学位論文要旨



No 120580
著者(漢字) 吉田,浩陽
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ヒロアキ
標題(和) アレノール含有大環状化合物の合成と構造及び性質
標題(洋) Synthesis,Structure,and Properties of Arenol-Containing Macrocycles
報告番号 120580
報告番号 甲20580
学位授与日 2005.05.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6080号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 和田,猛
内容要旨 要旨を表示する

緒言

天然物由来のフェノール類は,テルペン及びアルカロイドと並ぶ生理活性物質の1つであり,生体内で重要な生理作用を果たしている。この種々の機能を有する系を人工的に設計して構築することができれば,これまでにない新たな性質・機能の発現が期待できる。一方,当グループでは,ポリアレノールを効率良く合成することのできるタンデムクライゼン転位反応(Scheme 1)を開発している。本研究では,この反応を用いて大環状アレノールを合成し,その構造及び機能を検討した。また,環状アレノール分子の新規合成法の開発についても試みている。

実験と結果

アミドナフトール化合物によるアニオン認識(1)

従来一般的に用いられてきたアニオンレセプターは,アザクラウンやクリプタンドなどのポリアミンをプロトン化して得られるカチオン性の環状化合物であった。これに対して,中性条件下でのアニオン認識を目指して,水素結合によりアニオンを捕捉するホスト分子が近年開発されている。尿素ないしはチオ尿素,あるいはピロールが,水素結合ドナーとしてこれらのホスト分子に用いられている。ところが,フェノールを水素結合ドナーとして用いたアニオンレセプターはこれまでのところ報告例がない。そこで,タンデムクライゼン転位反応を用いて,アニオン認識能を有するフェノール化合物の構築を試みた。

ホスト化合物の開発

アリル基によりフェノール性水酸基を保護して基本骨格を構築した後,合成の最終ステップでタンデムクライゼン転位反応を行なって水酸基を発生させることにより,目的の大環状もしくは非環状ビスナフトール1を高収率で得ることができた(Scheme 2)。

アニオン認識挙動

化合物1にテトラエチルアンモニウムのフッ化物塩を添加したところ,緑色の蛍光を発することが認められた。種々のアニオンに対する化合物1aの挙動を蛍光分析法により調べたところ,Figure 1に示す結果が得られた。ハロゲン化物イオンの中ではフッ化物イオンを加えた時のみ極めて強い蛍光を発し,臭化物イオンやヨウ化物イオンに対してはほとんど応答を示さなかった。ハロゲン化物イオン以外のアニオンについても検討した結果,過塩素酸イオンに対しては応答しなかったが,リン酸二水素イオンや酢酸イオンについては比較的強い蛍光の発光が認められた。1bとフッ化物イオンの錯形成について蛍光光度法を用いて滴定を行なったところ,フッ化物イオンを包接して1:1会合体を形成していることが明らかとなった(Figure 2)。しかしながら,フッ化物イオンの当量が大過剰となる濃度では,プロトン移動に起因する更なる蛍光強度の増大が観測された。そこで,1の種々のアニオンに対する会合定数を求めたところ,1は著しいフッ化物イオン選択性を有していることが明らかとなった(Table 1)。非環状化合物1bが優れたフッ化物イオンを示すのは,1bが形成する空孔のサイズがフッ化物イオンに適しているのみならず,いわゆるinduced-fitを良好に実現しているためであると考えられる。以上のように,ナフトールを認識部位とするアニオンレセプターを開発することに成功した。また,このホスト分子は,アニオンの存在を視覚により簡単に確認することができる利点を有する。

環状ナフトール分子の立体制御(2)

ら旋構造ないしはねじれた構造を有する芳香族分子は,対称性の高い優れた不斉環境を与えることが期待されるが,これらの化合物は反応に利用することのできる官能基を有していないことが多く,実用性において難があった。そこで,フェノール性水酸基を官能基として有する大環状芳香族化合物を合成し,その性質について検討した。

環状ナフトール化合物の合成

酸塩化物6とジアミンとの環化反応により環状アミド7を得た後に,タンデムクライゼン転位反応を行ない,種々のキラルもしくはアキラルなリンカー部位を有する環状ビスナフトール8を合成した(Scheme 3)。

