学位論文要旨



No 120444
著者(漢字) 見市,文香
著者(英字)
著者(カナ) ミイチ,フミカ
標題(和) 赤血球期熱帯熱マラリア原虫の血清中脂肪酸に対する細胞応答機構
標題(洋)
報告番号 120444
報告番号 甲20444
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1143号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 講師 嘉糠,洋陸
内容要旨 要旨を表示する

[序]

 赤血球期熱帯熱マラリア原虫は、その細胞増殖を宿主の血清中因子に依存しており、その中の1つとして血清アルブミンに結合した脂肪酸が重要であることは古くから認識されていた。私の所属する研究グループでは、これまでの研究から、脱脂ウシ血清アルブミンに脂肪酸を再構築したものを用いたマラリア原虫培養と、生化学的な解析により、原虫の増殖には限られた組み合わせの飽和脂肪酸および不飽和脂肪酸が必要であり、C16:0/C18:1 の組み合わせが最も良いことを明らかにした。ところが血清中にはC16:0/C18:1 以外にもmajor な脂肪酸が2種類(C18:0 、C18:2)含まれており、その他多くのminor な脂肪酸が存在する。これらの脂肪酸は原虫に取り込まれることは報告されているが、各脂肪酸の原虫の増殖への効果や代謝については不明である。また宿主血清中の脂肪酸の組成は個体差が大きく、また食餌によっても変動するため、原虫の応答は、環境変化への適応という観点、また新規化学療法の標的分子の探索という観点から非常に興味深い。本研究において私は、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の増殖がどの脂肪酸種に依存しているのか、また取り込まれた脂肪酸は原虫内でどのように代謝されているのか、について解析を行った。

[方法と結果]

赤血球期マラリア原虫の細胞増殖に必須な血清中脂肪酸の組み合わせの同定

 血清中に存在する遊離脂肪酸含量をガスクロマトグラフィーにより解析した結果、その含量が全脂肪酸含量の1%以上である脂肪酸は8 種類あり、その平均濃度は、(C14:0 [0.34μM],C16:0 [9.19μM],C16:1 [0.55μM],C18:0 [4.04μM],C18:1 [7.72μM],C18:2 [3.70μM],C18:3(n-3) [0.52μM],C20:4 [0.81μM] )であった。

 最初にmajor な脂肪酸(C16:0、C18:0、C18:1、C18:2)について、4 種類、もしくはその中の3 種類の全ての組み合わせに対する増殖実験を行ったところ、192 時間後まで全て細胞増殖を支持した。さらにminor な脂肪酸の増殖効果を定量的に比較するために、上記8 種類の脂肪酸中の3 種類の組み合わせ(それぞれ30μM)を網羅的に解析した。結果を、96 時間後(原虫の生活環は48 時間であるため2 周期目)と192 時間後(4 周期目)の感染率を測定、増殖率として表1にまとめた。原虫の増殖は炭素鎖数の差(C14:0vs C16:0vsC18:0 など) 、飽和度の差(C18:0vs C18:1vs C18:2 など)で大きく影響を受けた。また96 時間後に比べ192 時間後の増殖率は全体的に低下し、192 時間後まで増殖効果を示した組み合わせは15 種類であった(表中白または灰色)。これらの組み合わせは、その性質から2通りに分けることができ、C16:0/C18:1 の組み合わせを含む(5 種類。表中下線)、もしくはC18:0 を含む(10 種類。表中斜体)ことが、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の細胞増殖を支持するために必要であることが明らかになった。

3 種類の脂肪酸再構成培地での継代培養

 上記15 種類についてさらに7 継代(672 時間)培養を続けた。結果7 継代以上の培養が可能な脂肪酸の組み合わせは、[C16:0/C18:0/C18:2] [C14:0/C18:0/C18:2] [C14:0/C18:0/C18:1] [C18:0/C18:1/C18:2] [C16:0/C18:1/C14:0] [C16:0/C18:1/C16:1] [C16:0/C18:1/C18:2] [C16:0/C18:1/C18:3(n-3)]の8 種類あった。これらの増殖率を表2 に示す。C16:0/C18:1 は、2 種類の脂肪酸の組み合わせのうち唯一7 継代目までの増殖を支持する組み合わせであることから、他の脂肪酸(C14:0、C16:1、C18:2、C18:3(n-3))の添加はC16:0/C18:1 による原虫の増殖効果に大きな影響を与えないと考えられる。

 一方C18:0 を含む組み合わせは4 種類あるが、これらの組み合わせから1つの脂肪酸を除いた2 種類の脂肪酸の組み合わせ(例えばC14:0/C18:0/C18:2 の場合、C14:0/C18:0、C18:0/C18:2、C14:0/C18:2)は増殖を支持しないことから、C18:0 を含むことと同時に脂肪酸の組み合わせが重要であると考えられる。

