学位論文要旨



No 120073
著者(漢字) 中根,了昌
著者(英字)
著者(カナ) ナカネ,リョウショウ
標題(和) エピタキシャル強磁性MnAs薄膜とそのヘテロ構造 : 成長、構造、磁気特性およびスピン伝導現象
標題(洋) Epitaxial ferromagnetic MnAs thin films and heterostructures : Growth, structure, magnetic, and spin transport properties
報告番号 120073
報告番号 甲20073
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6015号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,雅明
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 高橋,琢二
内容要旨 要旨を表示する

 現在のエレクトロニクスの中で多く利用されている磁性体デバイスは、その動作原理において磁性体磁化の相互作用、磁気起電力効果、もしくは磁性体からの漏洩磁場といったものを利用している。しかしながら1988年の巨大磁気抵抗効果(giant magnetoresistance: GMR)や1995年のトンネル磁気抵抗効果(tunnel magnetoresistance: TMR)における大きな磁気抵抗変化の発見以来、他のデバイスとの融合が意識され始めた。一方、半導体デバイスは現在のエレクトロニクスにおいて重要な役割を担うもうひとつの分野であるが、これまでのデバイスではその動作においてキャリアスピンを全く利用してこなかった。しかしながら微細化により量子効果が著しくなるにつれ、キャリアスピンが大きく意識されることとなった。こうした背景からエレクトロニクスの2大分野である磁性体と半導体の融合が意識された結果、新しい「半導体スピンエレクトロニクス」とよばれる分野が形成され、現在研究が推し進められている。

 スピン用いて新しいエレクトロニクスを形成するにはさまざまな方法が提案、検討されているが、その中の重要な構造のひとつに半導体基板上にエピタキシャル成長した強磁性金属/半導体ヘテロ構造がある。この強磁性金属/半導体ハイブリッドヘテロ構造は、どのような強磁性材料を用いても作製できるわけではない。近年、半導体作製技術において発展してきた分子線エピタキシー法(molecular beam epitaxy: MBE)により、いくらかの良質な強磁性金属/半導体ハイブリッドヘテロ構造の作製が可能となった。室温で強磁性を示すMnAsは、NiAs型六方晶の結晶構造をもつ強磁性金属であるが、非常に有望な材料として期待されている。エピタキシャルMnAs薄膜はMBEによりSiおよびGaAs基板上に作製でき、既存の半導体技術と整合性が良いという特徴を持っている。さらにMnAsベースのエピタキシャル多層ヘテロ構造の作製が可能である。これらのエピタキシャル多層ヘテロ構造において大きなスピン依存現象が発現すれば、半導体のさまざまな特長ともあわせ素子設計の自由度が高く、従来にはない機能をもつなスピンエレクトロニクスデバイスの作製が期待される。

 本研究では、はじめにMBEを用いたエピタキシャルMnAs薄膜のGaAs基板上への作製とその結晶成長条件の最適化を行った。また多層ヘテロ構造を作製することを考えた場合、原子レベルで平坦な表面を実現する必要がある。結晶成長中のRHEED観察、成長後のAFMによる表面の観察、AGFMによる磁化曲線の測定によりMnAs薄膜の評価を行った。GaAs(001)基板を用いた場合、RHEED観察と成長後の磁化曲線の測定により、成長温度の最適化を行なった。しかし表面が原子レベルで平坦ではなかったため、成長後As照射下での熱処理を行った。これにより表面平坦性が得られ、さらに磁気特性も向上することがわかった。GaAs(111)B基板を用いた場合、平坦な表面を得るために9原子層のGaAsバッファー層を用いた。これにより原子レベルで平坦かつスムースな表面を得ることができた。

 次にエピタキシャルMnAs/NiAs/MnAsヘテロ構造をGaAs(001)、GaAs(111)B基板上にMBE成長した。NiAsはMnAsと同様の六方晶の結晶構造を持ち、非磁性金属である。エピタキシャル成長方位は、(001)GaAs基板上で(-1100)MnAs/NiAs、(111)B GaAs基板上で(0001)MnAs/NiAsであり、MnAsとNiAsのエピタキシャル関係は成長中に変化しないことが確認された。また磁化曲線ではこれら二つのヘテロ構造において明瞭なダブルステップが確認された。このダブルステップは2つの磁性層における磁化方向が相対的に平行、反平行と変化していることに対応し、スピンバルブ効果発現のためには必ず必要な条件である。透過型電子顕微鏡による格子像の観察において、GaAs(001)基板上、GaAs(111)B基板上にMBE成長したヘテロ構造ではMnAs/NiAsヘテロ界面における構造が違うことが確認された。これはGaAs基板に対するエピタキシャル方位が変化した結果、MnAsとNiAsとの格子不整合が変化し、そのために緩和機構が異なったためと考えられる。またGaAs(001)基板上のヘテロ構造では薄膜面内方向に電流を流すCIP配置(Current In Plane geometry)での明瞭なスピンバルブ効果の発現を確認した。

