学位論文要旨



No 121285
著者(漢字) 田中,寛繁
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロシゲ
標題(和) カタクチイワシを中心とした小型浮魚類の摂餌生態の比較研究
標題(洋)
報告番号 121285
報告番号 甲21285
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2998号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

カタクチイワシをはじめとしたプランクトン食性の小型浮魚類では大規模な資源量変動が繰り返されている。この機構解明に向けて今まで様々な生態学的研究がなされてきたが、その殆どが単一種のみの生態を扱ったものであった。しかしながら、資源の豊凶期には魚種ごとにずれがあり、特にマイワシとカタクチイワシの間では顕著な魚種交替現象が日本のみならず世界の各海域で確認されていることからも、種間関係の重要性が示唆される。しかし、今までに特に浮魚類において複数魚種の種間関係を考慮した生態学的研究例は殆どない。本研究では種間関係において最も基本的かつ重要な知見となる摂餌生態について、同時期・同海域で得られた複数魚種間での比較検討を行った。

また、小型浮魚類のうちカタクチイワシやマイワシは、特に資源高水準期において沿岸から沖合まで幅広い分布域を持つことが知られており、カタクチイワシにおいては成長や成熟といった生態学的特性も沿岸と沖合の間で異なることが知られている。海洋生態系において小型浮魚類は低次生産者と高次捕食者を結びつける鍵種として着目されるが、沿岸と沖合では生態系の構造に差異があると考えられるため、カタクチイワシにおいては物質循環などを含め栄養生態や生態的地位に海域間で差異があることが推察される。

本研究では小型浮魚類の摂餌生態・栄養生態について、とりわけ近年資源水準の高いカタクチイワシを中心に、魚種間比較と海域比較という二つの観点からの解析を行った。

九州北西岸におけるカタクチイワシを中心とした生物群集の摂餌生態の比較

2001年から2003年の夏季(8, 9月)において、九州北西岸の主な浮魚資源である、カタクチイワシ、ウルメイワシ、マアジの摂餌生態を比較した。また、九州西岸沖で大きなバイオマスを持つことが知られる中深層マイクロネクトンについて、夜間における表中層での摂餌生態を浮魚類と比較し、両者の潜在的な競合関係について検討した。

3種の浮魚類においては同様の体サイズ(被鱗体長80-140 mm)において、いずれもカラヌス目カイアシ類が重要な餌生物であったが、カタクチイワシではそれらと同等あるいはそれ以上に小型のポエキロストム目オンケア属のカイアシ類が重要な餌であることが明らかとなった。この傾向は3種が同時採集されたサンプルからも確認された。鰓耙構造を比較したところ、カタクチイワシは3種の中で最も細かく発達した鰓耙を持っており、また鰓耙間隔と主要な餌のサイズ(0.2-0.4mm)は非常に近かった。一方、ウルメイワシとマアジでは鰓耙間隔と餌サイズの差がカタクチイワシに比べて大きかった。ゆえに魚種間の餌の違いはそれぞれの摂餌行動に対応していると推察され、カタクチイワシでは濾過摂餌(filter-feeding)により比較的小型の餌を摂餌しており、ウルメイワシとマアジでは主についばみ摂餌(particulate-feeding)を行って、より大型の餌を選択的に摂餌していると思われる。

中深層マイクロネクトンのうち、サガミハダカ、ヒロハダカ、ヒサハダカは主にカイアシ類やオキアミ類、端脚類、十脚類の幼生などの甲殻類動物プランクトンを摂餌していた他、尾虫綱やタリア綱などのゼラチン質動物プランクトンも摂餌しており、主にカイアシ類を摂餌する浮魚類に比べて広い餌のニッチ幅を持つ傾向が明らかとなった。また、アラハダカ、ゴコウハダカの胃内容物からは特にゼラチン質動物プランクトンが多く出現し、この2種と浮魚類の餌の類似度は極めて低かった。これらのことから浮魚類とマイクロネクトンの間にはニッチの差異が認められ、マイクロネクトンが摂餌を通して小型浮魚類の餌利用度に与える影響は小さいと考えられる。

