学位論文要旨



No 120585
著者(漢字) 都築,範明
著者(英字)
著者(カナ) ツヅキ,ノリアキ
標題(和) 火星探査用小型回転翼機に関する研究 : その実現可能性と回転翼空力特性
標題(洋) A Study on a Miniature Rotary-Wing Vehicle for Mars Exploration : Its Feasibility and Aerodynamic Characteristics of the Rotor
報告番号 120585
報告番号 甲20585
学位授与日 2005.06.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6081号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 教授 李家,賢一
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、火星探査ローバーと組になる小型回転翼機の実現可能性を、特に回転翼空力特性の観点から検討し、現状の技術で回転半径10-15 cm、飛行時間5分程度の機体が実現可能であることを示すものである。

1997年のSojounerに始まるローバー型惑星探査機は、特に火星地表探査において非常に大きな役割を果たしてきた。今後のローバー探査機に求められるのは、予想される探査領域の拡大に対応した、さらに円滑な探査活動と広い探査補償範囲であろう。しかしながら、現在の火星探査ローバーは地球からの遠隔操作に依存し(片道10分以上の交信)、また科学的価値の高い巨大クレーターや渓谷への探査には不向きであり、改善の余地が多く残されている。筆者は、その改善策として、ローバーを母船とする小型回転翼機の利用を提案してきた。すなわちローバーは、回転翼機の空撮を利用した周辺地形情報収集により自律的かつ安全に移動でき、また回転翼機は、ローバーに不向きな地域の空撮・サンプル収集等の役割を代行することができる(図1)。また、ホバー性能と優れた機動性を有する回転翼機は、移動するローバーという限られた領域での離着陸が十分可能である。

筆者は、このような回転翼機は積極的に小型化されることが望ましいと考えている。なぜなら、母船であるローバーへの収納性が向上すると同時に、打ち上げコスト低下や複数機による探査などの利点も期待できるからである。現在のローバーは1 mオーダー(O(1) m)サイズであり、回転翼機には少なくともそれ以下のサイズが要求される。しかしこの場合問題となるのは、火星の薄い大気(地球の約1%)と小型サイズのために回転翼周りのレイノルズ数(Re)が著しく低下する点である。一般に、Reの低下は翼性能低下(揚力の低下と抵抗の増加)を意味するからである。翼の高速回転化によってReをある程度増加させることはできるが、その場合火星の遅い音速(地球の約70%)に起因する早期の衝撃波発生によって翼性能をむしろ悪化させる懸念がある。翼性能が不十分であると、許容機体質量が現在の技術では実現困難なほど超軽量になる可能性があり、また、その軽量さゆえに、火星の強風によって機体が容易に吹き飛ばされる可能性も出てくる。

一方、回転翼の許容最小サイズは、地球上の様々なサイズの運動器官とReの関係(図2)に着目することで、大凡想定することができる。図2に示すように、運動器官にはReに応じた適切な形態があり、回転翼の場合はRe=1000の領域が最小領域、すなわち翼弦長O(1) mm、回転半径O(10) mmが最小サイズである可能性が大きいことが分かる(カエデなどの翼果はこの領域において自動回転により飛翔する)。従って、大気密度(ρ)が地球の1%である火星大気では、これよりサイズが大きく、翼弦O(10) mm、回転半径O(100) mmの回転翼がRe=1000を割らない最小サイズであると想定することができる。この翼サイズは、幸運にも、現在のローバーサイズに十分収まる程度である。しかし、Re=O(1000)における回転翼性能に関する知見は非常に乏しく、上記翼サイズの火星探査用小型回転翼機の実現可能性に関する明確な研究成果はこれまで示されていない。

火星用回転翼機を扱った研究例として、Meryland大のMARV、GeorgeaTech大のGTMARS、及びStanford大のMesicopterが挙げられる。MARV及びGTMARSは、ローバー探査とは切り離した大型回転翼機であり、ローバーの欠点を補うと共に回転翼機の長所も取り入れる本論文の趣旨とは異なる。また空力性能低下を避けるため、本研究に比べてReは一桁大きく設計されている。 Mesicopterは本研究と同程度の小型サイズを対象としているが、主に地球使用を目的とした微小飛行体(MAV)の製作に現在は力を注いでおり、火星探査機としての十分な実現可能性は示されていない。