 一方、半導体を中間層としたエピタキシャルMnAs/III-V(GaAs,AlAs)/MnAsヘテロ構造では、中間層の半導体が電子に対して障壁として働くため、TMRの発現が報告されていた。本研究では成長中にAsフラックスを変調することにより、これらのエピタキシャル構造の結晶性、特に障壁層の改善を行った。障壁層へのMnの偏析がスピン散乱の原因となりTMR効果を劣化させることが考えられたため、成長温度を200℃とした。障壁層成長中のV/IIIフラックス比を最適化することにより、良好な結晶性を示すRHEED像と明瞭なRHEED振動が得られた。このことは結晶性が高くなったことを示している。この障壁層の改善により、上部MnAs層の結晶性も改善することができた。磁化曲線を測定し、障壁がGaAs、AlAsのそれぞれの場合についての障壁層へのMn原子の取り込みを評価した。GaAsの場合、過剰As原子がMnの偏析を抑えるために有効であることがわかったが、上部MnAsの結晶性が劣化することがわかった。このことを解決するには過剰As原子を取り除いた成長条件とGaAsの膜厚を5nm以上にすればよいことがわかった。AlAsの場合には過剰As原子が無い場合でもMnの偏析が抑えられることがわかった。しかしながら上部MnAsの結晶性の劣化が確認され、このことは上部MnAsの成長温度を230℃とすることにより改善できることがわかった。

 高集積デバイス作製のためには100nmもしくはそれ以下のサイズの加工技術を構築することが不可欠である。半導体において確立された反応性ガスを用いたドライエッチングは金属磁性体にはそのまま応用できないので、イオンミリングによるドライエッチングを用いた。EBリソグラフィー、EB蒸着、イオンミリングを用いることにより100〜800nm程度の四角形状のMnAsピラーを作製した。この微細加工したMnAsピラーの磁区観察を磁気力顕微鏡を用いて行った。GaAs(001)基板上に作製したMnAsピラーは強い面内一軸異方性のため、縦横比によらず単磁区構造が実現することがわかった。一方、GaAs(111)B基板上に作製したMnAsピラーは面内等方的な性質であるため、ピラーサイズの縦横比を変化させ形状異方性を制御することにより単磁区の実現を試みたが、室温ではその制御が困難であることがわかった。作製したMnAsピラー上へのSiNの積層とフォトリソグラフィーによりコンタクトパッドを作製し、微細加工のプロセスの評価を行った。得られた結果から、SiNは表面電流を抑え、高耐圧であることがわかり、このプロセスはCPP配置(Current Perpendicular to Plane geometry)での電流特性を測定するのに有望であることがわかった。

 構築したプロセスを用い、エピタキシャルMnAs(20nm)/GaAs(3nm)/MnAs(20nm)の加工とTMRの測定を行った。加工したサンプルの大きさは(50×200nm2,100×400nm2,200×800nm2)である。直流バイアスの印加による31Kでの磁気抵抗の測定を行い、すべてのサンプルにおいて2.6%程度のTMR比が得られた。100×400nm2,200×800nm2のサンプルにおいて得られた接合抵抗は0.30Ωμm2であることがわかった。TMR比向上のためにはこの接合抵抗を大きくする必要があると考えられ、結晶成長条件の更なる最適化が望まれる。

 上記プロセスを用いて、エピタキシャルMnAs/NiAs/MnAsの微細加工とCPP配置での電気伝導測定を行った。特に、電流密度が107A/cm2程度のときに発現すると予想されるスピン注入磁化反転がこのヘテロ構造において発現するかどうかを検証した。電流を正方向(コンタクトパット→基板)に増やしてゆくと107A/cm2〜108A/cm2の電流密度において抵抗が数回ジャンプしながら減少し、最終的に最も低い値になった。この後、電流を減じ、さらに負方向(基板→コンタクトパット)へ増加してゆくと107A/cm2〜108A/cm2の電流密度において抵抗が一度ジャンプして増加し、最も高い値を示した。このV-I特性におけるヒステリシスは以下の特徴を持つ。

(1) 電流を正(負)方向へ流したとき抵抗のジャンプが発現しなければ、負(正)方向での電流印加時に抵抗のジャンプはない。これは高抵抗と低抵抗の二つの状態を、しきい値電流において遷移していることをあらわしている。

(2) この特徴を持つV-I特性がすべての素子で得られたわけではなく、また電流密度は素子によってある程度ばらつくが、一度得られた特性は何度測定しても同じ結果が得られ、再現性がある。

