学位論文要旨



No 120958
著者(漢字) 池田,和寛
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,カズヒロ
標題(和) 197AUメスバウアー分光による金混合原子価錯体及び金ナノクラスターにおける電子状態の研究
標題(洋) Study on the electronic states of gold mixed-valence complexes and gold nano-clusters by means of 197AU Mossbauer spectroscopy
報告番号 120958
報告番号 甲20958
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第661号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 下井,守
 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 助教授 松下,信之
 京都大学 助教授 瀬戸,誠
内容要旨 要旨を表示する

(序論)

原子が凝集した結果として、錯体やクラスターという形態があらわれる。ペロブスカイト型構造のハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)は常圧では分子性結晶の性格を持つ絶縁体であるが、数GPaの圧力下で混合原子価状態(AuI,AuIII)から単一原子価状態(AuII)へ原子価転移を起こし、金属相が現れる。単一原子価状態(AuII)では、正方晶と立方晶の2種類の金属相が存在するが、このうち立方晶金属相は準安定相として常温常圧下で取り出すことができる。このことは、AuI−AuIII間電荷移動遷移に相当する光照射によって混合原子価状態(AuI, AuIII)から単一原子価状態(AuII)に転移・凍結する可能性を示唆している。実際、Cs2[AuIBr2][AuIIIBr4]において、AuI−AuIII間電荷移動遷移に相当する光照射によって混合原子価状態(AuI, AuIII)から単一原子価状態(AuII)への光誘起相転移がラマン分光法により発見され、また、室温・真空中という条件の下で、Cs2[AuIBr2][AuIIIBr4]の光誘起原子価転移が光電子分光法により発見された。今後、ハロゲン架橋金混合原子価錯体を対象とした光誘起による混合原子価状態から単一原子価状態への光誘起相転移および絶縁体−金属転移の光スイッチング機能の系統的な研究が期待される。また、クラスターにおいては、金属と金属との凝集、それを取り囲む配位子が存在すればその結合による電子状態の変化がどのように現れるのかということは非常に興味深い。特に、金クラスターのように、古くから薬として用いられていたり、触媒や電子デバイスへの応用が考えられているものについては、1個の原子の違いが大きく性質を変化させる。そのため、クラスターを形成する原子数とその電子状態の理解は不可欠である。

本研究では、ペロブスカイト型へテロハロゲン金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)、層状ペロブスカイト型金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2](n = 7, 8)および金ナノ粒子を対象として197Auメスバウアー分光法を用い、Au電子状態およびAu間相互作用の系統的な研究を行なった。これは、錯体からクラスターまでを対象としたAu電子状態の包括的な研究である。Auメスバウアー分光法では、局所的な環境の違いを高い感度で知ることができるため、原子価状態や配位構造だけでなく、Au−配位子間およびAu−Au間相互作用まで詳細な知見を得ることができる。

(実験と結果)

本研究を遂行するにあたり、ハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4]のAu電子状態について詳細な知見を得ること、またAu電子状態を制御することを目的として、架橋ハロゲンを制御した新規混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4] (X, Y = Cl, Br, I, etc.)の開発を試み、合成法を確立することに成功した。

ハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIX4]の合成はこれまで、CsAuX4, Au, CsXを混合し高温で反応させる固相合成法で行なわれてきた。しかし、この方法では、AuIに配位したハロゲンとAuIIIに配位したハロゲンが異なる混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4]を合成することはできない。そこで、まずCs+, [AuIX2]-, [AuIIIX4]-を有機溶媒中で反応させることによりCs2[AuIX2][AuIIIX4]の合成をおこなった。この方法により、低温で、しかも効率的な合成が行えるようになった。

つぎに、目的とするヘテロハロゲン錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)の合成をCs+, [AuIX2]-, [AuIIIY4]-を有機溶媒中で反応させることにより成功した。

