No | 120971 | |
著者(漢字) | 饗場,行洋 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アイバ,ユキヒロ | |
標題(和) | 市場間相互作用の経済物理学 | |
標題(洋) | Econophysics on Interactions of Markets | |
報告番号 | 120971 | |
報告番号 | 甲20971 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4771号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究では,外国為替レート間の相互作用を,三角裁定という観点から解析,モデル化することによって,異なる市場間の相関を大まかに理解することに成功した.学位論文では,研究の背景を述べ,三角裁定とはなにかを説明し,三角裁定のマクロモデル,三角裁定のミクロモデルを順次導入する.それにより,外国為替市場における市場間相互作用の理解と定式化に大きく貢献した. 研究の背景 経済物理学とは,物理学で培われた研究手法を,経済現象および金融現象に応用する学問である.経済物理学(Econophysics)という名称ができたのは1997年のことであり,非常に若い分野であると言える.実は,自然科学で得られた知見を経済・金融現象に応用しようという試みは古くから行われてきた.例えば,経済学において,需要と供給が一致する点で価格が安定するという主張は,古典力学におけるバネの運動からの類推である.また,金融工学の根幹をなしているブラック・ショールズ理論は,ブラウン運動の理論の応用に他ならない.では,経済物理学の特色とは何か.それは,近年の自然科学の成果である相転移,自己組織化臨界現象,フラクタルやカオスといった新しい概念を用いて,経済・金融現象を研究するところにある.これらの新たな概念を通して経済・金融現象を眺めることにより,多くの発見がなされ,経済物理学の研究は世界中で盛んに行われている.そのような中で,我々は特に外国為替市場に注目して研究を行っている.我々の目的は,外国為替レート間の相互作用の存在を定量的に実証し,その相互作用のメカニズムを直感的に理解することにある. 三角裁定取引とは 三角裁定取引とは以下のような三つの外国為替レートを利用して,利益を上げる取引である.いま,1円をドルに両替して,そのドルをユーロに両替して,そのユーロを円に両替したとする.このとき手許にある円をμ円とすると,このμは以下のように計算できる. ここで, である.このμをレート積と呼ぶ.レート積μが1よりも大きければ上記の取引で利益が出る.これが三角裁定取引である.三角裁定取引で利益が出る機会を三角裁定機会と呼ぶ.レート積μが1よりも小さときは逆方向(円→ユーロ→ドル→円)の三角裁定機会である. 三角裁定機会が発生すると,三角裁定取引が実行されるため,レート積μは1に近付く.しかし各々の為替レートが激しく変動しているため,1に収束してしまうことはなく,1のまわりで揺らぐ.その結果,レート積μはガウス分布より裾野の広い分布になる.つまり各々の為替レートは独自に変動しつつも,他の為替レートから影響を受ける.その影響はレート積を1に近付ける方向の影響である. なお,実際のレート積は1よりも少し小さい値のまわりで揺らぐ.これは実際の取引には売値と買値の間に差があることが原因である. 三角裁定のマクロモデル 我々は,為替レート間の相互作用を理解するために,まず確率過程モデルを構築した.このモデルは現象論的であるため,マクロモデルと呼ぶことにする.マクロモデルの基本方程式は,各々のレートの対数の時間発展方程式である: ここで,Tはモデルの時間スケールに依存する時間ステップであり,νはレート積の対数である.このνをログレート積と呼ぶ.右辺第三項が相互作用の項である.kは相互作用の強さを表す正の定数であり,〈・〉は時間平均を表す.このモデルは各レートを粒子の位置としてとらえると,三つの粒子がノイズηxで揺らいでいて,三つの粒子の重心に調和振動子形の復元力が働いている状態を記述している(図1). マクロモデルでは,ノイズηxが切断レビ過程であると仮定することにより,全てのパラメータを実データから見積もることができる.その結果,モデルはログレート積の振舞いをよく再現する(図2).相互作用の関数を線形近似した結果,ログレート積がその平均に近いところで特に一致がいい. このモデルからいえることは,各々のレートが激しく変動する効果と,三角裁定取引がレート積を収束させる効果の競合の結果,レート積の分布の裾野が広くなり,それゆえ裁定機会が発生するということである. 