血清を用いた培養条件下での原虫内の各脂肪酸の代謝

脂肪酸は原虫内に取り込まれ、リン脂質や中性脂質を構成する。取り込まれた各脂肪酸の原虫内での代謝産物を明らかにするため、放射ラベルした脂肪酸(C14:0、C16:0、C18:0、C18:1、C18:2)を用い、放射比活性をそろえてin vitro 原虫培養系における代謝ラベル実験を行った。結果を図1 に示す。5 種類の脂肪酸は、全て原虫内に取り込まれていた。また、代謝産物のパターンは脂肪酸種の違いによる大きな差は見られなかった。唯一例外としてC18:0 が他の脂質種と比較して、ホスファチジルセリンもしくはホスファチジルイノシトールに多く取り込まれていた。

3種類の脂肪酸再構成培地条件下での原虫内の各脂肪酸の代謝

 3種類の脂肪酸再構成培地における脂肪酸の代謝を知る目的で、同様の実験を行った。上記の継代培養が可能な組み合わせで培養した原虫に放射ラベルした3 種類の脂肪酸を、放射比活性をそろえて加え代謝産物の解析を行った。結果、血清条件下と同様に代謝産物のパターンは脂肪酸種の違いによる大きな差は見られなかったが、ホスファチジルセリンもしくはホスファチジルイノシトールへのC18:0 の蓄積が、他に比べて顕著であった。

ガスクロマトグラフィーを用いた赤血球期熱帯熱マラリア原虫の脂肪酸組成の解析

 赤血球期熱帯熱マラリア原虫の全脂質中の脂肪酸組成を解析する目的で、血清培地および再構築培地 [C16:0/C18:0/C18:2] [C14:0/C18:0/C18:2]で培養した原虫感染赤血球(図中黒線)から抽出した全脂質中に存在する脂肪酸種を、ガスクロマトグラフィーにより解析、非感染赤血球(図中細線)の結果と比較した。図2 に示すように、血清で培養した原虫は、血清中に含まれる遊離脂肪酸の組成と近い組成であった。また、再構築培地の[C16:0/C18:0/C18:2] [C14:0/C18:0/C18:2]を用いた場合も同様に、主に培地中に含まれる3 種類の脂肪酸で構成(90%以上)されていた。それ以外には [C16:0/C18:0/C18:2] で培養した原虫にはC18:1 が、[C14:0/C18:0/C18:2]で培養した原虫ではC18:1 およびC16:0 が検出された。

[考察]

 本研究から、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の血清中脂肪酸の取り込み、および取り込まれた脂肪酸の代謝の、脂肪酸の種類に対する選択性は低いことを明らかにした(図2)。そのため、原虫の脂肪酸組成は、培地の脂肪酸組成に大きく依存しほぼ等しくなることがみられた。

 しかしながら、原虫細胞の増殖は脂肪酸の鎖長や飽和度に大きく依存した(C16:0/C18:1 の対またはC18:0 が必要。表1,2)。

 さらに、ガスクロマトグラフィーを用いた解析により、原虫の脂肪酸代謝において重要と考えられる2つの酵素の存在が示唆された。すなわちC18:0 からC18:1 を生成するdesaturase、およびC14:0 からC16:0 を生成する脂肪酸伸長酵素(elongation system)である(図2B,C)。desaturase およびelongase がマラリア原虫においては機能していないという過去の報告とは異なるが、発現が示唆された条件が、脂肪酸の種類が制限された条件であることを考えると、これらの酵素が、原虫の環境適応にかかわる可能性がある。

 今後は、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の生存の鍵となる脂肪酸種について、原虫の細胞増殖に関わる分子機構を、原虫細胞の宿主環境変化への適応という点から迫りたい。

表1血清中脂肪酸の組み合わせによる熱帯熱マラリア原虫の細胞増殖率への影響

表2各培養条件下での増殖率

図1血清を用いた培養条件化での原虫内の各脂肪酸の代謝

図2 培養条件と原虫の脂肪酸組成

審査要旨 要旨を表示する

 赤血球期熱帯熱マラリア原虫は、その細胞増殖を宿主の血清中因子に依存しており、その中の1つとして血清アルブミンに結合した脂肪酸が重要であることは古くから認識されていた。これまでの研究から、脱脂ウシ血清アルブミンに脂肪酸を再構築したものを用いたマラリア原虫培養と、生化学的な解析により、原虫の増殖には限られた組み合わせの飽和脂肪酸および不飽和脂肪酸が必要であり、C16:0/C18:1 の組み合わせが最も良いことが明らかになっている。ところが血清中にはC16:0/C18:1 以外にもmajor な脂肪酸が2 種類(C18:0、C18:2) 含まれており、その他多くのminor な脂肪酸も存在する。これらの脂肪酸は原虫に取り込まれることは報告されているが、各脂肪酸の原虫の増殖への効果や代謝については不明である。宿主血清中の脂肪酸の組成は個体差が大きく、また食餌によっても変動するため、原虫の応答は、環境変化への適応という観点、また新規化学療法の標的分子の探索という観点から非常に興味深いと考え、本論文では、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の増殖がどの脂肪酸種に依存しているのか、また取り込まれた脂肪酸は原虫内でどのように代謝されているのか、について解析を行っている。