同所分布するカタクチイワシ・マイワシの摂餌生態の比較

魚種交替現象で知られるカタクチイワシ、マイワシの摂餌生態について、同一環境(相模湾・東日本沖合域)で得られた両種の胃内容物と摂餌器官を調べることにより比較検討した。

2004年1月に相模湾シラス漁場で採集された、カタクチイワシ(被鱗体長41.6(平均)±1.74(標準偏差)mm)、マイワシ(32.9±1.06 mm)稚魚では両種ともに主にカラヌス目カイアシ類を摂餌していたが、マイワシに比べてカタクチイワシのほうがより大きいサイズの餌を摂餌していた。また同年3月に採集された稚魚(カタクチイワシ:49.1±5.72 mm; マイワシ:44.4±1.95 mm)では両種ともにポエキロストム目コリケウス属のカイアシ類を主に摂餌しており、餌サイズの組成はカタクチイワシのほうがやや大きめの餌に偏っていたが概ね類似していた。魚種間の餌サイズの違いは主に口のサイズなど摂餌器官の大きさと対応していた。

2005年8月に東日本沖合で得られた両種の未成魚(被鱗体長 68-106 mm)の胃内容物には同じ体サイズで比べても両種間で明確な違いがあり、カタクチイワシからは主に小型のカイアシ類が出現したのに対し、マイワシからは多量の甲殻類の卵が出現した。この卵は時期、海域、卵サイズよりオキアミ類の卵であると推察された。また、オキアミ類の成体はカタクチイワシの胃内容物で出現したのに対し、マイワシの胃内容物では出現しなかった。両種ともに胃内容物から植物プランクトンは出現しなかった。マイワシにおける卵の大量摂餌は、gulping(ひとまとめのみ)を行うマイワシの口の構造などに由来するものと考えられる。一方、両種の炭素・窒素安定同位体比の値は各サンプルにおいて近い値であったことから、カタクチイワシとマイワシでは比較的ニッチは近いものの、特に未成魚期以降ではそれぞれの摂餌器官が発達、特化するため、餌環境によっては異なる摂餌を行う場合があることが考えられる。

カタクチイワシ栄養生態の海域比較

カタクチイワシの栄養生態について、相模湾(2001年7月; 2004年3, 6, 9月; 2005年7, 8月)、東京湾(2004年7月)、若狭湾(1999年11月; 2000年 2, 3, 4, 6月)、九州北西岸(2001~2003年の8, 9月)、東日本沖合(2004年9月; 2005年8月)で得られた主に未成魚・成魚から、筋肉組織の炭素・窒素安定同位体比(・13C, ・15N)を比較することにより検討した。

・13C, ・15Nともに、海域間で大きな差異が見られた。東日本沖合で得られた個体では低い値を示しており(・13C < 約-19‰, ・15N < 約10‰)、相模湾、東京湾、九州北西岸など比較的沿岸域で得られた個体の一部では高い値を示した(・13C > 約-17‰, ・15N > 約12‰)。その他の個体では両者の中間付近の値であった。また、既往の知見と比較したところ、黒潮続流域や黒潮親潮移行域など沖合域のものは本研究で得られた東日本沖合の低い値に、大阪湾や広島湾など内湾域のものは本研究の相模湾などの高い値に近かった。以上のことから、それぞれの回遊履歴は不明であるものの、カタクチイワシの炭素・窒素安定同位体比には、高い値がより沿岸域のものから、低い値がより沖合域のものから得られるという傾向が見られた。各海域で採集されたカタクチイワシの胃内容物は殆どがカイアシ類であったが、東京湾や相模湾など沿岸域で採集されたものからは十脚類や貝類の幼生が比較的多く出現した。また、東京湾の胃内容物の安定同位体比は他海域のものに比べて高かった。一方、東日本沖合域の胃内容物からはこれらの幼生は殆ど出現せず、安定同位体比は低かった。沿岸においては十脚類や貝類のような底生生物由来の炭素や窒素が幼生などを通じてカタクチイワシに運ばれている可能性があり、沿岸で成育するカタクチイワシは漂泳性の食物網に加えてより底生性の食物網との関わりが強い可能性が示唆された。