三角裁定のミクロモデル 次に我々は,各々の市場参加者に着目した,ミクロな三角裁定のモデルを導入する.具体的には,まず,価格変動のベキ分布をよく再現する佐藤・高安のディーラモデルを2つ用意する.それらの間に適切な相互作用を規定することにより,三角裁定による相関を再現する.注目している実際の為替レートが3つあるにもかかわらず,ディーラーモデルを2つしか用意しないのは,3つの為替レートのうちの2つを,有効的に1つの為替レートと見なせるからである.つまり,例えば円ドルレートとドルユーロレートを合成して,有効的な円ユーロレートと見なせるからである. 佐藤・高安のディーラーモデル このモデルは,価格空間に希望取引価格を持つN人のディーラーを用意し,それらが,値引き交渉のように,売れるまで言い値を下げる,または買えるまで言い値を上げるというモデルである.それぞれのディーラーの希望買値と売値の差は,ディーラーに依らず一定(Λ)とし,時々刻々どれだけ言い値を変化させるかは,初期値として一様乱数[0,α)であたえる.各々のディーラーは売れるまで売り手,買えるまで買い手であり,売買に参加できたあとは,売り手は買い手に,買い手は売り手に変わるとする.全てのディーラーが,直近の価格変化に係数c>0で反応するとする.そうすると,cがある程度以上大きくなったとき,このモデルは価格変動のベキ分布をよく再現する. 三角裁定のミクロモデル 上記の佐藤・高安のディーラーモデルを2つ用意し(市場Xと市場Y),適切に相互作用させることによって,為替レート間相関の現実的な振舞を再現できる(図3,4).具体的には,市場Xのディーラーが市場Yのディーラーと言い値の比較をし,言い値が一致すれば取引がおこるようにするのである(図3). 結論 以上のように,我々はまず,三角裁定機会の存在を紹介した.次に,三角裁定に起因する相互作用を,現象論的にモデル化し,その現象の大まかな理解に成功した.さらに,各々の市場参加者に着目したミクロなモデルによって三角裁定の効果を再現した.ミクロモデルのパラメータと現実のデータとの比較,マクロモデルとの類推から,市場間相互作用においては時間スケールが非常に重要な役割を担うことが明らかになった. 図1:マクロモデルの概念図.3つのランダムウォーカーの重心に復元力が働いている. 図2:ログレート積νの確率分布.丸印(○)は実際の市場のデータを表し,実線はマクロモデルによるシミュレーションの結果を表す.マクロモデルは現実のデータをよく再現している. 図3:三角裁定のミクロモデルの概念図.簡単のために各市場X,Yに2人づつしかディーラーのいない状況を描いている.黒丸は最良の買値を,灰丸は最良の売値を表す.(a)の状況では希望取引価格が一致しないため,取引はおこらない.(b)の状況では,市場Xにおいて売値と買値が一致したため,取引が成立し,価格が更新される.(c)の状況では市場Xの売り手と市場Yの買い手との間に取引が成立する(裁定取引).この裁定取引により,二つの市場は相互作用する. 図4:ミクロモデルから計算したログレート積δの確率分布.実線は図2に対応している.マクロモデルでは再現できなかった,現実のデータの歪度をも再現できている. | |
審査要旨 | 本論文は5章よりなり、第1章はイントロダクションであり、経済物理学が概説されている。第2章では本研究の焦点である、外国為替市場における三角裁定取引が説明されている。第3と第4章で本研究の成果である、三角裁定取引に対する' マクロモデル'と'ミマクロモデル'とが提起、解析され、市場間相互作用の重要性に関する論考がなされている。第5章はそのまとめである。 最近、経済・金融現象を、統計物理学の研究手法を用いて研究する学問が盛んに進められている。経済物理学(Econophysics)とよばれるもので、例えば、外国為替市場における為替レートについて言えば、その変動(ゆらぎ)がどのような特徴的な分布を示すかがまず解析され、続いて、その分布および変動の詳細が、多数の市場参加者の売買行為から生ずるメカニズム(多体系の非線形ダイナミックス)を明らかにしようとする研究が展開されている。本論文では、三角裁定取引とよばれる、次のような'現象'が取り上げられている。いま、1円をドルに両替し、そのドルをユーロに両替し、そのユーロを円に両替したときの円がμ円であったとすると、μは対応する三つの為替レートの積で与えられ、μ>1であれば、この三角裁定取引で利益を得る。