Cs2[AuIX2][AuIIIY4]におけるAuメスバウアースペクトルにおいて、XとYのどちらか一方を固定したとき、AuIの異性体シフトの著しい相違が挙げられる。Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)では、XをCl→Br→Iの順にしたとき,AuIの異性体シフトがおよそ1.0 mm/s増大する。ところが、Cs2[AuIX2][AuIIICl4](X = Cl, Br, I)ではXをCl→Br→Iの順にしてもAuIの異性体シフトは殆ど変化しない。AuI-AuIII間にはAuI(5dx2−y2) - AuIII(5dx2−y2)の軌道間およびAuI(5dz2) - AuIII(5dx2−y2)の軌道間に働く電荷移動相互作用がある。対称性の制約からAuI(5dx2−y2)にはAuI(6s)が混成しないが、AuI(5dz2)にはAuI(6s)が逆位相で強く混成する。従って、AuI(5dx2−y2) - AuIII(5dx2−y2)間の電荷移動相互作用が支配的であれば、5dx2−y2電子による6s電子の遮蔽が減少するためAuIの異性体シフトが増大する。AuIの異性体シフトの解析から、Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)ではAuI(5dx2−y2) - AuIII(5dx2−y2)軌道間の電荷移動相互作用が支配的と考えられる。これに対し、AuI(5dz2) - AuIII(5dx2−y2)間の電荷移動相互作用が支配的であれば、AuI(5dz2)と混成しているAuI(6s)電子密度が減少するため、AuIの異性体シフトは減少する。Cs2[AuIX2][AuIIICl4](X = Cl, Br, I)ではXがCl→Br→Iの順にAuI(5dz2) - AuIII(5dx2−y2)軌道間の電荷移動相互作用が増大し、AuI(5dx2−y2) - AuIII(5dx2−y2)軌道間の電荷移動相互作用によるAuIの異性体シフトの増大とAuI(5dz2) - AuIII(5dx2−y2)軌道間の電荷移動相互作用によるAuIの異性体シフトの減少が拮抗しているものと思われる。XのハロゲンをCl, Br, Iに固定し、それぞれについてYをCl→Br→Iと変化させた場合は、AuI異性体シフトは増大し、AuIとAuIII電子密度の差は劇的に小さくなる。即ち、この系では,AuI-AuIII間の電荷移動相互作用が2次元的であることが判明した。さらに、圧力下でのX線構造解析から、2次元的な電荷移動相互作用が原子価転移を導くということが明らかになった。

つぎに、電荷移動相互作用の次元性に注目し,構造2次元的に制御した層状ペロブスカイト型ハロゲン架橋金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2](n = 7, 8)のAuメスバウアー分光を行った。n = 7とn = 8の場合を比較すると、前者ではCs2[AuII2][AuIIII4]に近いAuIサイトとAuIIIサイトの異性体シフトの差が確認されたが、後者においてはその差は非常に小さく、前者の1/5程度の大きさである。このことから、n = 8においては、電荷移動相互作用が3次元ペロブスカイト型ハロゲン架橋混合原子価錯体よりも強く、この相互作用によりAuIサイトとAuIIIサイトの異性体シフトがAuII錯体の異性体シフトに極めて近くなっていることが明らかとなった。