本論文は、ローバーを母船とする、翼弦O(10) mm、回転半径O(100) mmの小型回転翼機の実現可能性を、主にRe=O(1000)の回転翼性能の観点から検討することを目的としている。

本論文では実現性の指標として、スケール則に基づいた「機体密度(β)」と「風抵抗に対する飛行強靭性(ζ)」の2変数を採用した。それぞれ、で定義される。ここに、Mvehicle:全機体質量、R:回転翼の回転半径、G:重力加速度である。βは、許容機体質量に対する指標であり、実際の回転翼機のβは機体サイズ(R)に拠らずほぼ一定の範囲(2.0-5.0×104 g/m3)に収まっているため(表1)、βをその範囲内で保障できるかが機体実現の鍵となる。保障されるβが小さいと、例えば、極端に痩せ細った構造や単位質量あたりのエネルギーが極端に高い電源が必要となる。ζは、火星の強風で機体が吹き飛ばされ易いか否かの指標である。実際の回転翼機のζは機体サイズ(R)の低下とともに小さくなるが、この傾向は最近の小型ホビー機が屋内専用であることからも妥当性が窺える(表1)。惑星探査機が屋内専用なのでは論外であり、如何にζを大きくできるかが機体実現の鍵となる。これら2変数は、厳密なシステム設計や試作機無しに実現性を定量的に議論できる、非常に有用な指標である。

筆者はまず、従来型の回転翼形状(大アスペクト比(AR)、流線形翼型、翼型静的失速角より小さくなるコレクティブピッチ角(θ0))及び現在の技術に基づいた概念設計を構築した。機体小型化の観点から同軸反転式の回転翼を設計し、翼素理論により予測した回転翼性能から機体の実現可能性を検討した(高Reで従来用いられてきた翼素理論は、低Reであっても、大きいARの場合、比較的良く実験と一致する)。

結果、許容最大βは、表1に示す値より1-2桁も小さくなり、現在の技術での実現性が非常に低いことが分かった。実現性向上のためβを増加させるには、回転翼性能の改善は不可欠であり、設計指針として下記事項が得られた。

・ARを従来型に比べて十分小さく(少なくとも10以下に)して翼面積を稼ぐ。

・ホバー性能無次元量 〓を増加させる。( :推力係数、 :トルク係数、 :ソリディティ)

一方で、ζは地球の大型回転翼機と同程度であり、風抵抗への飛行強靭性は十分大きいことが分かった。火星の薄い大気のために、同じ風速でも風圧が小さくなるためである。

最近の実験報告で、特に中程度AR(<10)において、低Re・大きいθ0での回転翼推力が翼素理論値を大きく上回る可能性が指摘されている。これは、上記設計指針に従ってARを小さくし、かつθ0を大きく設計すれば、先の概念設計における回転翼性能を改善できる可能性が十分にあることを示唆している。しかしその場合、翼性能を見積もるには、翼素理論はもはや不適切となる。そこで筆者は、中程度AR・広範囲のθ0(0-50 deg)での回転翼ホバー性能を実験的に取得し、まず、高推力現象の存在を示すと共に、翼形状の設計指針を示すこととした。次に、初期概念設計の翼形状から設計指針を満たす形状に変更した場合に期待できる回転翼性能を実験的に見積もり、実現性のあるβを保障できるのかを検討した。

実験用回転翼は数種類の形状があり、全て2枚の剛体翼からなる単回転翼である。市販のロードセルでは不向きな微小空気力を計測するため、推力計測には振り子式計測法を用いた。実験装置は、Re操作の簡便さと、必要であれば火星の薄い大気を模擬できる利点から、減圧容器内に設置した(図3)。