飼育実験によるカタクチイワシ炭素・窒素安定同位体比の回転率の測定

カタクチイワシの安定同位体比の結果を考察する上で基本的な情報である回転率(半減期)および濃縮係数を求めることを目的として、成魚と未成魚について飼育実験を行った。

実験1.2004年9月より、成魚(飼育開始時の平均被鱗体長:111.9 mm, 平均体重:9.4 g)を2つの水槽で飼育し、まず44日間いわし用配合飼料(・13C = -22.0‰, ・15N = 8.3‰, 体重の2.5%/日)を与えて飼育した後、片方の水槽では餌をオキアミ(・13C = -22.9‰, ・15N = 5.0‰, 体重の4.7%/日)に切り替えて63日間飼育した(実験群)。もう片方の水槽ではいわし用配合飼料を与え続け、合計184日間飼育した(対照群)。飼育期間中、適当な日数を置いて健康個体を3~5個体取上げ、筋肉組織と肝臓組織について脱脂処理後、・13C, ・15Nを測定して値の推移を確認した。筋肉組織は実験群、対照群ともに値のばらつきが大きく(・13C:-18~-14‰; ・15N:10~16‰付近)、また明確な値の変化は確認されなかった。一方肝臓組織では値の変化が観察され、指数関数モデルによって半減期(実験群・13C: 21.1日; ・15N: 21.5日; 対照群・13C: 37.8日; ・15N: 31.8日)と濃縮係数(実験群・13C: +3.7‰; ・15N: +3.5‰; 対照群・13C: +4.2‰; ・15N: +2.6‰)が推定された。

実験2.上記の実験では筋肉組織に明確な値の変化が見られなかったので、2005年7月から、成魚に比べて成長の速い未成魚(飼育開始時の平均被鱗体長: 76.1 mm, 平均体重: 3.8g)を対象として実験を行った。まず、いわし用配合飼料(・13C = -21.7‰, ・15N = 8.0‰, 体重の4.9%/日)を与え49日間飼育した後、ひらめ用配合飼料(・13C = -18.6‰, ・15N = 11.3‰, 体重の8.8%/日)に切り替え、53日間飼育した。実験1と同様に供試魚を採取し、・13C, ・15Nを測定した。筋肉組織は飼育開始約2週間で・13C, ・15Nともに変化を示したが、その後変化は見られなかった。また餌を切り替えた後も変化はなく、ほぼ一定のままであった。肝臓組織は飼育開始時から餌を切り替えるまでの間、・15Nに明確な変化が見られた(半減期: 4.9日; 濃縮係数: +2.4‰)。・13Cに関しては初期値との変化が殆ど見られなかったが、餌との値の差は約4‰であり、同じ餌を与えた成魚対照群の濃縮係数と近かった。餌を切り替えた後は・13C、・15Nともに極めて速やかに値が変化した。値のばらつきは大きかったが半減期は・13Cで0.9日、・15Nで0.3日、濃縮係数は・13Cで+2.1‰、・15Nで+0.7‰と推定された。

筋肉組織では未成魚期以降の安定同位体比の回転率が非常に低かった。筋肉組織の回転率はおそらく体成長と密接に関わっており、寿命、最大体長ともに小さいカタクチイワシにおいては未成魚期以降の成長率が小さくなることと関連していると考えられる。また、肝臓組織の回転率は比較的高かったが、半減期および濃縮係数は餌の質および量などによって変化すると推察される。

野外における魚種間の比較から、同一環境に生息する浮魚類やマイクロネクトンが魚種ごとに餌環境に対して異なる摂餌の応答を示すことが明らかになった。この違いは魚種ごとの摂餌器官や、それに関連した摂餌行動の違いなどによるものと考えられる。また、海域間で差異が認められたカタクチイワシの安定同位体比は、過去の摂餌履歴を長く保持していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究ではカタクチイワシを中心に小型浮魚類の摂餌生態・栄養生態について、胃内容物調査と炭素窒素安定同位体比分析により、魚種間比較と海域比較という二つの観点からの解析を行った。