赤血球期熱帯熱マラリア原虫の細胞増殖に必須な血清中脂肪酸の組み合わせの同定

 本論文においては、最初に血清中に存在する遊離脂肪酸含量をガスクロマトグラフィーにより解析している。その結果、含量が全脂肪酸含量の1%以上である脂肪酸は8 種類あり、その平均濃度は、(C14:0 [0.34μM],C16:0 [9.19μM],C16:1 [0.55μM],C18:0 [4.04μM],C18:1 [7.72μM],C18:2 [3.70μM],C18:3(n-3) [0.52μM],C20:4 [0.81μM] ) であり、この結果をもとに以下の実験を行っている。

 最初にmajor な脂肪酸(C16:0、C18:0 、C18:1、C18:2)について、4 種類、もしくはその中の3 種類の全ての組み合わせに対する増殖実験を行ったところ、192 時間後まで全て細胞増殖を支持することを見出している。この結果を踏まえさらにminor な脂肪酸の増殖効果を定量的に比較するために、増殖率を指標とし、その含量が全脂肪酸含量の1%以上である8 種類の脂肪酸中の3 種類の組み合わせ(それぞれ30μM)を網羅的に解析している。その結果、原虫の増殖は炭素鎖数の差、飽和度の差で大きく影響を受けることを示し、また、2継代(192 時間)まで増殖効果を示した組み合わせが15 種類、さらに7 継代(672 時間)以上の培養が可能な脂肪酸の組み合わせが8 種類あることを見出している。これらの組み合わせを、その性質から2通りに分類し、C16:0/C18:1 の組み合わせを含む、またはC18:0 を含むことが、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の細胞増殖を支持するために必要であることも明らかにしている。さらにC16:0/C18:1 は、2 種類の脂肪酸の組み合わせのうち唯一7 継代目までの増殖を支持する組み合わせであることから、他の脂肪酸(C14:0、C16:1、C18:2、C18:3(n-3)) の添加はC16:0/C18:1 による原虫の増殖効果に大きな影響を与えないと考えている。一方C18:0 を含む組み合わせは4 種類あるが、これらの組み合わせから1つの脂肪酸を除いた2 脂肪酸の組み合わせ(例えばC14:0/C18:0/C18:2 の場合、C14:0/C18:0、C18:0/C18:2、C14:0/C18:2 )は増殖を支持しないことから、C18:0 を含むことと同時に脂肪酸の組み合わせが重要であると考えている。

血清および3種類の脂肪酸再構成培地を用いた培養条件下での原虫内の各脂肪酸の代謝

 血清中の脂肪酸は原虫内に取り込まれ、リン脂質や中性脂質を構成する。本論文では取り込まれた各脂肪酸の原虫内での代謝産物を明らかにするため、放射ラベルした脂肪酸(C14:0、C16:0 、C18:0、C18:1、C18:2 )を用い、放射比活性をそろえることによりin vitro 原虫培養系における代謝ラベル実験を定量的に行っている。その結果、血清培地ならびに脂肪酸再構築培地、双方の条件下で脂肪酸は種類によらず同じように原虫内に取り込まれ、代謝産物の蓄積のパターンも脂肪酸種による大きな差は無いことを明らかにしている。

ガスクロマトグラフィーを用いた赤血球期熱帯熱マラリア原虫の脂肪酸組成の解析

 原虫の全脂質中の脂肪酸組成を解析する目的で、血清培地および再構築培地で培養した原虫感染赤血球から抽出した全脂質の脂肪酸種を、ガスクロマトグラフィーにより解析、非感染赤血球の結果と比較することにより、原虫の脂肪酸組成が培地中の脂肪酸組成とほぼ等しいことを明らかにしている。また、原虫の脂肪酸代謝において重要と考えられる2つの酵素desaturase およびelongase の存在を示唆している。本論文の結果は、これらがマラリア原虫においては機能していないという過去の報告とは異なるが、発現が示唆された条件が、脂肪酸の種類が制限された条件であることを考えると、これらの酵素が、原虫の環境適応にかかわるという可能性を考えている。

 以上本論文においては、赤血球期熱帯熱マラリア原虫の血清中脂肪酸に対する応答を、in vitro 培養と再構築培地の系を用いて、詳細に検討を行っている。その結果、増殖においては、熱帯熱マラリア原虫細胞は脂肪酸の鎖長に対し厳密に選択性があるが、脂肪酸の取り込み、および代謝(中性脂質および極性脂質の合成経路)経路の脂肪酸の種類に対する選択性は低いことなどを明らかにしている。以上の結果から、赤血球期熱帯熱マラリア原虫は、個体差、食餌などにより変動しうる、細胞増殖に必須な宿主血清中の脂肪酸に対し慣用性を持たせるような機構を発達させる、と同時にある環境下においては脂肪酸の種類を選択する機構があり、血清由来の脂肪酸を修飾(伸張、不飽和化)する機構を保持しており、これらの機構により宿主の環境変化に適応していると考えられ、これを赤血球期マラリア原虫の寄生適応戦略と考えると非常に興味深い結果であるといえる。

今回得られた、熱帯熱マラリア原虫の細胞増殖における血清中脂肪酸に対する依存性や選択性に対する知見は、熱帯熱マラリア原虫の脂肪酸代謝の解明に大きく貢献するものであり、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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