翼素理論と実験結果を比較すると(図4)、θ0が小さい場合は理論と実験値は比較的良い一致を見せるが、θ0の増加に伴い理論は実験値を大きく過小評価することが分かる。実験では、理論値が静的失速を示すθ0を超えても、推力が明確に上昇を続ける。

この高推力現象の流体力学的メカニズムを明確にするために、筆者は数値流体力学手法(CFD)を用いた回転翼周りの流れ場の可視化を行った。用いたCFDコードは劉(千葉大学)によって開発された3次元非定常Navier-Stokesソルバーである。結果、大きいθ0の回転翼面上に「翼前縁剥離渦(LEV)の3次元螺旋構造」を確認でき(図5)、固定翼では発生後すぐに流れ去る不安定な剥離渦が、回転翼面上に留まって大きな渦揚力を発生させていることが分かった。注目すべきは、剥離渦内を翼端外方向に流れる「半径方向流れ」である。2次元翼型回りの流れを仮定する翼素理論では考慮できない、この3次元流れが剥離渦の螺旋構造の形成と渦の安定化に寄与していると考えられる。

また、数種類の回転翼形状のホバー性能比較実験によって、下記の設計指針を得た。それらは、従来の翼形状とは著しく異なるものであった。

中程度AR、特にAR=5.5程度が最も望ましい。

静的失速角を越えた大きいθ0に設定し、渦揚力による高推力を利用する。

粘性抵抗の増大によって、捩り下げの効果は、高Reに比して著しく低下する。

主な翼型の指針として、1) 薄い翼厚、2) 適度な折り曲げ、3)10%前後のキャンバー比(最大位置は翼弦中央付近)、4) 翼上面の突起、などが得られた。

これらの指針に従った回転翼(AR=5.5、 トンボの前翅断面を摸倣した翼型)は(図6a,b)、確かに大きいθ0で優れたホバー性能を示す。

さらに、このトンボ摸倣回転翼の性能実験結果に基づけば、R=10 cm以上15 cm未満、飛行時間5分程度の機体が現在の技術で実現可能であることが分かった(最大βは、R=10 cmの場合2.8× 104 g/m3、R=15 cmの場合1.9× 104 g/m3)。この機体サイズ・飛行時間は、ローバーと組する機体としては妥当であろう。また、最大機体質量は、R=10 cmの場合28 g、R=15 cmの場合64 g程度で、近年のMEMS技術の守備範囲内である。さらに、最大翼端マッハ数も0.43程度であり衝撃波発生を十分抑えられる。

以上要するに、火星探査ローバーと組になる小型回転翼機の実現可能性を、特に回転翼空力特性の観点から検討し、現状の技術で回転半径10-15 cm、飛行時間5分程度の機体が実現可能であることを示した。

図1 複数機で火星大気を自由に飛翔する小型回転翼機の想像図(背景画像はNASAウェブサイトより)

図2 様々なサイズの運動器官とReの関係

表1 様々なサイズの回転翼機に対するβとζ

(ここでは4枚翼の回転翼を想定している。スケール則は相似形状を前提とするため、2枚翼の場合は、Mvehicleを実際の値の2倍と仮定して計算してある。)

図3 回転翼ホバー性能実験システムのスケッチ

図4 翼素理論と実験結果の推力比較

図5 CFDにより可視化された回転翼まわりの流れ(上:流線、下:圧力分布)

図6 トンボ前翅の代表断面(a)と、それを模擬したモデル回転翼(b)(aは文献Okamoto et al. “Aerodynamic Characteristics of the Wings and Body of a Dragonfly,” Journal of Experimental Biology, Vol.199, 1996, pp. 281-294 から引用)

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)都築範明提出の論文は「A Study on a Miniature Rotary-Wing Vehicle for Mars Exploration: Its Feasibility and Aerodynamic Characteristics of the Rotor」(火星探査用小型回転翼機に関する研究:その実現可能性と回転翼空力特性)と題し、4章及び付録2項から成っている。