次に、金ナノ錯体におけるAu電子状態をAuメスバウアー分光法により研究した。錯体から金粒子の凝集、そこから現れる金粒子は通常、魔法数とよばれる数で構成されることが多く、13、55、147などが知られる。金ナノ粒子と呼ばれるものは、およそ原子が数万個までのものであるが、小さなものになるにつれ、表面積の割合がおおきくなり、バルクでは金属的電子構造をもっていた金は、1750個程度以下から半導体的構造を持つことになる。 最近、グルタチオンによって保護された金ナノ粒子Au10(SG)10, Au15(SG)13, Au18(SG)14, Au22(SG)16, Au22(SG)17, Au25(SG)18, Au29(SG)20, Au33(SG)22, and Au39(SG)24.が分子研の佃らにより、非常に精密な個数制御をもって開発された。これらにおける金の数は、魔法数13と55をつなぐものとして非常に興味深い。しかし、この粒子の安定性とその構造についての詳細な知見が必要とされている。XPS、XRDによると、Au25(SG)18で最小のfcc構造を持ち、それ以下の金の数では結合が長くなっていることが知られている。197Auメスバウアー分光は局所的な金の環境を知ることができるため、構造やクラスターの性質を考える上で、有効な手段であるといえる。過去に行われた197Auメスバウアー分光によれば、Au55をはじめとした粒子の電子構造はコアをなすバルクに近い粒子と、その表面に分けられるということである。われわれは、上記グルタチオン保護金ナノ粒子のコアと表面の金の電子状態を197Auメスバウアー分光によって解析した。金原子を凝集させてゆくと魔法数13からコアができ始めることはよく知られていることから、15以上の金を持つクラスターにおいては、外側から数えて第2層目にあたるコアが3層目のコアのできる55までさまざまな形で存在することが予想される。これまでの実験から予測されることは、観測にかかるのはおもに表面のサイトの違いと、純金に近い電子状態を持つコアの部分の分離であった。しかし、本研究において、少なくとも上記SG保護金クラスターの範囲内では、第2層目、すなわちコアの金も保護に寄与しているグルタチオンのS原子の影響を大きく受けていることが明らかになった。図4に錯体的な極限のAu10(SG)10と、錯体とバルクとの遷移的な電子状態を持つAu39(SG)24のメスバウアースペクトルを示す。

図1.原子の凝集と錯体及びクラスターの形成

図2.XをCl, Br, Iに固定した場合(左)とYをCl, Br, Iに固定した場合(右)の異性体シフト

図3. (1) Cs2[AuII2][AuIIII4], (2) [NH3(CH2)7NH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2]

および(3) [NH3(CH2)8NH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2]の異性体シフト

図4. (a)Au10(SG)10と(b)Au39(SG)24のメスバウアースペクトル。

表面を代表する赤線で示される成分が、クラスターが大きくなることにより減少し、2層目の成分が台頭してくることがわかる

審査要旨 要旨を表示する

ペロブスカイト型遷移金属化合物は、強相関電子系に基づく高温超伝導、電荷秩序による金属・絶縁体転移など多彩な物性現象が発現する物質群として注目されている。

この中で、ペロブスカイト型構造のハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)は常圧では分子性結晶の性格を持つ絶縁体であるが、数GPaの圧力下で混合原子価状態(AuI,AuIII)から単一原子価状態(AuII)へ原子価転移を起こし、金属相が現れる。最近になり、Cs2[AuIBr2][AuIIIBr4]において、AuI−AuIII間電荷移動遷移に相当する光照射によって混合原子価状態(AuI,AuIII)から単一原子価状態(AuII)への光誘起相転移がラマン分光法により発見され、また、室温・真空中という条件の下で、Cs2[AuIBr2][AuIIIBr4]の光誘起原子価転移が光電子分光法により発見された。今後、ハロゲン架橋金混合原子価錯体を対象とした光誘起による混合原子価状態から単一原子価状態への光誘起相転移および絶縁体−金属転移の光スイッチング機能の系統的な研究が期待されている。また、金原子は硫黄原子と安定な配位結合を形成すことを利用して金表面をチオール基で保護した様々なサイズの金ナノ粒子の研究が活発に行なわれており、その詳細な電子状態の解明が期待されている。これらの物質におけるAu電子状態を調べるための197Auメスバウアー分光法は、局所的な環境の違いを高い感度で知ることができるため、原子価状態や配位構造だけでなく、Au−配位子間およびAu−Au間相互作用まで詳細な知見を得ることができる優れたプローブである。