利益が得られることが分かれば、市場参加者の多くはこの取引を進めようとし、その結果為替レートが変動する。本論文提出者はこれを異なる市場間の相互作用と捉え、それを定式化する新しいモデルを提起し、ログレート積とよばれるμの対数νに関して、モデルの解析結果と現実の市場間で見られる実データとの比較を行っている。 第3章では三角裁定取引の'マクロモデル'の提起と解析がなされている。ここで'マクロ'とは、多数の市場参加者の売買行為まで立ち入らず、三つの為替レートriを変数とするモデルを意味する。具体的には、各lnriは互いに独立なノイズと(切断レビ過程とする)、ログレート積νをその時間平均値<ν>に戻そうとする、ν-<ν>に比例する作用の下で時間発展するとする。後者は、lnriをある粒子の位置座標と見なせば、三つの粒子の重心に調和振動子型の復元力が働いているモデルとなる。 そのばね定数kや<ν>を含めて、モデル中のすべてのパラメータは実データから見積もることができる。それを代入したモデルを主に数値的に解いた結果が実データkの振舞いを良く再現することが確かめられた。特に、為替市場間に相互作用がない(k=0)とした場合、νの時間発展は各lnriと同様なランダムな変動を見せるが、実データから見積もられたk値を用いた場合、νの分布P(ν)が<ν>で鋭いピークを示すとともに、比較的大きい|ν-<ν>|の領域では減少がゆっくりであること、また、為替レート間相互作用を反映して、各lnriの自己相関関数は短い時間スケールで負の相関を示すことが検証されている。 第4章では三角裁定の'ミクロモデル'が論じられている。多数(N人)のディーラーの売買行為まで立ち入って、一つの市場の価格変動を解析した研究は既にいくつかなされているが、その一つに次のような佐藤・高安モデルがある。各ディーラーは希望取引価格を用意し(売値と買値の差は全て一定値Aをとり、売値の初期値は一様乱数[0,α)とする)、売り手のディーラーは売れるまで言い値を下げ、買い手のディーラーは買えるまで言い値を上げ、ディーラーの中で前者の最低値が後者の最高値を下回ったとき、取引が成立、両者の平均値が新しい価格となり、その売り手(買い手)は以後買い手(売り手)に転じる。本論文では、この一市場に対するモデルを、三角裁定を簡単化した二市場に対するモデルへ拡張されている。すなわち、円・ユーロ為替市場とドルの売り買いを通した有効円・ユーロ為替市場を設定し、二つの市場内にそれぞれ佐藤・高安モデルを適用すると同時に、二つの市場間でも売り手の最低値と買い手の最高値の間で取引成立を許し、後者を、市場間相互作用のミクロ過程と見なす。これが、本論文で提起された三角裁定の'ミクロモデル'である。パラメータNやα/Aなどの値を変えた数値解析を詳細に行った結果、このモデルが実データνの振舞いをよく再現すること、特に、分布P(ν)が変数ν-<ν>に対して非対称であることが検証された(マクロモデルではこれは再現されない)。更に、このミクロモデルから算出されるばね定数kが、実データから求められるkと同様に、取引成立間隔を変数としたとき指数関数型になることも確かめらている。 本研究の意義は、三角裁定取引を取り上げ、それに対する新しいモデルを提起、解析することにより、為替レート変動に働く市場間相互作用の重要性を明らかにしたことにある。複数の市場を考え、その間の相関について考察を行った研究は経済物理学としては本研究が初めてであり、論文提出者の着眼のよさは高く評価される。ミクロモデルについては、実データとの比較において、例えば、取引成立間隔とばね定数の関係に関して定量的な問題が残されているが、マクロモデルも含めて、モデル結果としてのログレート積νの大まかな振舞いは、対応する実データの振舞いをよく再現しており、満足のいく結果であると言える。 なお、第3章で述べられているマクロモデルに関する成果は、雑誌PhysicaAに3報、本“The Application of Econophysics”ed.H. Takayasuに分筆1報がすでに出版されている。 本論文中の第3、4章の一部は、羽多野直道氏、および、高安秀樹氏との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって分析を行ったもので、論文提出者の寄与は十分であると判断する。よって本論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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