結晶構造解析

8b-fの単結晶のX線結晶構造解析を行なった。その結果,8dを除く全ての化合物は,対称性の高いねじれ構造を有していることがわかった(Figure 3)。これらの化合物は,エキソメチレンのC=C結合軸を通る2回対称軸を持ち,2つのナフタレン環は立体障害のために同一平面上に位置するコンホメーションを取ることができずに,C2軸を中心としたねじれた配置を取っていた。そのため,2つのフェノール性水酸基も互いにねじれた位置関係を取って空孔内部に張り出しており,アミドのカルボニル基と強固に水素結合を形成していた。ホモキラルなリンカー部位を有する8b, 8cおよび8eの結晶は,ナフタレン環のねじれの向きが一方向に固定されて,単一のジアステレオマーとなっていた。ねじれの方向は,リンカー部位の置換基の絶対配置によって決定されており,8b, 8cおよび8eのリンカー部位の置換基は全て同一の絶対配置を有していることから,ナフタレン部位のねじれの向きは全てMであった。アキラルな分子である8fもまた,キラルな分子である8b, 8cおよび8eと同様に,ナフタレン部位は互いにねじれたコンホメーションを取っていたが,8dは対称性の高いねじれ構造を有していなかった。これらの環状分子が形成する空孔の大きさは,15員環の8b, 8c,16員環の8f,17員環の8eともに長軸8.5 A,短軸約3.2 Aであり,結晶状態においては環員数にかかわらずほぼ一定であった。

溶液中での構造変化

CDスペクトル法を用いて,環状分子8の溶液中での構造について検討した。まず,タンデムクライゼン転位前と転位後での構造の違いについて,キラルなリンカー部位を有する7bおよび8bを用いて比較した(Figure 4)。転位前の7bでは,ナフタレン環に由来するコットン効果は観測されない。一方,転位後の8bでは,ナフトールの長軸方向の遷移による吸収波長で,大きなコットン効果が認められた。このことは,8bのキラリティーが,リンカー部位の不斉点により発現しているのではなく,ナフタレン環のねじれ構造によって発現していることを示している。転位前の化合物である7bにはコットン効果が観測されないことから,ナフタレン環がねじれ構造を形成するためには,タンデムクライゼン転位反応により生成されるビス(ヒドロキシナフトアミド)構造が重要な役割を果たしていると考えられる。次に,種々のリンカー部位を有する環状ビスナフトールのCDスペクトルを測定した(Figure 5)。8bと同様に15員環の分子である8cでは,8bとほぼ同じ強度のコットン効果が観測された。17員環の8eのスペクトルにおけるコットン効果は,15員環の8b, 8cと比較してかなり小さいものであった。これは,溶液中においては8eの環員数が大きいためにコンホメーションの自由度が大きくなり,ねじれ構造に寄与するナフタレン環の重なりが小さくなったことを示している。CDスペクトルのコットン効果の符号を基に,CD励起子キラリティー法から導かれた8b, 8c及び8eの絶対立体配置は,X線結晶構造解析により判明した結晶中における絶対立体配置と一致した。よって,8b, 8c及び8eは結晶状態ならびに溶液中で同一のねじれ構造を有していることがわかった。8cと同様の分子構造であるが,リンカー部位がメソ体である8dは,コットン効果を示さなかった。8bをリンカー部位で開環した構造を有する8gは,8bと異なり全くコットン効果を示さなかった。このことは,ねじれ構造を発現させるためには環構造が必要であり,CDスペクトルで観測されるコットン効果はリンカー部位に存在する不斉点に起因するものではなく,ナフタレン環のねじれ構造に由来することを明確に示している。

アキラルな環状分子8a及び8fは,NMRスペクトルにおいて温度の変化によるピークの線形変化が認められた(Figure 6)。X線結晶構造解析により,アキラルな8fも結晶中ではキラルな8bなどと同様のねじれ構造を有していることが明らかとなっている。したがって,NMRシグナルの線形変化は,ねじれ構造のflipping運動を反映しており,アキラルな8a及び8fは,キラルな8bなどと異なり極めて速い速度でねじれの反転が起こっているものと思われる。温度変化NMRの結果を基に,ねじれのflippingの活性化エネルギーを求めたところ,15員環の8aで16.2 kcalmol-1,16員環の8fで10.5 kcalmol-1であった。キラルな分子である8b, 8c及び8eについては,180 ℃まで昇温してもNMRスペクトルでピークの融合は観測されなかったことから,溶液中でキラルなねじれ構造を維持していると考えられる。以上のように,2つのナフタレン環から形成されるねじれ構造を見出し,そのキラリティーを制御することができた。

Figure 1. Fluorescence intensity dependence of 1a on anion species in CH3CN. [1a]=1x10-5 M, 10 eq. anion, excitation 296 nm. Δ/486=/486 10eq.anion-/0 486. Anions were added as Et4N salts except for dihydrogenphosphate and acetate as nBu4N salts.

