学位論文要旨



No 120222
著者(漢字) 梅田,慎介
著者(英字)
著者(カナ) ウメダ,シンスケ
標題(和) カニクイザル加齢黄班変性モデルに関する研究
標題(洋) Primate models for age-related macular degeneration
報告番号 120222
報告番号 甲20222
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2905号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 今川,和彦
 東京大学 助教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

 加齢黄斑変性(Age-related Macular Degeneration:AMD)は、欧米では成人失明原因の第1位となっており、国内でも診断基準の確立とともに急増し、緑内障と並び糖尿病網膜症に次ぐ第2位となっている。決定的な治療法が存在しないため、高齢化社会におけるQOLの観点から大きな問題となっており、現在世界中でAMD発症に関与する遺伝子の分離が試みられている。

 我々の眼に入った光は網膜上の1点に結像する。この点を中心とした直径約6mmの網膜領域を黄斑(macula)と呼ぶ。黄斑は我々が物体を注視したときに実際に光を感じとっている部位であり、黄斑の機能が障害されると重度の中心視力の喪失が引き起こされる。AMDではこの黄斑網膜の網膜色素上皮(Retinal Pigment Epithelium:RPE)下に多形性物質がドーム状に沈着する(図)。この多形性物質はドルーゼンと呼ばれ、AMDの病態において最も重要視されており、特徴的な所見として診断にも用いられている。ドルーゼンの蓄積は周辺組織の萎縮、変性、さらには脈絡膜側から神経網膜内への血管新生を惹起し、これによる黄斑組織の破壊が視力障害を引き起こすものと考えられている。

 AMD発症には喫煙や食生活、光への暴露量等の環境要因に加え、遺伝要因が関与している。近年、フルゲノムスキャンによりAMDへの感受性を決定する遺伝子の存在が複数報告されてきているが、いまだその同定には到っていない。これは、早期診断が困難で、患者の大家系を得ることが難しいため、通常の連鎖解析の手法が適用できないためである。そのため、これまで単一遺伝子による遺伝性の黄斑変性(Inherited Macular Degenerations:IMDs)の原因遺伝子(表)を同定し、AMDへの関与を検討するという戦略がとられてきたが、いずれも否定的な結果に終わっている。またこれらの遺伝子を改変したAMDモデル動物の作出も試みられてきたが、黄斑は霊長類と一部の鳥類にしか存在せず、またげっ歯類とヒトでは生物学的時間が大きく異なるため、これらのモデルとAMDとの表現型の類似は乏しく、いずれもAMDの病態を正確に反映したものとはなっていない。したがって、AMDの病態を詳細に解析するためには、霊長類をもちいたモデル動物の確立が不可欠と考えられる。そこで、本研究はカニクイザルの1家系にみつかった遺伝性黄斑変性についてAMDモデルとして評価・確立を行った。また、従来から老齢ザルがドルーゼンを伴う黄斑変性を自然発症することが報告されており、これら加齢型のサル黄斑変性との比較も行った。本研究はこれら2種のカニクイザルAMDモデル(遺伝型モデルと加齢型モデル)について並行して解析を行い、AMDの病態解明、早期診断法の確立、治療法の開発を目指す。

(第1章)

 遺伝型モデルでは、2歳前後から眼底検査により黄斑に多数の黄白色小斑を伴う変性が認められる。交配成績から、常染色体優性遺伝の疾患であると考えられた。臨床検査・病理組織検査の結果、黄斑にみられる小斑がドルーゼンであることが示され、加えてRPE細胞内へのリポフスチンの蓄積等、AMDの初期段階と一致する所見を呈することが明らかになった。

 原因遺伝子同定のため、IMDs原因遺伝子のうち、ドルーゼンに類似する細胞外蓄積物を引き起こす5遺伝子(ABCA4,VMD2,EFEMP1,TIMP3,ELOVL4)(表)について、カニクイザルホモログをクローニングし、Single strand conformation pormorphism法またはDenaturing high performance liquid chromatography法により遺伝子変異を検索した。さらに上記5遺伝子を含む13のIMDs原因遺伝子および遺伝子座(表)について本疾患との連鎖を解析した。結果、5遺伝子について疾患と関連する多型はみられず、13遺伝子及び遺伝子座全てについて疾患との連鎖は認められなかった。これらのことから、本モデルが新規遺伝子の変異による疾患であることが示された。本モデルは初期AMDと類似の所見を呈することが確認されたことから、原因遺伝子の同定によってAMD発症に関与する遺伝子を明らかにできる可能性があるものと考えられる。

