学位論文要旨



No 120221
著者(漢字) 上間,匡
著者(英字)
著者(カナ) ウエマ,マサシ
標題(和) 新型組換えCDVワクチン作出のための基礎的研究
標題(洋) Basic studies for development of a novel recombinant CDV vaccine
報告番号 120221
報告番号 甲20221
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2904号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 講師 小原,恭子
内容要旨 要旨を表示する

 イヌジステンパーウイルス(CDV)はパラミクソウイルス科モービリウイルス属に属し、麻疹ウイルスや牛疫ウイルス、小反芻獣疫ウイルスと近縁のウイルスであり、CDV感染症はイヌの重要なウイルス性感染症の一つとして狂犬病とともによく知られている。これらモービリウイルスはいずれも高病原性ウイルスで、通常飛沫感染により上皮系細胞へと侵入する。そこで増殖したウイルスは次にリンパ系組織を標的とし、ここでの増殖により宿主に強い免疫抑制を引き起こす。臨床症状は感染後3から6日後にリンパ球減少とともに一過性に発熱し、リンパ組織での感染拡大が観察される。その数日後に高熱・ウイルス血症が観察され、全身の上皮系細胞へ感染が拡大、さらに、発疹や食欲不振、漿液性鼻汁や結膜炎といったそれぞれのウイルスに典型的症状が発現し、消化器・呼吸器症状がしばしば細菌性二次感染により併発される。さらにCDV感染症では急性脳脊髄炎の発症や、足蹠・鼻鏡の硬化も観察されることがある。

 これまでワクチンにより、飼い犬個体群の間ではうまくコントロールされてきたCDV感染症だが、近年ワクチン接種済みのイヌを始め、ミンク・フェレットといった小型肉食獣、ライオン・トラなどの大型ネコ科獣、さらにはアザラシなど海棲哺乳類といった広範な動物種で感染・発症、大量死を引き起こし、CDVの抗原性変異や宿主域拡大が報告され、世界的な再興ウイルス感染症の一つとして認識されるようになった。唯一の対策はワクチン接種であるが、弱毒生ワクチンとして使用されるワクチン株の中にはCDV感受性野生動物に対して病原性を示すものがあり、さらに将来的なウイルス変異による更なる宿主域の拡大も懸念されるため、これらに対応する安全な新しいワクチンの開発が求められている。弱毒生ワクチンは免疫誘導能と持続性においてDNAワクチンやCDV蛋白発現組換えウイルスワクチンよりも優れており、また飼い犬におけるCDV感染症のコントロールが弱毒生ワクチンの使用でうまくいっていることを考慮すると、感受性動物に広く安全に使用でき、さらには将来のウイルス変異にも対応できる新しい弱毒生ワクチンはワクチン開発において重要な選択肢の一つであるといえる。

 モービリウイルスはゲノムにマイナス一本鎖の非分節型RNAを持つモノネガウイルス目の一つで、構造蛋白としてnucleocapsid (N)、phospho- (P)、 matrix (M)、 fusion (F)、 hemmaglutinin (H)、 large (L)の6蛋白をコードし、さらにP遺伝子上に非構造蛋白としてV、C蛋白がコードされている。ゲノムRNAはN、P、L蛋白とともにヌクレオカプシドを形成し、脂質エンベロープに覆われる。エンベロープ上にはF、H蛋白が存在し、これら二つの糖タンパクをM蛋白がエンベロープ内側から裏打ちする形でウイルス粒子を形成している。近年のリバージェネティクス法の開発によりこれまで不可能であったモノネガウイルス群の遺伝子操作が可能になり組換えウイルス作出によるウイルスの分子生物学的レベルでの病原性解明、ワクチンやウイルスベクターの開発などが盛んに行われるようになった。

 本論文は、日本で流行しているCDV野外株の遺伝的系統解析と、それを基にした簡易診断法の検討、さらに我々が開発したCDVのリバースジェネティクス法により野外株を基にして作出した組換えCDVを、新しいワクチン候補として検討することを目的とし、以下の三章より構成される。

第一章

Phylogenetic and restriction fragment length polymorphism analyses of hemagglutinin (H) protein of canine distemper virus isolates from domestic dogs in Japan.

