分析の方法について述べている。本実験法の結果として、冷炎での燃料消費率とホルムアルデヒドの収率が等量比に依らず一定値であることを見出し、それが次の簡略連鎖反応式で説明されることを示した。

CH3OCH3+OH→αOH+βHCHO+otherproducts (R1)

HCHO+OH→CHO+H2O (R2)

 ここでOHの再生係数αが1を超えることで連鎖成長条件を満たすが、副次生成するホルムアルデヒドHCHOは連鎖停止剤として機能する。連鎖停止点は燃料残量とアルデヒドの濃度比で、[HCHO]/[DME」=(α-1)K1/K2と決まり、観測事実と符合する。

 第3章は、「DMEを燃料としたHCCI機関における添加物効果」であり、添加剤としてメタノールとオゾンについて、それらが主燃料に加わった場合の機構の変化を検討した。メタノールの着火遅延効果は、冷炎熱発生量の減少によるその後の到達温度の低下により起こる。この効果を生じる反応機構としては、前章で示した冷炎連鎖反応の基本式に、メタノールのOH消費特性を追加することで説明でき、添加量に対する遅延係数も2章の簡略式の軽微な拡張により再現した。

 オゾン添加では、冷炎発生の低温化および冷炎熱発生の増加によって着火促進効果を持つ。反応機構としては、オゾンの熱分解反応を詳細反応機構に追加することで扱え、冷炎低温化に伴うアルデヒド収率の低下を予測した。これも排気分析により実験的に検証して本機構をより確実なものとした。

 第4章は「DME改質によるHCCI着火時期制御の可能性検討」では、添加物による着火時期制御に際し、単一燃料で実現可能なシステムとして元燃料のDMEの一部を熱改質することを検討した。無酸素のDME改質では、熱力学的な最終組成ではなく中間生成のホルムアルデヒド収量の確保が必要である。その最適生成条件を詳細反応機構計算から検討し、700-900Kの改質過程の反応時間設定を行った。実際に流通管形式の試験改質器を試作し、900K、60秒の反応時間でのアルデヒド生成を確認した。

 第5章は、「DME簡略化反応機構」である。既存の詳細反応機構の反応式数300余りに対し、筒内流動を含めた次元計算に組み込むには格段に減らした簡略反応機構で、且つ多段着火を再現するものが必要となる。しかし既存の「Shellモデル」では抽象化度が高く、中間生成物の追跡や、添加物効果を扱うことはできない。そこで本章にて新たな簡略モデルを構築した。既存詳細機構から低温酸化反応機構を代表する中核部分の構成は保持し、その他要素は重要度に応じて総括反応として、反応数25の新モデルとした。得られたモデルは予混合エンジン内圧縮における着火タイミングを広い条件範囲で再現し、OH、HCHOなど重要な中間化学種のプロフィルを妥当に表現した。

 第6章の「直鎖飽和炭化水素燃料における自着火過程の機構検討」においては、ガソリン成分となる大きな燃料分子にDMEの方法論を適用した。ノルマルデカンおよびノルマルヘキサンを燃料として、2章で行ったような、エンジン内冷炎発生時の排気成分分析を行った。但し検出成分の高分子化に対応してガスクロマトグラフ分析法を適用した。DMEで示された、アルデヒド蓄積による連鎖停止機構はこれら燃料でも訂正的には共通であるが、係数の違いにより燃料消費率がかなり大きくなるなど定量的な差異が見出された。

 第7章は、「低温酸化過程終了から自着火発生に至る反応機構に関する考察」である。ここでは、二段着火における冷炎-熱炎間の熱的休止区間について詳細反応機構を用いた考察を行った。解析において履歴温度を横軸にとって逐次の熱発生率を表すと、段階毎の主要過程を代表する活性化エネルギーが得られることに着目し、中間領域の遅い反応は過酸化水素の熱分解に支配されていることを示した。過酸化水素は今後の実験的検証において重要な対照化学種であると言える。

 第8章は結論で、本研究全体を総括した。

 以上博士論文としてまとめられた研究成果は、内燃機関研究の中にあって特に燃焼反応機構に焦点を当てた基礎的研究と位置づけられる。主要な反応機構を抽出する独自の手法で、大きな技術課題とされている圧縮着火時期制御の有効な指針を提供している点で、工学的意義が認められる。これら成果は機械学会論文集、Combustion and Flame、J.EngineResearchに原著論文として掲載され、米国自動車技術会(SAE)、国際燃焼シンポジウム等の国際学会に発表して評価を受けた。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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