これらの特徴から高抵抗状態が磁化の反平行状態に、低抵抗状態が磁化の平行状態に対応すると考えられる。すなわち得られたV-I特性はスピン注入磁化反転の発現であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Epitaxial ferromagnetic MnAs thin films and heterostructures: Growth, structure, magnetic, and spin transport properties(エピタキシャル強磁性MnAs薄膜とそのヘテロ構造:成長、構造、磁気特性およびスピン伝導現象)」と題し、英文で書かれている。本論文は、エピタキシャル強磁性MnAs薄膜とそのヘテロ構造の成長、構造評価、磁性、伝導および電流による磁化反転現象についての研究成果を記述しており、全9章から成る。

 第1章は「Introduction」であり、本研究の背景と本論文の目的を述べている。

 第2章は「Fundamental properties of ferromagnetic α-phase MnAs thin films grown on GaAs」であり、本研究の対象物質である強磁性α相MnAsとそのGaAs(001)基板上およびGaAs(111)B基板上への分子線エピタキシー(MBE)成長、その構造、磁性についてまとめている。

 第3章は「Epitaxial MnAs/NiAs/MnAs heterostructures grown on GaAs(001) Substrates」であり、強磁性金属MnAsと非磁性金属NiAsからなるエピタキシャルMnAs/NiAs/MnAsヘテロ構造のGaAs(001)基板上へのMBE成長、構造評価、磁気特性、および磁気抵抗に現れたスピンバルブ効果と異方性磁気抵抗効果およびその温度依存性について述べている。

 第4章は「Epitaxial MnAs/NiAs/MnAs heterostructures grown on GaAs(111)B Substrates」であり、エピタキシャルMnAs/NiAs/MnAsヘテロ構造のGaAs(111)B基板上へのMBE成長、構造評価、磁気特性について述べている。半導体(111)基板上にMnAs/NiAs/MnAsヘテロ構造を成長したのは御研究が初めてである。

 第5章は「Epitaxial MnAs/III-V(GaAs, AlAs)/MnAs heterostructures grown on GaAs(111)B Substrates」であり、強磁性金属MnAsとGaAsおよびAlAs半導体障壁層からなるMnAs/III-V(GaAs, AlAs)/MnAsヘテロ構造のGaAs(111)B基板上へのMBE成長、特にMBE成長中のAsフラックスを成長層によって変調させることにより、上部MnAs層の品質を最適化させ、半導体障壁層を介した層間磁気結合を抑制できることを示している。

 第6章は「Fabrication of 100nm-scale MnAs pillars and their magnetic domain structures」であり、100nmスケールのMnAsピラーを、電子線リソグラフィー、電子ビーム蒸着、およびイオンミリングなどを用いて微細加工する技術を確立した。また、GaAs(001)および(111)B基板上に作製したMnAsピラーの磁気間力顕微鏡による磁気ドメイン観察を行い、GaAs(001)基板上のMnAsピラーでは磁気異方性が強いため単一磁気ドメインを得ることができるが、(111)B基板上のMnAsピラーでは磁気ドメインの制御が難しいことを明らかにした。

 第7章は「Tunnel magnetoresistance in epitaxial MnAs/GaAs/MnAs magnetic tunnel junctions」であり、GaAs(111)B基板上にMBE成長したMnAs/GaAs/MnAs強磁性トンネル接合(MTJ)を前章の方法により微細加工して100nmスケールのピラー状の素子を作製し、トンネル磁気抵抗(TMR)効果を観測した。また、ピラー状MTJ素子における層間磁気結合が、微細加工していないMTJにおける磁気結合より強いことを示した。

 第8章は「Current-induced magnetization switching in MnAs-based epitaxial heterostructures」であり、前章までに作製したMnAsを含むヘテロ構造をピラー状に微細加工した素子における、電流による磁化反転現象(CIMS)について述べている。まず、CIMSの原理と理論について説明し、GaAs(001)および(111)B基板上にMBE成長したMnAs/NiAs/MnAs/ヘテロ構造のピラー素子、およびGaAs(111)B基板上にMBE成長したMnAs/GaAs/MnAs/ヘテロ構造のピラー素子においてCIMS現象を観測したこと、磁化反転の電流値のスピントランスファー理論との比較について述べている。

 第9章は「Concluding remarks and outlook」であり、本論文全体の成果を総括するとともに、その意義と将来の課題について述べている。

 以上のように、本論文では、エピタキシャル単結晶強磁性MnAs薄膜とそのヘテロ構造のGaAs(001)および(111)B基板上への成長を行い、その構造、磁気特性を明らかにし、さらにスピン伝導現象、特に電流による磁化反転現象について新たな知見を得たものであり、電子工学、材料工学、デバイス工学上、寄与するところが少なくない。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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