(日本におけるイヌジステンパーウイルス野外分離株のH遺伝子系統樹解析とRFLP型別診断法の検討)

 1980年代から1990年代にかけて国内で臨床的にイヌジステンパーと診断されたイヌより分離したCDV野外株23株について、H遺伝子ORFの一部995bpの塩基配列を決定し、系統樹解析を行い日本における野外流行株の動向と、ワクチン株と野外株を簡便に区別するRFLP型別診断法を検討した。系統樹解析により、野外株はワクチン株(Onderstepoort株、Convac株)とは別のクラスターを形成した。23株中18株はCDV-Yanaka株に近縁、4株はCDV-98-002株に近縁であった。また、野外株の1株は北アメリカ・ヨーロッパで分離されたウイルス群と同じクラスターを形成した。これより日本には少なくとも3タイプの遺伝子型をもつCDVが存在することが明らかとなり、現在の国際的物流による動物由来ウイルスの国内流入例も示唆された。

 RFLP法では、Yanaka型株はEco RVにより2つに切断されるのに対し、ワクチン株は切断されないため両者を簡便に区別できたが、98-002型株はワクチン株とは区別できなかった。そこで、新たにSsp Iを用いたところ、今回解析した日本の野外株はすべて2つに切断されたのに対し、ワクチン株は切断されず両者を区別することができた。このことより、RFLP型別診断法は日本の野外株とワクチン株との簡易区別法として有用であると考えられた。

第二章

Regulation mechanism of foreign gene expression from recombinant canine distemper virus.

(組換えイヌジステンパーウイルスにおける外来遺伝子発現制御機構)

 モノネガウイルスではゲノムからの遺伝子転写制御は主に、ゲノム上流に位置する遺伝子ほど多く転写・発現されるpolar attenuationと、各ウイルス遺伝子間に存在する遺伝子発現制御シグナルの違いの二つの機構によって行われていることが知られている。この章ではホタル由来のルシフェラーゼ遺伝子を発現する組換えCDVを用いて、組換えCDVにおける外来遺伝子発現の制御機構について解析を行った。

 まず、制御シグナルの違いによる外来遺伝子発現への影響を解析する目的で6種類のCDV各遺伝子間の制御シグナルを付加したルシフェラーゼ遺伝子をCDVゲノムのN-P遺伝子間に挿入し、6種類のルシフェラーゼを発現する組換えCDVを作出して解析を行った。その結果、組換えCDVは活性をもつルシフェラーゼを発現したが、制御シグナルの違いによるルシフェラーゼの発現量、ウイルス増殖の差はほとんど見られなかった。

 次に、polar attenuationによる外来遺伝子発現制御を解析する目的でCDV各遺伝子間にルシフェラーゼ遺伝子を挿入した組換えウイルス5種類を作出し、解析した。その結果、ルシフェラーゼ発現量はルシフェラーゼ遺伝子の挿入位置がゲノム下流へ行くほど低くなることが明らかとなった。

 以上より、CDVでは外来遺伝子発現は主に制御シグナルではなく、polar attenuationによりコントロールされていることが明らかになった。また、組換えCDVベクターにおいて外来遺伝子の発現量をコントロールすることが可能であることが示された。

第三章

Establishment of matrix (M) protein deficient canine distemper virus as a novel recombinant vaccine.

(新型ワクチンとしてのM蛋白欠損イヌジステンパーウイルスの作出)

 CDV感染症は飼育犬の間ではワクチンによりよくコントロールされてきたが、昨今ワクチン済みのイヌの他、ミンク、フェレット等の小型肉食獣やライオン、トラなどの大型ネコ科動物、さらにはアザラシ等海棲ほ乳類にも感染し、その抗原性変異や宿主域拡大が報告されている。唯一の対策はワクチン接種であるが、ワクチン株の中には野生動物に病原性を示すものがあることが報告されているため、これら野生動物を含めたCDV感受性動物において安全、かつ将来のウイルスの変異にも対応できるワクチンの開発が待たれている。モノネガウイルスM蛋白はウイルス粒子形成・出芽に重要で、M遺伝子に欠損や変異を持つウイルスは感染細胞からの正常なウイルス粒子の放出がないことがセンダイウイルスや麻疹ウイルスで知られている。このことから人為的にM遺伝子を欠損したウイルスは感染細胞からのウイルスの排出が起こらず、安全性も高いと期待されることから、新しいワクチン候補として有用であると考えられる。この章では、新型CDVワクチン候補として、国内野外株を基に、EGFPにより可視化したM遺伝子欠損CDVの作出を行った。