九州北西岸におけるカタクチイワシを中心とした生物群集の摂餌生態の比較

2001年から2003年の夏季において、九州北西岸のカタクチイワシ、ウルメイワシ、マアジの摂餌生態を比較した。また、中深層魚類マイクロネクトンの夜間における表中層での摂餌生態を浮魚類と比較し、両者の潜在的な競合関係について検討した。3種の浮魚類においてはいずれもカラヌス目カイアシ類が重要な餌生物であったが、カタクチイワシではそれらと同等あるいはそれ以上に小型のポエキロストム目オンケア属のカイアシ類が重要な餌であることが明らかとなった。餌サイズと鰓耙構造を比較した結果、魚種間の餌の違いはそれぞれの摂餌行動に対応していると推察された。中深層魚類マイクロネクトンは甲殻類動物プランクトンのほかゼラチン質動物プランクトンも摂餌しており、浮魚類に比べて餌ニッチ幅は広かった。浮魚類とマイクロネクトンの間にはニッチの差異が認められ、マイクロネクトンが摂餌を通して小型浮魚類の餌利用度に与える影響は小さいことがわかった。

同所分布するカタクチイワシ・マイワシの摂餌生態の比較

カタクチイワシとマイワシの摂餌生態について、同一環境(相模湾・東日本沖合域)で得られた両種の胃内容物と摂餌器官を調べることにより比較検討した。相模湾のカタクチイワシとマイワシ稚魚では両種ともにカラヌス目カイアシ類やポエキロストム目コリケウス属のカイアシ類を主に摂餌しており、概ね類似していた。一方、東日本沖合で得られた両種の未成魚の胃内容物には両種間で明確な違いがあり、カタクチイワシからは主に小型のカイアシ類が出現したのに対し、マイワシからは多量の甲殻類の卵が出現した。両種ともに胃内容物から植物プランクトンは出現しなかった。未成魚期以降ではそれぞれの摂餌器官が発達、特化するため、餌環境によっては異なる摂餌を行う場合がありうるが、両種の炭素・窒素安定同位体比の値は近い値であったことから、カタクチイワシとマイワシでは比較的ニッチは近いことが示唆された。

カタクチイワシ栄養生態の海域比較

カタクチイワシの栄養生態について、相模湾、東京湾、若狭湾、九州北西岸、東日本沖合で得られた未成魚・成魚の筋肉組織の炭素・窒素安定同位体比(・13C, ・15N)を比較した結果、・13C, ・15Nともに、海域間で大きな差異が見られた。東日本沖合で得られた個体では低い値を示しており、相模湾、東京湾、九州北西岸など比較的沿岸域で得られた個体の一部では高い値を示した。その他の個体では両者の中間付近の値であった。カタクチイワシの炭素・窒素安定同位体比には、高い値がより沿岸域のものから、低い値がより沖合域のものから得られるという傾向が見られた。沿岸においては十脚類や貝類のような底生生物由来の炭素や窒素が幼生などを通じてカタクチイワシに運ばれている可能性があり、沿岸で成育するカタクチイワシは漂泳性の食物網に加えてより底生性の食物網との関わりが強い可能性が示唆された。

飼育実験によるカタクチイワシ炭素・窒素安定同位体比の回転率の測定

カタクチイワシの安定同位体比の回転率および濃縮係数を求めることを目的として、成魚と未成魚について飼育実験を行った。いわし用配合飼料を与えて飼育した後、餌をオキアミあるいはひらめ用配合飼料に切り替え、筋肉組織と肝臓組織について、・13C, ・15N値の推移を確認した。筋肉組織は明確な値の変化は確認されなかった。一方、肝臓組織では餌を切り替えた後は・13C、・15Nともに極めて速やかに値が変化した。筋肉組織の回転率はおそらく体成長と密接に関わっており、寿命、最大体長ともに小さいカタクチイワシにおいては未成魚期以降の成長率が小さくなると考えられる。また、肝臓組織の回転率は比較的高かったが、半減期および濃縮係数は餌の質および量などによって変化すると推察される。

本研究では、野外における魚種間の比較から、同一環境に生息する浮魚類やマイクロネクトンは魚種ごとの摂餌器官や摂餌行動の違いにより魚種ごとに餌環境に対して異なる摂餌の応答を示すことが明らかになった。また、海域間で差異が認められたカタクチイワシの安定同位体比は過去の摂餌履歴を長く保持しており、回遊履歴の手がかりとなることが示唆された。これらの成果は、魚種間の相互作用を考慮したカタクチイワシの資源管理に重要な知見となるものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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