学位論文要旨



No 120402
著者(漢字) 清水,華
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ハナ
標題(和) インドネシアのスンバ人におけるマラリア耐性の免疫および遺伝特性
標題(洋) Genetic and immunological characterization for malarial tolerance among Sumbanese in Indonesia
報告番号 120402
報告番号 甲20402
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2551号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 助教授 石川,昌
 東京大学 講師 渡邊,洋一
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 マラリアは、主に熱帯地域の開発途上国に蔓延する流行制圧の難しい感染症の一つで、年間罹患者数は3〜5億人と見積もられている。マラリアの蔓延地域では、長いマラリアとの共生が寄生体と宿主との共進化をもたらし、人類は感染に対する適応を獲得するようになった。獲得免疫が罹患の防御に役割を担う一方、マラリアに抵抗性を持つ宿主側の遺伝形質の出現は淘汰を介した遺伝適応といえる。

 マラリアの病態形成機構と宿主応答に関わる研究から、生体内の免疫防御機構について理解が進んできたが、蔓延地域に存在する不顕感染の耐性メカニズムについては未だ明らかになっていない。本研究では、恒常的にマラリアが存在するもののマラリアによる致死率の低いインドネシア・スンバ島の一村落において、不顕感染すなわち無症候性マラリアを検出しその特性を明らかにするとともに、発症を抑えて無症候を保つ生体内免疫防御因子の探索を試みた。また、マラリア抵抗性を示す遺伝形質についてマラリア不顕感染との関係を調べた。さらに、これらの遺伝形質の世代間継承に対し、家系分析に基づき、マラリア耐性獲得への寄与について考察を試みた。

【対象と方法】

 インドネシア・スンバ島のクタ村に居住する、126世帯の住人689人(全住民の77.8%)を対象とした。2003年6月から10月にかけて個体群特性を把握するため、家系調査を含むフィールド調査を行った。この間、7月に6歳以下の小児および近親者109人を対象に手指穿刺法による採血、9月前半に18歳以上の成人210人を対象に上腕静脈からの採血、及び空腹時血糖値とヘマトクリット検査、そして同月後半に18歳未満の小児137人を対象に上腕静脈からの採血を行った。

 採血時に作成した薄層塗沫標本をギムザ液で染色し、原虫の成熟ステージおよび赤血球形態の観察に使用した。

 凍結バフィコートから347人のゲノムDNAを抽出し、熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)および三日熱マラリア原虫(Plasmodium vivax)をPCR法により検出した。続いて、マラリア原虫が検出された44検体について、定量的PCR法によりP. falciparumとP. vivaxそれぞれについて各原虫の相対量を算出した。

 凍結血清を用いて、ELISA法によりIL-6、IL-10、TNF-α、IFN-γを定量した。

 全血を浸透、乾燥させた濾紙フィルターから、Formazan-Ring法によりグルコース6リン酸脱水素酵素(glucose-6-phosphate dehydrogenase: G6PD)の酵素活性を調べ、G6PD欠損のスクリーニングを行った。血液より抽出した410人のDNA産物から、東南アジア型卵形赤血球症(Southeast Asian Ovalocytosis: SAO)の責任遺伝子である赤血球バンド3遺伝子の27塩基対欠損、また、ヒト癌抑制遺伝子p53のコドン72多型のスクリーニングを行った。

【結果と考察】

 347人中44人の対象者からP. falciparumとP. vivaxの2種類のマラリア原虫が検出され、その頻度は12%であった。高熱、悪寒を伴うマラリア症状を呈さない住民から原虫が高頻度で検出されたことから、マラリア耐性の存在が示された。

 マラリア感染者数の分布は集落ごとで異なり、また同一世帯で感染者が多かったことから、感染の偏りが認められた。

 原虫が検出された対象者の空腹時血糖値及びヘマトクリット値はどれも正常範囲内で、マラリア感染による低血糖、貧血を呈していないことが示された。どの感染も無症候の不顕感染であることから、マラリア耐性の獲得が示唆された。

 マラリア感染率は10-19歳で高く、また各マラリア原虫を定量した結果、低年齢で原虫量が多かった(Figure 1)。このことは子供の方が感染率が高いことに加え、マラリアに対する後天的免疫が獲得されていない可能性が示唆され、そのために原虫が生存しやすいと考えられた。

 マラリア原虫が検出された対象者のうち、P. falciparumとP. vivaxの双方を同時に保持している者が36.4%存在した。そして、2種類の原虫を保持している対象者の原虫量は、P. vivax だけを保持している対象者の原虫量に比べて有意に多かった。どちらの場合も無症候であることから、P. falciparumとP. vivaxを同時に保持していることがP. vivaxだけを保持している場合よりも、原虫が生存しやすく、特異な防御免疫をもたらしている可能性が示唆された。

 原虫保持者が無症候を呈する要因を検証するため、血清中のIL-6、IL-10、TNF-α、IFN-γを定量した結果、IL-6、IL-10がコントロール群に比べ有意に高値で(Figure 2)、TNF-α、IFN-γは血清中濃度に差異が認められなかった。また、P. falciparumとP. vivaxのどちらの原虫量も、抑制性サイトカインIL-10と正の相関を示した(Figure 3)。一方、TNF-αはP. vivaxの相対量と正の相関を示した。これらのことから、マラリアの発症を抑えて無症候にする要因物質のひとつがIL-10である可能性が示唆された。

 次に、無症候性マラリアに抵抗性遺伝子が関与しているかを検討した。マラリアに抵抗性を示すことが知られている赤血球症のうち、G6PD欠損の頻度は7%であった。G6PD欠損者のヘマトクリット値は正常の範囲内で、貧血を呈するケースは観察されなかった。また、鏡検の結果、卵形赤血球の形態も確認され、PCR法によりSAOが14%の頻度でみつかった。どちらの赤血球症もマラリア原虫保持者においても検出されたが、末梢血中に検出された原虫量はこれらの赤血球症を持たない対象者に比べ低いことが明らかになった(Figure 4)。