 94年に日本で分離されたCDV-Yanaka株を基に作製した各遺伝子間に特異的制限酵素切断部位をもつゲノムプラスミドからM遺伝子ORFを欠損させ、EGFP遺伝子ORFを挿入した。またGene Switchシステム(Invitrogen)によるCDV-M蛋白発現用プラスミドを作製した。これらをサポーティングプラスミドと共に、MVA-T7感染293/SLAM細胞へ導入後、M蛋白発現をmifepristoneにより誘導し、組換えCDVのレスキューを試みた。遺伝子導入後4日目より蛍光が観察されCPEを形成したことから、M遺伝子欠損CDVがレスキューされたことを確認した。CPE拡大は蛍光発現細胞周囲に限局し、CPEから離れた場所には新たな蛍光発現細胞を認めなかったことから、組換えCDVは細胞間を直接伝播していると考えられ、ウイルス放出のない新たな組換え生ワクチンの候補として有用であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 イヌジステンパーウイルス(CDV)はパラミクソウイルス科モービリウイルス属に属し、麻疹ウイルスや牛疫ウイルス、小反芻獣疫ウイルスと近縁のウイルスであり、CDV感染症はイヌの重要なウイルス性感染症の一つとして狂犬病とともによく知られる高病原性ウイルス感染症である。これまでワクチンにより、飼い犬個体群の間ではうまくコントロールされてきたCDV感染症だが、近年ワクチン接種済みのイヌを始め、ミンク・フェレットといった小型肉食獣、ライオン・トラなどの大型ネコ科獣、さらにはアザラシなど海棲哺乳類といった広範な動物種で感染・発症、大量死を引き起こし、世界的な再興ウイルス感染症の一つとして認識されるようになった。唯一の対策はワクチン接種であるが、弱毒生ワクチンとして使用されるワクチン株の中にはCDV感受性野生動物に対して病原性を示すものがあり、さらに将来的なウイルス変異による更なる宿主域の拡大も懸念されるため、これらに対応する安全な新しいワクチンの開発が求められている。弱毒生ワクチンは免疫誘導能と持続性においてDNAワクチンやCDV蛋白発現組換えウイルスワクチンよりも優れており、また飼い犬におけるCDV感染症のコントロールが弱毒生ワクチンの使用でうまくいっていることを考慮すると、感受性動物に広く安全に使用でき、さらには将来のウイルス変異にも対応できる新しい弱毒生ワクチンはワクチン開発において重要な選択肢の一つであるといえる。

 本研究第一章で著者は国内でのCDV感染症の流行の原因探索と、流行株の動向を解析する目的で1982-1998年にかけて国内で分離されたCDV野外株23株のH遺伝子の一部の塩基配列を決定し、これを基に系統樹解析を行った。その結果、国内のイヌにおけるCDV感染症の流行は主にワクチン株とは異なる2種類の遺伝子型のウイルス群の出現によるもので、ワクチン株の病原性復帰の可能性は低いと考えられること、さらに海外で分離されたウイルス群と同系統のウイルスも1株存在することが明らかとなり、国際的物流による動物由来ウイルスの国内流入例の可能性も示した。また、この解析結果の臨床的応用としてRFLP法によるワクチン株と国内野外株の簡易識別法の有用性を示した。

 第二章では、ホタル由来のルシフェラーゼ遺伝子を発現する組換えCDVを用いて、組換えCDVにおける外来遺伝子発現の制御機構について解析を行った。本著者は、CDVゲノム上の各遺伝子間に存在する6種類の転写制御配列による外来ルシフェラーゼ遺伝子の発現調節と、ゲノム上への挿入位置の違いによる発現調節について解析し、組み換えCDVでは主に、転写制御配列ではなく、ウイルスゲノム上流に近い位置にある遺伝子ほど遺伝子発現が大きくなるというpolar attenuationにより外来遺伝子の発現がコントロールされていること、外来遺伝子の挿入が組換えウイルスの増殖に大きな影響を与えないことを明らかにした。また、この外来遺伝子発現調節機構を利用し、組換えCDVベクターにおいて外来遺伝子の発現量をコントロールすることが可能であり、組換えCDVが遺伝子ベクターとして将来利用できることを示唆するものである。

 第三章では、新型CDVワクチン候補として、M遺伝子欠損CDVの作出を行った。モノネガウイルスM蛋白はウイルス粒子形成・出芽に重要とされ、M遺伝子に欠損や変異を持つウイルスは感染細胞からの正常なウイルス粒子の放出がないことがセンダイウイルスや麻疹ウイルスで知られている。人為的にM遺伝子を欠損したウイルスは感染細胞からのウイルスの排出が起こらず、安全性も高いと期待されることから、新しいワクチン候補として有用であると考えられる。著者はCDV国内分離株を基に、M遺伝子を欠損させ、かわりに蛍光蛋白EGFP遺伝子を挿入した組換えCDVゲノムを構築し、M遺伝子欠損組換えCDVの作出を行った。細胞へ遺伝子導入後に蛍光が観察されCDVに特異的なCPEを形成したことから、M遺伝子欠損CDVがレスキューされたことを確認した。CPE拡大は蛍光発現細胞周囲に限局し、CPEから離れた場所には新たな蛍光発現細胞を認めなかったことから、組換えCDVは細胞間を直接伝播していると考えられ、ウイルス放出のない新たな組換え生ワクチンの候補として有用であると考えられた。また、EGFPにより可視化されたウイルスは、細胞、動物への感染後の追跡が可能であり、今後の基礎研究に有用なツールとなることが考えられる。

 本研究によって得られた知見はリバースジェネティクスを用いた組換えCDVの遺伝子ベクター、ワクチンとしての応用に大いに役立つと考えられる。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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