(第2章)

 ドルーゼンはAMD発症の最大のリスクファクターと考えられているが、その形成メカニズムについてはよく分かっていない。近年、免疫組織化学的手法によりドルーゼン内にIgGや活性化補体、その他炎症性タンパクが集積していることが示され、ドルーゼンの形成に慢性的な炎症が関与しているという報告がなされている。そこで、本章では免疫組織化学的手法およびLC-MS/MSを用いて、遺伝型および加齢型モデルにみられるドルーゼンの組成を解析した。

 始めに加齢型黄斑変性についての評価を行った。老齢カニクイザル(13-25才)278頭について眼底検査を実施し、32%の個体に黄白色小班を伴う黄斑変性を認めた。病理組織検査の結果、これらの小班に一致してドルーゼンないしはRPE細胞の変性が認められ、AMDの初期段階と類似の所見を呈することが確認された。

 ドルーゼンの組成について免疫組織化学的検討を行った結果、加齢型および遺伝型両モデルについてドルーゼン内にAmyloid P Component,Apolipoprotein E,C5mC5b-9,Vitronectin,MCPの集積を認め、補体系の活性化を伴う慢性的な炎症が起こっていることが示唆された。また、加齢型モデル疾患眼からドルーゼンを分離し、LC-MS/MSによるタンパク成分の同定を行った結果、Immunoglobulin gamma chain,Annexin,Crystallinなど60のタンパクが同定され、その半数がヒトでの報告と一致するものであった(表)。

 以上の結果から、加齢型および遺伝型モデルにみられるドルーゼンがAMDドルーゼンと共通する組成を有し、補体活性化を中心とした網膜局所での慢性炎症がその形成機序に共通して関与していることが明らかとなった。

(第3章)

 ドルーゼン内において、補体系の活性化とImmunoglobulin gamma chainの沈着が認められたことは、網膜抗原に対する免疫反応が慢性炎症の引き金となっている可能性を示唆している。そこで、本章では疾患個体血清中の抗網膜自己抗体の存在について検討を行った。ウェスタンブロット法によるスクリーニングの結果、加齢型モデル疾患個体の半数が分子量38,40,50,60kDaのいずれかの網膜抗原を認識する自己抗体を1種以上持っていることが明らかとなった。これらの抗原タンパクをLC-MS/MS解析し、Annexin II(38kDa),μ-Crystallin(40kDa)を同定した。さらにリコンビナントプロテインを作製し、ELISA法により自己抗体価の測定を行った結果、疾患群において抗Annexin II抗体価の有意な上昇が認められた。抗μ-Crystallin抗体について有意差は得られなかったが、高い抗体価を示す疾患個体が散見された。

 抗Annexin II・μ-Crystallin抗体がどのように病態に関与しているのかについてはさらに詳細な検討が必要であるが、これらの網膜抗原に対する自己抗体の出現が網膜局所での慢性炎症を惹起している可能性が示唆された。また、疾患個体に特異的な自己抗体パターンが認められたことから、AMDについて疾患特異的な自己抗体を同定・検出することにより早期診断が可能になるのではないかと考えられた。

 本研究により、カニクイザルにみられる遺伝型および加齢型黄斑変性がAMDの最大の特徴的病変であるドルーゼンを呈し、AMDの初期段階に類似の所見を呈することが明らかとなった。さらに、これらのドルーゼンがAMDドルーゼンに共通する組成を有し、補体活性化を中心とした網膜局所での慢性炎症がその形成機序に共通して関与していることが明らかとなり、AMDモデルとしての有用性が示された。

 遺伝型モデルについては、Annexin II・μ-Crystallin等の特定の網膜抗原に対する自己抗体は検出されなかったが、本疾患は2歳前後という極めて早い段階で発症することから、網膜局所での慢性炎症の成立を促進し、早期にドルーゼン形成を引き起こす何らかのファクターが関与しているものと考えられた。本モデルの原因遺伝子同定により、ドルーゼン形成の基盤となる慢性炎症のメカニズムが明らかになることが期待される。また当該遺伝子は、AMDへの関与が否定されているIMDs原因遺伝子のいずれでもないことから、いまだ明らかとなっていないAMDのリスク遺伝子である可能性を有していると考えられた。

Dry Macular Degeneration(Cross-Section)

MD:macular degeneration,RP:retinitis pigmentosa

Table2. Protein components in monkey drusen

The components consistent with those of AMD drusen are shown in bold letters.The components that belong to the gene families, other members of which were known to be consituents of drusen in AMD, are shown in italic letters.National Center for Biotechnology Information database accession and version numbers are listed.