本論文はこのような視座に立ち、ペロブスカイト型へテロハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)、層状ペロブスカイト型金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2](n=7.8)および金ナノ粒子を対象として197Auメスバウアー分光法を用い、Au電子状態およびAu間相互作用の系統的な研究を行なったものである。これは、錯体からクラスターまでを対象としたAu電子状態の包括的な研究であり、4章で構成されている。

第1章では、本研究の関連分野における重要性と位置づけについて述べている。

第2章では、ハロゲン架橋金混合原子価錯体のAu電子状態について詳細な知見を得ること、またAu電子状態を制御することを目的として、架橋ハロゲンを制御した新規混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4] (X, Y = Cl, Br, I, etc.)の開発を試み、合成法を確立することに成功している。ハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIX4]の合成はこれまで、CsAuX4, Au, CsXを混合し高温で反応させる固相合成法で行なわれてきた。しかし、この方法では、AuIに配位したハロゲンとAuIIIに配位したハロゲンが異なる混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X≠Y)を合成することはできない。そこで、まずCs+, [AuIX2]-, [AuIIIX4]-を有機溶媒中で反応させることによりCs2[AuIX2][AuIIIX4]の合成を行った。この合成法に基づき、新規ヘテロハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)をCs+, [AuIX2]-, [AuIIIY4]-を有機溶媒中で反応させることにより合成することに成功している。実際にヘテロハロゲン金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)が形成されていることを証明するため、Cs2[AuII2][AuIIIBr4]の単結晶を用いて、単結晶X線構造解析、ラマン分光法により証明している。実際、Cs2[AuII2][AuIIIBr4]のラマンスペクトルには、[AuII2]および[AuIIIBr4]の対称伸縮振動モードのスペクトルが現れるが、[AuIBr2]および[AuIIII4]の対称伸縮振動モードのスペクトルは現れていない。また、高圧下X線構造解析によりCs2[AuICl2][AuIIII4]が7 GPaで混合原子価状態(AuI, AuIII)から単一原子価状態(AuII)への圧力誘起原子価転移を見出しているが、Cs2[AuII2][AuIIII4]およびCs2[AuICl2][AuIIICl4]の圧力誘起原子価転移がそれぞれ5.5 GPaおよび12 GPaであることから、ab面内の2次元的な電荷移動相互作用が圧力誘起原子価転移を誘起していると結論している。

第3章では、ペロブスカイト型へテロハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2] [AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)、層状ペロブスカイト型金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2 [(AuII2) (AuIIII4)(I3)2](n=7.8)および粒子数を精密に制御した金ナノ粒子の197Auメスバウアースペクトルの解析を行い、Au電子状態およびAu間相互作用の系統的な研究を行なっている。