固体惑星探査において、惑星表面を走行・探査するローバの有効性は、最近の火星探査において米国の探査機(Spirit、Opportunity)のもたらした成果からも明らかであるが、一方では、ローバの持つ自律機能の限界と共に、その操作性の限界も顕わになっている。この観点から、ローバの自律性の向上を図る必要があるが、本論文ではそのような方策のひとつとして、小型回転翼機を連携させることを提案し、さらに、そのような小型回転翼機の実現可能性を論じている。

第1章は、序論であり、惑星探査に用いられるローバのミッション、操作性などを概観すると共に、大気を有する惑星の探査において、ローバと連携して活動を行うロータ機の必要性を述べ、さらに、大気を有する惑星探査への応用を目指したロータ機を含む飛行体に関わる研究の現状を概観している。そのような現状を踏まえ、ここで提案する、大気を有する惑星、特に火星探査をローバと連携して行うロータ機の実現可能性の検討が必要であることが述べられる。一方で、その様な機体開発において、希薄な火星大気がもたらす困難さについて述べている。即ち、大気密度の低下に伴う回転翼推力の低下と共に、低レイノルズ数飛行環境での翼性能の低下である。

第2章では、そのようなロータ機の可能性を予備的に検討した結果を述べている。予備的な検討として、ロータの性能把握には翼素理論を用い、許容される機体質量の限界を導き、さらに、この限界内で機体を構成することの妥当性が検討されている。検討の指針として、機体構造として許容される質量については質量密度、および、火星大気中の自然風に対するロバスト性については風抵抗に対する飛行強靱性を採用している。ローバの大きさから規定される範囲内のロータ機サイズについての検討の結果、いずれの場合でも、機体の質量密度として、従来の機体で実現されているものより、小さなものしか許容されず、従来の技術で機体を実現するには、困難を伴うことを指摘している。さらに、これらの困難さを回避するため、ロータの空力性能(ホバー性能)の向上、即ち、ロータ推力係数等から構成されるホバー性能パラメータの増強が必要であるとしている。

第3章では、ホバー性能パラメータの増強を実現するための方策が議論されている。議論の端緒として、空気力学的には、いかにしてロータのホバー性能を確保するかが課題であるが、特に、小型ロータであることにも起因する低レイノルズ数飛行環境になるため、低レイノルズ数でも効率のよいロータが必要となり、しかも、このようなロータは、比較的低アスペクト比を有し、さらに、高ピッチ角で用いられることが予想されるとしている。

これに基づき、このような特殊環境でのホバー性能向上の検討のためには、翼素理論による方法では限界があることが述べられ、代わりに、実験的に探索する必要があるとし、減圧環境でのロータ推力の直接計測を行うこととしている。これにより、低レイノルズ数環境でのロータ推力の把握が可能となっている。直接計測では、ホバー性能向上を目指して比較的大きな取り付け角までのデータが取得されているが、実験結果は、翼素理論が成立する小取り付け角を超えた大取り付け角の範囲でロータのホバー性能がピークを取ることを示しており、さらに、この原因が安定した翼前縁剥離渦による高揚力にあることが、数値解析による流れの可視化などにより示される。

次に、さまざまな翼型、平面形を有するロータについて、ロータのホバー性能が吟味され、それらをまとめて、ロータのホバー性能向上の指針が示される。それらの指針に沿った翼型、平面形を持つロータの一例として、トンボのつばさの断面形状を模擬したロータを提案し、そのホバー性能を計測している。そのロータが示すホバー性能は、予備的に検討された機体のものと比較して十分大きく、その結果、現実的な質量を機体構成に割り当てることが可能となり、ロータ機の実現が可能であることが示されている。

第4章は結論であり、火星探査ローバと連携して活動する小型回転翼機の実現可能性を検討した結果、特にロータのホバー性能を向上させることにより、現状の技術において実現可能であることを結論している。

以上要するに、本論文は火星探査における小型回転翼機の実現可能性を検討し、そこで間題となる、低レイノルズ数飛行環境下でのホバー性能の増強についての方策を示すことにより、小型回転翼機の実現可能性を示しており、航空宇宙工学に貢献するところが大きいと認められる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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