Figure 2. Change in the fluorescence spectrum of lb upon addition of tetraethylammonium fluoride(a) and plot of emission intensity against the amount of fluoride (b) in CH3CN. [1b]=1x10-5 M, 100 eq.Et4NCIO4, excitation 296 nm.

Table 1. Association constants of 1 with anions a

Figure 3. X-ray structures of a)8b, b)8e, and C)8f. Solvent molecules are omitted for clarity.

Figure 4. CD and UV spectra of7b and 8b

Figure 5. CD spectra of 8c-g

Figure 6. Vt NMR spectra of 8a

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,重複Claisen転位を利用したアレノール含有大環状化合物の合成と構造及び性質に関する研究について述べたものであり,5章より構成されている。

第1章は序論であり,各種大環状化合物の性質と機能,それらの機能発現に寄与する非共有結合相互作用,重複Claisen転位を利用して構築されたアレノール含有大環状化合物の構造的特徴を述べるとともに,本研究の目的と意義を述べている。

第2章では,重複Claisen転位を利用して合成した大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)類の2つのアレノール性水酸基と2つのアミドプロトンが三次元的に配列している可能性に着目し,アニオンレセプターとしての大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)の合成とそのアニオン選択性について検討している。まず,三次元空間を極力小さくするため,ジオキシトリエチレン鎖をリンカーとするイソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)を重複Claisen転位を利用して合成している。次いで,この大環状化合物のアニオン識別能を調べ,ハロゲン化物イオンの内でもフッ化物イオンに対する選択的認識能を有していることを見出している。さらに,非環状類縁化合物との比較から,アニオン認識には環状構造が重要な役割を果たしていることを明らかにしている。また,アニオンとの錯形成によって観測される発光挙動の機構についても明らかにしている。

第3章では,アレノール含有大環状化合物に含まれる2つの水酸基の空間配置に非対称性を導入することによるキラル識別能の付与を試みている。即ち,光学活性ビス(テトラヒドロナフトール)を出発原料として用い,Claisen転位を利用して光学活性大環状ポリエーテルを合成している。さらに,この光学活性大環状化合物はD-アミノ酸塩を優先的に認識することを見出している。この識別能の発現は,環の内側にプロトン受容能を有するエーテル酸素とプロトン供与能を有するフェノール性水酸基を含む特異な構造に由来しており,エーテル酸素/アンモニウム基,フェノール性水酸基/カルボキシル基の相互作用に依存するとしている。

第4章では,大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)類では2つのアレノール性水酸基の立体反発によるねじれ構造が予想されるが,その存在の確認と固定を目指して,重複Claisen転位を利用してアキラルおよびキラルリンカーを有する大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)を合成している。次いで,それらのCDスペクトルを測定し,キラルリンカー部位を持つ大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)は,ナフタレン環の長軸のねじれに由来する強いCD吸収を示すことから,イソブテニレンジナフチル部位がねじれた構造であることを明らかにしている。さらに,アキラルリンカー部位を持つ大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)では比較的低い温度でもねじれの反転が起こるのに対し,キラルリンカー部位を持つ大環状イソブテニレンビス(ヒドロキシナフトエ酸アミド)では,キラルリンカー部位のキラリティーの影響が遠隔位まで達し,180℃という比較的高温までねじれの反転が起こらないことを見出している。また,X-線結晶構造解析の結果と合わせ,溶液中のねじれの絶対配置を決定するとともに,その絶対配置が結晶中でのねじれの絶対配置と同じことを明らかにしている。

第5章は本論文の総括であり,開発したアレノール含有大環状化合物の特徴と有用性を述べるとともに,今後の展望を述べている。

以上のように,重複Claisen転位を活用することにより各種アレノール含有大環状化合物を合成し,それらのフッ化物イオンの選択的認識,アミノ酸キラリティーの優先認識,ねじれ構造の固定などの機能・性質と構造的特徴を明らかにしている。これらの成果は,有機合成化学,ホスト・ゲスト化学,分子不斉化学の進展に寄与するところ大である。

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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