Cs2[AuIX2][AuIIIY4]におけるAuメスバウアースペクトルにおいて、XとYのどちらか一方を固定したとき、AuIの異性体シフトの著しい相違を見出している。Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)では、XをCl→Br→Iの順にしたとき,AuIの異性体シフトが著しく増大する。ところが、Cs2[AuIX2][AuIIICl4](X = Cl, Br, I)ではXをCl→Br→Iの順にしてもAuIの異性体シフトは殆ど変化しない。AuI-AuIII間にはAuI(5dx2-y2) - AuIII(5dx2-y2)の軌道間およびAuI(5dz2) - AuIII(5dx2-y2)の軌道間に働く電荷移動相互作用があり、対称性の制約からAuI(5dx2-y2)にはAuI(6s)が混じらないが、AuI(5dz2)にはAuI(6s)が逆位相で強く混じる。従って、AuI(5dx2-y2) - AuIII(5dx2-y2)間の電荷移動相互作用が支配的であれば、5dx2-y2電子による6s電子の遮蔽が減少するためAuIの異性体シフトが増大する。このような考察に基づいてAuIの異性体シフトの解析から、Cs2[AuIX2][AuIIIX4](X = Cl, Br, I)ではAuI(5dx2-y2) - AuIII(5dx2-y2)軌道間の電荷移動相互作用が支配的であると結論づけている。これに対し、AuI(5dz2) - AuIII(5dx2-y2)間の電荷移動相互作用が支配的であれば、AuI(5dz2)と混成しているAuI(6s)電子密度が減少するため、AuIの異性体シフトは減少する。Cs2[AuIX2][AuIIICl4](X = Cl, Br, I)ではXがCl→Br→Iの順にAuI(5dz2) - AuIII(5dx2-y2)軌道間の電荷移動相互作用が増大し、AuI(5dx2-y2) - AuIII(5dx2-y2)軌道間の電荷移動相互作用によるAuIの異性体シフトの増大とAuI(5dz2) - AuIII(5dx2-y2)軌道間の電荷移動相互作用によるAuIの異性体シフトの減少が拮抗しているものと結論づけている。Xを固定しYをCl→Br→Iと変化させた場合は、AuI異性体シフトは増大し、AuIとAuIII電子密度の差は劇的に小さくなることから、この系では,AuI-AuIII間の電荷移動相互作用が2次元的であることを結論づけている。

次に、電荷移動相互作用の次元性に注目し,構造を2次元的に制御した層状ペロブスカイト型ハロゲン架橋金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2](n=7.8)のAuメスバウアー分光を行っている。[NH3(CH2)7NH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2]と[NH3(CH2)8NH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2]を比較すると、前者ではCs2[AuII2][AuIIII4]に近いAu(I)サイトとAu(III)サイトの異性体シフトの差が確認されたが、後者においてはその差は非常に小さく、前者の1/5程度の大きさである。このことから、[NH3(CH2)8NH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2]においては、Au(I)−Au(III)間電荷移動相互作用が3次元ペロブスカイト型ハロゲン架橋混合原子価錯体よりも強く、この相互作用によりAu(I)サイトとAu(III)サイトの異性体シフトがAu(II)錯体の異性体シフトに極めて近くなっていると結論づけている。

次に、粒子数を精密に制御した金ナノ粒子におけるAu電子状態を197Auメスバウアー分光法により研究している。最近、グルタチオン(SG)によって保護された金ナノ粒子Au10(SG)10, Au15(SG)13, Au18(SG)14, Au22(SG)16, Au22(SG)17, Au25(SG)18, Au29(SG)20, Au33(SG)22, and Au39(SG)24.が非常に精密な個数制御をもって開発されている。これらにおけるAuの数は、魔法数13と55をつなぐものとして注目されているが、その構造と安定性および電子状態について詳細な知見が得られていない。本論文では、上記グルタチオン保護金ナノ粒子のコアと表面の金の電子状態を197Auメスバウアー分光によって解析している。金原子を凝集させてゆくと魔法数13からコアができ始めることはよく知られていることから、15以上の金を持つクラスターにおいては、外側から数えて第2層目にあたるコアが3層目のコアのできる55まで様々な形で存在することが予想される。本研究において、少なくとも上記グルタチオン保護金ナノ粒子の範囲内では、第2層目、すなわちコアの金も保護に寄与しているグルタチオンのS原子の影響を大きく受けていることを明らかにしている。

以上のように、ペロブスカイト型へテロハロゲン架橋金混合原子価錯体Cs2[AuIX2][AuIIIY4](X, Y = Cl, Br, I)、層状ペロブスカイト型金混合原子価錯体[NH3(CH2)nNH3]2[(AuII2)(AuIIII4)(I3)2](n=7.8)および金ナノクラスターを対象として197Auメスバウアー分光法を用い、Au電子状態およびAu間相互作用の系統的な研究を行なったものであり、錯体化学およびクラスター科学をはじめとする関連分野への貢献は多大なものがある。なお、本論文中の研究は、総ての章にわたって論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

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