 また、対象者における遺伝的適応の世代間継承に関して検討を試みた。G6PD欠損とSAOの2種類の赤血球症を同時に保有する者は0.7%であった。G6PD欠損とSAOの頻度には村内の11のクラン(血縁集団)間で有意な差異が認められた。ヒト癌抑制遺伝子p53のコドン72多型のスクリーニングの結果から、Pro対立遺伝子のホモ接合体でマラリア原虫量が少なく、また、親子間の遺伝形質分析により胎生期にPro対立遺伝子の母系遺伝型が選択されている可能性が示唆された。しかし、これがマラリアを介した淘汰圧によるものなのかについては、斬新な知見であるものの、統計的な有意差はなく今後更なる検証が必要である。

【結論】

 本研究において、インドネシアのスンバ人において無症候のマラリア不顕感染が高頻度で存在することが明らかになった。無症候性マラリアは、低血糖、貧血を呈することはなく、低年齢で原虫保持量が多いことがわかった。また、2種類のマラリア原虫を同時に保持する割合が36.4%と高く、2種類の原虫を保持する者と1種類の原虫を保持する者では、原虫に対する防御免疫が異なることが示唆された。無症候を維持するために、抑制性サイトカインIL-10がその役割を担っている可能性も示唆された。さらに、マラリア抵抗性をもつG6PD欠損やSAOは、マラリアの不顕感染の有無には影響しないが、原虫保持量が少なく不顕感染への寄与が示された。

Figure 1. Correlation between concentration of P. vivax and age. **p<0.01, Pf+Pv vs Pv

Figure 2. IL-6 and IL-10 in non-carriers and carriers of Plasmodium parasitemia.

**p<0.01 vs non-carriers.

Figure 3. Correlations between IL-10 and concentration of P. falciparum or P. vivax.

Figure 4. P. vivax concentration of subjects classified by G6PD activity, SAO, and p53 genotype.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、マラリアの蔓延地域で観察される無症候性マラリアを検出し、マラリア耐性の免疫および遺伝特性を明らかにするため、インドネシア・スンバ島の一村落において行われたフィールド調査と血液分析により、マラリア耐性における免疫防御因子の探索、マラリア抵抗性遺伝子の寄与について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. マラリア症状を呈さない住民から熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)および三日熱マラリア原虫(Plasmodium vivax)をPCR法により検出した結果、マラリア原虫保持者の頻度は12%で、無症候性マラリアの存在が確認された。マラリア感染者の地理的な分布を調べたところ、集落ごとで異なり多様性を示していた。空腹時血糖、ヘマトクリットの測定結果から対象者がマラリア感染による低血糖、血球減少による貧血を呈していないことが示された。マラリア感染率は10代の年齢層で高く、年齢の上昇に伴い感染率が低下していた。

2. 原虫が検出された検体について定量的PCR法によりそれぞれの原虫の相対量を算出した結果、低年齢で保持する原虫量が多いことが明らかとなった。子供の感染率が高かった結果と合わせ、低年齢で原虫が存在しやすい可能性が示唆された。

3. マラリア原虫保持者のうち、P. falciparumとP. vivaxの双方を同時に保持している対象者が36.4%存在し、定量的PCR法により、2種類の原虫を保持している対象者の原虫量はP. vivaxだけを保持している対象者の原虫量に比べて多いことが明らかとなった。2種類の原虫を同時に保持することが、原虫の生存に有利に働き、特異な防御免疫ももたらしている可能性が示唆された。

4. 血清中サイトカインIL-6、IL-10、TNF-α、IFN-γを定量した結果、原虫保持者においてIL-6、IL-10がコントロール群に比べ高値で、一方TNF-α、IFN-γは差異が認められなかった。P. falciparumとP. vivaxのどちらの原虫量もIL-10と正の相関を示したことから、マラリアの発症を引き起こさず無症候を保つ免疫防御因子として、抑制性サイトカインIL-10がその役割を担っている可能性が示唆された。

5. マラリアに抵抗性を示すことで知られる赤血球症について、グルコース6リン酸脱水素酵素(glucose-6-phosphate dehydrogenase: G6PD)の酵素活性を調べたところ、G6PD欠損の頻度は7%、また東南アジア型卵形赤血球症(Southeast Asian Ovalocytosis: SAO)の責任遺伝子である赤血球バンド3遺伝子の27塩基対欠損をPCR法によりスクリーニングしたところ、SAOが14%の頻度で検出された。どちらの赤血球症もマラリア原虫保持者において検出され、マラリア不顕感染の有無には影響していなかったが、保持する原虫量はこれらの赤血球症を持たない対象者に比べて低いことが明らかとなり、不顕感染への寄与が考えられた。

6. 遺伝適応の世代間継承に関して家系分析を行った結果、G6PD欠損とSAOの頻度に村内の異なる血縁集団間で有意な差異が認められた。また、p53遺伝子のコドン72多型のスクリーニングの結果、Pro対立遺伝子のホモ接合体でマラリア原虫量が少なく、胎生期にPro対立遺伝子の母系遺伝系が選択されている可能性について仮説が検証された。

 以上、本論文はマラリアの蔓延する地域でのフィールド調査に基づく詳細な家系データおよびマラリア罹患の縦断的観察と、採取した血液の横断的分析の両面から、無症候性マラリアの特性を明らかにした。本研究は、これまでのマラリア罹患者を対象とした病態形成機構に関する研究とは対照的に、症状を抑えることのできるマラリア不顕感染の耐性メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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