審査要旨 要旨を表示する

 加齢黄斑変性(Age-related Macular Degeneration : AMD)は、先進国において主要な失明原因となっており、社会の高齢化が進むなか大きな問題となっている。しかし、現在のところ決定的な治療法は存在せず、病態の解明も進んでいない。その理由の1つとして、適切なモデル動物が存在しないことが挙げられる。黄斑は霊長類と一部の鳥類にしか存在しないため、AMDの病態を詳細に解析するためには霊長類モデルの確立が不可欠である。本論文は、カニクイザルにみられる2種の黄斑変性(遺伝型モデルと加齢型モデル)について、AMDの最大の特徴であるドルーゼン(網膜色素上皮(RPE)下への多型性物質の沈着)に注目して、AMDモデルとして評価・確立を行い、これらを並行して解析することにより、AMDの病態解明、早期診断法の確立、治療法の開発を行うことを目的としている。

 第1章では、遺伝型モデルについての疾患評価と原因遺伝子の解析について述べている。臨床検査・病理組織検査により、疾患個体が2歳前後からドルーゼンやRPE細胞内へのリポフスチンの蓄積といった初期AMDに特徴的な所見を呈することを明らかにした。また交配試験から、本モデルが常染色体優性遺伝の疾患であることを示している。

 原因遺伝子同定のため、ヒトで遺伝性黄斑変性を引き起こすことが知られている13遺伝子を候補遺伝子として、疾患個体における遺伝子変異検索と家系を用いた連鎖解析を行った。その結果、これらすべての遺伝子を原因遺伝子として除外し、本モデルが新規遺伝子の変異による疾患であることを示した。

 これらのことは、遺伝型モデルが初期AMDモデルとして有用であり、その原因遺伝子の同定によりAMD発症に関与する遺伝子を明らかにできる可能性を示している。

 第2章では、加齢型モデルについての疾患評価と、加齢型および遺伝型、両モデルにみられるドルーゼンの組成について解析を行っている。

 老齢カニクイザル278頭について眼底検査を実施し、32%の個体に加齢型黄斑変性を認めた。病理組織検査では、ドルーゼンやRPE細胞の空胞変性等が認められ、初期AMDと類似の所見が確認された。

 ドルーゼンの組成について免疫組織化学的検討を行った結果、加齢型および遺伝型モデルともに、ドルーゼン内への各種の炎症性タンパクの集積を認め、ドルーゼン内で補体系の活性化を伴う慢性的な炎症が起こっていることが明らかとなった。また、疾患眼からドルーゼンを直接分離し、LC-MS/MSによる網羅的組成解析を行い、Immunoglobulin gamma chain,Annexin,Crystallinなど60のタンパクを同定し、その半数がAMDドルーゼンと共通であることを示した。

 以上の結果から、加齢型モデルについても初期AMDモデルとしての有用性が示され、さらにこれらのモデルにみられるドルーゼンがAMDドルーゼンと共通する組成を有し、網膜局所での補体活性化を中心とした慢性炎症を共通の形成基盤としていることが明らかとなった。

 第3章では、この慢性炎症の成立に自己免疫が果たす役割について検討を行っている。ウェスタンブロット法により、加齢型モデルの疾患個体血清中に存在する網膜抗原に対する自己抗体をスクリーニングした。結果、半数の個体が分子量38,40,50,60kDaのいずれかの網膜抗原を認識する自己抗体を1種以上持っていることが明らかとなった。これらの抗原タンパクをLC-MS/MS解析し、AnnexinII (38kDa),μ-Crystallin(40kDa)を同定した。さらにリコンビナントプロテインを作製し、ELISA法により自己抗体価の測定を行い、疾患群において抗AnnexinII抗体価の有意な上昇がみられることを示した。

 これらのことは、網膜抗原に対する自己抗体の出現が網膜局所での慢性炎症成立の端緒となっている可能性を示している。また、疾患個体に特異的な自己抗体パターンが認められたことから、AMDについても疾患特異的な自己抗体の同定・検出により早期診断が可能となることを述べている。

 以上のように、本論文はカニクイザルにみられる遺伝型および加齢型黄斑変性を初期AMDモデルとして確立し、特にドルーゼン形成のモデルとしての有用性を示し、さらにこれらを用いてAMDの自己免疫疾患としての側面を初めて明らかにした。今後のAMD研究に極めて有益な動物モデルを提供したものであり、獣医学領域での貢献が評価される。よって審査委員一同は、本論分が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク